第221話 事後連絡は計画的に

 立派な屋敷は大貴族の証。

 名前の上では同じ貴族であるジークルーンの目から見ても、建物や調度品の質は全く隔絶した物を感じてしまうほどに。

 だが、屋敷の主たる初老のカイゼル髭は、使用人が置いて行く紅茶に目もくれず眉間を揉みながら唸っていた。


「武器を探しに、であるか……」


 机に置かれた手紙の一切を読み切ったガーラットは、モノクルを柔らかい布で拭きながら、酷く疲れたように大きくため息をつく。

 今までジークルーンには、王国軍権を任される老翁の内心など理解できたためしがない。だが、サフェージュから受け取った手紙の内容はまたとんでもないものであり、今回ばかりはガーラットの心中を察することも容易だった。


「正直、神代の話をされても吾輩はサッパリであるのだが……ヴィンターツールの娘よ。お主、これがどういう意味かわかるか?」


「以前伺ったお話でしたら――えっと、神代の武器にはどれも限りがあって、ミクスチャの大群と謎のリビングメイルを相手にするには、とても足りないから、と」


 手紙の内容は至極単純。要約すれば、武器が無いから探しに行くので、その間は防御に徹して戦力を温存、時間を稼げというものだった。

 無論、その中には防衛戦術の詳細も記載されていたが、そもそもガーラットが頭を悩ませているのはそこではない。


「確かに、弓を射れば矢が尽き、剣を振るえば刃が零れるのは道理である。しかし、そのなんだ、よくわからん武器を探しに防衛の要が国を空けるとなれば、王侯貴族共が黙ってはおるまい。ただでさえレディ・ヘルファイアのこともあるのだぞ」


 ガーラットが容易く敗れた英雄アマミ、そして国防を担う青いリビングメイルという存在があるからこそ、レディ・ヘルファイアについては自宅軟禁程度の処置で済まされている。にも関わらず、その手綱たる人物は事前連絡も寄越さず海を渡ったと言うのだ。

 ただでさえ、この情勢で国を空けるというだけで、先日結ばれたばかりの防衛の約束を反故にしたともとられかねず、完全に振り回される形となったガーラットが、頭痛に眉間をもむのも当然であろう。

 そんな歴戦の将の姿に笑顔を引き攣らせながらも、ジークルーンは別の手紙を前に差し出した。


「そう悲観されなくても大丈夫だと思いますよ」


「む……? 随分上質な紙だが差出人は――黒猪ホルツだと?」


 差出人の名前を見て、老翁はモノクルを輝かせる。

 王侯貴族以外はテクニカと直接連絡を取ることは極めて稀であり、チェサピーク家のような大貴族であっても、テクニカとの繋がりは庶民と大して変わらない。

 ただし、黒猪のあだ名は戦場において耳にすることが多かったことで、ガーラットは興味深げにその手紙を開いた。

 僅かな沈黙の後、くっと髭が揺れる。


「スノウライト・テクニカは英雄アマミ一行の行動を支持しており、王国への防衛協力を行う準備がある、か――これが正式文書ならばよかったのだが……」


「私にテクニカのことはわかりません。けれど、信用できる文書だと思います」


 緊張した面持ちで告げるジークルーンの様子に、ガーラットは意外だとばかりに目を見開いた。

 チェサピーク家とヴィンターツール家もまた長い付き合いである。なんとすれば、老翁は彼女が赤子であった頃を知っているほどに。

 幼い頃は両親の後ろに、成人後はマオリィネの背に隠れるようにして過ごす、常に及び腰で何かに怯えた様子の乙女。心根は優しかったが、貴族や騎士として大成する器ではない。それがガーラットが下した評価だった。

 だからこそ、彼女が自らの意思をハッキリを告げてくるなど、思いもよらなかったのだ。


「信用とは重い言葉である。こと、この1手は王国の存亡をも決するやも知れんのだ。それでもなお、同じ言葉を言えるか?」


「――私は信じます。いえ、信じたいんです」


「信じたい、だと?」


 深い皺の刻まれた目が、ジークルーンを射抜くように細められる。

 それに対して彼女は一瞬怯んだように身を強張らせたが、しかし小さく胸に手を当てて息を吐くと、老翁にいつもと変わらない困ったような笑顔を向けた。


「愛する人を信じたいのは、チェサピーク卿も同じでしょう?」


 一瞬、ガーラットは呆気にとられたと言っていい。

 そこに居るのは貴族でもなんでもなく、夢見がちに恋焦がれるだけの町娘のように映っていた。挙句その乙女の口から、お前は同じではないのか、と問われているのだから、老将の顎が落ちるのも当然だろう。


「お、お主は……吾輩をなんだと思っとるんだ」


「ではは、マオが王国を裏切ると思われますか?」


 彼女の言葉に、老翁は低く唸って黙り込んだ。

 王国の敵となるならば、愛弟子だからと容赦するつもりはない。だが、そもそもマオリィネが裏切るということ自体、彼には全く想像がつかない話でもあった。

 その沈黙は重く長く、部屋の中を支配する。それでもやがてガーラットは一切の空気をため息1つで打ち払い、ゆっくりとソファから腰を浮かせた。


「テクニカから正式な文書が届くまで、この件は他言無用とする。議論だけで戦争に勝てると考える間抜け貴族共に、こちらの弱点を晒すわけにはゆかぬのでな」


「承知いたしました」


 応接間から歩き去っていくガーラットに対し、立ち上がって頭を下げながら、ジークルーンは小さく安堵の息を吐く。

 しかし、彼女が肩の力を抜けたのも束の間、老翁はドアの前で立ち止まると静かに部屋の中へと、彼女の方へと向き直った。


「騎士ジークルーン・ヴィンターツール、貴様に命令を下す。心して聞くがよい」


「は、はい!」


「英雄の不在に際し、レディ・ヘルファイアを監視せよ。貴様なら怪しまれることなく、取り入ることができよう。不審な動きがあれば直ちに報告するように。手勢は自由に選抜してよいが、怪しまれることのないよう用心することだ」


 ジークルーンは突然降ってきた指示に目を点にした。

 相手は天下に名を轟かせる大将軍、エリネラ・タラカ・ハレディである。たとえ多少手勢を集めようとも、彼女の実力でどうこうできる相手ではない。それはガーラットも重々承知しているはず。

 だからこそ、ジークルーンにはしばらく何を言われているのか理解できなかったが、肩越しに見えた優し気なガーラットの眼にようやくハッとした。


「わ、私が、彼女らの無害を保証せよ、ということですか?」


「騎士が派遣されてさえいれば、少なくとも阿呆共に野放しでないという言い訳が立つ。それに――信じたいというお主の言葉が嘘でないのならば、それは身体を張って世間に証明する必要がある。違うか?」


 馬鹿にするでもなく、見下すでもなく、ガーラットはまるで幼子を諭すように告げる。だからこそ、ジークルーンはゆっくりと息を吐いてから、自らの柔らかい拳を握りこんで地面に膝をつくと、青い瞳に老翁をしっかりと捉えた。


「一命に代えましても」


「よい面構えだ。期待しておるぞ、


 鷹揚に頷いたガーラットは、腰に手を組んだままついに部屋を後にする。

 残されたジークルーンは、責任の大きさと僅かな高揚感に打ち震えていたが、やがて応接室が静寂に包まれた頃合いで静かに立ち上がると、見慣れた窓の外に視線を向けた。


「――私も、頑張らないと、だね」



 ■



 寒さに強いキメラリア・フーリーは体温が高い。

 だからサフェージュは、柔らかいものに自然と左右から包まれていた。


「あの……ウィラさん、そろそろ放してくれませんか?」


「だぁーめ。ヤスミンが眠っているもの」


 背後から耳に吹きかけられる吐息に、狐人の少年はもじもじしながら、うぅ、と小さく声を漏らす。

 夜鳴鳥亭の角席が、長期滞在客であるサフェージュの定位置になってから既に1ヶ月以上が過ぎようとしている。ヤスミンは珍しいフーリーの少年に懐いて兄のように慕い、仕事が忙しくない時間帯は一緒に居ることが多くなった。

 それもサフェージュにくっつけば温かいと分かるや否や、少女はぴったりくっついて体温に包まれながら昼寝することも増えている。その様子をキメラリア好き筆頭のハイスラーが、微笑まし気に眺めるものだから、彼は状況を受け入れる他なかったのだ。

 だが、それがまさかとんでもない相手を巻き込むことになるなど、思いもよらなかったが。


「で、でも、その、そうくっつかれると困るって言いますか」


「うふふ、食べちゃいたいくらい可愛いわね貴方。糸巻にして連れて帰ってあげましょうか?」


「ぼ、ぼくなんて食べても美味しくな――むぐっ」


「あらあら、うるさくしたら駄目よ? ヤスミンが起きてしまうわ」


 声を上げようとしたサフェージュは、ウィラミットの胸が顔に押し付けられて口を封じられる。これは少年にとってあまりに刺激の強かったらしく、顔は茹で上がったように赤くして体温も一層熱くなり、暑い寒いがあまり得意ではない彼女は、ほぅと頬を上気させて舌をチロリと覗かせた。


「いい、抱き枕」


「うぃ、ウィラさぁん、女の人がダメですよぉ……こんな、こんなの」


「初心って本当に可愛いわぁ」


「こゃぁ!? ちょ、尻尾は――むぐ!?」


 白く長くふっくらとした尻尾に指を這わされて、サフェージュはビクリと身体を跳ねさせる。しかし、動こうとすればまた胸に圧迫されて、いよいよ少年の頭は完全に茹っていた。


「……サフ君、何してるの?」


 そんな少年に冷たい視線と言葉を投げかけたのは、お仕着せ姿のクシュである。鮮やかな緑色の飾り羽根が大きく膨らんでいるあたり、明らかにご機嫌はよろしくなかった。


「く、クリン……助けてぇ……おっぱいがぁ」


「その割に嬉しそうだよね」


 両手を力なく彷徨わせるばかりのサフェージュに、クリンは驚くほど素っ気ない。その様子がおかしいのか、後ろで元凶たるウィラミットはまた少年の尻尾を擦りながらクスクスと笑っていた。

 とはいえ、それだけ騒げばヤスミンも安眠は難しかったのだろう、薄く目を開けるとわわわと大きく欠伸を1つ。


「サフお兄ちゃん……あれ、ウィラさんにクリンお姉ちゃんも居るぅ……いつ来たのぉ?」


「さっき来たところよ。ほら、女の子がこんな身だしなみで人前に出るものではないわ」


 彼女が眼を擦りながら状態を起こせば、ウィラミットは今までのからかい方が嘘のようにサフェージュを解放し、くるりとドレスを回して立ち上がる。

 そしてまだ半分夢の中に居るヤスミンを抱き上げると、まるで我が家かの如く慣れた足取りでキッチンの奥へと消えていく。

 結果的に色々緊急事態な少年と不機嫌な少女が、ランチタイムを過ぎて静かな店内に取り残されることになってしまった。


「サフ君って結構見境ないよね。鼻の下伸びてるよ」


「ぼ、ぼくは一途だよ!」


「ファティマさんのこと?」


「え、あ、うん……そう、そう!」


 少年は何故かファティマではなく、不思議と真っ先にとある男の顔が頭に浮かんだ気がして、ブンブンと大きく首を振って思考を染め直す。

 しかし、それはそれでクリンにとっては不満だったらしく、ムスッとしたままカウンターの椅子に大股で歩み寄ると、背の高いスツールにドンと腰を下ろした。それがどういう感情によるものなのか、女性経験のないサフェージュにはよく理解できなかったが。


「クリン、ダメだよぉ。お願いに来てるんだから」


 その険悪な空気も、後から入ってきたジークルーンによって容易く霧散する。

 彼女が現れるや一応貴族を前にしているのだと、サフェージュは慌てて姿勢を整えて座りなおした。


「これは、ジークルーン様! また何かご依頼ですか?」


「うん。あのお手紙をチェサピーク卿に見せたら、新しい命令を下さってね――」


 ジークルーンは説明を始めようとして、はたとハイスラーの目があることを思い出し、サフェージュの手を取った。


「ハイスラーさん、ごめんなさい。ちょっとお部屋借ります」


「どうぞどうぞ」


 相変わらずぷつぷつと不精髭を生やす店主は、木皿を洗いながらニコニコと頷く。

 その返事を聞くや否や3人はサフェージュが借りている部屋へ上がり、扉や窓の一切を締め切ってから、ガーラットから下された命令とその理由が語られた。


「――なるほど。じゃあ、僕はキョウイチさんたちが帰ってくるまで、王都と行き来する拠点をキョウイチさんのお宅にすればいいんですね?」


「エリネラさんたちが、裏切るようなことはないと思うんだけど、貴族たちにはうるさい人も居るから――お手伝い、お願いできる?」


「いいですよ、ぼくがお力になれるなら。すぐ準備しますね」


 借金が無くなってなお、郵便の仕事を続けていたサフェージュは、ジークルーンからの頼みを断る理由もないと了承する。何せ彼にとっては、住む場所が一時的に変わるだけで、行き来する生活は同じなのだ。

 少ない荷物をまとめ始める少年に、ジークルーンは、ありがとう、とお礼の言葉を残して廊下に出れば、今までむっつりと黙って従っていたクリンから、どこか嬉しそうな呟きが零れ落ちた。


「またサフ君と一緒かぁ」


「……あれあれ? またってなぁにクリン?」


「えっ!? べ、別になんでもありませんっ!」


 腕をパタパタさせて慌てるクリンの様子に、乙女ジークルーンが気づかぬはずもない。両手を頬に添えて、グネグネと腰を揺らした。


「そっかそっかぁ。クリンもお年頃だもんねぇ、お姉ちゃん嬉しいよぉ」


「ややや、やめてくださいお嬢様! 誤解です、それきっと凄い誤解ですからぁ!」


 同じ恋という病を患うジークルーンに、小柄なクシュの声は届かない。

 何せ彼女にとってクリンは大切な妹分であり、サフェージュは可愛い弟のような存在なのだ。その2人が一つ屋根の下で暮らせるのだから、英雄宅に許可なくお邪魔するという少々心苦しい行いも、彼女の中ではしっかり正当化が行われている。

 逆にクリンにしてみれば、最も気づかれたくない相手に不確かな恋心を知られてしまったような気がして、これから始まろうという共同生活に大いなる不安が渦巻いたのだった。

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