第297話 お人好しの男

 リビングメイル。

 コレクタと共に居た以上、その名前を聞いたことは何度もあった。

 その危険度は鉄蟹等の比ではなく、柔らかな肌しか持たない人種にとってはミクスチャに並ぶ国家規模の脅威である。

 喋るというのは聞いたことがなかったが、それがどんな言葉であろうとも、私が声を失い震え上がるのは当然だった。

 その反応をマント付き朱色怪物鎧がどうとらえたのかはわからない。ただ、何故か憤ったように硬い拳を握りしめ、その腕から青色とも紫色ともつかぬ光を迸らせる。


『荒事は苦手なんだが……ええい、この際致し方あるまい! 君、少しの間、耳を塞いでいなさい!』


 たった一言鎧はそう告げると、私の返事も待たずに鉄蟹の群れへ躍りかかった。

 腕から伸びる光が触れれば、鋼の如き奴らの殻はまるで鍛冶師が剣を叩くかのように赤熱しながら溶け落ちて、ガチャガチャ音を立てながら動かなくなっていく。

 無論、仲間が殺されているのだから、鉄蟹も雷の魔術を次々と放って反撃したが、バチンバチンと音がするばかりで、鎧はまるで意に介した様子がなかった。


 ――私は、一体何を見ているのだろうか。


 金属を纏った生物同士が目の前で争う状況など、人に理解できるはずもない。

 ただ、まるで獲物を狩るかのような、先程までとは真逆のあまりに一方的な戦いの凄まじさに、若い私はひたすら見とれていた。

 果たして、どれだけの時間が経っただろう。鎧は最後まで傷つくことはなく、1匹また1匹と確実に、ともすれば泥臭いやり方で鉄蟹の胴体へ光を突き立て、ついに全てを地面へ転がしたのである。

 鉄の屍に囲まれる朱色の鎧。それはまるで呼吸を整えるように大きく息を吐くと、重々しい音を立てながらゆっくりとこちらへ向き直った。


『ふぅー……非武装型ばかりで助かったな。怪我はないかね?』


 自然と体が強張る。

 声は穏やかな男性のもので、どうしてか自分を救ってくれたことは疑いようもない事実である。しかし、その角ばった兜の中に顔はなく、むしろ外側のような位置に4つ、目のようなものが細い橙色の光を放っていたのだから。


 ――怖い、怖い、怖い。


 伏した仲間の真ん中で、私は錆びた剣を握りしめたまま、逃げることも声を出すこともできず、ただただ幼子のように嫌々と首を振るばかりだった。

 だが、鎧は自分が怯え竦んで話にならないことも予想していたらしい。


『あー……もしかしてこの格好がいかんのか? おぉいルイス! クラッカーは片付いたから、ちょっと手を貸してくれぇ』


「だぁから言ったでしょうが、御師匠様がマキナを着装したまま出ていったところで、相手には怖がられるだけだから放っとけって」


 鎧がまるで人間のするように呼びかければ、こけた頬をした男が面倒くさそうに地形の向こうから現れる。そんなあまりに平熱なやり取りに、私はポカンと間抜け面を晒すしかなかった。


『い、いやそうは言うがな……暴走したクラッカーに子どもが襲われているを見て見ぬ振りなど、私にはできんよ』


「はぁ……お人好しも大概にしてくれませんかね。しかもこの女、キメラリアでもなければ子どもって年齢でもなさそうじゃないですか」


『いや、勘違いするなよルイス。私はキメラリアだとか子どもだとかじゃなく、困っている人が居たら助けるというだけで――』


「はいはいわかってますよ、いつものことですから」


 まるで友人か家族のように会話をする、こけた頬の大人の男と朱色の鎧。

 目の前で繰り広げられるそんな光景に、私はもう白昼夢でも見ているか、あるいは既にラジアータの世界へ導かれたのではないかと思い始めていた。


「おいそっちの女。いつまでも鉄屑握りしめたまま呆けてないで、せめて命の恩人に礼くらい言ったらどうだ? 口が利けないって訳でもわけでもないんだろう?」


「あ、ああ、ありがとう……助かったよ」


 耳に届いたルイスと言う男の声に、しょうもない想像の世界から引っ張り戻された私は、慌てて剣を腰へ差し直して頭を下げる。

 とはいえ、これはあくまで人間である彼に対してだから言えたであり、後ろに控える重々しい朱色に視線を向ければ、途端に腹の底からじわじわと恐怖が蘇ってきて、私は自分を抱きしめながら1歩後ずさってしまった。


「け、けどさ、そっちの奴は、なん、なのさ?」


 こんなことを聞いて、機嫌を損ねてしまったらどうしよう、とも考えた。しかし、それ以上に訳の分からない存在という恐怖が、自らの意志と関係なく疑問を口から飛び出させてしまう。


「ほらぁ……もうこの反応が普通だっていい加減気付いて――」


 にもかかわらず、彼らは私の失礼な態度に不快感を示すでもなく、何ならルイスはこめかみを抑えて天を仰ぐ。

 これには私も困惑したが、それを表に出すよりも早く鎧の方から興奮したような声が上がった。


『おぉおぉ、普通に喋れるようで何よりだ! 怖い思いをしただろうがもう大丈夫だぞォ! 怪我はしておらんか!? 見たところ栄養状態はあまり良くないようだし、小さな傷からでも感染症になったら大変だ!』


「ヒぃッ!?」


 地面を揺らしながら勢いよく迫ってくる金属の怪物に、私が大きく退いたのは当然だろう。むしろ腰を抜かしてへたり込まなかっただけでも褒めて欲しいくらいである。

 否、それどころかここでルイスが呆れ声を出してくれなければ、言いたくはないが漏らしていたかもしれない。


「あぁもう、聞いちゃおらんし……自分の時もそうでしたけど、せめてマキナ脱いでくれませんかね?」


『む!? それもそうだな! いや失敬失敬、ハッハッハ!』


 何を言っているのか、その瞬間は全く理解できなかった。

 ただ、鎧は嫌味っぽいルイスの言葉に対して悪びれた様子もなく笑うと、またも聞き慣れないピーという音を立てて、その背中を大きく開いた。


「な……中に、人、が?」


「ああ、マキナとは本来こういう物なのだが、現代ではそう思われていないのだったね。いやはや、驚かしてすまない」


 人生において、ここまで驚いたことはなかったように思う。

 まさか鉄蟹の群れをたった1体だけで壊滅させた、魔術も打撃も効かないような怪物の中から、金髪を刈り上げた妙に四角い顔のオッサンが出てくるなど、誰が想像できようか。

 にも関わらず、彼はそれをさも当然と言った様子で流し、私に大きく分厚い手を差し出して白い歯を見せたのである。


「私は生物学者をしている、コルニッシュ・ボイントンという者だ。よければ、君の名を聞かせてくれるかな?」


 これが、私とリビングメイル、否マキナとの出会いであり、大きな人生の転機だったと言っていい。

 相手が人だと分かれば自分も現金な物で、出会って早々お人好しであるらしいコルニッシュに対し、捨てられたリベレイタである自らの境遇を語れば、失った居場所を得られるのではないかなどと浅はかに考えた。

 無論、冷静なルイスはそんな自分の魂胆を見抜いていただろう。しかし、どういう経緯なのかは知らないが、師匠と仰ぐコルニッシュが涙ながらに苦労しない生活をさせてやるからな、などと言い出せば止めることなどできるはずもなく、私はこのよくわからない連中の庇護を得ることができたのである。

 マキナなんていうとんでもない力を持っている癖に単純で、妙にお人好しの呑気な男。私は最初そんな風に彼を評価し、それをどううまく扱って甘い蜜を吸ってやろうかと考えた。

 が、これは全く無意味だとすぐに気づかされる。


「むさ苦しい男と一緒では寝づらいだろう。私は外で構わないから、獣車の中は君が使いなさい。寝袋? あぁ、私は暑がりだからいらんよ」


 とか。


「遠慮しないでもっと食べなさい。若いうちによく食っておかないと、中年になれば胃もたれやら胸焼けやらで苦労するんだぞ……うむ。老化とは恐ろしい物でな」


 とか。


「それ以外に服がないだとぉう!? そりゃあいかん、いかんぞ君! せっかく人生において貴重な青春を生きているのだから、もっと身だしなみに気を遣わねば!」


 とか、その他その他。

 この時、彼は別にお金を山ほど持っていた訳ではない。何せ、コレクタのはぐれブレインワーカーであったルイスが仕事を取ってきて、それをこなすことで生計を立てていたのだから。

 その癖、ルイスにしても私にしても随分甘やかされた。幌の中という豪華な寝床に腹いっぱいになれる食事、小ぎれいな服を着れば孤児だった自分も、それなりの暮らしをする平民と見分けがつかない程である。

 こうなれば、最初の甘い蜜を吸ってやろうなどという考えは完全に頭からすっぽ抜け、私はコルニッシュという男に困惑と興味の入り混じった、ある意味で乙女らしい複雑な感情を抱くようになり、またそれは次第に好意へと変わっていった。

 まず、獣車で各地を転々とする中でわかったことは、とにかくあちこちの遺跡をやたら積極的に調査していること。何故かは知らないが、コルニッシュには神代言葉が読み解けるらしく、よくわからない道具をマキナで拾って来ては、帝国と神国の国境線沿いにある小さな隠れ家へ集めていた。

 次に彼のお人好しについて、その対象は種族を問わないということである。

 たとえ襤褸衣のようになったキメラリアでも、困っているとあれば決して放ってはおかず、まるで我が子のように手を差し伸べ、時には聞いたこともないような医術で命を救ったりもしていた。その度にルイスに呆れられようと、そこだけは決して曲げようとしないまま。

 最後に彼は毎晩毎晩、ルイスに対して医術とよくわからない知識を教えていた。私も寝たふりをしながらよく聞いていたが、正直この時は全くと言っていいほど理解できなかった。

 観察すればするほど疑問は募る。変人と一言で片づけるのは簡単だが、若い私は何故かそれだけで終わらせたくなくて、ついにある日、それを口にしてしまった。


「なぁコルニッシュ。アンタは一体何者で、何をしようとしてるんだい?」


 キョトンとした表情をされたのは言うまでもない。ガタイがよく四角い顔をした中年男の顔には、どうしてか妙に苛立ちを覚えたが、私はそれをグッとこらえて彼を見据えていた。

 すると真剣であることが伝わったらしい。コルニッシュは顎をゴリゴリと撫でながらふぅむと唸った。


「……そうだなァ。こんなに長いこと一緒に居るとは思ってなかったから言わなかったが、いい加減隠し事というのもおかしな話だろう」


「隠し事? どういうことさ、それ」


「うむ。私が神代を生きていた人間だ、という話でな」


 今度は私の方がキョトンとさせられる番だった。それもクソ真面目な顔で言うのだから、私は逆にからかわれているような気がして、その手には乗らないと顔を引きつらせる。


「いやいやいや、ふざけないでよ。神代って本当にあったのかもわからない程昔の話でしょ? コルニッシュはそりゃ確かにオッサンだけど、爺さんって言うにはまだ……」


 笑いながら言えたのは、そこまでだった。

 コルニッシュの瞳に映っているのは自分の姿だけ。酷くゆっくり見えた瞬きに、私は小さく息を呑んだ。


「本気で、言ってんの?」


「信じられないのも無理はないが、これは揺らぎようのない事実だ。私は現代では神代と呼ばれる時代に生き、生物学者を職業として様々な研究を行っていた。エーテルに汚染されていく世界でも、人類の血脈を絶やさぬための研究を、な」


 グルグルと文字が回り始める。当然ながら、若かった私に学などあるはずもない。

 となれば、分かる部分だけを抽出して想像するくらいしかできないわけで、結局ハァとため息を吐くほかなかった。


「……半分以上、何言ってんのか理解できないんだけどさ。じゃあ、なんであっちこっちの遺跡に行って、ゴミみたいな物を漁ってるんだよ。神代の知識があるなら、テクニカとか国に売り込めば、それこそ一生遊んで暮らせそうなものじゃないか」


「そう言う訳にはいかんのだ。こう見えて私は古代における大罪人でな、今は罪滅ぼしをしている最中とでも言うべきか」


「大罪人? マキナを使って、人殺しでもしてたってこと?」


 あんな金属の怪物を使いこなす彼の姿を想像すれば、別にそれくらい不思議でもなんでもない。

 ただ、コルニッシュは何処か遠くを見つめるような目をして、緩く首を横に振った。


「そんな可愛い物じゃない。私がやっていたのは、エーテルの危険性に気付いていた各国の要人と繋がり、エーテル汚染耐性を持つ人類を生み出すための研究だ。その神の真似事ともとれる行いは、成功作としてこの世にキメラリアという種族を産み、逆に失敗作としてエーテル変異生物であるミクスチャを作り出した。そして――」


 いつも柔らかく開かれている大きな手が、ギシリと音を立てるほどに握られたのがわかる。

 ただそれだけで、自分の心は何故か強く波立ち、汗すら流れていないはずの背中が急激に冷たくなった。

 その先を聞くべきではない、と心のどこかが警告する。しかし、もういい、という喉から出かかった一言を、私は自らの意志で飲み込んだ。

 彼のことを、知りたかったから。


「それこそが、神代の文明を崩壊へと向かわせるきっかけとなったのだ」


 低く張り詰めた声でコルニッシュはそう零したのである。

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