第8話 マジックアワーは蟲と踊る

「はぁっ!」


 ブウンという凄まじい風切り音と共に砂塵が舞い上がる。

 岩壁を背に2枚の板剣を旋風の如く振り回すファティの周囲は、一定の距離を保った状態でポインティ・エイトがぐるりと囲んでいた。

 時折じれた1匹が飛び込んでは軽く刻まれ、包囲の外周へ叩き出される。その亡骸をまた、他のポインティ・エイトが喰らう。

 彼女は善戦していた。後方に私を隠しながら、およそ全方位を守り続けている。

 だが掃除屋共も得物を逃がすまいと十重二十重に包囲を拡大しており、その数は時間が過ぎるごとに増え続けていた。


「なんで……増えるんですかねー……」


「食い終わった個体が合流してる」


 肩で息をするファティは、額に玉の汗を浮かべながらも獰猛な笑みを崩さない。

 その背後では自衛用の短剣を抜いた私が軽くそれを振っては、ファティへの奇襲をけん制する。

 しかし集中など、そう続くものでもない。また1匹がファティに飛び掛ってなます切りにされたが、その隙に近づいたもう1匹が彼女の太ももに足を突き立てる。


「いたたっ!?」


 ギリギリ身をかわしたファティだったが、その太ももは切り裂かれて鮮血が浮かんだ。取り付きそこなった掃除屋は身を翻したが、私が突き出した短剣がうまく当たって行動を阻害し、僅かに硬直したところへ板剣が振り下ろされて砕け散った。

 しかし、これで終わりではない。

 少し体がよろけたファティに、今ぞ好機とばかりにポインティ・エイトが殺到する。最初に迫った数匹はよろけた体を捻った右手の一撃でまたバラバラにされ、振り抜かれていない左手はそれに追撃を加えるが、そこまでだった。

 ついに彼女の身体に体当たりしてきたいくつものポインティ・エイトにうぐっと声を漏らし、ファティは地面へと突き倒された。板剣も衝撃に手放され、近くへと転がっていく。

 同時にそれを乗り越えてこちらにも何匹もが取り付きにかかった。


「このっ、離れろぉ!」


 猫の少女は、その高い身体能力を持って脚に取り付いた1匹を蹴り上げ、腕に絡みつく奴を爪でひっかいてはみたものの、硬い甲殻を持つ掃除屋たちはほとんどそれに動じない。

 蟲はまるで抵抗をあざ笑うかの如く、あるいはようやく仕留めた生きのいい得物を堪能するがごとく、ファティの顔の上に1匹が乗りかかり、その鋭い脚を振り上げた。


「ファティ!」


 ドスン、という鈍い音に、私は自分の危機的な状況も顧みず、ついつい彼女から目を背けてしまった。

 近くで何かが飛び散った音がする。

 想像したくないと思うのに、その音がファティの顔であると予想するのを、頭がやめてくれない。

 それは冷たい何かが自分の頭にぶつかったことでようやく途切れる。しかし、それに続いて訪れるはずの痛みはなく、加えて何かがズルリと頭から滑り落ちる感触があった。

 何が起こったのかと恐る恐る目を開ける。いつの間にか流れていた涙に歪む視界の先、鮮血に染まっているであろうファティの頭を予想していたそこには、青い鎧が立っていた。


「リビング、メイル……!?」


 ギラリと目を光らせたそれはまるで踊るかのように、群がるポインティ・エイトを瞬く間に切り裂いていく。先ほどまでのファティの戦いよりも早く、自ら進んで飛び込んで。

 ファティの上に群がっていた幾匹もの虫たちは、新たな敵の登場にそちらへと意識を向けさせられ、戦士である彼女に脱出できる隙を生んだ。


「えぇーいっ!」


 腕脚尻尾と振り回し、体に取り付いていた掃除屋共を吹き飛ばす。掴まり続けようとした2、3匹の足が彼女の肌に浅い切り傷を刻んだが、痛みに顔を歪めることもなくファティは転がった板剣へと飛びついた。

 その間にも次々虫たちは飛んでいく。まるで玩具のように引きちぎられ、弾かれ、砕かれる。

 虫たちは次第に、怖気づいたように見えた。先ほどまで優性だった数はそのほとんどが屍と化し、掴んでいた餌が再び敵となって立ち上がり、何より、自分たちの足も牙も通らない鎧が、仲間の亡骸をぶら下げて目の前に立っていることに。

 ポインティ・エイトに言葉を解する能力があるのかはわからないが、もしもあったとするならば、奴らはこう囁かれているように感じただろう。

 次はお前か、と。

 1歩、鎧が歩みを進める。残されたポインティ・エイトが同じ分後退する。

 1歩、衝撃音と共に地面がひび割れ凹む。群れの後方に居たポインティ・エイトが離れて逃げ始める。

 1歩、近くの岩壁から砂塵と小石が転がる。群れ全体が大きく後退する。

 最後にリビングメイルが手にぶら下げていた虫の屍を群れの中へと投げ入れれば、掃除屋たちは恐怖から統率を失ったようにして、一目散に逃げ出して行った。


「……助かったん、ですか?」


 板剣の1本だけを回収して油断なくそれを構えていたファティは、どこか間の抜けた声を出す。

 だが、私はむしろ体が凍るような思いだった。先ほどまでの虫に貫かれる恐怖よりも、眼前に現れた絶対者に。


「まだ……」


 震えを抑えられない声に、ファティも緊張した面持ちで剣を構えなおす。

 見たことも聞いたこともない青いリビングメイル。あっという間に無数のポインティ・エイトを蹴散らす圧倒的な力。加えて、わざと威圧したように見えた最後の行動。

 周囲に鎧と意思を通わせるとされるの姿はない。ならこいつは、自ら破壊と殺戮以外の意思を持って行動していることになる。それは、なんだ。

 考え得る想像の帰結はどれも、自分たちへあの刃が向けられた瞬間で途切れて終わっている。傷ついたファティと戦えない私の2人だけで、こんな化物をどうにかすることなどできるはずもない。

 そう思っていた矢先。


『大丈夫かい?』


 その鎧は、妙に穏やかな声を発したのである。





 人喰いザトウムシが逃げ散って、僕は一先ずの安全が確保できたことに安堵していた。

 目の前には金髪で小柄な少女が1人と、人に獣の部位が生えたような見た目の少女が1人。前者は震える手で短剣を握り、後者は明らかに金髪の少女を守るように巨大な剣を構えている。

 ザトウムシとの戦闘は苛烈だったのだろう。獣の少女の肌のあちこちに血が滲んでいたが、幸いなことに彼女には先の男のように致命的な傷は見当たらない。その背後、獣の少女が命がけで守っていたであろう金髪の少女もまた、白い肌に汚れが目立ってはいるものの、大きな怪我はなさそうだった。

 大したものだと、純粋にそう思う。

 まだあどけなさの残る少女が、たった2人であの窮地を乗り切ったのだ。それも、獣の少女は防具らしい防具もせず、あまつさえ自身の身長程あろうかという板剣を細腕に構えて、あの蟲の群れを迎え撃ったのだ。

 できることなら、敵となりたくはない。加えて、生死の狭間を彷徨いながら、仲間を助けてくれと求めた男の義理を果たすためにも、僕は努めて穏やかに声をかけた。


『大丈夫かい?』


 途端にビクンと少女たちの身体が緊張する。

 人間の方はよくわからないが、獣の少女は耳の毛を逆立てて尻尾を膨らませた。まるで猫だ。


「リビングメイルが……声を」


「ほんとだったんですねぇ」


 ガチリと板剣が鳴る。腕に力がこもっているのが見て取れた。

 巨大な鉄板である重量級のそれを持ち上げている少女を、システムは自機危険度・極低と評価した。僅かでも機体を損傷する可能性があると判断したらしい。それならむしろザトウムシから1人を護り抜いたことも納得できる。

 彼女らの警戒は当然のことだろう。ならばと僕は、マキナを含めた体格差を縮めようと、2人の前に片膝をついた。


『こちらに敵意はない。剣を収めてくれないか』


「……どうしましょう」


 板剣の切っ先は相変わらずこちらに向けられていたが、それを握る獣の少女は、視線こそマキナから外さないようにしながらも、膨れた尻尾を横にユラユラ振って背後の少女へ声をかけた。

 一考もなく袖にされず済んだという部分で、バレないように小さく息を吐く。この少女たちがもし斬りかかってくるようなら、情報の拡散を承知で退避するか、最悪は殺すかしかなくなるのだ。

 それも、余計な噂話が今後に及ぼす影響を考えれば、現状の自分達は迷わず殺すほうを選ぶだろう。今は、その最悪を選ばされなかったことに感謝したい。


――さて、どう来る。


 後ろに立つシューニャと呼ばれた人間の少女は、表情が読めない視線を僕へと投げかけていた。正確には青白くセンサーが輝く翡翠の頭にだが。

 暫しの沈黙。

 獣の少女は額から汗を流しながら、それでも僕の一挙手一投足から目を離さないように、そして僕の首元に向けた切っ先を外さないように。

 対するこちらも、相手を刺激しないように動かず、物音1つ立てないように気を配ってどれほどの時間が経っただろう。

 景色を照らす陽の光が、完全に月明かりへと移行しかかろうかという時、ふいに人間の少女は息を吐いた。


「ファティ、下ろして」


「いいんですか」


「このまま永遠に固まっている訳にもいかない。それにやろうと思えば、構えていたって私たちは殺されている」


「んー……それも、そうですね。ぷあぁ~」


 ファティと呼ばれた少女は下ろせと言われれば、いっそ清々しく切っ先を地面まで下ろし、そして今まで呼吸を止めていたかのように大きく息を吐いて座り込んでしまった。

 どうやら緊張の糸が一気に切れたらしい。


『ありがとう。まずは怪我の治療が必要だろう』


 シューニャと呼ばれた方の少女は小さく頷くと、腰につけた小さなポーチから包帯を取り出し、座り込んでいる獣の少女に巻こうとして、あ、と声を上げた。


「水がないから洗えない」


「あー……ボクも飲んじゃいましたからねぇ」


 炎天下を行軍していたであろう彼女らは、道中で全ての水を使い果たしてしまったらしく、人間の少女は困り顔を作って、獣の少女は他人事であるかのようにぼんやりした表情をする。

 かくいう自分も、戦闘が終了すればすぐに玉匣に戻るつもりであり、手元にあるのは最低限の武装だけ。

 逆に言えば、動く我が家に戻りさえすれば、薬でも水でもそれなりにはあるのだ。しかし、一時的に武器を収めたとはいえ、いきなり見ず知らずの相手を、玉匣へ連れていくのはどうかとも考える。


――だが、今を疑ったところで、信頼できる条件の接近遭遇が後に訪れるか?


 リスクは考えれば考えるだけ出てくるだろう。だが、この血まみれの女性2人を連れ帰り治療することで、現代における社会的一般情報等の確保という目標を達成できる可能性もある。

 自然と唇に力が籠った。それでも。


『近くに僕の住処がある。そこで治療しよう』


 賭けであることは事実。しかし、勝負なくして自分たちの状況が好転するとも思えず、僕はここで腹を括ることに決めた。


「住処?」


 その言葉に反応したのは、シューニャと呼ばれた少女の方だった。もしかすると、好奇心が強いのかもしれない。逆に獣の少女は、リビングメイルにもお家があるんですねぇと気の抜けた声を出す。興味があるかどうかはわからないが。

 彼女たちは互いに顔を見合わせ、明らかに躊躇ったようにも見えたが、他の手段が思いつかなかったのだろう。シューニャは獣の少女に肩を貸しながら立ち上がると、恐る恐るといった様子ながら、こちらの後に続いてくれた。

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