第9話 自己紹介と情報収集(前編)
無線で呼びつけた玉匣は、異様に幹の太い大樹の下に停車していた。
さっきの戦闘が行われた場所から少し離れており、死臭も漂ってこない。日も落ちており、ダマルは既に野営地としての整備を始めていた。
僕はと言うと、シューニャと呼ばれた少女が途中から肩を貸すことにも体力的な限界を迎えていたため、代わりに獣の少女を抱え上げて連れてきていた。気づいていなかったが、太ももにできた傷が思ったより深かったらしく、出血も未だに止まっていない。
そんな僕らを知ってか知らずか、ダマルは外で待っていた。それもどこで見つけて来たのかご丁寧に
「おう、お帰り」
『ただいま……なんだいそれ』
「いや、びっくりさせちゃいかんと思って俺なりに工夫を」
むしろ初見の人が見たらドン引きする気がして頭が痛くなった。
いくら中身が骨だとはいえ、もうすこしまともな偽装はできなかったものか。
「まぁまぁ俺のこたぁいいんだよ! そっちの女たちだろうが、怪我してるんだって?」
見ればダマルは医療嚢からあらゆる治療薬を引っ張り出しており、それを両手一杯に抱えて待機していた。こちらの物資にも限りがあるというのに大盤振る舞いだ。そこまでしなくてもと思わないでもない。
もしかしなくても、ダマルは女性を連れていくと言ったときに興奮していたので、理由は聞くまでもないだろう。
「すごいお薬ですね。お金持ちなんでしょうか」
腕に抱えられたままの獣の少女も目を丸くしている。
シューニャに至っては何かふらふらしていた。
『ダマル、必要なのは水と消毒液と軟膏、それからガーゼと包帯ぐらいだ』
「水と消毒液と軟膏とガーゼと包帯だな! すぐにやってやるから待ってろヨ!」
ダマルはガチャガチャと腕の中を漁り、骨をカラカラ言わせながら指定されたそれらを選別して、ついでに獣の少女にこいこいと手招きする。
骨に下心というのはあるのか。いや、目の前に居るこいつにはあるのだろう。
流石に初対面で――目覚めてまもなく心配した事案でもあるが――セクハラを理由とした余計な諍いを起こすわけにもいかず、獣の少女を地面に下した僕はダマルの薬をひったくってシューニャに渡した。
俺に任せろよぉ、ダマルは叫んでいたが、僕は努めて無視しつつ首根っこを掴んで玉匣の中へと連れ込んだ。
『君はこのマキナ姿をなんとか信じてくれた第三種接近遭遇を、いきなり無に帰すつもりかい!』
「おい勘違いするなよ恭一! 善意善意! これは至って善意からの――イダダダダダ!? 砕ける、砕けちまう!!」
心にもないことを口走ろうとしたダマルを、ドンゴロスごと第三世代型マキナのブレーンクローで黙らせる。
しばらくじたばたと暴れていた骨だったが、数秒でプラリと力が抜けて宙づりになった。
手を離すとガラリと骨が崩れ落ちる。被っていたドンゴロスは頭から抜け、ふんわり彼の肋骨の上あたりに舞い降りた。
「何しやがる。俺が粉砕骨折したらどーすんだ」
『はぁ……頭部ユニットを外してくれ。彼女らの不安を解いておきたい』
「役得もねぇのに、なんで俺がこんな目に」
ダマルは自分の苦情が無視されたことにブツブツと文句を言いながら、翡翠の頭部ユニットの連結を解除してくれた。
できればマキナそのものを置いていきたかったが、あの獣の少女に生身の状態で攻撃されてはたまらないので、せめて頭だけでもと切り離してもらったのだ。
少しの息苦しさから解放されて、再び玉匣から外へ出ると2人は既に怪我の治療を終えて座っていた。
だがこちらの姿を見た途端、シューニャはすごい勢いで後ずさった。まるでエビのようだ。
「ひ、人……!?」
「あ、そうか」
よく考えれば、今回は中身が人間だとは一言も言っていない。
そして前回の酒場騒動から察するに、人間が乗り込んで扱う物という前提はまったく理解されていないのだろう。彼女の反応はやはり、化物の中から化物が出てきたそれだった。
逆に獣の少女は、おー、と気の抜けた声を発するだけで、特に逃げたり身構えたりすることはない。むしろ楽しんでいるように見える。
なんなのだろうか。このリアクションの差は。
「その、僕は人間だ。君たちがリビングメイルと呼ぶこれを……使っている」
我ながらいい言葉が浮かばないものだと思う。
着ている、というのも違うし、使役している、というのもおかしい。僕らからすればこれは自我を持たないただの兵器であり、ただの道具にすぎないのだが、彼女たちからすれば生きた鎧という化物だ。
この常識に基づいた観念的な食い違いを、すぐに説明で解決することは難しかった。
「とりあえず、自己紹介をしておきたいんだが……構わないかな」
「ボクはいーですけど、シューニャ、怖がりすぎです」
「ふ、ファティが怖がらなさすぎる!」
ブンブンと両手を振って、シューニャは常識的なのは自分の方だと主張する。その小柄な体躯も相まって完全に子供のようだ。
逆に落ち着いてしまった獣の少女は、わざとらしくため息をついてからゆっくりとこちらを見上げてきた。
「ボクはファティマって言います。見ての通りキメラリア・ケットです。さっきは危ないところを助けていただき、感謝です」
そう言ってファティマはペコンと頭を下げると、橙色をした頭髪から突き出た、大きく分厚い耳が同時に左右へとわかれる。同時に外ハネのショートカットから尻尾のように伸びる細長い三つ編みが揺れていた。
変わった髪型だが、それ以上にその耳や腰巻のスケイルプレートの下から伸びる本物のような尻尾のほうが気になる。
「キメラリア・ケット……ってなんだい」
「あれ、知らないですか? ボクみたいな耳とか尻尾とか毛とか、そういうのがついた人のことですよ。ケットっていうのはその中の種族で、力が強いんです」
彼女は自信満々にそんなことを言う。いや、それを自慢だと思っているようだった。
揺れる金色の瞳はまさしく猫のようで、顔立ちも愛らしいとの表現が当てはまる。しなやかに伸びる四肢は細く見えるがきちんと鍛えられており、筋力があるのに女性らしい見た目を一切損なっていない。体つきも女性らしい起伏が現れており、その中でも目立つ下腹部の括れは、所謂へそ出しの服装によって晒され、彼女の健康的な魅力を引き立てていた。
「それでこの人がですね」
「しゅ、シューニャ・フォン・ロール……ヘンメ・コレクタ所属のブレインワーカー」
まだ少し怯えと混乱が混在した様子の人間の少女はそう告げた。
均整の取れた体のファティマと比べて、彼女の体つきは全身を覆う茶褐色のポンチョでまったくわからない上、年齢が離れているのか小柄だった。エメラルドのような瞳を持つショートボブのブロンド美少女であることに疑いはないのだが、白い肌の童顔から随分幼いように見える。
それもあと数年すれば立派な美女になるだろうか。
邪な思考が自分の頭を占有していたが、背後から感じる暗い眼孔の視線に気づき慌てて被りを振った。
「僕は天海恭一。君たちがリビングメイルと呼ぶこの鎧、マキナの操縦者だ。で、こっちの
「ダマルってもんだ。よろしくぅ」
ダマルはカラリカラリと骨をこっそり鳴らして、実に軽薄そうに手袋を振る。
ファティマの方はよろしくです。と頭を下げた。だが、シューニャの方は物凄く難しそうな顔で僕の方を穴が開く程見つめてくる。
ブレインワーカーだと言っていたが、その職業が名前の通りの職務内容であるのなら、まだ子供であろう彼女が一体なんの頭脳労働をしていたのかが気になるところだ。
「シューニャさん、だったね。すまないが色々と質問をさせてほしい。いいかい?」
「え……っと、ん。答えられることなら」
何か考え事をしていたのか、僕が切り出した言葉に一瞬呆気に取られていた。
無理もない、のだろうか。
「じゃあまずこれについてだが」
シューニャは1つうなづくと表情がすっと引き締まり、こちらの言葉を聞き逃すまいと集中した様子を見せた。
僕は腰に下げた汚い布袋から、青銅貨幣を1枚取り出す。
それが予想外だったのか、質問の意図がつかめないと彼女は首を捻った。
「貨幣について知りたい。僕もダマルも学がなくてね。貨幣の種類や価値を教えてほしいんだ」
「……どんな場所から出てきたらお金を知らないことになるの」
訝し気な半目の視線がジッとこちらに向けられる。質問を質問で返してきたのは、聞く意図がわからない。ふざけているのかと言った意思が込められていた。
とはいえ、こちらは比較的無難かつ重要な経済常識を選んだだけであり、教えてもらえないとなれば死活問題だ。馬鹿にしているのかと聞かれても、至って真面目であることを伝えるほかなかった。
「それはカサドール帝国の青銅貨ですね。一番価値の低いお金で、日雇いの人たちがその日のご飯のために稼ぐお金が、これ20枚くらいだって聞きます」
それに答えたのは意外にもファティマの方である。彼女は自分のポーチから袋を取り出すと、更にそこから3種類の貨幣らしきものを摘まみ上げた。
「どこの国でも一緒だと思うんですけど、普通に使うお金は大体3種類。銅貨は青銅貨幣100枚分、銀貨は銅貨の1000枚分の価値があります」
「あー、すまない。その例えば青銅貨1枚なら何が買えるんだろうか?」
「1枚じゃなんにも。5枚で、とっても水っぽくてびっくりするぐらい不味いスープが買えますね」
要するにそれより安い物はほとんどないのであろう。水っぽいスープとやらにどれくらい栄養価のあるかはわからないが、言い方から察する限り、腹を満たすのに水だけよりはマシといったもの可能性が非常に高そうに思える。
彼女の説明に対し、シューニャは少し不満そうに声を上げようとしたが、ファティマはいいからと手を振って続きを教えてくれた。
「じゃあ、それ以外だったら」
「銅貨が1枚で、美味しくない干し肉と時間が経ってカッチカチになった黒いパンのセットです。普通のご飯食べるなら3枚はいりますよ」
「それって……まさかなぁ」
ダマルが玉匣の中に今も保存されている肉とパンを思い出してぐぅ、と声を詰まらせる。
どちらも、もう一度食べたいとは思えなかった代物だ。あれのせいで、できることならもうちょっと美味しい物を食べたいと切実に願っている自分が居る。無論、手持ちの食料にあるのはそれだけであり、残量も大したことはない。
そんな僕らの様子を見て、ファティマはクスクスと笑う。
「もう食べたんですね。あれ、酷いでしょ?」
「歯が欠けるかと思ったぜ……俺の大事なパーツが」
ドンゴロス越しに顔をこするダマル。ファティマはそれが普通に歯が欠けて困るという意味で理解したようだが、実際ダマルは歯が欠けたらびっくりするぐらい間抜けな骸骨になってしまう。
「最後の銀貨ですけど、1枚で買えるものは沢山あります。安い服とか、高級な甘味とか、あと中古じゃない数打ちの武具もそれくらいしますね」
「服って随分高いんだなぁ」
「襤褸なら銅貨100枚でも買えますけど、お洒落な服なら着古しでも銀貨5枚くらいしますよ。よっぽどいい生活してないと無理です」
眉毛をハの字に曲げてこれ見よがしにため息をつくファティマ。何を想像したのかはわからないが、欲しい服でもあったのかもしれない。
だが、ダマルはファティマの言葉に首を捻った。
「その馬鹿でかい剣もかなり高価だろ。アンタの言ってたりべれいただったか? その仕事は随分稼げるんじゃねぇのか?」
「うーん、生きていくのに困らないくらいっていうくらいでしょーか。リベレイタはコレクタと一緒に、おにーさんみたいなリビングメイルとか、さっきのポインティ・エイトとかと戦いますけど、ほとんどキメラリアのお仕事なので……」
少し困ったように首を傾けて頬を小さく掻いた。
リビングメイルたる自分が居る前では言いにくかっただけかもしれないが、最後のキメラリアの仕事という言葉がやけに耳に残る。
「それにボクの武器とか防具は、コレクタからの借り物なんですよ」
「借り物?」
コクンと彼女は頷く。
「ボクもそうですけど、キメラリアがリベレイタになるのは大体買われたからで、最初はお金どころか何も持ってませんから」
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