第307話 バトルオブアルキエルモ⑦
アルキエルモの市街地は混沌の極みにあった。
帝国軍が謎の面制圧攻撃を恐れてか、市街地に分散して部隊を配置したことで、突入した反帝国連合軍部隊とあちこちで乱戦となり、その戦火は瞬く間に隠れていた民衆さえ巻き込んで、町は燃え盛る地獄と化している。
挙句、そのすぐそばで2機のマキナが暴れているのだから、悲鳴が耳につくのは当然だろう。
建物を打ち崩し、石材で舗装された地面を抉り取りながら、2機のマキナは至近距離で絡み合う。元共和国軍機のヴァミリオン・ガンマと、ハーモニックブレードをぶつけ合うのは少々違和感であったが。
『見通しの悪い市街地でも、ここまで自由に動くのか! ミクスチャなんかよりよっぽど化け物だねぇ!』
『その言葉、そっくりお返ししますよ。運動性に劣る砲戦型で、よくぞここまで』
翡翠の出力に任せて高速振動する刃を押し返せば、ヴァミリオン・ガンマは素早く退いて障害物へ姿を隠す。
かと思えば、今度は隣接する家屋の二階部分をぶち抜き、瓦礫と共に上から奇襲をかけてくる。
優れた砲兵という彼女への評価は、改めねばならないだろう。市街地という遮蔽物だらけの空間へ誘い込み、レーダーという目を奪ってからの近接戦闘は、苦し紛れの策などというレベルのものではなかった。あるいは、砲撃の方がオマケなのではないかとさえ思うほどに。
『その割に、どこからやっても反応しやがって。背中に目でもついてんのかい!?』
『貴女が知らないのは当然だ。何分、僕ら機甲歩兵は、こういう場面に嫌というほど投入されてきたものですから。慣れたもんですよ!』
『これだから神代文明って奴は気に食わないんだよ……! たった1人の男さえ救えやしない癖に、難解な言葉でなんでもできるような面しやがってさぁ! わかるか神代の英雄! 理屈じゃない。これは、親になっても女を捨てられない大馬鹿の、単純な八つ当たりだ!』
チクリ、と心に痛みが走った気がする。
――そうだ。僕も、そうだったな。
それは呪縛とでも言うべきか。僕は矛先を共和国という存在とそれに連なる全てへ向け、モーガルは可能性を否定した自分へと向けた。どちらも、自らの悔恨に直接関わったわけではないというのに。
彼女の働きによって、どれだけのキメラリアが強制的にミクスチャへと変貌させられたかはわからない。だが、自分にはそれを責める権利など与えられないだろう。より直接的で、より感情的に、多くの共和国人から命を奪った自分には。
だが、だからこそ、この手で止めねばならないとも思う。
『八つ当たり、大いに結構! ならばその思い、真正面から叩き潰させてもらうまで!』
『ッ――らぁぁぁああああああッ!!』
気迫一声。
大型シールドを投げ捨てたヴァミリオン・ガンマは、ジャンプブースターの推力を全開にし、右手のハーモニックブレードを後ろへ引いた姿勢のまま突進してくる。回避も防御も捨てたその姿勢からは、刺し違えてでもという思いさえ伺えた。
左手に握っていた収束波光長剣を背中に戻し、両腕のハーモニックブレードを収納。代わりに強く拳を握る。モーガルにそれがどう映っただろう。馬鹿にしていると思っただろうか。
当然、僕にそんなつもりは毛頭ない。ただ、お前なぁ、という笹倉大佐の声が聞こえた気がした。
――すみません大佐。自分の不器用は、800年経っても直らんようです。
猛烈な勢いで突き出されてくる技術の刃。それを僅かに腰を落とし、左腕の装甲上を滑らせつつ、右腕を絡ませて背面ですくい上げた。
『とったぁッ!』
『ん、な、にぃ!?』
勢いのまま浮き上がったヴァミリオン・ガンマを、翡翠の肩からと回るようにして、後は背中向けに地面へと叩き落とす。
それは、人間と同じ動きを実現する、機甲歩兵だからこそできる技。
あまりにも綺麗な一本背負いだった。
『ごはぁっ!』
派手な破砕音が辺り一面へ響き、あまりの衝撃に石の舗装が跳ね上がる。
関節や可動部への負担が大きいため、黒鋼などでやった日にはあとで整備兵に間違いなく怒鳴られる行為だろう。実際にそういう経験は多々あるし、格闘戦能力の高い翡翠だからと言って、うちの整備班長は許してくれない気がする。
無論、そんなリスクを負った攻撃でも、ヴァミリオン・ガンマを撃破するには至らない。否、この程度で一般的なマキナを破壊するほうが無理なのだ。
『ぐ……なんの、これくらいで――っ!』
『残念ですが、ここまでです』
それでも、決着はついていた。
起き上がろうとしたヴァミリオン・ガンマの腕を踏みつけ、再び展開したハーモニックブレードを首元に突きつける。
そこで僕は手を止めた。
『……どうした。何故、止めを刺さない。私くらい、いつでも殺せるとでも言いたいのかい?』
彼女の表情は、ヘッドユニットに覆われていて読み取れない。
だが、その声は先ほどまでの荒々しいものから打って変わって、とても穏やかにスピーカーを鳴らした。
刃は向けたまま、機体を押さえ込む力も緩めはしない。それでも、僕は小さく息をついた。
『随分と買い被られているようで。しかし、今は誤解を解いている時間がないので単刀直入に。武装を解除し、投降してください。抵抗しなければ手荒な真似は致しません』
『甘いね。あのポラリスとかいう娘の手を引いたことが、そんなに重要だってのかい?』
『それも否定はしません。ですが、重要なことがもう1つ』
鼻で笑うようなモーガルの声を、僕は一瞬の沈黙でかき消す。
打算でも情でもない。ただ、思い出してしまったことを、この場に自分が生きている理由を、彼女にはどうしても知っておいてもらわねばならなかったのだ。
ガーデンでモニターの中から聞いた、研究者の話を。
『貴方の伴侶だった人物。生物学者コルニッシュ・ボイントン博士は、僕の命を救ってくれた恩人だからです。生命保管システムという道具を用いてね』
『何、だと? アンタ、この間は名前すら知らない様子だったが……いやしかし、生命保管システムというのには、確かに聞き覚えがあるような気も……』
モーガルという女性にとって、これは無視できない話題だっただろう。
息を吞んだからなのか、一瞬の間があったものの、僅かな軋みと共にヴァミリオン・ガンマのヘッドユニットが持ち上がる。
『僕は博士と直接面識があったわけではありませんし、この話も信頼のおける人物から又聞きしただけに過ぎません。おかげで、名前を聞いた瞬間、思い出すことができなかった。』
『っ!? ちょっと待っとくれ! まさかあの人の、コルニッシュの過去を知っている奴が、今も生きてるってのかい!?』
『少なくとも記憶を持ち会話はできる存在、とだけ。これが最後通告です。抵抗を止めて自分達と共に来るか、死者の蘇生などという妄執を抱いて死ぬか、ご判断を』
勢いよく起き上がってこようとするヴァミリオン・ガンマの首へ、動くなと改めて刃を向け、興奮を押しとどめる。
もしもこれが逆の立場なら、ストリのことだったとすれば、きっと自分も同じような反応をしていたことだろう。それほど強い願いであり、苦しい呪縛でもあることは、痛いほど理解できる。
本当ならば、リッゲンバッハ教授についてや、自分を救ってくれた経緯について、洗いざらい語るべきだとは思う。しかし、戦場であることがそれを許さない。
それでも、彼女は僅かな沈黙の後、持ち上げようとしていた機体をゆっくりと地面へ横たえた。
『1つだけ、条件がある。ヤークトロシェンナのパイロット、アラン・シャップロンが生きていれば、どうか助命してやってほしい。話を聞かない男だが、あんなのでも私たちの息子でね』
ため息をつくように吐き出された言葉に、果たしてどれだけの想いが込められていたのか。
実現可能性はともかく、これまでやってきたことの全てを否定することは、誰にでもできることではなく、僕はハーモニックブレードを引きながら小さく頭を下げた。
『ご英断、感謝いたします』
『何が英断だい。これで晴れて裏切り者だってのに』
『その割に、随分と嬉しそうだなモーガル』
無線から聞こえてきた低い声に、咄嗟に突撃銃を構える。
ただ、敵の姿はどこにも見えず、何かを破壊して現れるようなこともない。それを理解していたからか、ヴァミリオン・ガンマからは小さく舌打ちが聞こえた。
『チッ……無線が復旧していたか。相変わらず無駄に耳聡いねルイス。いい歳なんだから、ちったぁ衰えな』
『ルイス――この声が?』
『これは神代人! 無線とはいえ、直接お話が出来るとは光栄の至り! 私はルイス・ウィドマーク・ロヒャー。生物学者コルニッシュ・ボイントンの弟子にございます!』
いつからかはわからないが、これまでの会話は筒抜けだったらしい。こちらを神代人だと断定するや、モーガルに対して話す声とはまるで別人のように興奮した息遣いがレシーバー越しに聞こえてきた。
その異様というべき明るい声も、僕には怪しい宗教の勧誘を受けているかのような感情しか抱かせなかったが。
『……ご丁寧にどうも。どこに居るのか知らないが、盗み聞きとは随分と悪趣味だな。それとも、ペテン師らしいと言うべきか?』
『ペテン? はて……失礼ながら身に覚えがございませんが、何のことですかな?』
『私の願いについてのことさ。アンタはもうすぐ叶うと言っていたが、経過のほどはどうなんだい? 失われた命、アストラルとやらを取り戻すことは』
モーガルには、捨てがたい希望があったのだろう。800年前にも死者を蘇らせる技術などなかったと知っていても、万が一と震える声が語っていた。
その想いが理解できたということは、自分もどこか心の奥底に淡い期待を抱いていたのかもしれない。
無味乾燥な言葉を聞くまでは、だが。
『あぁ。残念ながら、今回の実験は成功から程遠い物だった。アストラルとエーテルの相互干渉理論は実現されず、これでまた振り出しだ。我ながら不甲斐ない。神代の技術を現代に再現することが、如何に困難な道か、改めて思い知らされたよ。だが、諦めなければいずれ叶う日は来る。最初にお前とはそう誓ったな』
『そうだね。あの時はまさか、本物の神代人がもう一度現れるなんて、夢にも思わなかったけどさ』
ローズグレイの装甲に包まれた機体がゆっくりと体を起こす。気のせいか、赤いアイユニットが揺れているように思えた。
『ルイス、アンタが再現しようとしてる死者を甦らせる技術。そんな物は、神代にもなかったそうだが……どうなんだい?』
『なるほど、神代人より知識を得たと……いや、それ以前より半信半疑だったという方が正しいか。だとしてどうする? 私を詐欺師だと責めるかね?』
『まさか。これでも感謝してるつもりさ。心の底から信じられたことは無かったが、それでも、アンタの優しい嘘に縋ったのは私の意志だ。そうしないと乳飲み子だったアランを抱いていても、抜け殻のようでとても育てられなかっただろうからね』
感情を見せないルイスに対し、呆れとも感謝ともとれる様子で、モーガルは小さく肩を竦める。
甲高く鳴り響くエーテル機関の駆動音。ヴァミリオン・ガンマはギシリと拳を鳴らし、電波の飛んでいるであろう虚空へ顔を上げていた。
『だが、だからこそ、この辺で終わらせないといけないんだよ。後戻りができなくても、私が無関係な相手に振りまいた不幸へのケジメだけは、この手でつけさせてもらう』
『……成程。道半ばで志を失うとは、所詮、お前も数多人間と変わらないか。とはいえ、ここまでで師よりの情には十分応えたと見ていいだろう。後は好きにするがいい。誰が居らずとも、私は自らの成すべきを成す』
決別の瞬間。それは仲間へ向けた手向けの如く発された、目標に対する宣言だったに違いない。
重要な身内の会話に、本来ならば外野が首を突っ込むべきではないだろう。しかし、状況が状況である。流石に口を噤んでいることはできなかった。
『成すべき? それはなんだ、ルイス・ウィドマーク・ロヒャー? ミクスチャを生み出す以外に、貴様は何を成そうとしている?』
『あぁ神代人よ。落ち着かぬ戦場に在られる貴方様に、無線越しの言葉で語るは無粋。人柱もある事ですし、まずは現時点における成果をご覧に入れましょう』
ガラリと、誰が踏んだのか瓦礫が鳴る。それはとても軽く小さく、今までに見てきた多くの化物では出せない音。
ヘッドユニットを巡らせた先に見えたのは、崩れた建物の残骸と、その上にある人影だった。
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