第48話 大人買い

 コレクタユニオンの大天幕を出れば、刺すような陽光に目が眩む。

 だというのに、周囲からの視線は痛いほどに感じられるのだから、ため息1つを出すのも憚られた。


「英雄様になっちゃいましたね」


「吟遊詩人が歌う日もそう遠くない」


「勘弁してくれ、柄じゃない」


 欠伸をするファティマも、無表情を貼り付けたシューニャも完全に他人事である。

 それも人の噂は音速でバックサイドサークルを飛び交ったようで、道を歩いているだけで見ず知らずの者たちから声をかけてこられては堪らない。

 どうやって倒したとか、ファンになりましたとか、英雄様と叫ぶだけの野次馬たちはまだマシな方である。

 小太りの商人が貴金属やら宝石の営業に出てくるし、キメラリアが雇ってくれと付きまとい、謎の宗教勧誘みたいな連中まで現れる始末だ。

 そんな中でも一番身の危険を感じたことがある。


「英雄様ぁ、あたしを買ってよぉ」


「い゛っ!? いや、その――」


「サービスしておきますわよ」


 それは扇情的な恰好をした女性数人だった。

 アッシュの髪を真っ直ぐ切り揃えた褐色の肌の活発な娘が、僕の左腕に絡みつき、反対側からも挟み込むように、薄紫色の長髪を靡かせる妖艶な女性が体を寄せてきたのだ。

 どちらも煌びやかなアクセサリーを身に着けており、甘い香水の匂いを漂わせていることから、娼館から出てきたことは明らかだった。なんなら周囲に、血涙を流して叫ぶ男の姿まで見える。

 これが1人の時ならば、自分は流れのままに誘いに乗ったかもしれない。

 だが、抜き身の刃かと見紛う4つの瞳が背後から向けられている状況では、僅かな名残惜しさを残して振り払うことしかできなかった。


「え、遠慮しておきます。その、急ぎの、用が、ありますので!」


 ハハハと乾いた笑いを残し、僕は全力疾走で絡みついてくる女性をかいくぐった。

 えぇーという不満の声には本当に残念な気もするが、鈍器のような板剣で首をえぐり取られることと天秤にかけられるはずもない。

 にもかかわらず、追いついてきた2人からの言葉は温度のないものだった。


「おにーさん、結構エッチですよね」


「不潔」


「だから振り払ったじゃないか……それに、僕だって男なんだよ」


 ファティマは暗い目元から金色の瞳を爛々と輝かせ、シューニャは言葉少なながら破壊力のある一撃をくれる。

 あまりに見事な連携に僕は血を吐くかと思った。涙が溢れなかったのは奇跡と言える。


「振り払えたことを評価していただきたいんですが……」


「知らない」


「じー……」


 シューニャはツンと顔を背け、ファティマは瞬き一つせずにこちらを見つめ続けてくる。

 その剣山を背にしたような状態に、僕は素早く目的の店へ逃げ込むことに決めた。

 天幕の入口を潜れば、野次馬も流石に入っては来なかったので、閑散とした空間に安堵の息が漏れる。

 加えて武器が並ぶ空間にファティマの関心が逸れたことで、ようやく僕は針のむしろから解放された。


「店主、居るかい?」


「ハイハイ――オヤ、コナイダノオ客サン? ナニカ必要ニナッタノカイ?」


 店の奥から跳ねるようにして駆けてきたのは、相変わらず生命の不思議を詰め込みすぎた姿の白文鳥だ。

 羽毛から人間の腕が生えている姿はミクスチャ並みの奇怪さだが、シューニャ達に驚いた様子がないことから、これもキメラリアとしては普通らしい。


「前に見せてもらったあの剣が欲しいんだ」


「前ニ見セタ剣ッテイウト……アノカイ!?」


 僕の言葉に、文鳥はピンク色の嘴をぱっかりと開いて驚愕をあらわにする。

 その口ぶりからは相変わらず、アレを武器として用いるとは考えられないらしい。

 しかし超重量級の大剣はまともに扱えれば威力はもちろん、分厚い金属で作られたそれは強度もけた違いだろう。ファティマが扱う武器の条件としては、しっかりと合致している。


「頼む」


「ア、アア。ワカッタ」


 こちらが本気であることを悟ったらしく、文鳥は慌てて店の奥へ引っ込むと、直ぐにソレをひぃひぃ言いながら持ち出してきた。


「コ、コイツデイインデスヨネ?」


 文鳥が包みを机に置いた途端、天板が音を立てて歪む。

 扇状に膨らんだ切先を持つ重厚で長大な斧剣の輝きに、ファティマはおぉと尻尾を立てて目を輝かせ、シューニャも目を見開いて吸い寄せられた。


「これは、想像以上に凄い剣。力のあるキメラリアじゃないと、とても扱えそうにない」


「偶然見せてもらったのを覚えていてね。ファティになら丁度いいかなって」


 いい判断だと彼女は頷いてくれる。どうやらシューニャの御眼鏡には適ったらしい。


「触ってもいいですか?」


「エッ、毛無シノオ嬢サンガ使ウンデ!?」


 驚愕しっぱなしの文鳥を尻目に、ファティマは刀身に刻まれた蔦の文様を撫でてから、柄を握って斧剣を持ち上げた。

 彼女がその場で軽く振れば、風切り音と共に大きく埃が舞い上がる。


「うん、握りもいいですね。今までの剣より重いですけど、とっても頑丈そうです。気に入りました」


 感触を確かめるように手を握ったり開いたりした後で、ファティマはパッと満面の笑みを浮かべる。

 その様子はまるで、新しい玩具を貰った子供のようにはしゃいで見え、自然と僕も頬が緩んだ。


「店主、これは銀貨3枚だったか?」


「エ、エエ」


 つぶらな目を瞬かせて固まる文鳥に代金を渡し、僕は2人を伴って店を後にする。

 しかし外に出た途端、何処からともなく嫌な言葉を耳にした。


――あの店から英雄が出てきたぞ。


 これはもしかして、と僅かに離れてから振り返る。

 そこには文鳥武器店の天幕へ殺到するコレクタらしき人々の姿があり、突如訪れた繁忙期に、ピィィィィィ、という甲高い叫び声が聞こえてきたのだった。



 ■



 古着屋を次から次へと渡り歩き、あれでもないこれでもないとファティマは服を物色している。

 防具はたった1件で気に入ったものが見つかったらしく、その勢いで終わるかと思いきや、服に関しては中々決まらない。

 その上衣料を扱う店は数が多く、値段も質もピンキリで千差万別だった。

 挙句、服飾に関するセンスや趣味がわからない自分に、コーディネートを持ってきては感想を求めてくるため、余計に時間がかかっている。


「うーん、迷いますねぇ」


「一応、急いでくれると嬉しいんだがなぁ」


「はぁい」


 忘れていそうなので改めて注意を促しておく。

 自分たちは帝国軍に追われる身であり、それでも衣服無しで彼女を過ごさせるなどという無謀なことができないから買い物をしているわけで、ショッピングそのものを楽しんでいる余裕はないのだ。

 しかし返事はするものの、ファティマは次々と服に目移りしては悩みを拡大させていく。

 女性のおしゃれに対するこだわりが凄まじいのは、今も昔も変わらないらしい。

 ファティマは放っておけば永遠に迷い続けそうであり、そんな彼女のストッパーであるはずのシューニャも自分の背丈に似合った服を眺めている。


「こりゃあ、駄目だろうな」


 このままでは服屋に住み着いてしまいそうなので、仕方なしに僕も貧弱なファッションセンスを総動員して、服の捜索に参加することにした。


「ファティマに似合いそうな服――似合うって何だろうなぁ」


 棚を漁りながらため息をつく。女性用の軍服でもあればと思わなくもない。

 しかし商品区分が無い棚を無造作に探っていたためか、やがて僕はアクシデントに遭遇した。


「うっ!?」


 鮮やかな色だけで引っ張り出したソレに、僕は咄嗟に手を離す。

 一言で表すならば、セクシーランジェリーであろう。レースで作られたそれは、ただでさえ布面積が少ないにもかかわらず、数か所に謎の穴があるあたり如何わしい用途に使われていたことは疑いようもない。

 誰だこんなものを古着で売り出す奴は、とため息をつきながら拾い上げると、その瞬間、シューニャとバッチリ目が合った。

 

「変態」


「不可抗力、ですッ!」


 勢いよく棚の奥へ、青少年保護条例違反真っ盛りなソレを叩き込んだ。

 それでも消えない殺気に、僕は話題を逸らそうと無造作に商品を手に取る。


「ん?」


 手触りのいい生地で作られたそれを広げると、目の前に現れたのは白いスカートだった。

 ちょうどいいとシューニャに判断を仰いでみる。


「お、これはどうだろう?」


「キュロットスカート、普通のスカートよりは機能的。丈が少し短い気がする」


 色合いやら見た目やらのセンスを問いたいところだったのだが、彼女には機能的にどうかという風に捉えられたようだ。

 あまりにもシューニャらしい返事に、僕はついつい笑ってしまうと、彼女はこちらを半目で睨んでくる


「何?」


「い、いやすまない。その、キュロットっていうのはどういう意味――」


「内側でズボンみたいに分かれてるスカートのことを、そう呼ぶみたいですよ」


唐突に背後から話しかけられて肩が跳ねた。

慌てて振り返ってみれば、いつの間にかファティマが黒いノースリーブを片手に首を傾げている。


「ほうほう、おにーさんはスカート派ですか」


「別にそういうわけじゃないんだが……君に似合うかなって程度だよ」


レディースのスカートを手にして棒立ちしている男の姿は、はた目から見れば怪しさ満点だったであろう。

それが気恥ずかしく思えて適当なことを口走れば、ファティマは耳をピクリと揺らして、僕の手からスカートをさっと奪い去った。


「じゃあ、ちょっと着てきますね」


 何かが琴線に触れたのか、ファティマは素早く天幕の奥へと駆けていく。

 呆気にとられたまま、僕はその後ろ姿を眺めている他なかった。


「ファティ、嬉しそう」


「そうかい?」


 僕には普段と変わらないように見えたが、より付き合いの長いシューニャはそうでもないと首を振った。


「キョウイチに会ってから、ファティはよく笑う」


 彼女の言葉に僕は心底驚かされた。

 よく笑うという表現は、あまりにもファティマという少女とかけ離れているように感じられる。


「ずっとあんな感じじゃないのかい?」


「前までは常にボーっとしている印象が強かった。どこか遠くを見ているようで、護衛対象だった私以外とは、自分から関わろうともほとんどしなかったのに」


「それはなんというか……想像できないなぁ」


 ファティマは普段飄々としているものの、何かにつけてコロコロとよく笑うイメージが強い。

 そうでなくともダマルを分解するほど怒ったり、僕が負傷して涙を流してくれたりと、とにかく感情の起伏はかなりはっきりしている。

 それが普通だとばかり思っていた。


「貴方とダマルと出会ってから変わった。私には今の方が自然に見える」


「そう、なのかな」


 以前のファティマを知らない自分は、それを判断する基準を持たない。

 だが、シューニャの実妹を眺めているような温かい視線が、あまりにも雄弁に語っているように思え、ならいいのだが、と僕は頬を掻いた。

 照れ臭い話だが、玉匣がファティマにとって自然体で居られる場所になっているなら、それはいいことだろう。


「私も少し――」


「どーですかぁ?」


 何か言いかけたシューニャの言葉を遮って、天幕の奥からファティマが戻ってくる。

 彼女は丈が短く黒染めされたレザーのノースリーブシャツを、以前と同じでへそ出しスタイルで着て、その上から防具店で見繕った赤い筋走る金属製ブレストプレートを装備していた。そして下半身は、先ほどの白いキュロットスカートの上から腰巻状の小札鎧を纏い、靴には革製らしいデミブーツという出で立ちである。


「おにーさん?」


 大きく変わった印象に見とれてしまっていた僕は、感想を求めて覗き込んでくるファティマに呼びかけられてハッとした。


「あ、あぁ似合ってるよ」


 咄嗟に思ったままを口にすれば、彼女は満足げに微笑んだ。

 相変わらず脚や腕、そして腹部の肌の露出が多い恰好ではあるものの、動きやすさを求めるファティマにとっては、これが普通なのだろう。ただの趣味かも知れないが。


「えへへ、じゃあこれにしますね。やっと決まりました!」


「じゃあ買うかぁ――ん?」


 銀貨の詰まった革袋を取り出そうとして、ふと棚に置かれた濃紺色の布が目についた。

 広げてみるとどうやら全身を覆うような所謂ポンチョらしい。肩周りより少し低い位置に角ばった渦巻き状の模様がいくつもあり、裾の近くには2本の銅色のラインが横向きに走っている。

 作りも悪くないので、どうかとシューニャの方へ視線を向ければ、彼女は素早く顔を逸らした。


「ッ! わ、私は、別に……その、これで十分だから」


 そう言いながらも翠色の目はチラチラとこちらを見ているあたり、興味はあるのだろう。加えて、十分という割に彼女のポンチョは明らかに傷み、各所に綻びや穴も目立っていた。


「愛着があるなら別だが、その様子だと買い替え時期と見える。ほら、着てごらん」


「う……そこまで、言うなら」


 一瞬の逡巡の後、シューニャは素直にそれを身に纏う。

 金紗の髪に紺色のポンチョは良く映え、厚めに作られた生地には張りがあって、より引き締まったように見えた。


「ど、どう……?」


シューニャはその場で小さくくるりと回ると、遠慮がちに感想を求めてくる。いつも通りの上目遣いも含めて、かなりの破壊力だ。

おかげで僕からは、感嘆に加えて思ったままの言葉が零れ落ちる。


「おぉ、可愛いんじゃないか?」


「か――っ!?」


 色白の顔が瞬く間に赤く染まる。

 その反応が何故か面白く、少し調子に乗った僕は周囲をぐるりと見まわし、手近にあった焦げ茶色の帽子を手に取った。

 短いツバが付き、トップが大きく膨らんでいる特徴的な形は、所謂キャスケットという奴である。


「うん、これも悪くないかな」


 まだ赤い顔を押さえていたシューニャにそれを軽く被せると、暫くわたわたとしてから、短いツバを持ち上げてその下から小さく目を覗かせた。


「おぉ、かわいーですね!」


「そ、そう?」


 ファティマにまで絶賛されたことが効いたのか、シューニャはポンチョの裾を握りしめて頭から湯気をあげていた。

 その様子を遠くから眺め続けていたらしい女性店員が、タイミングを見計らって寄ってくる。


「全てお買い上げですか?」


「ええ」

 

 冷やかしでないとわかるや店員はパッと破顔し、数えもせずに金額を言い放つ。


「銀貨20枚になりまぁす」


 これには流石のファティマも毛を逆立て、シューニャも肩を震わせた。

 あの斧剣が銀貨3枚だったことを思えば、インナーやナイトウェアを含めたと言えど衣服が高価なのがよくわかる。


「お、おにーさん……その」


「これは流石に」


 震える2人を片手で制し、僕は店員にしっかり銀貨を渡して、有無を言わさず店を出た。

 後戻りができないと悟ったのか、2人は今までのはしゃぎようと比べて急激に小さくなったように感じる。


「ぼ、ボク、頑張って働いて返します。何年かかるかわかりません、けど……」


「キョウイチ、仕事がほしい。なんでもいい、なんでもするから」


「これは必要経費だろう。買ったものを大切にしてくれればそれでいいよ。時間を使いすぎているし、今は先を急ごう」


 いくら気にするなと言っても、彼女らは金額の大きさに青い顔を隠そうともしない。だが、今は問答している暇もないため、僕は足取りの重い2人の背中を押して、ファティマの装備を返却するため、目抜き通りをコレクタユニオンに向かい急いだのだった。

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