第27話 猫は嗤う

「イルバノ様、まもなく先鋒が目標と接触します」


「ふふふ……帝国軍を敵に回したということがどういうことか、これで連中も理解できたことだろう」


 疾走するアンヴの上で、指揮官であるイルバノは副官のセクストンからの報告を受け、その顔に冷酷な笑みを浮かべる。

 あのバックサイドサークルにまともな敵対勢力がないことは疑いようもない事実となっていた。それは民草にとって平和であっても、騎士にとって勲功を上げられない状況であり、イルバノはその出世欲から焦れていた。

 前線配置ではないことを理由に、ロンゲン軍団長率いる第三軍団への配属を望んだのは自分であったが、それは戦争の中で死ぬなどというなるものが御免だったからに過ぎない。

 戦って勝利を重ねれば武勲も得られよう、しかし死んだ後の名誉など何の価値があるものか。

 そう言いながらも、名誉欲や権力欲は収まるところを知らず、ならば治安維持部隊としてことに心血を注いでいた。

 おかげでただの民衆に罪を被せて仕立て上げることも繰り返したが、そのどれもが小物であったために、武功として誇るにはあまりにも弱く、よくやった百卒長、とロンゲンが口にすればそれで終いで、彼に見返りはほとんどなかった。

 だが、今回は違う。なんせ味方の兵士に死者が出たのだから。

 密偵を殺した者の断定はできている。あのアマミとかいう、コレクタユニオンでキムンを単独で打ち倒すイカサマ試合で注目を浴びた男だ。奴を晒し者にしたうえで処刑し、コレクタユニオンに帝国へ謀反の疑いありとでも報告すれば、それはそれは面白いことになるだろう。

 内部からの叛乱を防いだ救国の英雄として、自分が帝都に凱旋する姿をイルバノは脳裏に描いた。それは傍目から見ればただの妄想の産物であっても、彼には実現した真実かのように映り込んでいる。


「セクストン、お前は後続の歩兵隊を指揮しろ。追い詰めた奴を逃がすなよ」


「ハッ! イルバノ様も御武運を!」


 そう言って、生真面目なセクストンは隊列から離れていく。

 これで現場は整った。空には月が浮かび、眼前には連中を乗せたとみられる装甲獣車ウォーワゴンが走っている。

 賊にしては大層な装備であり、あれを破壊して敵を捕縛となれば箔もつくだろうと、イルバノは心中で喝采を送った。


 ――ああ、お前は確かに英雄だ。俺を英雄にするために現れた英雄なのだ。だから大人しく贄となれ。


「先鋒は奴に接近して、足をとめろ! 動きが止まったら後続は火矢でウォーワゴンを焼き払ってしまえ! ただしあのアマミだけは殺さず捕えろ! 伝令行け!」


「了解ッス!」


 最も身軽で足早な斥候1騎が伝令を抱えて先鋒へと駆けだしていく。小柄なキメラリアの兵ではあるが、体重の軽さを生かして全速力で走る部隊を抜き去ることのできる能力を、イルバノは部隊の指揮に有効活用していた。

 ややあってから伝令が通ったらしく、先鋒の部隊が左右からウォーワゴンへと接近していく。並ぶにはまだ遠いが、それも時間の問題だった。

 あとは料理が出来上がるのを待つのみだと、舌なめずりをして前方を注視する。

 だが、ここへきてイルバノは敵に疑問を覚えた。

 敵は何故か1発の矢も射かけてこないのだ。

 ウォーワゴンとは、多くの弓兵やバリスタを備える戦場の簡易要塞である。今回のような移動しながらの戦闘は本来の用途ではないが、狙いが定まらなかろうが牽制くらいはできるだろう。

 それが矢も撃たずにひたすら逃げているのは、滑稽というよりも不気味だった。

 少しだけ嫌な汗が流れ出る。彼のこういう勘は外れたことがない。

 だがひたすら忠実に、命令を実行せんとウォーワゴンに接近していく先鋒を止めるには遅すぎた。

 ウォーワゴンが何かを放ったのはその時だ。

 聞いたことの無い派手な音と共に火炎らしき光が瞬いたかと思うと、左方向から馬上槍を突き立てようと迫っていた1騎の腰から上が綺麗になくなっていた。

 更に、飛翔した謎の物体は重装騎兵を貫いた後、真っ赤な炎を地面に撒き散らす。

 一瞬で広がった炎に追従していた1騎が、もんどりうって軍獣ごと地面に倒れ込んだ。


「い、今のはなんだ!? 誰か、報告しろ!」


 彼が混乱しながら叫ぶうちにも、ウォーワゴンは続けて炎を放ち、味方の駒を次々と吹き飛ばす。その度に赤い火花が月明かりの闇夜を赤く染めた。

 見たことのない飛び道具。それも鋼の鎧を容易く貫通する威力を持ちながら1発たりとも外さない。

 被害が拡大する中で、イルバノはウォーワゴンの持つ武器の威力に、あり得ぬ、あり得ぬと繰り返した。

 先鋒に出した10人は瞬く間に全滅した。残りは後備あとぞなえの20人と、自分の周囲を固める護衛10人のみ。

 それ以外は歩兵隊であり、セクストンが指揮をしているとはいえ合流が間に合うとは思えない。

 イルバノの頭は現状を把握すべく、素早く回転していた。そして、1つの可能性に辿りつく。

 敵の飛び道具は1つだけであり、周囲から同時攻撃を仕掛ければ取り付くことができるのではないか、というものだ。

 そう考えると、奇怪な武器を持ちながら逃げ腰なのも、説明がつく。

 部隊の被害は避けられないが、勝利に犠牲はつきものだと、手ごたえを覚えたイルバノは、兵たちのためにわざわざ渋面を作った。


「先鋒の仇を撃つぞ! 全員、敵の周囲を囲んで一斉に攻めかかれ! 恐れるな! 奴は同時に複数を攻撃できんはずだ!」


 この号令に、後備の20人は応と声を張り上げて勇気を奮い起こし、いざ仇をとらんとウォーワゴンへと突貫した。

 護衛兵のみが周囲を囲む中、イルバノはこれで勝てるはずだと計算を止めようとして、ふとあることに気づいた。

 ウォーワゴンが停止していたのである。これに彼は勝利への確信を深め、拳を握りしめる。

 まさかこんな時に、慌てた様子で斥候が戻ってくるとは思いもよらなかったが。


「報告! ウォーワゴンの中から、り、リビングメイルが出てきたッス!」


「な、なんだとぉ!?」


 イルバノが叫んだのと、ウォーワゴンの方角から悲鳴が聞こえたのはほとんど同時だった。

 人間が着て歩くことにさえ苦労する重装鎧を着た兵士たちが、何の手品か軽々しく宙を舞う。銀の鎧が月光に照らされて光ったかと思えば、次の瞬間には地面に叩きつけられて潰れ、血だまりとなって動かなくなっていく。

 微かに見えたのは、青いリビングメイルの姿だった。


「ば、バカな……リビングメイルの出現報告など、どこにも……」


 アマミという男が無手でキムンを倒すほどの豪傑なのは、不正が無ければ認めざるを得ない真実だが、テイマーだったなどという情報はどこからももたらされていない。

 しかし突如現れた脅威は本物で、イルバノの表情は恐怖で塗り固められる。今までの威勢から打って変わって、生まれたてのアンヴのように震え始めたイルバノは、周囲を固める護衛兵へと喚き散らした。


「ぜ、前方を固めよ! 私が撤退する時間を稼げ!」


「ひゃ、百卒長殿!? それでは作戦が……!」


「うるさい黙れ! これは命令だ!」


 危うく囮にされそうな護衛兵たちは、お前だけ逃げるのかと遠回しに彼を批判する。だが、命に代えれば名誉など関係ないというイルバノは取り合おうとしない。

 そうこうしているうちにも、突撃した勇敢な後備兵たちは1人、また1人と屍を晒していく。

 まるで地獄を見ているかのような光景に、ただでさえ後方配置の居残りでしかない兵たちは、その強大な力に打ち震えた。最早士気などあったものではない。


「くそ、役立たずどもめ!」


 それを見たイルバノは毒づきながら騎獣を反転させ、我先に逃げ出そうとした。


「あれ? 帰っちゃうんですかぁ? ボクと遊びましょーよ」


 あまりにも場の空気に似合わない間延びした声が、頭上から響いたのはその時である。



 ■



 シューニャが言っていた通りの小物なら、騎兵隊が半分も居なくなれば逃げだす、とダマルは言った。

 目の前に広がる光景を見るに、その判断が的確だったとボクは頷く。

 後方でマキナがその腕を振るい、野戦において最強の戦力たる騎獣兵たちが無残にも撃破されていくなかで、司令官の男は護衛兵たちすら纏められず、なんなら1人で逃げ出そうとしていた。

 信頼するおにーさんが、誰も生かして返せなくなった、と言っていた以上、ここに居る男は最重要の目標である。だから、本当ならば声なんてかけずに一撃で殺すつもりだった。

 だが、あまりにも見苦しく喚くだけの男に、ボクはほとほと呆れかえってしまったのだ。これなら、夕方に解体されたダマルの方が余程潔い。

 板剣をだらりと両腕にぶら下げて、満月を背に岩の上に立つ自分の姿は、果たしてこの男にどう見えているのか。震えているのは恐怖か、戦いへの歓喜か。

 それを見ているともう少し煽ってやろうという悪戯心が湧いてくる。どうせ長くここにとどまっていたら、後ろからマキナがやってきて終わってしまうのだから。

 少しくらい遊んだって怒られることはないだろうと、ボクは薄く開いた口を釣り上げた。


「こんなにお月様がまん丸ですし、僕と踊ってくれませんか? 夜は長ぁいですから、そんなに急いでお家に帰らなくても、奥さんだって何も言いませんよぉ」


「ケット……ッ!」


 ギリギリと男の歯が軋む。

 唖然としていた護衛兵たちもこれには反応し、男を三角形に囲むように騎獣を回して防御姿勢をとった。

 すると今まで怯えただけの表情だった男は、何の自信を取り戻したのかわからないが、専用品らしいやたらと金銀輝く華美なランスをこちらに向けて早口で捲し立てる。


「卑賎な獣風情が、百卒長の騎士たる私に目上から言葉を投げるとは無礼千万! テイムドメイルまで持ち出して帝国にたてつこうと言うのだな!?」


 パレードヘルムの下で目を血走らせるその姿に対し、ボクは口に手を当てながら欠伸を返す。

 追い詰められて激昂する男に、それがどのような姿に移るかは想像に難くない。プルプルとランスを持つ手が震え、手綱を握る手がギシリと音を上げた。


「ば、馬鹿にして……! あいつを八つ裂きにしてやれッ!」


 最早口調に騎士たる厳格さすらなく、あれを殺さねば気が収まらぬと護衛兵をけしかけてくる。

 自分たちを置いて逃げようとしたとはいえ、一応にも上司からの命令を受けた護衛兵たちは軍獣から飛び降りると、一斉に足元の岩へと群がった。

 それを尻目にボクは軽く跳び上がると、軍獣から降りて次々と群がってくる護衛兵の頭上を飛び越えて、騎乗したままの男へ体重をかけて斬りかかる。


「ぬぅっ!?」


 男はランスで迫る板剣の刃を弾き、僅かに騎獣を後退させた。

 受け止めてくれればアンヴごと叩き潰せたのに、とボクは眉を寄せる。こういうところが騎士などという、技を持つ相手の厄介なところだった。


「下賤な輩が私に刃を向けるか!」


「ボクもお仕事ですから、大将首はお手柄ですよー」


 振り上げ、刺突を弾いて、振り下ろし、3合切り結んだところで置いて行かれた護衛兵が集まってくる。

 それでも荒ぶる2本の板剣が振り回されている状況では簡単に近づけず、自身の槍を腰だめにしたまま突撃の隙を伺っていた。

 しかし、ボクも決め手に欠けていた。何度も何度も打ち合うものの、どれも簡単に弾かれていく。

 腐っていても帝国軍騎士というのは、その辺りのゴロツキや適当なコレクタよりも断然強い。力では自分が圧倒的なのに、技術でそれを避けられ逸らされ、そこから繰り出される反撃は一撃一撃が的確で早い。

 ふと、先日の組手において彼が、避けて、受け流して、逸らす、と言ったことを思い出した。


「どうしたどうした! その程度の腕では私の首はやれんぞ!」


 思考に動きが一瞬鈍ったところを、男が刺突を繰り出してくる。ギリギリで躱したが、馬上と言う高所からの顔を狙った一撃は、頬に細い傷を走らせた。

 昨夜の組手では、相手を殺してはいけないという決め事があり、それでも武器を振っていくうちに必死になって、最後は綺麗に投げ飛ばされている。

 それと重ねて今はどうだろう。首を取ろうと必死に剣を振り、しかし技術で負けているから刃が届かない。

 視線を外せば、またも男の刺突が飛んでくる。それを体を捻って躱し、そこで目に入った。


「あっ」


 気づいた。

 首を取る、ではなく、敵を倒す方法。

 咄嗟に板剣の1本を男に投げつければ、それは軽々弾かれて地面に突き刺さる。

 破れかぶれに見えたであろう攻撃に、男は醜く顔を歪め嘲笑った。


「ハハッ! 疲れてきたか? だが今更後悔しても遅い!」


 そんな声に耳を貸さず、ボクは残った一振りを両手で握り、身体を深く沈めて大きく横に薙ぎ払った。


「――ボクの、勝ちですよ」


 手に肉を断つ感覚が走る。

 直後にアンヴが大きく嘶き、その場に体を横転させた。


「ぬぁ――ガほッ!?」


 男は宙に放り出され、華美なランスも特徴的なパレードヘルムも地面を転がっていく。

 護衛兵の1人は倒れ込むアンヴを避けようと身を捻ったところで隣の兵士にぶつかり、数人がまとめて倒れこむ。

 他の護衛兵たちもキメラリアが繰り出したの一撃に、何が起こったのかを咄嗟に理解できなかった。

 目の前に敵が居るという自覚が戻るまでの空白は一瞬。しかし、それは驚くほど大きな隙である。


「たぁーっ!!」


「ぼ、防御陣け――ぎゃあッ!」


 素早く距離を詰めて振るった一撃に、重装甲のプレートアーマーが大きく窪み、吹き飛ばされた身体が他の兵士を巻き込みながら、団子となって地面に叩きつけられる。


「う、うわああああああ!!!」


「おっと? 危ないですよ」


 恐慌状態の兵士が槍で刺突を繰り出してきたが、ボクは余りにも勢いが足りないそれを、空いた片手でガッチリと捕まえる。

 人間がキメラリア・ケットの力に敵うはずもない。ピクリとも動かせなくなった槍を掴んだまま固まってしまった兵士目掛け、僕は片手で板剣を振り下ろした。

 兵士の身長は、なんだか小さくなったように思う。


「ふぅ……たのしーですね?」


 血しぶきを体に浴びて立つキメラリアの視線に、元々士気が低かった兵士たちは、じりじりと後退していく。次は誰が突撃するのか、お前が先に行けとでも言わんばかりの狼狽ぶりだ。

 7対1という圧倒的な状況にも関わらず、その趨勢は覆らないと誰もが思っていたことだろう。その場に踏みとどまっているのは、背後から斬りかかられる恐怖によるものでしかなく、もはや指揮官を護衛すると言う彼らの役割は完全に放棄されていた。

 だが、それも長くは続かない。


「ひいぃぃぃっ!?」


 突如兵士の1人が地面に倒れ込んだことから、隣に居た者が恐怖に叫びを上げる。

 ボクはそれを、満面の笑みで出迎えた。


「おにーさん、遅いですよ。全部とっちゃうところでした」


『すまない』


 あれだけ長い時間をキメラリアと戦っていた兵士たちは忘れていた。

 背後から現れたリビングメイル。気づけば先ほどまで聞こえていた戦いの喧騒もなく、自分たちが着る鎧の擦れる音だけが響いていることに。

 最早彼らに生きる道は、残されていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る