第309話 崩れる塔

 兵士の頭を掴み上げる膨れ上がった肉塊。

 彼が助けてと悲鳴を上げながら藻掻けたのは一瞬のこと。弾けるように赤黒い液体が噴き出したかと思うと、頭の失われた身体が地面へ崩れ落ちた。

 別に不思議なことではない。圧倒的な力を持つミクスチャにとって、薄い鋼を纏っただけの人間など、腐った果実と変わらないのだから。

 それでも、に、物言わぬ屍を前に呆然としていた。否、正しくは彼だった者の身に着けている、にだろうが。


「ハハ――何してるんだよ獣使い? 敵は向こう、だろ?」


「わ、わかっている! 落ち着き、我が声に従うのだ獣よ。お前の倒すべきはボふェ」


 顔の前に拳を握り、中指に輝く指輪へ語り掛けるような獣使いの声は、途中で溢れ出る水音に上書きされる。

 巨大な杭のような何かに貫かれた腹部。それが引き抜かれると同時に、獣使いは力なく地面へ倒れ込んだ。ついぞ昨夜まで、選ばれし自らの能力と誇らしげに語られていた指輪は、今や口から流れ出る血に染まっている。


「に、逃げろぉッ!」


「ひぃぃ!? 助け、助けてぇ!!」


 人々は逃げ惑う。豪奢な金属鎧の騎士も、雑多な装備のコレクタも、特徴的な板金鎧の帝国兵も、布鎧を着せられている虜囚兵も、できるだけ化物から遠く遠く。最早、陣営という括りすらどこにもない。

 戦場各所で同時に起こった大混乱。それは灰の盾の外で陣形を組みなおしていた、反帝国連合軍本陣からもハッキリ見て取れた。


「これは……一体、何が起こって……?」


「化物共の手綱が切れた、ということだろうな。何をしでかしたか知らんがよ」


 不安げな表情を浮かべるプランシェに、軍獣の手綱を握ったままのエデュアルトは、詳しいことなど俺にもわからん、と肩を竦める。

 ただ、将である以上何が分からずとも指示は出さねばならない。無論、総大将に限った話ではなく、隣に戻ってきた大柄な兜狼ヘルフやキメラリアの担ぐ輿から、2つの声がほぼ同時に響いた。


「エデュアルト閣下。この有様で戦いを続ければ、いたずらに人命を浪費するばかり。戦の意義も最早失われてしまったと言うべきでしょう」


「奇遇だねテクニカの、あたしも同じ意見だよ。戦争がミクスチャ討伐に早変わりってとこさね」


 ペンドリナの後ろから現れたフェアリーは物憂げに目を伏せ、紫煙をくゆらせるグランマは馬鹿馬鹿しい話だと輿の隅でパイプを叩く。

 帝国軍はミクスチャと失敗作を失った。その代わり、全く制御の効かない敵勢力が新たに生まれ、戦場に普通では考えられないような、それこそ天災とでも呼ぶべき混沌を作り出している。

 そんな状況において人種同士の戦を続ければどうなるかなど、誰の目にも明らかであり、エデュアルトは眉間を揉みながらため息を吐いた。


「やぁれやれ……勝ち負けすら分からん内にこれか。全く難儀な戦だな。プランシェ、全軍に後退命令だ。盆地の後ろまで退くぞ。灰の盾を越えた連中にも届くよう、精々やかましくな」


「ハッ! 後退命令、戦太鼓を鳴らせ!」


 プランシェが腕を振れば、陣形各所から鼓笛の音が高らかに響き渡る。

 悲鳴と怒声の喧騒が支配する戦場にあっても、それは崩壊した防壁を越えて市街地へ。特にキメラリア達の耳に届けられる。


「え……? 今の音、もしかして?」


「お前にも聞こえたってことは、勘違いじゃなさそうだな――なぁ! 騎士さんよ! サッサとずらかりますぜ!」


 市街地における乱戦で暴れていたアステリオンとシシの王国軍志願兵は、優れた耳によって微かな空気の振動を探知して頷きあうと、近くで指揮を執っていた王国軍騎士へと声をかけた。

 逆に貴族らしい身なりをしたの彼には、何の音も聞こえておらず、侮蔑的な視線を2人に向けるのも当然だったが。


「何だ急に! キメラリア風情が、貴族たるこの私に命令するなど!」


「俺が命令なんかするわけないでしょうが! 本陣からの後退命令だってぇの!」


「ハッ、何を言い出すかと思えば、後退命令だと? 私の耳にはそんなものサッパリ――」


「そんな分厚い兜つけてるからでしょ! ただでさえ人間は耳が悪いんだから!」


 貧民街で過ごしてきた者達だからか、身に迫る危機を敏感に察知した2人は、騎士の返事も効かない内に後退後退と叫びながら、瓦礫の町を駆けていく。

 無論、明らかにプライドの高そうな騎士にとって、勝手な行動をしたキメラリアを放置すること等できず、待てだの止まれだの叫びながら彼らを追った。それが騎士にとって幸運だったのは言うまでもないだろう。

 一方、波のように退き始めた反帝国連合軍に対し、帝国軍本丸である塔の上は混乱に飲み込まれていた。


「間違いじゃありません! 防壁前右翼で獣が味方を襲っている模様! 騎獣兵が潰されています!」


「えぇい、獣使いは何をしておるか!? 直ちに事態を収拾させろ!」


「報告! 市街地を含む各所において、同様の事態が発生! 対応した獣使いは討ち死にしたと……」


 物見と伝令からもたらされる情報に、将軍たちは対応を迫られる。

 だが、いくら奥歯を鳴らし、唾を飛ばしたところで事態は好転しない。特に神国征伐を終えて合流した部隊は、今まで最強無敵の味方だと思っていた獣の暴走を見るや、あちこちで武器を捨てて逃げ出してしまっていた。

 崩壊していく軍隊としての統率。そんな絶望的ともいえる状況にあって、ウォデアスは静かに目を閉じていた。


「――成程。これが余に対する貴様の答えか、ルイス」


 カサドール帝国の旗を世界に靡かせるため、拒絶した他国へ侵略戦争を繰り返し併合してきた。だが、オン・ダ・ノーラ神国は圧倒的な数だけで勝てる相手ではなく、長年の膠着状態を脱するために、ルイス・ウィドマーク・ロヒャーへと特権を与え、ミクスチャを御する力を手にすることを選んだのである。

 最初、敗北はないとルイスは語った。狂気を帯びた瞳で、嘘だったならば命をもって償うとさえ。故にウォデアスは彼を腹心として抱え、絶対者の力によって必要な物資を与えもした。

 その結果生まれたのが、ルルクエンの都市を破壊し民草を踏みつぶされていく光景であり、彼はルイスという男を見誤っていたことを悟ったのである。

 ただ呆然と、崩れ燃え盛る町を眺めることしかできない。そんな彼に声をかける者があった。


「陛下、恐れながら」


 ちらと視線を向けた先。いつの間にか隣で跪いていた男に、ウォデアスは見覚えが無かったが、その恰好から誰か将軍の隣につき従っていた副官だろうとあたりを付ける。

 本来なら、皇帝と言葉を交わすことすら許されぬ立場であり、この場で首を撥ねられても文句は言えない。しかし、一切の感情を失ったかのように凪いだ心中を抱えていたウォデアスは、腰の剣に手をかけることもしないまま彼から視線を外した。


「……申せ」


「ハッ……最早、アルキエルモにおける事態の収拾は不可能です。どうかクロウドンへ後退を。ここより脱出するは、敵が退いており獣も正面に集中している今をおいて、他にないかと」


 副官の落ち着いた声に、皇帝は沈黙で答える。

 最早、退いたところで何ができるでもない。兵力の大半が失われた帝国には、多数のミクスチャを打ち倒す力など存在せず、仮に化物による国難を跳ね除けたとしても、敗戦の先に残るのは弱小国家となるか地図上から名前が消えるかの二択であろう。

 だが、彼はルルクエンの床につけた拳を握り、絞り出すように言葉を続けた。


「陛下さえご存命ならば、カサドール帝国は再び立ち上がる日も来ましょう……どうか、今は――」


 それは強い愛国心からなのか、あるいは自らが助かりたい一心だったのかはわからない。

 ただ、再び立ち上がるという希望を抱いた言葉が、虚無に支配されかかっていたウォデアスを微かでも揺さぶったのは事実だった。


「……そう、か」


 赤いマントを翻し、膝をつきかけた絶対者は歩き出す。


「余はこれよりクロウドンへ下がることとする。先導せよ」


「は、ハハッ!」


 ハッキリと告げられたその言葉に、否を唱えることは誰にも許されない。

 それどころか、全ての兵と民を見捨てる発言に対しても、皇帝の命と比べれば些末な問題に過ぎないとさえ思っていた。

 何より、将軍たちはこの場で討ち死にしたり、敵の捕虜とならずに済むと安堵さえしていた程である。

 ただ、ウォデアスは塔の頂上より下る階段へ差し掛かった折、ふいに東の空へと顔を向けた。

 彼の瞳に何が映ったのか、何を見たかったのかは誰にもわからない。

 凄まじい爆轟が響き渡ったのは、その直後だった。



 ■



「ッはぁ……てぁああッ!」


 ミカヅキの刀身が、異形の肉を引き裂いて鋭く走る。

 最早これが何体目なのかすらわからない。

 統率を失って無差別に暴れ出した化物たちは、手近な目標である玉匣に目を付けたのだろう。サンタフェとの戦いからファティマが一息つく間もなく、ミクスチャと失敗作の集団は凄まじい勢いで攻撃を開始したのである。

 肩で息をするファティマが、体力的に限界を迎えているのは明らかだった。それでも彼女は傷1つ負わないように跳び回りながら、頑なに武器を握り続けている。

 それがシューニャには不安でならなかった。


「ファティ、無茶しないで! アポロニア、援護できる!?」


「これで、最後ッスけどねぇ!」


 上部装甲に乗ったアポロニアがトリガを引く。

 湧きあがる噴煙。安定翼を開きながら飛び出した対戦車ロケット弾は、動きの鈍い大柄なミクスチャへ吸い込まれて炸裂した。荒ぶる爆風は、取り巻きの失敗作数匹をも巻き込んでいる。

 だが、これでアポロニアの手でミクスチャに対抗できる武装は失われた。無反動砲も対戦車ロケット弾も誘導弾も残っていない。

 にもかかわらず、敵の数が減っているようには思えなかった。


「ポラリス!」


『んぐぐぐぐ! これで、どぉだぁ!』


 シューニャからの指示に合わせ、地面から突き出した氷柱が、ミクスチャの胴体を串刺しに貫く。

 理由はともかく、サンタフェと戦っていた時に不発だった魔術が使えるようになったのは、身動きが取れずAPDS装弾筒付徹甲弾すら撃ち尽くした玉匣にとって幸運だったと言っていい。

 だが、それが有限な戦力であることは今までと変わらず、防御限界は間近に迫っていたが。


「どんだけ、湧いてくれば、気が済むんでしょーか……」


「さっき後退合図が聞こえてたッスから、ミクスチャも手近な自分たちに集中してきてるんじゃないッスかねぇ」


『それ、ぜんぜんうれしくなーい!』


 味方を化物から守る、という意味では、玉匣はしっかり役割を果たせていた。しかし、引き付け過ぎてやられましたでは笑い話にすらならない。

 シューニャは思う。せめてタマクシゲが走れれば、と。

 ファティマは思う。もっとケットに持久力があれば、と。

 アポロニアは思う。どうにかホウダンが手に入れば、と。

 ポラリスは思う。ぜんぶいっきにこおらせられれば、と。

 どれもこれも、無い物ねだりに過ぎない。

 だからこそ、彼女らは共通してもう1つに願いを託す。

 心の底から信じられる存在に。


『ファティ、伏せろ!』


 金色の瞳が見開かれたのも束の間。ファティマはミカヅキを盾に、両耳を空いた片手で押さえながら地面を転がった。

 その直後、彼女が立っていた場所が轟音と共に弾け飛ぶ。硬い土塊とミクスチャの肉が、ミキサーにかけられたようになりながら。

 それが最初の1匹。続いて爆轟によろめいた隣の別の1匹が、頭上から降ってきた赤色光の剣によって串刺しとなって崩れ、それを踏みつけながら青い機体がその剣を引き抜いた。

 モニターから外を見ていたポラリスが、ぷぁと小さく息を吐き、シューニャも玉匣後部の座席へへたり込む。

 唯一立っていられたのは、車載機関銃を構えていたアポロニアだけであり、彼女はニッと安堵したような、またどこか挑発的にも見える複雑な笑みを翡翠へ向けた。


「へへ、へへへへ……もぅ、おっそいッスよご主人! あんまり焦らすから、晩御飯抜きにしちゃうとこッス!」


『すまない。後は任せてくれていいから、飯抜きだけは勘弁してくれ。マキナといっても、中身は普通の人間なんだ』


「んー、納得のいく説明か、ちゃんとした、う、め、あ、わ、せ。してくれるなら、考えてあげてもいいッスよぉ?」


 ブンブンと太い尻尾を振りながら、アポロニアは車載機関銃のコッキングレバーを引く。

 そんな疲労の中にも嬉しさを浮かばせる犬娘に対し、土やら砂やらを払いながら立ち上がったファティマは、耳をぺったりと伏せていた。


「あの……ボクは説明とかいらないんで、口の中がじゃりじゃりするのと、耳がキンキンしてるのの埋め合わせお願いしまぁす」


『悪かったよ。後で聞いてあげるから、下がっていなさい。後は任されよう』


 はぁいという彼女の声と重なって響く、ミクスチャの耳障りな雄たけび。それをゴングとするかのように、翡翠は青白いアイユニットを輝かせる。

 そこからはあっという間のことだった。まるで踊るかのように武器を入れ替えながら、収束波光長剣が硬い肉を焼き斬り、突撃銃から吐き出される高速徹甲弾が失敗作を引きちぎり、携帯式電磁加速砲パーソナルレールガンよりアーク放電と共に放たれる耐熱徹甲弾が、音速を越えて大柄なミクスチャを木っ端微塵に吹き飛ばしていく。

 絶望的とも思えた玉匣の周囲から、異形は次々と地面へ伏していく。同時に弾薬も湯水の如く消費されていったが、恭一はそれを気にもしていなかった。

 残されたのは吐き出された薬莢の山と、飛び散った血肉の海である。その光景を翡翠はぐるりと見まわしてから、小さく息をつく。


『よし……周囲クリア、だな』


「キョウイチ、ダマル達がまだ」


『わかっている。甲鉄ありきで簡単には負けないとは思うが、急いで救援に――なんだ?』


 シューニャに応じて恭一が頷いた瞬間だった。

 玉匣より遥か前方。アルキエルモの市街地に爆音と閃光が走ったかと思えば、背の高い塔が白煙を立ち上がらせて崩壊していく。

 帝国軍の自爆でなければ、遠方に爆発を引き起こせるような力は現代においてほとんど存在しない。だからこそ、砲手席に潜り込んでいたシューニャは、ポラリスと目を見合わせた。


「今のって、ホウゲキ……?」


「ってことは、もしかして――!」


 玉匣の主砲をぐるりと旋回させた先。盆地を囲む山の上にカメラが捉えらえたのは、企業連合軍の識別信号を発信している車両と、その横に佇む1体の巨人だった。


『カーッカッカ!! 見たかボケナス共が! 1発でブルズアイだぜクソッタレぇ! おい、返事しやがれ! 無線は復旧してんだろぉ!?』


『うるっさ……ついさっきまで、頼むぜ砲撃の神様よォ、とかブツブツ言ってたくせに、調子いいわね。皆、無事かしら?』


 わかりきっているが、というような口調で、マオリィネの声がレシーバーから響く。

 少なくとも普段通りに会話ができる。それだけで翡翠からは安堵の息が漏れた。


『そっちも元気そうで何よりだ。話は後でゆっくり聞かせてくれ。合流できるかい?』


『おーおー、武勇伝ならいくらでも語ってやらぁ。合流は難しくねぇが、そっちの仕事は片付いたのか?』


『あぁ、残存敵の掃討は僕がやるよ。それよりも、君にやってもらいたい重要な残業が1つあってね』


 残業? とダマルが顎を鳴らしたのは言うまでもない。

 一方の恭一は、少々引き攣った笑みをヘッドユニットの中で浮かべていた。

 何せ、砲兵隊がどういった戦いをしたのかはともかく、戦闘が収束したのだとすれば、骸骨には本業に戻ってもらわねばならない事案が、玉匣には残されているのだから。

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