第108話 静かなバタリングラム

 こつん、こつんと何かが高価な硝子窓を叩く音が聞こえた気がして、フリードリヒは窓へと視線を向けた。

 執務室から見える景色は夜闇に沈んだ狭い演習場である。日が出ている内は新人コレクタが集団に加わるために技量を示そうとし、大体は叩きのめされて笑いものにされていた。時に腕っぷしを示すことで認められたり、あるいは笑いものにされた新人同士が手を組んで新たな集団が生まれたりすることも含め、いつも通りの光景が広がっていたに過ぎない。

 そんな場所も間もなく日没となれば人影はなく、裏通りから漏れる明かりで、ぼんやりと木々の輪郭が見えるくらいである。


「気にしすぎだろうな。小心にも困ったものだ」


 フリードリヒは自分の心情を客観的に見てやれやれと肩を竦めた。

 彼がボルドゥ・グランマ・リロイストンに見出されたのは成人前のこと。それからはひたすら権謀術数の世界に身を置いて、権力に縋り他人を蹴落としながら駆けあがってきている。だが己の所業を知っているからこそ、他者が自らに同じ刃を向けてくるのではないかという恐怖は振り払えず、常に心の奥底に居座り続けていた。

 そんな彼の耳にも、遠くからカーンカーンと鐘の音が聞こえてくる。それにフリードリヒは大きくため息をつくと、豪奢な椅子にどっかと腰を下ろした。


「閉門か……タグリードめ、しくじったのではないだろうな」


 彼は門を守る衛兵隊に手駒を潜ませては居たが、閉門後に王都へ出入りさせることは流石に難しい。なので、タグリード率いる襲撃部隊も、応援に向かわせた処理班も、帰ってくるのは明朝の開門後ということになる。

 最後の連絡からあまりにも時間がかかりすぎていることは、自らを小心と称する彼を確実に苛立たせていた。最初は褒美を考えていた頭も、最早罰を与えてやろうと思う程に。

 だが分かりやすく加熱された思考は、部屋に転がった激しいノックの音で余計に苛立ちを覚えさせられた。


「喧しいぞ。誰か?」


「ベルペヤでございます! 支配人、今すぐ……ッ!」


 やけに切迫した声は処理班の出撃を進言した部下の声である。普段は落ち着いた物腰の中年が慌てる様は、何か重大な失敗でもやらかしたのだろうとフリードリヒは大仰にため息をつく。

 既にコレクタユニオン支部は受付を終了しており、建物の中に残っているのは自身の護衛たる最精鋭のリベレイタのみ。つまりこの建物はフリードリヒを守る堅牢な城郭となっている。そこで起こる問題となれば、部下たちのいさかいくらいの物だ。


「報告くらいもう少し静かにできないか……まぁいい、入れ」


 だが彼の声に対し、扉の向こうからは返事もなければ、扉も開かれようとしない。

 これは流石に妙であり、癖のある頭髪を弄りまわしていた支配人も、訝し気に立ち上がって扉へと向き直る。


「おい、入っていいぞ。何をしている?」


 この直後、彼はきっと前言を大きく後悔したことだろう。

 何せそこに立っていたのは、王都に居るはずのない男だったのだから。



 ■



 夜間のコレクタユニオン支部は精鋭のリベレイタが守りを固めている。

 そんな話をシューニャは突入前にしてくれた。耳鼻に優れるキメラリアが大半な上、戦闘能力も高いのだと。

 しかしいざ蓋を開けてみれば、僕にはやや拍子抜けだった。雇われの彼らは待遇がよくないのか、あるいはコレクタユニオンを襲ってくる命知らずな賊など居るはずがないと高を括っていたのか、とにかく警備がザルだったのだ。

 それこそ正面には立ち番が2人居たが、何かペラペラと雑談をしており、周囲に意識を配っている様子もない。これではいくら耳のいいキメラリア・カラでも、無音行動を得意とするウィラミットの接近に気付けるはずもなかったのだ。

 そして彼女は影となることに、驚くほど慣れていた。

 目に見えない程細いアラネア糸は、それだけでかなりの強度があるのだろう。彼女は気づかれることなく頭上から糸を犬面たちの首にかけると、音もないままあっというまに吊るし上げてみせた。


「キメラリアの認識を改めた方がいいかもしれないなぁ……」


「ケットやキムンみたいなのは暑苦しいし、アラネアが力任せに武器を振り回すなんて邪道でしょう? こっちの方が楽だし、なによりもの」


 冷たい笑みを浮かべるウィラミットは、ファティマが聞けば唸りだしそうなセリフを呟く。幸いにもそのファティマとは途中から別行動であり、この場では自分が苦笑を浮かべるだけで騒ぎにもならない。


「君が敵じゃなかったことには、安心させられるよ」


 僕は2つの亡骸を屋根の上に隠してから、彼女の糸を伝って静かに降下してコレクタユニオン支部の正面入り口へと取り付く。衛兵が立っていたからなのか、扉には施錠すらされておらず、覗き見た室内には受付が暗闇に沈むばかりで人影もない。


 ――衛兵を過信しているのか? 警備体制が緩すぎるぞ。


 それは罠ではないかと警戒してしまう程だったが、暗視装置で周囲を警戒してもブービートラップや警報装置すら見当たらないため、本気でリベレイタの能力だけに依存しているらしい。

 そうなると建物の中を巡回する者が居るのは当然である。トントンと階段を下る音と共に、蝋燭かランタンか、小さく揺らめく火の明かりが近づいてきた。

 物陰に隠れて様子を伺っていれば、現れたのは真面目そうなアステリオンである。警備員よろしく単独で歩いており、先のカラたちよりはきちんと周囲を警戒していた。

 だからだろう。扉が僅かに開いていることに、彼はうんざりとした声を出す。


「あいつら……カラってのは強いか知らないが、なんべん言っても戸締りすら覚えられないなんて、頭の中まで毛玉で埋まってんじゃないか?」


 そのアステリオンは神経質だからこそ、巡回による異常発見を任されているのだろう。大雑把なカラに対して苛立ちを覚えた様子で、小さな体をいからせながら大股に入口へと歩み寄る。


「おいシェイ! ガストン! お前らまーた扉開けっ放しで――むぐっ!?」


 毛むくじゃらの顔をしたアステリオンは、まさか背後から口を塞がれるとは思わなかっただろう。

 しかし、噛みついたり唸りをあげることはおろか、何が起こったかわからない内に、喉を通った刃によって小さな体をだらりと弛緩させた。

 扉に気を取られていなければ、見知らぬ人間の臭いに警戒くらいできただろうに。同僚が日頃から不真面目だったことが、彼に不幸をもたらした。


 ――恨み言なら、あの世でボロカスに言ってやってくれ。


 アステリオンが腰にぶら下げていたキャンドルランプから灯を消し、僕が静かに建物の奥へ歩き出そうとすれば、背後からウィラミットの小さな笑い声が聞こえた。


「ふふ……キョウイチさんも十分怖いわ。ミクスチャ殺しの英雄さんが、暗殺術なんて」


「――まぁ、理由は色々あってね。シューニャ、離れるなよ」


「ん」


 振り向かないままで声を押さえて指示を出せば、ウィラミットの後ろに続いているであろうシューニャからも短い返事が返ってくる。

 ここから先もそう難しくはなかった。

 フリードリヒが2階の執務室に居ることは調でわかっていたし、シューニャが足音を消しきれなくても、巡回のアステリオンと勘違いして無警戒に出てくる連中は、サプレッサーを装備した自動小銃のヘッドショットで確実に沈黙させられていく。

 ただ、数少ない人間の男だけは違和感に気付く力があったのだろう。味方が倒れたことを目撃して、最奥にある執務室へと走り出した。


「ベルペヤでございます! 支配人、今すぐ……ッ!」


 ドンドンと力強く扉を叩いていた男の手が硬直し、そのまま扉に持たれるようにしてズルズルと地面に崩れていく。彼の後頭部には、まるで果物に包丁を入れるかのように、鈍く光る戦輪チャクラムが突き立っていた。


「お見事」


「お褒めに預かり光栄ですわお客様。の準備をしているから、後のことはよろしくね」


 見えない糸でつながっていたのだろう。ウィラミットは軽く手首をスナップさせるだけで戦輪を回収して見せると、滑るように廊下を戻っていく。


「おい、入っていいぞ。何をしている?」


「……お許しが出た」


「なら、遠慮はいらないな」


 シューニャはどこか呆れたように肩を竦め、僕は部屋の主を小馬鹿にするように笑いながら、二度と訪れるものかと思った部屋の扉に手をかけた。


「どうもご無沙汰しております、フリードリヒ支配人」


「な……あ……何故貴方たちが、ここに……?」


 そこにあったのはまるで絵にかいたような驚愕の表情を浮かべた男であり、それも徐々に青ざめていくものだから、不覚にも笑ってしまいそうになった。


「これは異なことを、お呼びになられたのは支配人ではありませんか。蛇行剣を持った女性から、コレクタユニオンのために、との伝言を受け取りましたのでね」


「な、何を根拠にそんなことを!? 蛇行剣を持つのはカニバルです! あれは見つけ次第死罪なのだから、私とはなんの関係も――」


「タグリードと呼ばれたカニバルは、貴方を主と呼んでいた。それに、緊急依頼を出せるのは、インタリオリングを持つ支配人を除いて他にない。潔白を証明したいなら、蝋印を照合させてもらえば済む」


 シューニャは微塵も表情を変えないままで極めて淡々と事実だけを述べ、ついでにこれぞ証拠だと緊急依頼の用紙をポーチから取り出して突きつける。

 コレクタユニオンという組織の仕組みが、カニバルを飼いならしていたという事実が、更には大掛かりな作戦の割に敵対者の戦力を見誤ったことが、フリードリヒにとって大きな足かせとなった。

 せめてここで彼がインタリオリングを差し出してくれば、僅かでも対話の余地はあっただろう。しかし、美しい顔立ちの青年は表情を大きく歪めると、潔白の証明足りえるリングを隠すように握りこみ、あろうことかこちらを威嚇して見せた。


「それがどうした! お前たちこそ、わかっているのか!? 私を害すれば、コレクタユニオンという組織を敵に回すことになるんだぞ!」


「コレクタユニオンにはバックサイドサークルの支部を除き、基本的には設置されている国の法に従う義務があるはず。カニバルと繋がっていた事実が明るみに出れば、貴方は支配人としての地位を失って然るべき」


「まぁそれに僕にとってはね、家族を害されたことに比べればなんですよ」


「たかが1つの組織コレクタ風情の分際で私を生け捕りなどと……随分舐められたものです――ねっ!」


 憎々し気に表情を歪めたフリードリヒは、咄嗟に机を蹴り倒すと、懐から取り出した小さなガラス瓶をこちらの足元へと叩きつける。僕は咄嗟にシューニャを抱えて後ろへ飛んだため難を逃れたが、床に広がった液体は机から転げ落ちた燭台を火種として、床に炎の壁を形成した。


「アクア・アーデン……!?」


「なかなか見事な計算じゃないか。やってくれる」


「私と敵対したこと、後悔させてやるぞ英雄!」


 咄嗟によくできたものだと感心する僕に対し、フリードリヒはあからさまな捨て台詞を吐くと、後ろの窓から屋根を伝って逃げていく。

 ここまで追い詰められながら逃げおおせられたのだから、きっと彼は一矢報いたとでもほくそ笑んでいたことだろう。実際、こちらは炎の壁に阻まれて追跡は困難だったのだから。

 ただし、そもそも追跡する必要がなかった、というのもまた事実である。そのため僕はシューニャと共に、ぼやを起こした建物から避難すると、外で早くも消火のために人を集めていたウィラミットと合流した。


「随分と派手な演出だこと。うるさくて堪らないわ」


「まさか火炎瓶を出してくるとは思わなかったよ。そっちの首尾は?」


「あの猫ちゃんはちゃんと追ってるわ。全部思った通り」


「ここまで予想通りに動かれると、流石にちょっと気味が悪い」

 

 井戸水をバケツリレーして消火に当たる衛兵隊や、それを手伝う近隣住民たちを背に、僕とシューニャは揃って肩を竦める。

 あれほどわかりやすい黒幕が相手なら、後はダマル達とマオリィネ達の2部隊が、うまく事態を収束させてくれることだろう。そう考えると、二日に渡る連戦の疲れがどっと出て、2つの大きなため息がしっかりと重なったのだった。

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