第7話 翡翠出撃

 ようやく日暮れだと全員が息をついた。

 砂漠程ではないにせよ、炎天下で炙られ続ける体の疲労は限界であり、それを押してここまで追跡行を続けてこられたことは幸運だった。

 道中数人が落伍し、部隊の中で力に自信がない者たちは胸甲を外し兜を脱いで、それを後続の獣車に積み込んで軽装となっている。

 ただし、この長い長い行軍が彼らに大きな隙を生んでいたのが、ヘンメが指揮するコレクタの運命を決定づけた。

 疲労の結果全周囲に向けられていたはずの警戒線に綻びをつくり、目の前のリビングメイルを連れている鉄の箱だけを見ていた彼らに、の大自然は牙をむく。


「お、おい……あれ」


「あぁ?」


 隊列の左側で誰かが声を上げる。

 その方向は地形が隆起して壁のようになっており、壁の上には台地が広がっているだけだ。ロックピラーと呼ばれるこの周辺地域は、こういったテーブルトップマウンテンの形を成す数十メートルの台地が複雑な地形を成していた。

 谷の底から台地の上は見通せないため、警戒が難しい場所である。普通なら台地の上に別動隊を配しながらゆっくり進むのだが、今回は強行追跡という状況がそれを許さなかった。


「なんか、動いてねえか……」


「黒いぞ?」


 口々に左側からどよめきが広がってくる。

 先頭を進んでいたヘンメは舌打ちして行軍を停止した。そして左手に斥候を放つ指示をしようとした時、彼は固まった。

 見えたのだ。その黒い塊が一斉に飛び散るさまを。

 黒い塊に見えていたのは多数の生物の集まりだ。そしてそんな塊を作る生物をヘンメはひとつしか知らない。


「ポインティ・エイトだ!」


 また左側から声が上がる。

 人間の膝丈ほどの大きさで、細く鋭い8本の脚を持ち、群れで行動しながら見つけた生物を大小生死問わず捕食する荒れ地の掃除屋。

 その清掃対象にはも含まれている。


「クソ! 迎撃だ、構えろ!」


 ヘンメの指示を聞いたコレクタ部隊の半数はすぐに得物を構える。だが、もう半分はもたついた。

 疲労が彼らの動きを鈍らせる。目の前に鋭利な足が迫っていようとも、体は動いてくれない。

 100は数えようかというポインティ・エイトの群れは左側正面にぶち当たった。数人が飛びついてきたそれに押し倒され、立ち上がる前に串刺しにされて血飛沫を散らす。

 あちこちから悲鳴と怒声が上がる。


「どおりゃあ!」


 ヘンメは迫ってきた1匹に対し金属製の重い棍棒を振り下ろし、掃除屋の細い脚をへし折り、小さな胴体を叩き潰した。

 だが、その死体を踏み越えて次の1匹が迫る。一瞬で陣形も何もない泥沼の乱戦に突入したことを、彼は悟らざるを得なかった。

 そしてそれは、明らかな劣勢であることも。

 1人につき3匹以上が群がり、食い破られていく。

 更に視線を回せば、あきらかに自分たちから落伍したであろう集団へ向かう一群さえ見えた。

 本来ならば1人でも先に向かわせて危険を知らせるべきだろう。しかしそれに割く人員の余裕はなく、既に探知されている以上、敵より早く危機を伝える事はまず不可能だった。


「くそったれ、リビングメイルを前にしながら、間抜けな話だぜ!」


 棍棒を横薙ぎに振り抜き、迫る1匹を跳ね飛ばす。しかし当たり所が悪かったのか吹き飛ばされたそれは華麗に着地し、再びヘンメに向かって飛び掛かってくる。

 今度は裂帛の気合を込めてと彼は棍棒の柄を握りしめた。


「――あぁ?」


 だが、何故か棍棒を振り上げようと思っていた手が開き、高い音を立てて重い鉄棍は地面に転がった。

 気づけば右腕の肩口から黒い棒きれが生えている。

 細く鋭いそれから、自分の赤黒い血が滴り落ち、ヘンメは体が怒りに震えるのを覚えた。

 悪運が尽きたとわかってもなお、こんなところで死んでたまるかと左手のガントレットでポインティ・エイトの足を握りこむ。


「糞虫共がぁ……てめぇも道連れだオラぁ!」


 そのまま体を捻れば、ベキリという鈍い音と共に掃除屋の足が折れ、背中に取り付いていた黒い身体を、前から飛び掛かってきた別個体が鋭い脚が貫いた。

 ざまぁねえと、口から溢れる血を吐き捨てる。

 まだ動く左腕で短剣を引き抜き、仲間をぶつけられて混乱する掃除屋の胴体に体重もろとも突き立てた。

 ポインティ・エイトの甲殻は軽い刃物ならば弾いてしまう程に堅いが、その細い脚は重量に弱い。

 大の男の自重を喰らって耐えられるはずもなく、関節から足が捥げた黒い蟲はバランスを崩して地面を転がっていく。同時にヘンメも堅い大地へ投げ出された。


「あぁ、くそ……あと何匹だ」


 吹き出す血のせいか、起き上がることすらできないまま頭だけ回して周囲を見渡してみる。

 そこに立っている仲間はほとんど居なかった。なんせ少し横を見れば掃除屋どもは既に食事を開始しているのだから。

 ポインティ・エイトは死体しか喰わない。だが、自ら死体をこさえてしまう。

 喰われていく仲間の亡骸を見ながら、俺は何を間違えたと自問すれば、動かない体に悔しさが込み上げた。

 せめて、リビングメイルとやりあって死ぬなら納得できたのにと。

 牽引する駄載獣ボスルスを失ったバリスタが、リビングメイルを捕えるために持ってきた鉄鎖が、使うことなく打ち捨てられているのを見て、彼は目を閉じた。

 その耳に聞き覚えのない音が響いたのは、その直後である。



 ■



 僕とダマルは玉匣を停車し、レーダーに齧りついていた。

 先ほどまでコレクタと定義していた人間たちと、アンノウンが入り乱れているのだ。


「何だこりゃ? 生物反応が人間じゃねぇぞ」


「人間以外に襲われてる……なんてことある?」


 うーん、と骨が唸る。

 肉食獣で人間を襲う奴は居るだろうが、大規模な群れで行動しレーダーに反応するくらい大型の存在など聞いたことがない。とはいえ、草食獣の群れにコレクタであろう連中が攻撃を仕掛けるのも、ここまでの行動からは考えにくかった。


「目視してみよう」


 そう言って僕は砲塔のタラップを登り、天井に備えられたハッチを開く。

 薄暮の中、双眼鏡で後方を望む。凸レンズとプリズムの向こうには、なるほど確かに何かに剣を打ち付ける人間の姿あった。問題はその対象である。

 虫食いだらけの記憶の中に。自然公園の枯葉の下で群れを成し蠢くソレを見た覚えがあった。とはいえ、それとあまりにも異なる体躯は、僕の肌を粟立たせるのに十分な代物なのだが。


「ダマル、君、虫は好きかい?」


『心底嫌いなんだが……カブトムシとかならいいけどよ』


「じゃ大きなは?」


 無線機越しにカロンと骨の音がする。多分ぱっかりと顎を落としたのだろう。

 自分だってそう言われたら――骨の音こそしないだろうが――同じような表情をしたことだろう。

 ごそごそと動き回るそれは、明らかに人間を刺し殺しては捕食している。パニック映画を見ているかのようだ。

 僕の隣で機関銃と連動しているカメラが回ったかと思うと、ダマルが心底嫌そうな声を出す。


『……うげぇマジかよ、マジだよ、たまんねぇよ。肌もねぇのに鳥肌立ちそうだ』


 この距離からあの大きさで見える虫なんて居てたまるか。と吐き捨てる。

 少なくとも僕やダマルが眠る前には居なかった。800年の時がそうさせたのか、あるいは僕ら古代の人類がやらかした汚染やらの結果か。


「あんなのがうようよしてるんじゃ、おちおち眠ることもできない」


『同感だ。こりゃ情報収集が必要だな』


 ダマルがヘルメットの顎紐を締め、砲手席へと滑り込んできた。僕もすぐに翡翠の背中に手を当てて搭乗ハッチを開き、水色の鎧に身を包む。

 真っ暗だった視界に玉泉重工のロゴが流れ、GH-M400T翡翠という型番と機体各部状況が表示された。


『武装は?』


 マイクを通したくぐもった声が問う。


「近接戦闘だ。混戦になってからの流れ弾で人間をやっちまうってのは寝覚めが悪ぃ。射撃は戦闘評価のために、お前からの目標指示で玉匣からやるぜ」


『了解』


 翡翠の両前腕部に備え付けられた、スライド式のブレードを展開する。同時にシステムがハーモニック・ブレードの状況を投影した。

 続けて両手足を軽く動かす。問題なし。


「長剣は使わねぇのか?」


『相手が小さいなら小回りが利く武装の方がいい』


「振り回しすぎて折るなよ?」


『君こそ、フレンドリーファイアなんてしないでくれよ』


 言ってくれやがる、とダマルがカタカタ笑う。

 自分で玉匣の後部ハッチを押し開き僕はゆっくりと翡翠で歩き出す。

 少しずつ加速、各部アクチュエータの状況を確認。問題なし。

 地面を蹴って飛ぶ。速度表示が跳ねるように伸び、あっという間に小さかったはずの人間たちの戦場が目の前に広がった。

 人間もザトウムシも、敵味方を識別するレティクルは全て白。識別不能をシステムが伝える。

 対して僕は小声で人間以外を敵性と指定する、と告げると一斉にザトウムシを捉えていたレティクルが赤色に変化した。

 その中で最も近くに居た3匹に、レーザー標的指示を意味する枠が浮かび上がり、次の瞬間には鈍い音と共にキチン質のボディが吹き飛ばされる。

 どうやらザトウムシは、遠距離から放たれた徹甲榴弾を弾くほどの甲殻を持たず、発砲を探知したり砲弾を回避する能力がないらしい。

 玉匣による戦力評価は十分、あとは自分の仕事である。

 目の前で人間を捕食していた1匹に狙いを定め、右腕のハーモニック・ブレードを振り抜いた。

 胴体中央に接触する瞬間、軽く右腕に振動が走る。ハーモニック・ブレードは刀身が敵性存在に接触した瞬間に高周波振動を起こし対象を切断する兵器だ。

 綺麗な切り口を残し、黒い液体を吹きながらザトウムシがぐしゃりと倒れ、同時に物理衝撃や切断による撃破は可能であると敵の情報が更新される。更に暫定的な対象の強度、装甲厚、危険度などが自動で分類されていく。

 そこから弾き出された答えは、ザトウムシの足や顎はマキナの装甲を貫通できないということだった。

 これで必要な情報は揃った。あとは人間に当てず、残りのザトウムシを撃破するのみ。

 機甲歩兵は集合しつつあるザトウムシに躍りかかる。左右の腕を振り回し、旋風の如く黒い胴体を切り裂いていく。

 飛び掛かってくるザトウムシ。その人間を容易く貫通する足がマキナの装甲に弾かれ、取り付けないまま滑り落ちたところを重い踵で踏みつぶす。または飛びのいたところを一閃し、あるいは飛び掛かる傍から裏拳で体を粉砕した。

 時間にしておよそ数分。翡翠を中心とした数メートルは、ザトウムシの屍で埋まった。その更に外縁部には食いちぎられた人間の亡骸も多い。

 立っている人間は既に居ない。僕が到着した段階でほとんどがやられていたが、残念ながら僕が全ての敵を同時に引き付けられなかったこともあって、全滅した。


『むごいな』


 800年という月日の中で、その時の流れが人間の立場を大きく変えたらしい。まさか虫に人が直接捕食される事態になるとは思いもよらなかったが。

 周囲を見回しながら1人ずつ生死を確認していく。その大半はあちこちが欠損した余りにも無残な姿になっていたが、唯一地面に転がっていた男が呼吸をしているのを見つけられた。

 肩口をザトウムシの足に貫かれ出血が酷い。だが、まだ命は繋がっているらしい。


『わかるかい』


 傍らに膝をつき、男の傷ついていない方の肩を数度叩く。しかし、男は何も答えない。

 傷が深い上に意識を喪失しているとなれば、この男も長くないだろう。そう判断して治療を諦めた時、今まで瞑られていた目がカッと見開かれた。


「喋る……リビング、メイル……ロングスの奴は本当のことを……言ってたんだな」


『喋れるのか、応急処置を』


 僕は直ちにエイドパックを取り出そうとしたが、男はいや、とそれを拒んだ。

 訝し気に彼を見ると顔を後方へ向け、あっちだと指し示した。


「もし、もしもお前が……助けてくれるってんなら、向こうだ。向こうに落伍した俺の……部隊が居る。連中も、襲われてる、はずだ。そいつらを頼む」


『死にたいのか。止血しないと』


「俺は大丈夫だ……リビングメイル……信用してるんだ、ぜ」


 男は血を吐きながら咳き込む。

 死期を悟っている、と兵士の心が囁く。戦場で、幾人もこういう人間を見てきた。

 それに、確かにレーダー上で落伍したであろう集団は見かけた。そちらにザトウムシが向かったというのなら、襲われていることは間違いない。

 やるべきことはわかっているのに、こんなことは一度や二度ではなかったはずなのに、一瞬躊躇した僕に対して男はニヤリと笑って言った。


「まるで人だな……甘ちゃんの、人だ……頼む」


『おい!』


 男の力が抜け、瞼が閉じられる。

 呼吸は続いているが、失血で意識を失ったらしい。

 彼らはただの他人である。むしろ、自分たちを追跡などしたからこんなことになったと責めるべきかもしれない。

 だから、この男の望みを聞いてやろうと思ったのは打算と気まぐれに過ぎないのだろう。

 僕は男が告げた生き残りの元へと走り出した。同時に無線をダマルに繋ぐ。


『この戦場の全部隊が全滅。重体の生存者から、後方に残存している部隊が交戦中との情報を得た』


『落伍してた奴らか。その生存者は?』


『……救助の必要なし、だ。これから後方部隊の援護へ向かう』


『ままならねぇな。了解だ』


 流れる視界。自動でモニターが暗視モードに入る。

 あれほど地面を焼いていた太陽は地平の彼方へと消え、反対の空に月が輝きだしていた。

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