第246話 ポロムルの戦い(中編)

 兵士の鎧がカチカチと音を立て、太陽を反射する切先が小刻みに震える。

 ただ、誰一人としてそれを笑う者はない。恐怖の有無にかかわらず、結果は等しく訪れることは目の前の景色が如実に示しているのだから。

 狭い街路が集まる貧困層がたむろして眠るゴミゴミした広場の中央で、それはロープのような触腕で建物を支柱に、家ほどはあろうかという球体状の身体を宙に浮かべていた。


「こいつが……ミクスチャ……!」


 守備隊を率いる隊長は、流れる冷や汗を拭うこともできないままに息を呑む。

 何せ目の前に居るのは一種の天災であり、多くの人はその存在に恐怖しつつも目にすることはない。逆に目にしたが最後、生き残れる者など極僅かだろうが。

 そして彼の小さな声が聞こえたのか、ミクスチャは瞼のない大きな1つ目をぎょろりと向け、兵士の一団を睥睨した。


「く――クロスボウ、放てぇ!」


 躊躇ったら死ぬ。武器を向ける誰もが同じことを思っただろう。

 恐怖に震えながらも訓練された兵士たちの狙いは正確で、同時に飛び出した数十本のボルトは大きな眼球目掛けて風を切る。

 隊長はその狙いにあるいはと小さな希望を抱いた。目と言えば大概どんな生物でも弱点であり、クロスボウの威力は板金鎧を貫くほどに強力なのだから。

 問題と言えば、ミクスチャは生物と呼んでいいかがわからないところだろうが。


「弾かれた……!? どんな硬さなんだ、あの目は!」


 ボルトの直撃を受けても、瞼のないミクスチャの眼球には傷もつかない。それどころか、何かをぶつけられたことを鬱陶しいとでも思ったのか、嫌々をするように軽く身体を振ってから、細い腕を建物から引き抜くと鞭のようにあちこちへ叩きつけはじめた。

 それもミクスチャらしく凄まじい威力であり、建物はパンにナイフを通すように引き裂かれ、ぶつかった石畳や瓦は宙を舞って兵士たちに降り注いだ。


「うわぁぁぁぁぁ! た、退避退避ぃ!」


「建物から離れろぉ!」


 打ち上がる土煙に視界を塞がれ、部隊は絶叫と共に壊乱する。

 その時、全身鎧を着ていた隊長は、偶然にも尻もちをついただけで負傷しなかった。無論、何も見えないことは変わらず、口の中がジャリジャリするなかで声を上げる事しかできなかったが。


「ぐぉ……お、お前たち無事かぁ!? 状況を報告しろぉ!」


 無駄とわかっていながら、視界を回復するために彼は両手を振り回すこと暫く。海から吹きつける潮風によって土煙が流されると、そこに広がった光景に絶望した。

 倒壊した建物の下敷きになった数人の槍兵。降り注いだ大きな瓦礫が直撃して鎧ごと潰された重装兵。彼らの血が辺りに飛び散り、なんとか被害を免れた兵士たちが負傷した者に手を伸ばしていた。


「たった一撃で町が、部下たちが――化物風情なんぞに……!」


「た、隊長!? 無茶です!」


 部下の制止も聞かず、彼は腰のサーベルを抜き放つ。

 ポロムルは彼の生まれ故郷であり、つき従う部下たちには家族ぐるみの付き合いの者も居る。

 兵士である以上、戦いに傷つきたおれることは不思議でもなんでもない。それでも国を、生活を、親兄弟妻子を守ろうと剣を握る彼らが、何もできないまま血を流したという事実が、隊長にはどうしても許せなかった。


「こい、目玉野郎! この俺が相手になってやるぞ!」


 ミクスチャはサーベルを突きつけてくる男にじろりと目を向ける。この化物が言葉を理解しているかはわからないが、それでも自らに向けられる殺意だけは感じ取ったのかもしれない。

 ゆっくりとロープのような腕を持ち上げ、明らかに兵士たちの居る街路に狙いを定める。

 だが、その腕が振り下ろされる早く、再び眼球でボルトが弾けたことでミクスチャは大きく身体を揺すった。


「――チッ、本気で固いな。大型クロスボウアーバレストと真銀ボルトの組み合わせでも刺さらんとは、一体何でできてるんだ」


「うひひ、さっすがバケモンだのん。このボルト勿体なくねぇけ?」


「倉庫で腐らさせるよりマシだろうが」


 建物の屋根上でクランクを巻き上げつつ、苦々し気な言葉を吐くタルゴに対し、ラウルは長いボルトを手渡しながらケタケタと笑う。

 ただ、流石に金属製の弦から放たれた威力は忌々しかったのか、ミクスチャは持ち上げていた触腕をそのままに、ジロリと射点を睨みつける。


「よし、気を引けたな。守備隊は下がれ! こいつはヴィンディケイタが受け持つ!」


「だが――ッ! いや……すまん、恩に着る。後退するぞ! 動ける者は負傷者の救援を急げ!」


 勇んでいた隊長は突如頭上から振りかかった声に、剣を抜いていたことでそうはいかないと言いかけたが、背後に広がる惨状を思い出してゆっくりと肩を落とした。

 部隊はたった一撃で壊滅状態にある。だが、動ける者が居ない訳ではなく、動けなくとも生きている者は多い。それを救えるのは指揮官しか居なかった。

 守備隊が後退したのを確認し、ラウルはキキキと小さく笑う。


「こいで気ぃとられんで済むかに」


「さっきの攻撃だけで十分わかった。俺たちではアレに敵わん」


「なんせバケモンだからのーん――っとぉ!」


 縦に振り下ろされた腕を視認して、2人は屋根を蹴ってバラバラの方向へ跳ぶ。

 特にクシュという種族特有の軽さを誇るタルゴは、跳躍で一層高い建物の屋根へと飛び移り、逆に大きなハラグロハムスターであるラウルは身を丸めて転がる事で衝撃を殺しつつ、ベランダから隣の家屋へと飛び込んだ。


「うひょぉ、建物真っ二つとかホントなんちゅう威力よ! たまらんたまらん!」


 飛び散る鎧戸の破片を蹴飛ばした大鼠は、建物ごと押しつぶされるのだけは勘弁だと鼻を鳴らしながら階段を下る。狭い家屋の住民は既に避難しているらしく無人だったが、彼女は律義に玄関で一旦振り返ると、散らかしてすまんね、と頭を下げてから外へ出た。

 影に見える大きなミクスチャはラウルの方を見ておらず、大型クロスボウで攻撃してくるタルゴを集中的に狙っているらしい。新たに別の腕を建物から抜き、2本を振り回して近隣への被害を拡大させていた。


「さぁて……敵わんのはわかったとして、せめて腕の1本くらいもぎ取ってやりたいとこね」


 ラウルは体格に対して小さな両手にぺっぺと唾をつけ、全身の毛を大きく膨らませながら背中に結いつけたウォーハンマーを握る。

 船を木端微塵に吹き飛ばした攻撃を彼女は見ていた。だからこそ、たとえ自分たちがミクスチャを殺せなくても、時間を稼ぐことに意味があると確信している。


「おっしゃぁあああ、いっくのぉぉぉぉぉぉん!!」


 雄たけびを上げ、彼女は短い脚をシャカシャカ動かして広場へ走り出す。それも見た目に似合わぬ瞬足であり、あっという間に距離を詰めると、言葉通りに長い腕を目掛けて重々しいウォーハンマーを振り下ろした。



 ■



 ポロムルの市門を抜け、港への目抜き通りを全力で駆け抜ける。

 舗装された路面にリタイはガタガタうるさく、えーてるキカンという心臓は速度を出せば出すほどに声をかき消す騒音を騒ぎ立てて、それでも私はペダルから足を離さない。


「ミクスチャはどこ……!」


『臭いが巻いてて正確な位置は分かんないッス、でも――』


『左のあの辺りでしょうね。そんな簡単に建物は崩れないと思いますし』


 モニタァに映る映像からはその壊れた建物も見えないが、左側だと言うファティマの言葉を信じてハンドルを切る。

 思えば、タマクシゲで町中を走ったのはバックサイドサークル以来であり、私は狭い街路を見る度に奥歯を噛んだ。


 ――通れない道が多すぎる。


 獣車よりも相当に大きく広いタマクシゲには、今まで生活や輸送の面で大きく助けられてきた。だが、町という閉鎖空間ではその大きさが行動を阻害する。

 しかもポロムルの町に慣れている訳でもないため、建物で視界を遮られる中で通れる道を探すのは困難であり、ミクスチャに近づいているのか遠のいてしまっているのかさえ判断できない。

 挙句、面倒とは重なってくるものらしい。それはちょうど大通りの交差点を曲がった途端に現れた。


「帝国兵!?」


『げぇっ!? もう上陸してるんスか!?』


 レェダァに映る大量の光点は敵と味方を区別できないため、市街地での乱戦では役に立たない。だが、完全に無視していいものでもないことに気付かされた。

 ミクスチャを攻撃するつもりだったアポロニアは、ユードーダンハッシャキを構えていたのだろう。咄嗟にキカンジュウを撃つことができず、しかも私は体当たりという選択肢をとれずについタマクシゲを止めてしまう。

 ただ、帝国兵側もいきなり現れた金属の塊に驚いて硬直しており、その大きな隙が彼らの明暗を分けた。


『いーきまぁーすよぉー!』


 ガンと小さく天井を鳴らし、ファティマは2枚の板剣を抜き放って大きく跳躍する。

 見慣れた武器、見慣れた種族、そして向けられる刃。ここで帝国兵たちはようやくこちらを敵と認識したらしく、慌てて槍を構えようとしたものの、振り抜かれた板剣に兵士の胴体が泣き別れする方が早かった。


「ッ――このまま蹴散らす! アポロニア、ファティを援護して!」


『この人数相手に蹴散らすって、頭おかしいッスよねぇ……猫ぉ! 合図したらうまいこと逃げるッスよ!』


『ちゃんとボクが逃げてから撃ってください――よっ!』


 振り回される板剣に、帝国兵たちは鎧や武器も諸共に両断されていく。しかも反撃に槍を突き出しても、ファティマは器用に身体を捻って躱しながら肉薄し、靴底を相手の胸甲に叩き込んで吹き飛ばすなど、戦い方を安定させずに敵を翻弄する。

 そんな一方的にやられるばかりの戦闘に、混乱から回復した敵の指揮官らしき兵士は剣を抜いて何かを叫ぶ。ガイブマイクという奴では残念ながらよく聞こえなかったが、たかがキメラリア1匹に何をしている、とでも言って兵士たちを押しだそうとしたのだろう。

 だが、それはファティマに対しても合図となったらしく、兵士が指示に固まったことを機会に彼女は大きく後ろへ飛んで、タマクシゲの正面に貼りついた。


『犬!』


『おらぁ! キメラリア舐めんなッスよぉ!』


 無線機から聞こえる勇ましいアポロニアの声。そしてユードーダンハッシャキから持ち替えたらしく、けたたましく唸りを上げるキカンジュウの乾いた音。

 バックサイドサークルの時、彼女はキカンケンジュウで帝国兵たちを打ち倒した覚えがある。それはあのショートソードくらいの大きさしかない武器でさえ、盾や鎧を貫いていたことを意味していた。

 それが明らかに大きなキカンジュウに変わればどうなるか。私は想像以上の物をモニタァ越しに見せられることとなった。


「ひ、人が弾けて――うぅっ」


 今までの戦いにおける敵は、古代の何かか化物の類であることがほとんどで、直接人間を攻撃していなかったように思う。それこそ私がカニバルに捕まった時くらいだろうか、あの時は目と耳と頭が痛すぎて外の様子を気にする余裕はなかったが。

 初めて直視したあまりにも残酷な景色。自分と同じ人間が抗うことも許されず、まるで大風が背の高い草を倒すように均等に、血肉の花を咲かせて飛び散っていく。


 ――怖い。


 久しぶりに思い出した戦いの恐怖。今までは誰かが遠ざけていてくれた感覚。

 アポロニアがトリガァを引いていた時間は、ほんの一瞬だったろう。最後にガイブマイクが拾った、チャリン、という小さな金属音に、私は恐る恐る逸らしていた視線をモニタァへ向けた。

 映っていたのはある意味想像通り、ただ僅かに蠢く影があるのみで人の刈り取られた赤い景色である。


『殲滅完了、ッス』


『おー……血の海ですね』


 込み上げてくる吐き気を必死で飲み下し、私は無線の声にふぅと大きく息を吐く。

 慣れたいとは思わない。けれど、私も皆と戦うことを決めた以上、これから目を逸らして足を止めるわけにはいかないのだ。


「脅威は排除できた。アポロニアはミクスチャに対応できる武器に持ち替えておいて」


『いいんスか? またどこで出くわすかわからないのに』


「ミクスチャに突然襲われるよりはいい。あれは私たちじゃないと倒せないし、私たちがやられたらポロムルは落ちる。それに――」


「おにーさんとの約束ですもんね」


 いつの間にか後ろから戻ってきていたらしく、ファティマは血の臭いを漂わせながら運転席の横で歯を見せて笑う。

 戦いが怖いことに違いはない。だが、ここで尻込みするわけにはいかないのだ。


「……アポロニア、いい?」


『あいあい、持ち替えたんでいつでもいいッスよ。猫も予備もって上がってくるッス』


「言われなくてもわかってま――お?」


 動き出そうとしてピクリと彼女は耳を立てる。

 タマクシゲの中に居てもケットの聴力は外の何かを捉えたのだろう。そして彼女に何かが聞こえたと言うことは、外に居るアポロニアからもすぐに反応が来た。


『シューニャ! 後退ッス!』


「ッ!」


 もう油断はしない。下がれと言われ、私は咄嗟にレバーをガチャガチャと動かして後退位置に入れ、思いっきりペダルを踏みこんだ。

 タマクシゲは金属の身体を大きく前へ傾けながら、勢いよく後ろへ進む。すると間もなく、目の前にあった建物が何かよくわからないロープのような物に叩き潰された。


『向こうからお出ましみたいッスね!』


「ミクスチャ……!」


 建物が崩壊した土煙の向こう。それはロープのような腕を建物に張り巡らせ、球体状の身体を空中に固定して、こちらを大きな目で眺めていた。

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