第49話 武人と兵士

 ファティマの借金と道具類返却に関する手続きはあっという間に終了した。裏でグランマが手続きを簡略化でもしたのだろう。

 彼女はあまりにも呆気なくリベレイタという鎖から解き放たれ、実感もなかったようである。

 だが自分たちには感傷に浸る余裕はなく、僕はファティマを急かしつつコレクタユニオンの大天幕から出ようとして、ふと見知った亜麻色の髪にその足を止めた。


「マティさん?」


 いつも通り事務員らしい恰好の彼女は、何か大きなカバンを抱えて大天幕の入口に立っている。ただし、その顔色は僅かに青ざめていたが。


「アマミ氏……? いつ、お戻りに?」


 マティはそう言って1歩後ずさる。

 それはまるで幽霊でも見るような、居てはならない者がそこに居たかのような反応だった。


「今朝方にですが、何か不味いことでも?」


「た、大変! アマミ氏、急いでここを離れてください!」


 彼女は途端に僕の肩を掴み叫ぶ。

 言われずとも離れるつもりではあったが、その慌てぶりがあまりにも異様であり、僕ははてと首を捻る。


「落ち着いてください。何かあったんですか?」


「違います! これから起っちゃうんですよ!」


 ガチャリ、と金属のぶつかる音が聞こえた。

 その発生源は大天幕の入口から注ぐ陽光を遮って、マティの背後に現れる。その姿に僕は彼女の混乱の理由を悟った。


「今、アマミと仰いましたか。派遣官殿?」


 砲弾型をした兜からギロリとその大男はこちらを睨みつける。

 プレートアーマーにグラディウスを装備した姿は見紛うはずもない。僕はグランマの予想が大きく外れたことを否応なく理解させられた。

 対して派遣官と呼ばれたマティは、こちらを背に隠すようにして大男に向き直ると、目尻を吊り上げて声を上げる。


「あっ、ぐ、軍団長さん! まだ困ります、コレクタユニオン敷地内への国家軍立ち入りは規定に基づいて――」


「緊急事態にあってはそうもいきますまい。なんせ重要目標ですので」


 そんな彼女の言葉を高い男の声が遮った。

 見れば脇から大男と対照的な小男が、ひょこひょこと前へ歩み出してくる。それもまた同じ鎧姿であることから、どうやら副官的な立ち位置の者らしいことが伺えた。

 重要目標、と言うのが自分であることは疑いようもない。その上ロンゲンという名前には聞き覚えがある。


「ロンゲン軍団長とやらが自ら出張ってくるとは、僕も偉くなったものだ」


「ほう? 記憶喪失と聞いていたが、私の名に覚えがあるか。では、要件もわかっていような」


 驚くほど口角の下がった大男は、大振りのグラディウスに手をかけながらこちらを見下ろす。

 その威容たるや、以前相対したイルバノなど鼻息で吹き飛ばせそうな雰囲気である。

 だが、ここで退く選択肢はこちらにもない。


「ええ。ですがあいにく急ぎの身でしてね。できればまたの機会にしていただきたい」


 ふぅと肩を落として見せれば、ピクリとロンゲンは眉を揺すり、より視線を鋭くする。

 対して隣に居た小男はまだ笑顔を崩さず、まぁまぁと間に割って入る。しかしその言葉にこちらを認めようとする姿勢は一切なかったが。


「いやぁ申し訳ないなぁ御仁。こちらも厄介な案件を抱えている以上、そうですかと行かせてやるわけにもゆかぬのだ」


「アマミ氏……?」


 僕はそっとマティを横へ押しやると自動小銃のセーフティを外す。それを見ていたファティマも新たに手に入れた斧剣の柄に手をかけた。

 それを見てか、ロンゲンは初めて口に僅かな笑みを浮かべる。


「歯向かうか。気骨はあるらしいな。覚悟し――」


「待ちなロンゲンの坊や」


 だが、得物を抜き放った途端、大天幕に響き渡った音声に大男は舌打ちを余儀なくされた。

 奥から現れたグランマは多くのリベレイタを引き連れ、隣にはあのマルコの姿もある。


「随分早まったことをしてくれたもんだね。馬鹿じゃないといったあたしのメンツが丸つぶれじゃないか」


「リロイストン支配人、この男は国家反逆罪の嫌疑がかけられている。こちらを威嚇するなら、帝国に対する明確な敵対行動とみなすぞ」


 相対するロンゲンは一歩も退かず、隣でゲーブルが手を打てば、背後からは同じように帝国兵の一団が大天幕へとなだれ込み剣を構えた。

 数にすればバックサイドサークルという根拠地である以上、コレクタユニオンが圧倒的である。しかし、訓練された兵たちは士気も高いらしく、激しい闘志をみなぎらせてキメラリアの一団を睨みつけていた。

 しかしそれすら老婆は鼻で笑って見せる。


「バックサイドサークルの掟を犯しておきながら、盗人猛々しいもんさ。大体、そこの男を知っているのかい? ミクスチャ殺しの英雄をさ」


「な……なんだと!?」


 今まで堂々としていたロンゲンは、ミクスチャ殺しという単語に初めて表情を大きく揺らがせた。そしてすぐ、しまったと苦虫を噛みつぶしたような顔をして、視線を背後の部下たちへ回す。

 指揮官の動揺はあっという間に兵たちへ伝播する。部隊の士気は目に見えて低下していた。

 僕はその隙に僅かに後退して、彼らに小銃を突きつける。合わせてファティマがシャーと威嚇の声を上げて巨大な斧剣を振り回せば、最前列の兵たちはじりじりと後ずさった。

 その様子にグランマはヒヒヒと気味の悪い笑い声をあげる。


「3人そこらで群体ミクスチャを倒してここに帰って来たんだ。嘘だと思うなら裏に回ってみればいい、証拠が転がってるよ」


「ぐぬ……ゲーブル」


 見た目に違わず、どうやら舌戦が大いに苦手らしい。状況が悪くなったことを悟り、ロンゲンは副官の名を呟く。

 対する小男は怯む様子もなく、今までの人懐こいような笑みを獰猛な物に変え、豪快な笑い声と共に不利な雰囲気を吹き飛ばした。


「ハッハッハ、では本人に証明してもらいましょうぞ。ミクスチャさえ倒すのなら、我ら程度の小部隊、御せぬはずもなし!」


 見事に互いの欠点を補っている編成であろう。小男が笑い飛ばしたことに士気を盛り返した兵たちは、応と声を上げて1歩を踏み出した。

 勿論グランマも負けてはいない。一切の躊躇いなく老婆は手を振りかざし、怒声をリベレイタ達相手に轟かせた。


「この恥知らず共を血祭りにあげな!」


「いくぞおめぇら!」


 マルコの号令にリベレイタは各々雑多な武器を抜き放ち、ウォークライを響かせながら突撃を開始する。


「総員攻撃! 帝国に歯向かった事、後悔させてくれようぞ!」


 逆に帝国軍はロンゲンの声に揃って声を上げると、兵士たちがそれぞれ連携をとって立ち向かう。

 少数部隊同士の戦いは、互いに入り乱れての混戦となった。


「シューニャ、頭を上げるな!」


 初撃を躱した僕は自動小銃を振って1人の喉笛を掻き斬り、1人の足を払って転ばせ、銃床で顎を殴って昏倒させた。激しい動きに、脚の筋肉から刺すような痛みが走る。

 全力で動くには未だ軋む体が恨めしい。そう思いながら、また躍りかかる兵士の剣をバヨネットで弾き、正面蹴りで奥へと突き飛ばした。


「しゃぁッ!」


 追い打ちとばかりにファティマが斧剣をその兵士に叩き込めば、重量級の一撃が鎧兜ごと身体を押しつぶす。

 更に彼女は雄たけびを上げつつ鉄塊たる武装を横に振り抜けば、近づこうとしていた兵士がくの字に折れ曲がって受付台に叩きつけられた。

 暴れ狂う蛮力を相手に、帝国兵は接近を徐々に躊躇い始める。最初は大振りの隙を突こうという賢さも見せていたが、その弱点を僕がカバーしていたため攻め手を失ったと言ってもいい。

 そんな中、突如状況が一転する事態が起きた。


「崩れるぞ!」


 そこに居た全員が一斉に上を見上げたことだろう。

 乱戦の最中、大天幕の中心を支える柱に衝撃が加わったらしい。大きく傾いだ巨大な布は勢いをつけて、全員を押しつぶさんと上から迫る。

 誰も彼もが慌てて逃げ惑う中、僕はこの混乱を好機と捉えた。


「ファティ、退くぞ! シューニャ、腹に力入れろ!」


「はぁい!」


「ん……うぐっ」


 伏せていたシューニャを抱え、天幕の倒れる方向と逆向きに走り出し、僅かに浮き上がった隙間をスライディングして抜ければ、ファティマも転がるようにして追従してくる。

 大天幕の倒壊は乾燥した大地相手に大きな砂塵を巻き上げた。

 

「逃げるなら今しかないな。走れるかい?」


「多分大丈夫。でも目がしぱしぱする」


「よし、行こう」


 僕は目を覆いながら、シューニャの手を引いて走り始める。

 砂の煙幕が落ち着く前に遠く離れてしまえば、帝国軍とて簡単には追いつけないだろう。その上、玉匣まで辿り着きさえすれば、こちらの勝利は最早揺るがない。

 軋む体で無謀な接近戦をするより、この方が余程安全だと判断したのだが。


「軍団長! あそこに!」


「読まれていたか」


 叫んだのはあの小男である。勘が鋭いというよりは、場数が違うのだろう。

 リベレイタ達が兵と未だに戦闘を続ける中、その声を聞いたロンゲンは数人の兵士を従えてこちらへ迫った。

 それを阻止しようと数人のキメラリアが立ちはだかったものの、大男の体当たりはダンプカーもかくやという勢いであり、身体能力に優れるはずのカラやケットで纏めて吹き飛ばされていく。

 その人間離れした膂力に、僕は顔を引き攣らせる。


「ありゃ化物だなぁ」


「キョウイチ、命の方が大事」


 シューニャが責めるような視線を向けてくる。

 逃げることが叶わない以上、を選べ、と彼女の瞳は強く語っていた。

 本当は使いたくない手であるため、僕は苦々しい思いを感じながらも、渋々シューニャに頷き返す。


「わかった、やってくれ」


「ん」


 返事を聞くや否や、彼女はポンチョの内側からスナブノーズの拳銃を取り出し、それを空へと向けて引き金を引いた。

 炎色反応で赤く光る信号弾が打ちあがる。中天に尾を引くそれを、多くの者が目にしたことだろう。

 そしてそれは、無線が届かない程遠くで控える我が家でも、ハッキリと見えたはずだ。


「きれーですねぇ」


「ファティ見とれてないで! 玉匣が到着するまで持ちこたえるぞ!」


「もちろんですよ」


 シューニャを背後に守る形で、僕とファティマはロンゲンたちの前に立ちはだかる。

 数にして2対5。それもロンゲンは僕1人に狙いを定めたらしく、ファティマが4人の兵士を相手取る事となった。 


「ミクスチャ殺しの英雄とやら! その首もらい受ける!」


 グラディウスの一振りを横へ飛んで躱す。

 キメラリアさえ吹き飛ばすようなトンデモ人間の攻撃など、手負いの自分が耐えられるはずもない。

 そこからロンゲンは激しくグラディウスを振るった。そのどれもが武将と呼んでふさわしい、一撃必殺の威力を持っていたことだろう。


「はぁははははぁ!」


「笑いながら……余裕のあることだな、くっ!」


 隙を探すため避けて避けて避けつづけ、それでも躱しきれない一撃を銃剣で受ければ、衝撃に目が眩み体が軋んだ。

 

「どうした! その程度かぁ! 逃げてばかりでは私を倒せぬぞ」


「こいつ……ッ」


 そういいつつ大男はその連撃を止めない。挙句連撃の中に、稀にすさまじい威力の一撃を織り交ぜてきて、こちらの対応を混乱させる。

 また一撃貰いそうになり、慌てて左へ前転し距離をとった。

 いや、とったつもりだった。


「もらったぁ!」


「ぐ!?」


 こちらがどう躱すかを読んでいたのだろう。

 両腕の全力で振り下ろされたグラディウスが見え、無理矢理ハンドガードで受け止めれば、自分の手から自動小銃が弾き飛ばされた。

 あまりの威力に脳が揺すられたのか、視界が狭くなり腕に痺れが走る。

 なんて馬鹿力だ、と毒づくことも、目の前に影を落とした大男を見れば引っ込んだ。


「ひ弱だな英雄とやら……首となれぃ!」


 尻もちをついている自分を嘲笑うかのように、剣は再び振り下ろされる。

 どう転んでも肩口からバッサリだろうが、体は咄嗟に反応して頭の前で剣を防ごうと両腕を交差させる。所詮人間の肉や骨など鍛え打たれた鋼の剣からすれば相手にもならない強度だが、頭で理解していても反射は止められない。


 ―――これは死んだか?


 だが、自分の目の前で飛び散ったのは血しぶきではなく、金属同士が打ち合ったときの火花だった。


「フーっ……フーっ……」


 細い背中と長い尻尾が目の前で揺れ、その細い両腕があの斧剣でグラディウスを押しとどめている。


「おにーさん、には、触れさせません、からね……!」


 キメラリア・ケット特有の人並み外れた膂力。だが、大男は軽く鼻を鳴らすと剣に一層の力を込めた。


「あ――ぐぅ!?」


「どうした小娘、その程度か?」


 まさかと僕は目を見張った。ギリギリという金属の音と共にファティマの身体が沈んでいく。

 どうすればただの人間が、彼女に力で勝れるのか。この男の種族を疑いたくなる。

 だが、ファティマの作った隙はあまりに大きく、力比べの無意味さを叩きつけてやるには十分だった。


「いいや、アンタの負けだ」


 辺りに響く2回の乾いた音。

 咄嗟にホルスターから引き抜いた拳銃が硝煙をくゆらせるのを前に、ロンゲンは衝撃からグラディウスを取り落とし、堪らず後ろ向きに倒れ尻もちをついた。


「ぬ、ぐぁ……!? き、貴様、何を――!」


 手が震えた所為で体の中心は外したものの、弾丸は鎖骨と太腿を撃ち抜いている。これには流石のロンゲンもまともに動けなくなり、混乱していることもあってか、転がっている剣を取ろうとすらしなかった。

 僕はやれやれと砂に塗れた尻を払いながら立ち上がり、改めて拳銃を大男に向けつつ周囲を見回す。

 ファティマが相手取っていた兵士たちは、いつの間にかマルコと剣を交えていた。だからこそ彼女は自分の応援に駆け付けられたのだろう。結果としてロンゲンが倒れたことで、敵は大混乱に陥ったらしく戦いは一方的になりつつある。

 しかし、ロンゲンが放った渾身の一撃を受け止めた衝撃は、ファティマにとっても大きかったらしく、彼女は苦しそうに肩で息をしながら膝を折ってしまう。

 その姿を見た途端、自分の中で激しい怒りが沸き上がってきた。


「魔導か……!? かような武器など聞いたことも――ガッ!?」


「黙れ」


 だからだろうか。僕はロンゲンの顎にむけて、銃のスライドを激しく打ち付けた。

 いかに化物じみた大男でも、身体の構造が人間である以上、脳を揺すられては堪らず昏倒する。

 地に伏したロンゲンがピクリとも動かなくなったのを確認し、僕はようやくファティマに声をかけることができた。


「ありがとう、助かったよ。だが、あんな無茶は――」


「ボクは、おにーさんのリベレイタ、です。絶対守るって、決めたんです」


 まだ立ち上がる事すらできないらしく、ただ弱弱しい笑みでファティマはそんなことを口にする。ロンゲンの一撃はそれほどまでに重く、強い物だったのだろう。


「ファティ」


 いつの間にかファティマの隣に、シューニャがしゃがみこんでいた。その声はいつになく優しい。

 肩を寄り添わせるようにして、彼女はそっと橙色の髪を撫でながら小さく呟いた。


「よくできました」


 それはまるで何かの呪文のようで、フッとファティマの身体から力が抜ける。

 膝をついていた彼女はぺたんとその場に座り込み、ぷはぁと大きく息を吐いて見せた。

 その光景に僕は胸が暖かくなるのを感じて頬を緩めたが、その穏やかな空間は遠くから響く金属音で一瞬の内にぶち壊された。

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