第298話 万能の代償

 それは余りにも単純な事故だったと言う。

 コルニッシュの居た研究所で発生したミクスチャは、生まれて間もなく失敗作として殺処分の上焼却されていたが、殺処分に失敗して成長を始めてしまった個体が居た。

 そいつはあらゆる生物を吸収しながら肥大化し、やがて研究所が崩壊。野放しになったところで分裂増殖を繰り返しながら、あちこちの都市を襲っていったのだと、彼は語った。


「あれは管理不行き届きによる人災だ。しかし、私に研究指示を出していた要人たちは責任を取るどころか自らの保身に走り、禁止されている生物兵器を敵国が使用した、等という最悪の言い訳を作り上げた。報道を疑わない世論は甚大な被害から報復攻撃を叫び、国民の総意に後押しされた共和国政府は、ついに世界を滅ぼす力を持った兵器の封を解くに至ってしまった」


 こういう時、彼の言葉はいちいち小難しく、私には1割も理解できていなかったと言っていい。

 けれど、いつもの前向きで明るいコルニッシュと違う、まるで自分が居た掃き溜めを映しているような瞳の理由を、わからないままで終わらせることだけはどうしてもしたくなくて、それでも理解できないことに私は頭を掻きむしった。


「あーもうっ! せめて私にわかるよう話してよ! 結局、その世界を滅ぼす力? とかいうのが、アンタと何の関係があるってのさ? ただ、雇い主に言われて研究してたってだけなんじゃないの?」


「研究していたからこそなのだ。私は複数の都市に甚大な被害をもたらした事象の原因を知りながら、情報に踊らされる世間を眺めるばかりで、過ちを正そうと声を上げなかった。これが私の、失われた文明に対する罪だ」


 そう言って、コルニッシュは自嘲的に笑う。

 だが、私には見て見ぬ振りの何が罪なのかがわからない。人里の路傍で幼子が息絶えようと、憐みどころか汚物を見るような目を向けてくるのが他人であり、世間とはそういう連中を煮詰めて作った汚い鍋であろう。

 所詮人の生き死には、どんな形であろうと自己責任だ。後で何と言おうが、死んだ奴には何もできない、それだけ。だから私は、文明に対する罪、というコルニッシュの言葉がどうにも納得できず、苛立ちを乗せて鼻をフンと鳴らした。


「馬ッ鹿馬鹿しい。じゃあ何? アンタは何百年も前に滅んだ文明のために、誰かを助けたりゴミ集めしたりしてるってわけ? 罪滅ぼしだとか言って?」


「手厳しいな……その程度のことでは償えるはずもない。ただでさえ私は、エーテルという謎多きエネルギーが、遺伝子から世界環境に至るまで影響を与える危険性を孕むことを知りながら、研究者としての知的好奇心を抑えられなかったのだからな。命をエーテル汚染に蝕まれるのも当然の罰だろう」


 本当なら、アンタが底なしの阿呆だってことはわかった、とでも言ってやろうと思っていた。

 しかし、彼が最後に呟いた一言はあまりにも予想外で、若い自分の考えていた小生意気な感想を瞬く間に吹き飛ばし、私は気づけば彼に詰め寄っていた。


「ちょ、ちょっと待ちなよ! 命を蝕まれるって、どういうことさ!?」


「おう、聞いてくれるか? 私は文明が崩壊を始めた時、知り合いの研究所に転がり込んでいたんだが、そこで試作されていたコールドスリープ装置と言う奴に、お前は未来にも必要だ! とか言われて放り込まれてな。しかし、試作品なんぞに高濃度エーテル汚染を防ぎきる環境遮断性なんぞ望むべくもないし、元々は1年程度の試験運用を目的にしてたらしいから、数百年後に生きて出て来られただけでも奇跡ってところなんだよコレが」


 ハッハッハ、参った参った、と広い額を叩きながらコルニッシュは笑う。

 当然、聞かされた私は笑えるはずもなく、しばらくはひたすら呆然としていた。

 それも彼の姿が目の奥に焼き付いてきた頃になって、ようやく意識という奴が動き始める。

 だが、たとえ感情であろうとも、傷口は瞬きする間に塞がるものでないらしい。

 頭から溢れ出した燃えるような言葉を堰き止めることはできず、私は喉が焼けるのも構わず吐き出すことしかできなかった。


「――ふっざけんじゃないよ!! なにが奇跡だ! なんでそんな大事なこと、今の今まで隠してた!? なんで言ってくれないのさ! その癖、寝床も食事も私なんかに譲ったりして、それも罪滅ぼしのつもり!? 私を馬鹿にすんのも大概にしろよ!」


 眩しいほど白い服の襟に私が掴みかかろうとも、コルニッシュは口を噤んで微笑んだまま。

 そんな顔を見なくても、さっきの言葉が嘘でも冗談でもないことくらいわかっていた。だから私は頭の中と胸の奥がこんなにグチャグチャになったというのに、開きすぎた歳の差が理由なのか、彼は全く揺らがない。

 それが妙に悔しくて、焼けた喉の奥がじわじわと痛む。妙に分厚い胸板へ力ない拳を打ち付けても、溢れてくる嗚咽は抑えられない。


「神代だとか大罪人だとか、そんなのどうだっていいだろ……私が好きになった男は、ただのお人好しのオッサンで、これからもずっと一緒なんだって、言い切って見せてくれよぉ」


 いつ振りか分からない程、私は赤子のように泣いていた。

 恋なんて知らない。

 愛なんて知らない。

 だが、生きる道を失っていたリベレイタの自分を仲間として受け入れ、温かい居場所まで与えてくれた男である。親子ほど歳が離れていようとも、冷たい地面の感覚に慣れた若い乙女が恋慕の情を抱くくらい不思議でもなんでもなく、逃れ難い死というどうしようもない現実によって、そういう名前だと気づかされてしまっただけだ。

 コルニッシュは泣きじゃくる私に対し、黙ったままその胸を貸していてくれた。どうしていいかわからなかっただけかもしれないが。

 しかし、喚き続けることなどそう長くできることでもなく、ひとしきり泣いて落ち着いてきた私は、濡れそぼった彼の服からドロドロの顔を持ち上げて、四角い中年の顔を睨んだ。


「……どれくらい?」


「私の見立てではあるが、何十年とは生きられんだろう。とはいえ、この健康状態なら今日明日に急死するという話でもない、というところだな。だからできれば、その、モーガルはこれまで通りに――」


「私、本気だから」


 何処か言い訳じみた一言に、私はピシャリと先手を打った。

 何が今まで通りにだ。ここまで女に言わせておいて、それがオッサンのすることか、という所である。

 すると彼は今までに聞いた中で最も歯切れが悪く、何なら死ぬだのなんだと言う話よりも苦しそうに、硬そうな眉間をぐりぐりと揉んだ。


「うぅむ……いやそりゃあ、四十路を越えてなお独身貴族を貫いていた男としては、君の気持ちはとても、とてつもなく嬉しく思うのだが、17歳の娘に手を出すというのはこう色々アウトというかなんというか」


「いちいち話が長い。それに歳の差なんてのは、成人同士なら関係ないはずだろ?」


「いやいや、成人と言うのは20歳以上を指す言葉――だよ、な?」


「そんな悠長に成人迎える国なんて聞いたことないっての。それに、今日明日じゃなくたって、時間は限られてるんだろ? だったら、アンタの罪滅ぼしって奴も2人でやったほうが、その……こ、これ以上恥かかせんな!」


 ぐっちゃぐちゃの泣き顔を見られたことと、色恋からくる得も言われぬ羞恥心に堪えきれなくなった私は、これ以上言い訳を続けるようなら、もうこいつの箱みたいな顔面を全力で引っぱたいてやろうと心に決めていた。

 しかしそれも、彼の小さな青い目で見つめられると、どうにも気恥ずかしさから気迫がしぼんでしまう。

 そのせいで私は、なんだよ、とぶっきらぼうに言いながら視線を逸らしたのだが、これがコルニッシュにどんな感情を抱かせたのか、彼は太い腕で私を強く抱きしめ、そのまま盛大な笑い声をあげた。


「ハッハッハァ! まったく、怖いもの知らずな娘だな、君は! 私は生涯独身のつもりだったというのに!」


「……はんっ! その歳で若い娘を娶れるんだ。むしろ感謝してほしいくらいだよ」


 ただの強がりだったが、彼はそうだなそうだなと嬉しそうに繰り返していた。

 こうして私とコルニッシュは夫婦となったのだが、汚染とやらに侵されている夫を支え歩んでいく中で、彼の難解な話題を理解できないままにはできず、私は彼がこの世を去るまでの数年間に渡り、神代について必死で学ぶこととなったのである。



 ■



 ポトリと灰が地面に落ちる。薄い煙は洞窟の入口から、翡翠の青い装甲を撫でて消えていく。

 彼女は最愛の古代人と結ばれるまでが物語のように濃く、そこからエーテル汚染という神代文明の引き起こした人災によって命を落とすまでの間は、完全にダイジェストで語ってくれた。夫婦になって以降の話が、20歳で成人する国について何故知りたいのか、という元の話題と関係がなかっただけかもしれないが。

 とはいえ、破天荒な青春劇を聞かされた僕の感想はただ1つ。意識的に表情をきつく引き締めた上で、それをはっきりと口にした。


「壮大なのろけ話ですか?」


 張り詰めたような沈黙。膝の上で眠るポラリスが、もごにょもごにょと何か寝言を呟いた気がする。

 猟師モーガルに刺すような視線を向けられても、こればかりは仕方ないだろう。何せ、彼女が何を求めているのかさっぱりわからなくなってしまったのだから。


「アンタがそれを言うのかい? さっきまで散々、その子に甘い言葉をささやき続けてた癖にさ」


「……すみません、できれば忘れて下さると助かります」


 流石に歴戦の雰囲気を漂わせる女性である。剃刀のような切れ味の反撃に、僕は練度の差を感じて速やかに頭を下げた。

 すると彼女も追撃してくるつもりはなかったらしく、ため息ついでに煙を吐く。だが、煙草を持つ手で口を隠しながらこちらへ向けてきた視線は、むしろ今までよりも鋭いものだった。


「まぁその辺りは、お相子ってところで――それより、どうなんだい?」


「どう、と仰られましても。20歳で成人する国を探している、というのが方便だったことはわかりましたが、神代文明に行く方法なんて僕ぁ知りませんよ?」


「だが、マキナの正しい操り方は知っている。アンタはそれをどこで習った? 誰か神代人の知り合いが居るってんなら、教えてくれないかい?」


 方便である、という部分をモーガルは否定しない。ならばなおのこと、僕はもう一段踏み込まねば話を続けるわけにはいかず、何が出てくるかと腹の奥へ気づかれないよう力を込める。


「それを知ったところで、何を成そうというのですか? 失礼ながら、古代人だったという貴女の旦那様は、その身に受けた汚染によって既に亡くなられてしまったのでしょう?」


「そのことについてさ。神代の技術について、1つハッキリさせておきたいことがあってね。恩を感じるというのなら、頼まれておくれよ英雄アマミ」


 ようやく聞き出せた本音に、僕は小さく息をつく。

 これがダマルやリッゲンバッハ教授への質問ならば、やはり気を抜くことなどできなかったのだろうが、自分程度では800年前の技術についてなど使い方を知っていればいい方なのだから。


「……わかりました。お答えできる範囲なら、という条件付きにはなりますが」


「そうか、やっぱりアンタはそうなんだね」


「このことについては、どうかご内密に願います。それで、神代の技術というのは?」


 最初からそう決めつけて話を始めた癖に、とは言わない。

 コルニッシュという男は、話を聞く限りただの生物学者であり少なくとも機甲歩兵ではないだろう。だが、それが昔取った杵柄なのか、単なる金持ちの道楽なのかはさておき、モーガルは彼の操縦するマキナに救われている以上、マキナを扱える者のことを古代人と判断していてもなんら不思議はなかったが。

 自分たちの素性を考えれば、はぐらかし続けた方がよかったとは思う。だが、それだけで強い執着を見せる彼女の疑念を拭うことなど不可能なことは明白で、ならば打ち明けた上で口外無用としたほうが後腐れもないと判断したのである。

 そんなこちらの様子を眺めていたモーガルは、当然だと頷いて座りなおすと、煙草の火を地面でもみ消しながら低い声で呟いた。


「死者を生き返らせる方法、って話を、アンタは知ってるかい? アストラル体を新しい身体に宿し、記憶を電気信号によって与える、だったか。そんな技術さ」


 この言葉に、僕は小さく眉を寄せた。

 流石に出会った相手が生物学者と言うべきか。それもキメラリアを生み出すほどエーテル薬品を用いた遺伝子学に精通していたのだから、アストラルなどという古代文明的にもほぼ未解明とされてきた部分に切り込むあたり、彼女は想像もつかないくらい勉強をしたのだろう。最愛の人に近づきたいという感情が、どれほど強かったかがよくわかる。

 ただ、僕は彼女から感じる僅かな希望に対し、ゆるく首を横に振ることしかできない。


「いえ、残念ながらそのような物は……800年前にそれがあったなら、私も追い求めていたでしょうが」


 実際、アストラルと呼ばれる何物かは、自分と某骸骨が生きていることによって存在を証明できているとは思う。とはいえ、それが死者を蘇らせる技術となり得るというのならば、古代文明が崩壊することなくかの難局を乗り切ることもできたはずであり、自分が悔恨に支配されて多くの屍を積み上げることはなかったのだ。

 膝の上に乗った青銀の髪を小さく撫でる。彼女もまた、そんな技術がなかったからこそ生まれた、深い悲しみを背負った母親による愛の結晶と言っていい。

 それを見ていたモーガルも、きっと心の底から信じてはいなかったのだろう。ゆっくりと目を伏せた彼女は、深い深いため息をついた。


「……やはりねぇ。コルニッシュが言った通り、今の連中が神代なんて呼んだところで人間は人間。エヰテルすら完全に理解することも制御できない以上、神になど到底なれなかった訳だ」


「そりゃあもう。御覧の通り、こんなに立派な鋼の棺桶を弓矢の代わりにして、今と大差のない殺し合いを繰り返していたくらいですから」


 青い装甲をコツンと叩いてやれば、薄い皺の刻まれた口で違いないと笑い、モーガルは肩を揺らして立ち上がる。

 それが、会話を終える合図となり、僕もポラリスを一旦地面へ寝かせてから、翡翠を背にもう一度彼女と向き合った。


「しょうもない話で足止めしちまってすまなかったね英雄。こんな場所をうろついてるってことは、もうすぐ始まる大戦おおいくさに備えて忙しいんだろうに」


「いえ、お話を聞かせていただけて良かったです。同じ文明を生きた者の話など、もう聞けないとばかり思っていましたから」


 一礼してから、再び青い鎧に身を包む。スタンバイ状態だったシステムが、いつしか陽の落ちた周囲に合わせてカメラを調整している。

 様々な情報が表示される視界の中で、僕はモーガルが抱き上げてくれたポラリスを、戦闘兵器の固く冷たく寝心地も悪いであろう腕に受け止め、できるだけ揺らさないようにゆっくりと背中を向けた。


『モーガルさん、これから起こる戦争のことをご存じなら、早いうちに帝国領から離れてください。勝者がどちらになろうとも、治安の悪化は避けられないでしょうから』


「ご忠告痛み入るよ。だが、私にもここらを離れられない理由って奴があってね。噂の英雄様と話ができてよかった。その子にも、モーガルが感謝していたと伝えといてくれ」


 ぐっと奥歯を噛む。

 できることなら、という感情が胸の内に渦巻き、それでもまだ今じゃないと深く息を吸う。

 そうした先に残るのは、この現代にあってポラリスを温かく保護してくれた女性への純粋な感謝のみ。だから僕は、翡翠のアクチュエータを鳴らしながらしっかりと腰を折った。


「そうですか……では、


 洞窟を出ていく自分の背を、彼女はいつまで見つめていただろう。

 知らぬ間に再び灯された煙草の火は暗闇に沈む映像の中で、何を語ることもなくポツンと小さく浮かんでいるだけだった。

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