第125話 あの御方

「最奥に行けと言ったはずだが、お前たちは何で入って早々道草を食ってるんだ……」


 騒ぎを聞きつけたらしいペンドリナは、中枢に入ってくるなり僕とダマルの謎行動を見て、毛むくじゃらな顔に呆れたような表情を作る。


「いやその、成り行き上仕方なく――」


 明らかな変人を見る視線に、僕は引き攣った笑いを浮かべたが、複数の研究者たちに囲まれている以上、ここで手を止めることは許されない。


「まぁいいところなんで、ちょっと見ててください。自動運転、開始!」


 ドラムの中には薄汚れた研究員の服。残念ながら洗剤はないが、超音波洗浄などという機能があるため問題はないだろう。タッチパネルに浮き上がる、おまかせ洗濯、というコースを選べば、数回ドラムが回転してから、取水ポンプがゴボゴボと音を立て始める。

 水がめから吸われ、ドラムの中に噴射される水。その現代的には不思議な光景に、研究員たちの間には大きなどよめきが広がった。

 彼らが興奮と共にメモを走らせる一方、僕とダマルは無事に動いてくれたことに、ホッと胸を撫でおろす。


「ぶっ壊れるんじゃねぇかと思ったが、元が新品だったんだろうな。抗劣化装置がいい仕事してるぜ」


「電気がないと使えないから、結局はガラクタだけどね」


 自分達に定住先と発電機でもあれば、使い道はあったかもしれないが、残念ながら今のところ、稼働している遺跡でしか使えない不思議装置でしかなかった。

 一方、ドラムが音を立てて回る様子は、女性たちの関心を引いたらしい。現代人の中では、稼働する機械を見慣れているはずの玉匣メンバーも、暴れる水に吸い寄せられていた。


「おぉ、ぐるぐるしてますよ」


「本来洗濯は踏んだり擦ったりするけれど、この機械はそれを水の勢いと回転力で代替しているらしい。凄い発想の転換」


「ちょっと信じられないッスけど……本当にこれだけで服が綺麗になるッスか?」


「メイドの仕事が減ってしまうわね」


 見た目そのものの感想をファティマが口にすれば、シューニャは仕組みについて感動し、家事炊事を担うアポロニアはまだ懐疑的で、貴族マオリィネは社会的な目線でそれを見る。そんな個性的な意見までメモしていくのだから、研究員たちの向学心には頭が下がったが。


「……なぁ、アマミ氏。お前は戦士なのではないのか? アマミ・コレクタで頭脳労働に就いているのは、シューニャ・フォン・ロールという女性だけだと聞いていたんだが」


「間違ってはいませんよ。アレの構造を説明しろ、とか言われたら、流石にチンプンカンプンですしね」


 道具は動かせても中身は知らない。それは使えさえすれば構造なんてどうだっていいという一般消費者の思考である。

 だから研究職とは違うんですよ、と言いたかったのだが、残念なことにペンドリナには伝わらなかったらしく、彼女は分厚い獣耳をぺったりと平たくし、尻尾を力なく垂らしてしまった。


「それがなんで遺物の使い方を理解できるんだ……そんな奴は見たことがないぞ」


「そう言われましても、知っているものは知っているとしか……」


「底が知れない男だな。ナイジェル・バイヤーズ博士にあんな顔をさせる戦士など、この世に2人と居ないだろうに」


 また変わり者だな、と彼女は意外にも上品に、口へ手を当ててクスクスと笑う。

 今までペンドリナの雰囲気は、研ぎ澄まされたナイフのようだと思っていたが、そんな愛嬌のある表情に、僕は少しだけ肩の力が抜けた。

 だからだろう。思ったままを軽く口にしてしまったのは。


「すみません――どちら様ですかね、その博士って」


 たちまち空気に亀裂が走る。

 ペンドリナにとって、この無知は相当な衝撃だったのだろう。彼女は笑顔のままで硬直したかと思うと、今までのクールな雰囲気をかなぐり捨てて、僕の顔に大きく迫ってきた。


「お、お前、あの方さえ知らないでテクニカに来たのか!? 巻き上げ式クロスボウを産みだされた天才なんだぞ!?」

 

「アハハ……どうにも自分は、世間知らずなものでして」


 巻き上げ式、というのは多分、クランクと歯車で弦を引くタイプのクロスボウの事だろう。扱いやすい上に威力が高いからか、現代でよく目にするクロスボウはほとんどがこのタイプであり、それを思えば確かに凄い人物なのだろう。

 だが、そんなことよりも、僕はペンドリナに詰め寄られたことの方に慌てていた。これはキメラリアと人間を同列に見ていることの弊害と言うべきだろうか。女性の顔が吐息のかかる距離にあり、それに加えて漂ってくる不思議と爽やかな香りに、僕は困惑しながら後ずさるしかなかったのである。

 無論、そんな自分の姿に、骸骨は隣で大爆笑をかましていたが。


「カーッカッカ! その辺にしてやってくれよ姉さん! そいつぁ女に耐性がねぇんだって!」


「――うん? あぁ、ごめんよ。少し興奮してしまった」


 悪い悪いと苦笑しながら、ペンドリナはスレンダーな身体を離してくれる。

 しかし、まだ言い足りないことに代わりはないらしく、彼女は小さく咳ばらいをしてから、黄色い瞳にムッと睨まれてしまった。


「しかし、コレクタリーダーが世間知らずでは色々困るだろう?」


「いやはや耳が痛い。おかげでブレインワーカーには迷惑をかけっぱなしなんですよ。遺物についてなら、人より良く知っているとはおもうんですけどね……」


「そこがわからないんだ。変わり者はよく見かけるが、お前たちのように突き抜けて非常識な奴は見たことがない」


 訝し気に腕を組んだ彼女は種族としての癖なのか、一度離れたと思った傍から再び身体を寄せてきて、小さく鼻を鳴らしながら臭いを嗅いでくる。

 おかげで僕はまた近い近いと言ってたじろいでいたのだが、間もなく聞き覚えのない柔和な声が聞こえたことで、ペンドリナは弾かれるように体を離した。


「あらまぁ、面白いことをしてるのね。わたくしも混ぜてくださいな」


 たちまちペンドリナを含むテクニカ研究員たちは、洗濯機から視線を外して膝をつく。それは余りにも唐突であり、取り残された僕らはただただ呆然と立ちすくむことしかできなかった。

 声の主は倉庫の奥より現れる。

 それは桃色の長髪を垂らす美しい女性であり、垂れ気味の糸目と口元は慈母のような見た目と言うべきだろう。だというのに、人生中で見たこともないほど豊満な胸を、露出の多いドレスで惜しげもなく晒している。

 そのアンバランスな色気に、自分は自然と生唾を飲み下し、いつもなら軽口を叩きそうなダマルでさえも、うぉ、という小さな声を漏らしただけで沈黙してしまった。

 ただ、女性はそんな自分たちを気に掛ける様子もないまま、ゴロゴロうるさく動く洗濯機を覗き込むと、まるで少女のように手を叩くではないか。


「あら、あらあらあら! ナイジェル、もしかして遺物の役割がわかったの?」


「はっ……いえ、それが、これの使い方を知っていた者が居りました。件の組織コレクタです」


 女性の呼びかけに対し、先ほどまで洗濯機を熱心に触っていた小汚い研究員が、ペンドリナの絶賛する博士、ナイジェル・バイヤーズその人であるらしい。だとすれば、今までの横柄で適当な対応にも納得がいく。

 しかし、そんな天才と称される研究者でさえ、ドレスの女性を前にしてはまるで人が変わったようだった。


「まぁ、アマミ・コレクタですね? うふふ、思っていたよりも随分と可愛らしい皆様ですこと。それに――貴女が英雄アマミさん、ですね?」


「御明察ですが、何故自分だと?」


「いきなり誰何のような真似をしてごめんなさいね。けれど、そう不思議な事でもありませんわ。黒い髪に黒い瞳の人なんて、クシュ・レーヴァンでも見たことありませんもの」


 糸目の女性は躊躇いもなく、人差し指を口の端に当てながら笑う。

 800年前の企業連合においては、なんの特徴もなかった黒髪と黒い瞳だが、やはり現代では相当珍しいものらしい。マオリィネが大混乱して、自分の秘密を容易く暴露してしまうはずである。


「なるほど……それで、貴女は?」


「申し遅れましたわ。わたくしはこのスノウライト・テクニカの長、フェアリーと申します」


フェアリー妖精……? 変わったお名前ですね」


「カカッ、長にしちゃ随分エロい姉さんだな――いや、褒めてんだぜ?」


 僕が実名らしくないと首を捻る一方、今まで黙りこくっていたダマルは、小声でそんなことを呟くと、しきりにうんうんと頷きを繰り返す。どうやら彼女のスタイルが、骸骨の中にある性癖に突き刺さったらしい。

 ただ、そんな色欲骸骨エロトマニアンデッドのセクハラ発言に対しても、フェアリーは一切動じた様子もなく、ダマルへと向き直る。もしかすると彼女は、男性からそういう視線を向けられることに慣れているのかもしれない。


「全身鎧ということは、貴方が噂に聞く呪いの騎士様? わたくしの姿がお気に召されましたか?」


「おぉっと、聞こえちまってたか。個人的には、大満足だぜ」


「うふふ、ありがとうございます。けれど、アマミ・コレクタは5人というお話だったと思うのですが――?」


 大人の女性らしく、優しい笑顔でセクハラ発言をスルーして見せたフェアリーだったが、こちらの人数を数えて、はて、と不思議そうに小首を傾げる。


「あぁ、これには少し事情がありまして、外部協力者が1人増えたんです」


「突然の訪問申し訳ありませんフェアリー様。私は王国貴族、トリシュナー子爵家の娘、マオリィネ・トリシュナーと言います。彼らと協調しなければならない事情があって、今回はお邪魔させていただきました」


 しかし、フェアリーの疑問に対して、マオリィネは貴族らしく堂々とした様子で相対する。まさか映画やドラマ以外で、ドレスの端をつまんで頭を下げるという、あまりに演技的な光景を直接目の当たりにするとは思わなかったが。


「歓迎いたしますわ子爵家の令嬢さん。しかし困りましたね、本当はリストに無い人間を入れてはいけない決まりなのだけれど」


 ピクリ、とマオリィネの身体が揺れる。それでも彼女は笑みを貼り付けたまま、動じた様子は面に出さないあたり、プライドというのは中々に堅牢な盾なのだろう。

 コレクタユニオンからの推薦状に、直近のポロムルで合流したマオリィネの名前はない。それでも彼女の意見に頷いた責任は自分にあるため、テクニカ側が侵入者としてマオリィネを吊るし上げようとした場合は、何かしら交換できる現代技術を提供することで手を打ってもらおうと考えていた。

 しかし、唐突に思い出した昨夜の出来事から、彼女が本気でないことに理解が及んだ。


「規則に関して知らなかった落ち度は自分にあります。ですので、罰するなら彼女ではなく自分を」


「ちょ、ちょっとキョウイチ、いきなり何言ってるのよ!?」


「あらあら、随分素敵なこと。女の盾になるのは戦士の誉ですものね」


 突然の申し出に慌てるマオリィネと、まるで我がことのように頬を染めて笑うフェアリー。

 ただ、彼女のそんな茶番に対し、随分質の悪い女だ、と1人毒づいて、苦笑を顔に貼りつけた。


「――と、言いたいところですが、あまりごっこ遊びに付き合うつもりはないんです。そうでしょうペンドリナさん?」


 小さく銀色の獣耳が揺れ、目の前で柔和な笑みを湛えていた性悪女も、ここで初めて表情を硬くする。


「ごっこ遊びとは、どういう意味でしょう?」


「ペンドリナさんの行動ですよ。彼女は昨日の夜からずっと、自分たちを監視していましたよね? その上、イーライという青年に馬鹿のフリをさせて、こちらの戦力を測るくらいに用心深い。違いますか?」


 つい先ほどまで引っ掛かっていたが、ペンドリナが騎乗する大柄な兜狼ヘルフは、昨夜ずっとこちらの周囲をうろついていた単独の個体であろう。野生動物の姿しか見えていなければ、それこそなんの違和感もない。

 しかし、ペンドリナはわざわざ自分であの乗騎を呼び出して、わざわざ見せつけるように自分たちを誘導している。しかも、マオリィネという異物が混ざっていることを理解した上で、なんの警告すらしなかったとなれば、これは自分たちを試す茶番以外何物でもない。

 それを軽く指摘すれば、フェアリーは楽し気に肩を揺すり、一方で膝をついていたペンドリナはくるりと尻尾を自分の腰に巻き込みながら、スンと小さく鼻を鳴らした。


「まさか気付かれるとは、本当に底が知れない男だな。あぁでも、イーライが突っ込んだのは力を測りたかったんじゃなくて事故なんだ。アイツは馬鹿のフリをしてるんじゃなく、本物の馬鹿だからな」


「えぇ……? それは色々問題があるのでは……?」


「あの子はまだまだ未熟ですからね。しかし、英雄アマミが噂通りの御方ようで、わたくしとても嬉しいですわ。改めて、貴方と仲間たちを歓迎しましょう。ようこそ、スノウライト・テクニカへ」


 どうやらお眼鏡には叶ったらしい。素早く掌を返したフェアリーは、ポンと手を叩いてお咎めなしを告げる。

 ただ、自らをリトマス試験紙扱いされたマオリィネは少々不服そうだったが、それでも許してもらったことに変わりはないので、僕は彼女に代わって小さく腰を折った。


「恐れ入ります、フェアリー様」


「様だなんて畏まらないでいいのですよ。こんなところで立ち話もなんですし、どうぞ奥へ。ナイジェル、それの解析は任せました」


「仰せのままに」


 縮れ毛の研究員ナイジェルが、承知、と頭を下げたことを確認したフェアリーは、踵を返して倉庫の奥へと歩み始める。

 僕らは導かれるまま彼女に続いたが、プライドに引っかき傷をつけられたマオリィネだけはむっつりと膨れており、自分の後ろで納得いかないとブツブツ呟いていた。

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