第308話 モーガル・シャップロン
――キメラリア?
出で立ちから察するに、多分ケットなのだろう。長い尻尾と大きな耳を持ち、薄いチュニックとズボンを身に纏ったその男性は、呆けたような表情でこちらを見下ろしていた。
リビングメイルに驚いて固まっただけなら、別段不思議なことでもない。あの意味深な言葉と彼とは、何ら関係が無いの一言で終わった話だっただろう。
だが、そのケットらしき男性は後ずさることも逃げ出すことも悲鳴を上げることもせず、静かに背中から得物を引き抜いた。
緑色光を輝かせる、筒状の得物をである。
『なっ、プラズマトーチ、だって……?』
戦闘の最中に夢でも見ているのか、あるいは幻を見せるような魔術でもかけられたかと本気で考えた。そうでもなければ、嫌と言う程見てきた超高温の短刀を、自分が見間違うはずもないのだから。
プラズマトーチ。共和国軍がマキナの近接戦闘用に採用した武装であり、エーテル機関から直接エネルギー供給を受けていたはず。それをパワーパックすら背負っていない人種が、生身で起動すると言うのは何の冗談か。
挙句、その男はまるでナイフを扱うかの如く片手で握っており、重さを感じさせない様子で地面を蹴った。
凄まじい破砕音と共に飛び散る瓦礫。考えている余裕などない。
『――ぬぅッ!?』
人間はおろか、キメラリアにしてもあり得ない程の、それこそ玉匣に追いすがった化物に比肩するような俊足に、僕はジャンプブースターを噴射して機体を滑らせる。
だが、ルイスの言葉通り、最初から翡翠を狙ってはいなかったのだろう。僅かに反応が間に合わなかったのか、反対へ身を躱したヴァミリオン・ガンマは、前腕部装甲が赤熱して僅かに溶解していた。
『モーガルさん! この野郎ッ!』
敵の足元辺りに銃口を定め、細かい狙いを付けないまま突撃銃のトリガを握りこむ。地面を舐めるように走った高速徹甲弾は、瓦礫となった建物の残骸を派手に打ち砕いた。
不規則に飛び散る破片。マキナの装甲には傷すらつけられずとも、ボディーアーマーすら身に着けていない人種に対してなら、十分すぎる威力を持った散弾として作用する。
それが僕の考えだったのだが、ソイツは表情の1つも変えないまま平然と、破片の雨から飛び出した。
『無傷……何を食ったらそこまで頑丈な体になれるんだか』
『気を付けな英雄。こいつは多分――えぇい、しつこいねぇ!』
弾丸や瓦礫を浴びてなお、ソイツはヴァミリオン・ガンマしか眼中にないかのように食らいつく。その上、ハーモニックによる反撃を見切ったかのように、高速振動する刃をプラズマトーチで捉え、半ばから焼き切って見せた。
『やったらといい反応をしやがって……これでもついてこれるかい!』
ジャンプブースターから吹き出る赤い熱波が空気を揺らす。
第二世代型マキナの跳躍は、脚部アクチュエータの動作力を加えてもなお、機敏とは言い難い。それでも、一旦足場のない虚空へ舞い上がってしまえば、ジェットパックもなしに追いかけることは不可能である。
それはケットらしき男とて理解の内だったのだろう。間合いから逃がすまいと、凄まじい脚力で建物の間を跳びながら追いすがっていく。
その勢いたるや、屋上を蹴る頃にはヴァミリオン・ガンマを捉えられる程。全く恐れ入る。
とはいえ、2対1であることを忘れてもらっては困るのだが。
『無視してもらうのは結構。しかし、サーカスをするには足元がお留守だな』
銃口から迸る
だが、こちらの真意には気付けなかったらしい。最後の踏切板とするはずだった、屋上の縁が音を立てて崩壊するその瞬間まではだが。
800年前に使われた自己修復性強化コンクリートと異なり、鉄筋すら入っていないルルクエンは脆い。豆鉄砲とあだ名された突撃銃を僅かに浴びただけで、叩かれたウエハースのようにボロボロと崩れていく。
そして人種であれ化物であれ、翼もブースターも半重力装置もない存在が、重力という絶対的存在に逆らえるはずがないのだ。
『もぉらったぁッ!』
ドォと音を立て、ヴァミリオン・ガンマが空中で反転する。
落下にジャンプブースターの推力を加えて突っ込んでいく機体。弾丸のように加速した金属の塊は確実にケットの身体を捉えていた。
ふと、レシーバーの向こうから、呼吸を止めたような音が聞こえた気がした。
響き渡る衝突音。そのままケットらしき男と共に、ローズグレイの機体は地面へと突き刺さる。
その衝撃は想像に難くない。地面から巻き上がった粉塵は、肉の身体から形を容易に奪い去った証である。
はずだった。
『ふむ……やはり急性変異を起こすか。申し訳ありません神代人よ、技術に関する詳しいお話は後日改めて――』
レシーバーがバツンと音を立て、それきりルイスの声は聞こえなくなる。とはいえ、最後の方は単なるノイズとしか感じていなかったが。
翡翠のシステムは、土煙の中にあるヴァミリオン・ガンマを影のように捉えている。
それが軋みながら傾いでいく様子まで、完璧に。
『こ、んの野郎ォ!』
突撃銃を投げ捨てた右手に、
レティクルの中心に敵の姿。それは既に人の形を失いつつある。
理由なんてどうでもいい。ただ、ドォと音を立てて倒れたヴァミリオン・ガンマを横目に、僕は超高温の赤色光を迸らせた。
眼球の失われた孔から伸びた、腕とも指ともつかぬ1対の肉塊が、光の刃に焼き切られて地面に落ちる。
化物が痛みを感じるのかは知らないが、そのミクスチャは耳障りな唸り声を響かせると、まるで脱皮するかのようにケットの身体を突き破り、瞬く間に蠢く肉塊が姿を現した。
初めて目にする、キメラリアがミクスチャへ変わり果てて行く現実の光景。それはあまりに不快でおぞましいものだったが、おかげで躊躇う必要もない。
何より、ヴァミリオン・ガンマの損傷を見れば、一刻の猶予も残されていないことは明らかなのだ。
迫る触腕を斬り飛ばし、至近距離から突撃銃を叩き込む。その度にギチギチと絶叫のような音が響いた。
『くっ……無駄にしぶといな。時間が無いって時に!』
変異の最中だからなのか。赤いレーザー光で肉腫のように膨れ上がった部分を焼き切っても、ミクスチャは更に肥大を続けるばかりで全く動きが止まらない。
末端を切り捨てたところで、肉体の再生と成長がそれを上回っているのだろう。今までのミクスチャよりも明らかに厄介になっている。
とはいえ、痛みに叫ぶのなら不死身と言うことはないはず。
鞭のようにしなって叩きつけられる肉の腕を半身捻って躱し、特殊合金の足で踏みつける。すると化物も1本2本では埒が明かないと思ったらしい。単なる肉塊だった体を自ら裂いて星型の形態をとると、見た目からは想像もつかない速度でこちらへ迫った。
視界に広がったのは、円形に並んだ鋭い歯。いくらマキナであろうと、ミクスチャの力で噛みつかれてしまえば、装甲ごとすり潰される未来しか見えない。
それでも、僕は収束波光長剣を真っ直ぐ正面に構えた。
『来い、クソヒトデ! 内側からしっかり焼いてやる!』
奇妙な恰好で建物へ貼りついては跳ぶを繰り返す異形。
目耳を含む感覚器官がどこにあるのか、はたまた存在しないのかはわからない。しかし、微動だにしない翡翠へ注意を向けていることだけはハッキリしており、やがてソイツはこちらの背後へ回り込むと、上から覆いかぶさるように大きく跳躍した。
迫るシュレッダーのような歯。それも内側で回転するのだから、まるで機械のようにも思える。
だが、どんな形をしていようと口であることだけは間違いないはず。僕はグッと歯を食いしばり、収束波光長剣を肩越しに上へ突き出した。
一瞬、火花が散ったように思う。
『形が定まっていなかったのが原因か、それともコアのようなものがあるのか。どちらでもいいな』
硬い肉を裂く感覚と、機体にかかってくる一定の重量。
ヒトデの化物は頭上で奇妙な音を立てながら藻掻いていたが、僕は柄にぐっと力を籠めて光の剣を前に振り抜いた。
降り注ぐ体液が高温に晒されて音を立て、それでも蒸発しきらなかった分のシャワーが装甲を汚していく。
だが、最早それだけだった。中央から焼き切られた奇妙な肉は、力を失ってずるりと地面へ落ち、ピクリと動く事すらない。
『モーガルさん! まだ生きておられま……す、か?』
振り返った先。そこには瓦礫の中にヴァミリオン・ガンマが倒れているばかり、というのは自分の思い込みだったらしい。
周囲でマキナとミクスチャが取っ組み合いをしていたというのに、その人影はローズグレイの機体以外見えていないかのように、呆然と立ち尽くしていた。
「何故だ……何故、今更になって御大を裏切るようなことを……」
パイロットスーツを着た金髪の青年は、そう言って唇を震わせる。
対するモーガルは、外部スピーカー越しに慈しむような声を出した。
『私の望みは、ルイスにも叶えられなかった……ただ、それだけのことさ……わかってたのに、認められなかっただけで、ね』
「馬鹿な……!? そんな、そんなはずがない! 父が残した神代の技術は、命すら制御できるものだと――」
『できやしない、のさ……神代人だったコルニッシュが、自分の命を救えなかった、ように……でも、アンタに怪我が無くて、良かっ……ゴホッ!』
穏やかに語っていた彼女は、突如むせ返る。その様子にハッとして腕の置かれた腹部を見れば、貫かれた装甲から赤黒い液体が流れ出していた。
電撃が走ったかの如く、僕の身体は自然と動く。
『いかん! 喋らないでください! 緊急脱装を行います! 君もボサッと突っ立っていないで、救急スプレーの用意を――』
「ッ……そうか……貴様が、母をそそのかしたんだな!」
青年から向けられる機関拳銃。翡翠のシステムが、所属不明の歩兵を探知したと伝えてくる。無論、拳銃弾でマキナの装甲を抜くことなど到底不可能だが、トリガにかかった指から、敵意だけはしっかり伝わってきた。
けれど、そんなことはどうだっていいのだ。
『問答は後だ。今は余裕がない』
「ふざけるな! 貴様は仲間の仇なんだぞ!?」
『母親を見殺しにする気か!!』
怒鳴り声に、青年の身体はビクリと震えた。
彼がアラン・シャップロンであることは疑いようもない。
ヴァミリオン・ガンマは人の形をしていたミクスチャを地面へ叩きつける寸前、不意に落下速度を緩めて軌道修正をかけていた。それは先ほどのモーガルの言葉通り、落下予想地点に彼の存在を認め、怪我をさせまいとしたからだろう。
全ては偶然が重なっただけ。それでも青年が動揺するのは当然であり、僕は僅かに銃口が降りたことを確認して、声のトーンを落とした。
『君も機甲歩兵なら、今は命を救うことに全力を尽くせ。御託ならバイタルサインが落ち着いた後で、いくらでも聞いてやる』
「く……わかった」
苦々しい表情ではあったが、アランは小さく頷くとヴァミリオン・ガンマの緊急脱装レバーに手をかけた。
装甲の内側で火花が散り、フレームごと機体が分解していく。
外れた部品を翡翠で押しのければ、すぐにパイロットスーツを着たモーガルの姿が見えた。
「ふふ……こんな場所でも、外の空気はうまいねぇ……」
そう言って彼女は笑う。
しかし、僕はアランと共に顔色を失った。
「母さん……その腹は……」
フレームを伝って流れ出る大量の血。そして腹部に穿たれた、とんでもなく大きな穴。即死しなかったことの方が不思議に思えるほどの重症である。
800年前の技術水準を持つ野戦病院が近くにあったとしても、ギリギリ救えるか救えないか。とても、手持ちの医療セットなどでどうこうできるものではない。挙句自分は機甲歩兵であり、応急処置以上の本格的な処置は専門外だ。
自然と止まった自分の手。それをわかっていたかのように、モーガルは小さく鼻を鳴らした。
「気にすることはないよ……こんな、どうしようもない女が、息子に看取られて死ねるなんて……幸せな幕切れさ……」
「ば、馬鹿なことを言わないでくれ! すぐに傷口を塞げば、これくらい!」
「……自分の身体さ。よく、わかる」
体に触れようとしたアランの手を、モーガルは緩く腕を伸ばして止めると、強い意志の籠った瞳をこちらへ向けた。
「英雄……アランのこと、頼まれてくれるかい……私が、彼と生きた、証……」
『……お任せ、ください』
声が詰まる。それでも、焼けたような喉を堪え、深く頭を下げた。
ヘッドユニットを垂れるマキナの姿は、やはり滑稽だっただろう。しかし、モーガルはゆっくりと息を吐いて微笑んだ。
その時である。ガリッと無線が音を立てたのは。
『……イチ……キョウイチ! お願い、返事をして! タマクシゲが――!』
『シューニャ……!?』
こちらの通信が粉虫の影響を受けやすいのか、あるいは玉匣側の通信機が不具合を起こしているのか、その声はノイズ混じりで途切れ途切れになっている。
だが、緊迫している様子だけは否応なく伝わってきて、僕は崩れた灰の盾の向こうへ視線を向けた。
「……行ってやれ英雄。アンタには、守らなきゃならない女が居るんだろ……私のことは、もういい……」
深い深い呼吸。
アランの膝に頭を抱えられたモーガルは、そう言って目を閉じた。
『……すみません。アラン君、モーガルさんと一緒にどこかへ隠れているんだ。後で必ず迎えに来る』
首を垂れた青年は何も語らない。ただ、零れた涙が母たる強い女性の額を濡らしていた。
全力を尽くしても、救えない命だってある。800年前からそんなことは嫌と言う程身に染みているはずなのに、感情というものは殺しきれないらしい。
それでも、僕は空戦ユニットを起動する。
最期まで看取る事すらできなかった機甲歩兵の背を、アランが恨むと言うのなら、僕は全て受け止めなければならない。それが自分の選択だ。
浮遊感と共に空へ舞い上がる青い機体。身体に響く加速度の中、肩越しに見たモーガル・シャップロンは、驚くほどに安らかな表情で、こちらに細い腕を伸ばしていた。
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