第245話 ポロムルの戦い(前編)

 ドォと音をたて、多数の櫂が静かな海を波立てる。

 先日の歴史的大海戦から港に戻ることもなく、僅かばかりの食事と休息を挟んで今日。早朝から延々と櫂を漕ぎ続けた男たちも、また先日剣を振るって戦った兵士たちも、身体は間違いなく疲労していた。

 だというのに、ポロムルを前にして彼らの士気は驚くほど高く、本来の漕ぎ手であるキメラリア・カラたちがほとんど異動させられているにも関わらず、確実な速度を維持し続けている。


「進路を阻害する敵船無ぁし! ただ王国の連中、湾入口に船を沈めて進路を塞いでます!」


 ガチョウのような見た目をしたクシュがポロムルを睨み、マストの上からガァガァと低い声を響かせる。彼は種族的な特徴から人間や他のキメラリアよりも視力がよく、また泳ぎも比較的得意だったことから、警戒担当として旗艦である大型輸送船に乗っていた。

 その甲板上には圧倒的戦力で攻め込むという余裕からか、武功に期待を膨らませながら上陸戦を待ちわびる兵士たちが並び、ざわめきが船倉から響く気味の悪い音をかき消している。

 兵士達にも、自分たちが何を扱っているのかはわからない。否、艦隊を指揮する軍団長でさえ、最強の獣であるとしか伝えられていなかった。

 だが、最早彼らにとっては疑いようもない。獣としても驚くほど従順で、指揮官の命令をきちんと理解して動き回り、王国海軍さえ容易く撃ち破って見せたのだ。中身が何であれ、それは些末な問題に過ぎなかった。


「我らにはぁ、皇帝陛下より賜った最強の力があぁる! 最早王国軍など物の数ではない! おお戦いの神ベイロレルよ、我らカサドール帝国軍の戦いをご照覧あれぇ!」


 輸送船に乗る上陸部隊の百卒長は、そう言って声を張り上げる。船の軋みと水音で彼らには聞こえなかったが、それは周囲の船でも同じようなことが叫ばれていたし、艦隊中央の輸送船で指揮を執る軍団長さえ、声こそ一層重厚な響きを持っていたものの、内容は似たり寄ったりだった。

 彼らは浮かれている。オン・ダ・ノーラ神国亡き今、小国ユライアなど一息に飲み込めるものだと。

 だから、岬の突端へ先行する三段櫂船が差し掛かった時、その違和感に気付けたのはマストから敵を眺め続けていたガチョウのようなクシュだけだった。


「……なんだ、人種か?」


 彼の視線が捉えていたのは特に何の変哲もない崖の上。そこに何かを担いだ人影が見えた気がしたのだ。

 このクシュは本当に真面目で、絶対有利の状況でも周囲の警戒を怠らなかった。だが、彼には遠目にも巻き上がった砂塵と謎の発光現象が理解できず、また、理解できたとしても何ができたわけではないだろう。

 刹那、凪いだベル地中海に白い水柱が立ち上がった。


「な、何事だぁッ!? ポロムルから投石器カタパルトによる攻撃か!?」


 輸送船の甲板上に降り注ぐ水しぶきを浴びながら、百卒長は状況を確認させろと周囲に指示を出す。

 しかし、彼と同じように熱狂の中にあった兵士たちは、誰もそんなものを見ていないと首を振る。


「岩なんてどこにも――おい監視、どうなんだ!?」


「町からは投石なんて来てません! 今のは魔じゅ――」


 それは兵士たちの視線を受けてマスト上のクシュが、ガァガァと報告を叫んでいた途中だった。

 喧しい彼の声をかき消すほどの爆音が響き渡り、船体を構成していた木材が襤褸布のように宙を舞う。当然それは近くを並走していた戦船にも降り注ぎ、中には吹き飛ばされた乗組員が落ちてきた船もあって、艦隊に大混乱が巻き起こった。


「何だ、何が起こっている!?」


 百卒長が叫び散らしても答えられる者など居るはずもなく、逃げ場のない船の上で兵士たちはただただ右往左往するばかり。そこへまたも爆音が響き渡り、大きな船体はメキメキと大きな音を立てて横転し始めた。

 あっという間に大型船が沈むという現実離れした光景は、周囲の帝国兵たちに恐怖を植え付けたことだろう。それも船倉に閉じ込められたまま、最強と呼ばれた獣さえなすすべなく海中へ消えていくのだから。

 中には岬に人影を認め、バリスタで反撃を行う戦闘艦もあった。しかし、連射が難しい現代兵器で遠くから人間を狙うことは難しく、その上相手の方が高い位置に居るとあって中々届かない。

 もっと近づけだの、集中攻撃をしろだのと連携の取れない船からは叫び声が響く。ただそれが結果を残すことはなく、艦隊に降り注ぐ火の玉は止まる気配がなかった。



 ■



 正直、自分はそんなに頭がよくない。

 そのため古代兵器に関する理屈などチンプンカンプンであり、このムハンドウホウが撃ち出せる弾の種類についても、ほとんど理解できていないのが本音である。

 だからこそ、ご主人がミクスチャ以外にはこれ、と指示してくれた弾を自分はひたすらぶっ放す。否、それだけわかっていれば、あとはきちんと狙ってぶつけるだけの簡単な仕事に過ぎないのだ。


「うっへぇ、ホント古代兵器ってどれもこれもエグい威力ッスねぇ」


「ブツブツ言ってないで早く撃ってください。もう結構近づいてるんですか――らッ!」


「感想くらいいいじゃないッスか」


 口うるさい猫は同じ動作を繰り返すうち、ソウテン作業に慣れてきたのだろう。長く先端が丸っこい弾を突っ込むと、少々荒々しく尾部を戻して両手で耳を押さえてしゃがみ込む。

 狙いをつける先は、沈んでいく輸送船に慌てて進路を逸らした2隻目。ドンという音がお腹に響き、想像以上に軽い衝撃を残して弾は真っ直ぐ飛んでいき、船首付近を派手に吹き飛ばした。


「あの船はもう放っておいてもいい。あれだけ大きな穴は簡単に塞げないし、前から水が入れば勝手に沈む」


 ソウガンキョウで艦隊を眺めるシューニャの言葉通り、威容を誇る大きな輸送船はメリメリと音を立てながらゆっくりと船体を海の中へ傾けていく。甲板からはバラバラと兵士たちが飛び降り、指示がないからなのか、棒立ちのまま残っていた失敗作も、折れるマストに押し潰されて消えていった。


「残りの輸送船は3隻、ここで全て沈めておきたい」


「弾があんまりないんスよねぇ――っとぉ!?」


 ヒュン、と風切り音が耳元を通過し、慌てて自分はその場で身を転ばせる。

 一体何がと伏せたまま振り返ってみれば、近くの木にバリスタで発射されたであろう槍が突き刺さっていた。


「おぉ、狙いの上手い奴が居ますね」


「なぁにを呑気な事言ってるッスか!? 偶然でも当たったら、痛いじゃすまないッスよ!」


 沈む輸送船に阻まれて艦隊が混乱する中だというのに、その戦船は味方の船を躱しながら船首をこちらに向けて速度を上げてくる。

 無論、バリスタから放たれる槍はほとんどまともに届かず、先ほどの一撃は偶然の産物かもしれない。だが、このまま距離を詰めてこられるといずれ弓やクロスボウが届くようになるだろう。それで怪我をしましたなんてことになれば、ご主人は大いに心配するだろうし、骸骨には何を言われるか分かったものではない。

 だから自分は躊躇いなく照準をその戦船に向ける。いくら弾が少ないとはいえ、ここで出し渋るわけにはいかないのだ。


「ぶっ飛びやがれッス!」


 船の先端を狙って自分はトリガを引き、周囲に白煙を撒き散らす。

 だが、狙いをつけていた戦船で爆発は起きず、少し手前の海面に水柱が立ち上がる。その様子に自分は小さく舌打ちした。


「思ったより的が小さいッスね――いや、輸送船がデカいって言うべきッスか」


「ちゃんと当ててくださいよ。弾はあと4つしかないのに」


「うぐ……わ、分かってるッス!」


 かかるプレッシャーに小さく手が震える。

 耳に聞こえてくるのは猫が再装填を行うガチャガチャという音。熱されたヤッキョウを引き抜いたり、次の弾が筒の中へ押し込まれる僅かな振動に、自分は大きく深呼吸して無理矢理肩の力を抜いた。

 ショウジュンキの中でバリスタが放たれようとしているのが見える。だが、慌てて外さないよう狙いをさっきより僅かに上にずらし、再びトリガを引いた。

 交差する槍と弾。だが、如何にバリスタが現代では狙いのつけやすい武器だとはいえ、たわむ槍を照準もなくとばしている以上、先ほどのような偶然がそう起こるはずもなく崖に突き刺さる。

 一方自分の放ったムハンドウホウの弾は、見事に戦船の甲板を貫いて船内で爆発したらしい。ただでさえ輸送船より小さな戦船は、沈むどころか木端微塵に吹き飛んでしまい、むしろその骸を海面に浮き上がらせていた。


「……すごい威力」


「ちょっと勿体ない気がしてきました」


「そ、そッスね。輸送船だけ狙うッス」


 バリスタが飛んでくるのにはヒヤヒヤするが、わざわざ少ない弾を弱い船にぶつけるのは割に合わない。そう判断して、自分は再び大型船に狙いを絞った。

 一方の帝国艦隊は戦船が一瞬で残骸にされたことで、大型船が沈んだ以上の衝撃を受けたのだろう。いくつかの船は溺れかかっている味方を救助しようと動き、またいくつかの船はなんとか攻撃を躱そうと左右に舵を切り、動きの鈍重な輸送船を除いて艦隊は大きく乱れていく。中には運悪く衝突し、転覆してしまう船まであった。

 結果的に全体の速度は遅くなり、その隙を見逃さずに自分は更にムハンドウホウを輸送船に叩き込んだ。


「命中――爆発しない?」


 弾は確実に船体へと吸い込まれたはず。なんなら、これまでに撃った数発から感覚だけでも、多少の手応えが感じられていたと言ってもいい。

 おかげで、背中にシューニャの声を聞いたとき、自分は間の抜けた叫びをあげるしかなかった。


「うええええ!? 何ッスかもぉー!!  壊れたとか勘弁ッスよ!?」


「いーぬー……」


「じ、自分はなんもしてない――はずッス、よ、ね? ほ、ほら早く、次!」


 猫の金目に睨まれたことで、一瞬何か手順を間違えたかと思ってしまったが、自分はさっきまでと同じように狙いをつけてトリガを引き、またトリガを射撃位置に戻す以外のことは何もしていないのだから、偶然に違いないと思考を振り払って装填を急かす。

 実際にその後に放った3発は、内1発が外れて戦船の櫂を吹き飛ばすだけに終わったものの、放った全てがきちんと爆発したことから、あの弾に何か問題があった事は間違いない。

 ただ、理由はどうあれ、輸送船を海の底へ誘うのに2発の弾丸を必要としたことから、自分が最初に思っていたほどの戦果は得られていなかった。


「げぇ、2隻も残ったッスよ……どうするッスか?」


「このまま、海峡を通る敵をここで迎え撃つ。そうすれば危険性は少な――」


「シューニャ、アレなんでしょう?」


 タマクシゲから機関銃を浴びせれば、迫る戦船など穴だらけにして沈められるため、シューニャの言おうとしたことは正しかったに違いない。

 だが、彼女の言葉を遮って猫が指さした先の光景に、自分たちは小さく息を呑んだ。


「ッ――想像はしていたけれど、海に沈めた程度でミクスチャは死なないらしい」


「またデカい奴を連れてきて……ユードーダンならこっから狙えると思うッスよ」


 使っていい弾が切れたムハンドウホウを車内に戻し、自分は代わりに目を瞑っていても当てられるという話の、タイセンシャユードーダンハッシャキなる重い長筒に手を伸ばす。

 ただ、この時自分は少し焦っていたのだろう。その手を猫に止められた。


「犬、向こうは町ですよ。ミクスチャを倒せるのはいいですけど、それ爆発しないんですか?」


「ッ――いや、結構派手に、爆発するッス、ね」


 ご主人はこのユードーダンなら、ミクスチャも簡単に倒せるはずだと語った。それは裏を返せば、大きな破壊力を持った武器であることを意味している。

 訪れる惨劇は想像に難くない。だからこそ、シューニャは自分達が乗っていることを確認して、タマクシゲを猛スピードで走らせ始めた。


「味方や住民を巻き込む可能性が高すぎる。それでは意味がない。どれだけのミクスチャが上がってくるかわからないけど、できるだけ被害は出さないように戦う必要がある」


「じゃあボクのお仕事は帝国兵と失敗作ですね。ミクスチャにはこの剣じゃ歯が立ちませんし」


「任せる。でも、できるだけタマクシゲから離れないように戦うこと」


「はぁい、わかってますよぉ」


「本当にわかってる?」


 ムセンキを胸当てのベルトにつけた猫は、シューニャの隣で壁にもたれながら、背中に担いだ板剣の柄を握って薄く笑う。

 その楽し気な様子にシューニャは視線をモニタァから外さないまま呆れたように声を低くし、自分は軽くため息をつきながら肩を竦めた。


「狂戦士に何言っても無駄無駄ッス。ま、気が狂ってるのは自分達も大概ッスけどね。罠もなしにミクスチャと真っ向勝負なんて、ご褒美への期待も膨らむってもんッスよ」


「あ! それズルくないですか!? ボクだって新しい剣があったら戦えたかもしれないのに!」


「ふふ……キョウイチはそんなことで差別しないと思う。だから、私も期待してる」


 わざとらしく報酬の話をすれば、たちまち猫が過敏な反応でシャーと叫び、シューニャは余裕があるのか、珍しく小さな笑みを浮かべて見せる。

 ここでミクスチャを打ち払いながら時間を稼ぎ、ご主人が追いついてくるまで耐え抜いた時、彼はなんと言ってくれるだろう。ここでいつものようにヘタレたことを言うならば、今度は頭から血が出るくらい思いっきり噛みついてやるのだ。

 けれど、もしもあの日の言葉通りにこの小さな犬を大切に想ってくれていて、自分が欲しい言葉をくれると言うのなら。


 ――待ってるッスからね、ご主人。

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