第300話 カーテンタイム

 それは朝霞か火山ガスが流れてきたものか。

 居並ぶ兵士たちの眼前にあるのは、陽光を浴びてなお地形を包み隠す白であり、盆地の向こうは見えていなかっただろう。

 野営地を発ってより翌日、他種族が雑多に入り混じった軍団は明るい闇の向こうを睨みつけている。たとえ前が見えずとも、高山に囲まれるこの盆地にアルキエルモ攻撃目標はあり、風が視界を開ければ谷を横断する防壁が姿を現すことは間違いないのだから。

 難攻不落を謳われる灰の盾。この地形を利用した天然の要害を抜ければ、帝都クロウドンまでの進軍を阻むものはなく、元より食糧事情が逼迫していた帝国を、籠城戦という最も厳しい状況へ追い込むことができる。

 だが、最大の足掛かりとなる敵拠点を目前に控えながら、反帝国連合軍は動かない。

 美しい鎧にシクラスを揺らしながら、大柄な軍獣アンヴの手綱を握るエデュアルトも、

 目を閉じたまま微動だにしないヘルムホルツも、立派な輿の上でパイプから煙をくゆらせるグランマも、指揮官たちは沈黙したままひたすらに待ち続ける。

 開戦の合図、鏑矢の音を。


「……来ました」


「の、ようだな」


 ピクリと短い耳を動かしたのは、人よりはるかに鋭敏な聴力を持つキメラリア・カラ・ウルヴル、ペンドリナであった。もっとも、彼女に及ばないとはいえヘルムホルツにも、甲高いようなその音はすぐに聞こえ、続いて人間たちの耳にも届けられる。

 その音は兵士たちのはるか頭上を越え、靄に包まれ見えない先へ向かって小さくなっていく。

 だが、先細っていく音がいよいよ消えた次の瞬間、ドンという音が彼らの体をビリリと揺さぶって轟いた。


「くくッ……何度聞いても悪くない。鏑矢やら鐘よりも、あたしゃあこっちのほうが好みだねぇ」


 ゆるく駆け抜けてくるぬるい風の中、グランマはパイプを揺すりながらしわくちゃの目で弧を描く。

 始まりを告げた最初は1つだけ。しかし、その後に続いた音は続けざまに空気と地面を揺らし、薄らいでいく靄の向こうでは別の雲がいくつも立ち上がっていた。


「プランシェ、どうか?」


「今の音で26回目になりますが、某の方にはまだ何も――」


 板金兜の面頬を上げている以外、全身が金属製の小札鎧に覆われる重々しい見た目の副官は、晴れ切らない視界に難しい顔をしながら目を凝らし、また耳を澄ませる。

 だが、そのきっかけは彼女が考えていた程遠くから訪れるモノではなく、なんなら小札鎧とは全く不似合いな化繊製のポーチから鳴り響いた。


『さ、最終だんちゃーくっ!! って、これでいいの!?』


「うぁっひゃぁ!?」


「おぉ? なんだなんだ、ダマルからと聞いていたが、今のキンキン声はマオリィネではないか。あやつの声も昔からやかましかったとはいえ、まさか隣に居らんのに聞こえてこようとは……ムセンキなる道具、いざ使うてみると凄いものだなァ」


 ガッチャンと派手な音を立てながら飛び上がったプランシェに、周囲を囲む護衛兵たちも驚いて身を逸らす。とはいえ、それは突如声を発したポーチ以上に、素早く動くことが難しい重装鎧を身につけながら、まるで布服を着ているかの如く軽やかに跳ねた彼女に対してだったが。

 一方、隣に並んでいたエデュアルトは、そんなプランシェなど視界にも入らないとでも言いたげに、腰のポーチをしげしげと眺めながら顎を撫でるばかり。

 この様子が副官である彼女にとっては、何より屈辱だったらしく、兜の中で顔を赤く染めながら唸り声を上げた。


「うぐぐ……事前に試しておけば、斯様なまでの驚きに醜態を晒さず済んだというのにぃ……閣下もダマル殿も、某にこんな訳の分からない遺物を預けておきながらなんと意地の悪い」


「なぁにをブツブツ言ってんだい若いの。そりゃお前の地元に伝わるまじないかなんかか? えぇ?」


 頭を抱えるプランシェに何があったのか知ってか知らずか、担ぎ手のキメラリア達に輿を寄せさせたグランマはバフゥと大きく煙を吐く。

 無論、王国貴族であるダヴェンポート家の名を背負った彼女が、このあまりにも厄介な老婆について知らないはずもない。そのしわがれた声が聞こえた途端、今までの醜態などなかったかのように姿勢を正すと、コホンと小さく咳ばらいを1つ。


「某は何も申しておりませぬ。リロイストン殿の聞き間違いにございましょう。それよりも、閣下」


 軍獣の首を回し、ぐるりと向き直った重装歩兵よりもなお重装の副官に、エデュアルトは静かに目を閉じ、僅かな瞑想を挟んで後、その瞼をゆっくりと持ち上げる。


「うむ。流石は英雄、完全に打ち合わせの通りである。ならば、我らも遅れをとる訳には――ゆくまいてッ!」


 ギャリンと音を立て、美しい装飾の施された長い両手剣を抜き放ち、エデュアルトはいざと叫ぶ。

 そこに普段の民草に慕われる明るい貴族は居らず、あったのはただ青い瞳に覇気を纏った総大将の姿のみ。

 轟く兵士たちの雄たけびは砲声にも劣ることなく、切先が指し示す戦場へ向け、いよいよ地面を鳴らして踏み出したのである。



 ■



『はじまったか』


 稜線の向こうに見える光景に、僕はふぅと小さく息を吐く。

 爆炎と衝撃波によって陣形ごと耕された敵兵たちに、まともな防御姿勢などとれるはずもない。そこへ騎獣兵隊が突っ込んでくるのだから、それは戦争というよりも蹂躙と呼ぶべき凄惨な状況であり、初手の戦局は完全なワンサイドゲームである。

 それを目一杯にズームされた映像の中に眺めていれば、何故か唐突に視界が暗転した。


「ねーえーおにーさーん、まだ行かないんですかぁー?」


『見えない見えない』


 不満げな声に望遠を解除すれば、視界の中心は大きな耳によって塞がれており、その下には大きな金目がこちらをじっと覗いているではないか。

 砲声と爆轟が響いていたときは、耳がビリビリすると言って車内に隠れていたというのに、聞きなれているからか、鉄の打ち合わせられる戦場の音には体が興奮して仕方ないらしい。

 長い尻尾が少し山なりになっているいるのも、その証拠と言っていいだろう。

 しかし、興奮気味なファティマに対し、面倒くさそうな声も頭上から聞こえてくる。


「いやぁ、こりゃ自分たちに出番なんてないんじゃないッスかぁ? 関所の戦いでもそうだったッスけど、勢いに乗ってる味方をあんな状態の帝国軍が止められるとは思えないッスよ」


 アクチュエーターを鳴らしてヘッドユニットを向ければ、そこではアポロニアが気だるそうにだらりと体を垂れていた。それも彼女は兵器と呼ぶべきその豊満な胸を、車載機関銃に乗せているのだから、僕としては正直目のやり場に困る。

 しかし、バーサーカー猫と化しているファティマにしてみれば、彼女がどんな格好をしていようと関係がないわけで、白けたような半眼をアポロニアへ向けた。


「それだとお仕事にならないですし、なによりボクが面白くありません」


「自分は楽して勝てる方がいいッス。ご主人だって、そう思うッスよね?」


『そりゃあそうだ。戦わずに済むのならその方がいいに決まっている』


 確かに自分は兵士だったが、別に好き好んで人殺しがしたいというわけではないため、素直にアポロニアの意見に賛同しておく。当然、ファティマからはえぇーと不満そうな声が上がったがこれを肯定すると、自分は機甲歩兵ではなくただの殺人鬼となってしまうので、さすがに首を縦には振ってはやれない。

 とはいえ、アポロニアの言う楽ができると思えるほど僕は楽観的になれず、その予想はレーダーに映りこんだ大きな生体反応によって現実のものとなった。


『レーダーにかんっ! だっけ?』


『……キョウイチ』


『ああ。残念だが、どうあがいても給料分は働かないといけないらしい』


 ヘッドユニットの中に響いてくる2つの声に、僕はまた小さく息を吐く。

 相手が人種だけならば、それこそ甲鉄からの砲撃だけで十分だっただろう。あるいは、フォート・ペナダレンの時のように、無警戒に固まっていてくれたならば。

 しかし、防壁の上から湧き出すかの如く溢れ現れる歪なそれは、兵士たちのように密集陣形をとるどころか、素早く好き勝手に動き回りながら、あるものは地面に降り立ち、またあるものは勢いよく空へ舞い上がって見せる。

 古代においても高価だったとされる誘導砲弾を使用した砲撃である以上、たとえ不規則に移動する目標であろうと、甲鉄が自動操縦主体な上に指示を出しているのが整備兵の骸骨であろうと、決して当てられないということはないだろう。

 だが、数の暴力を主要戦術とする敵に対し、榴弾砲に求めるのはあくまで面制圧。

 であればこそ、対する自分たちのすべきことは単純だった。


『作戦通り、僕らはミクスチャの殲滅に集中する。落ち着いて、決して無理をしないこと、いいね?』


「わかってるッスよ。こんな無茶苦茶な状況も、いい加減慣れっこッスから」


『ん。やれることを、やるだけ』


『うー、キンチョーしてきたぁ……けど、いっぱいれんしゅうしたし、うん、がんばる』


 僅かに引き締まった各々の声に、彼女らなりの了解を聞く。

 ただ、ファティマだけは緊張など欠片もなく、むしろ滾る血を抑えられないとでも言いたげな様子で、薄く裂けたかのようにニィと口を開いて笑っていた。この反応もまた、いい加減予想通りではあったが。


「おにーさんも無理なこと言いますよね。こんなワクワクする時に落ち着けだなんて」


『はぁ……ファティ? 君がそういう子なのは理解しているつもりだが、この間みたいな血まみれはもう勘弁してくれよ。あんな姿を見せられたら、こっちも気が気じゃないんだから』


「んふふ、おにーさんはシンパイショーですねぇ。前と違ってミカヅキがあるんだから、大丈夫ですよぉ」


 そう言って彼女はくるりと身を翻すと、背中に結いつけられた逆反りの大剣を見せびらかすようにしながら、その束をポンポンと叩いてみせる。

 確かに前回の苦戦は、太刀打ちできない相手に立ち向かったことが大きいかもしれない。

 だが、行き先が戦場である以上、たとえ武器が更新されようとも同じような状況に陥る可能性は常につきまとい、またそれ以外にも負傷する要因などいくらでも存在する。

 おかげで楽観的な大丈夫をそのまま受け取ることなどできるはずもなかったのだが、それはレシーバーから響いた酷く冷静な声が解決してくれた。


『安心してキョウイチ。もしまたそんなことになるようなら、ファティの持っている服全部、大量のメントッカ油で洗うと伝えてある』


 ビクリと震えるファティマの肩。視線をおろせば尻尾も僅かに膨らんでおり、彼女は恐る恐るといった様子で胸甲に付けたレシーバーのスイッチを押した。


「……あれって、冗談じゃなかったんですか」


『本気』


「メントッカ油って、結構高かったと思うんですけど」


『今の貯金なら問題ない』


 アッサリと返された言葉は、なんとも救いのないものだった。

 以前もメントッカに似ているという湿布を嫌がっていたあたり、彼女にとっては耐え難いものなのだろう。にもかかわらず、それであらゆる服を洗われてしまえば、どうなるかは想像に難くない。彼女は着る服を失うか、常に刺激臭に苦しむかの二択を強いられる上に、抽出油で洗われるのだから相当期間臭いは残るだろう。優れた嗅覚があるのだからなおさらに。

 おかげで珍しくファティマが顔を青ざめさせていたのだが、どうしてかそれは彼女に限る話でもなかったらしい。


「あの、自分もあの臭い苦手なんスけど、その辺の配慮は……?」


 アステリオンは一般的に、ケットよりもなお優れた嗅覚を持つという。ならば、それが同じように刺激の強い臭を嫌うのはある意味当然であろう。

 故にアポロニアにとっては我が身に関わる話だったのだろうが、残念ながらそこに下された幼い声による裁定は、とても厳しいものだった。


『アポロ姉ちゃんも、こないだいっぱいけがしてたからダメー』


 沈黙。


「ファティマ、いいッスね」


「はい。背中、お願いします」


 低く張り詰めた犬猫の声。仔細を語ることはなくとも、不思議と漲る決意が感じられる。


 ――ホントに仲良くなったなァ。


 それを僕はどこか微笑ましく思いながら眺め、しかし自分も彼女らに釘を刺した以上は恥じぬ戦いをせねばと、頭の中で静かに感情のスイッチを入れ替える。

 ファティマの腰で小札がじゃらりと鳴り、アポロニアの方から車載機関銃のコッキングレバーを引く音が聞こえ、玉匣からはチェーンガンの駆動音が響き、エーテル機関が低い唸りをわずかに高ぶった。


『よし、始めよう。シューニャ』

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