第206話 ワック・ダンス

 現代においてテイムドメイルは国家にとって最強の戦力である。

 正面からの戦闘では数千の人間を容易く撃ち破り、キメラリア・キムンさえ太刀打ちできぬほどの力を誇り、強固な身体は矢も槍も通さない。だからこそ存在そのものが戦争の抑止力として働き、いざ戦争となればテイムドメイルの役割は同じくテイムドメイルを破壊することにある。

 しかし、帝国はテイムドメイルを所有していない。そのため、1年程前に行われたオブシディアン・ナイトとの戦いは、軍1つを磨り潰すほどの大規模作戦だった。彼らは大量の兵士を犠牲としながらもオブシディアン・ナイトを渓谷へと誘い込み、頭上から巨岩を降らせて攻撃したのである。それも足元で戦う味方さえ巻き込みながら。

 オブシディアン・ナイトはテイマーであるアナトール・パーマー子爵を守り、運悪く老朽化した指示回路にダメージを受け、見た目にわからない重大な損傷から行動不能に陥った。しかし、自然には癒えることないその傷も、ダマルという骸骨の手によって回復されている。

 だから帝国に負けることはないと、王国軍将兵は誰しもが思った事だろう。それこそようなことがなければ。


「が……は……?」


 アナトールの胸から何か硬質な物が生えていた。

 血液が滴るそれは木でも石でも鉄や鋼でもなく、もっと生物的で長大な何か。

 それはズルリと引き抜かれ、合わせて力なくアナトールは地面に倒れていく。堅牢なはずの真銀の鎧は無残にも貫かれ、彼が愛用した白いマントはゆっくりと赤黒く染まっていった。


「ほ、捕虜がどうやって――くそッ、何としてもパーマー卿を蘇生しろ! 連中は構わん、殺してしまえ!」


 誰より早く我に返ったホンフレイが血相を変えて叫ぶ。

 それに合わせて兵士たちは慌てて剣に手をかけたものの、振り返った先にいた異形に全員がすくみ上った。

 その捕虜は特に変哲の無いキメラリア・カラだったはず。だというのに、そいつにはどことなく人型に見える以外、キメラリアであった面影すら残っていない。異様に長く伸びた腕は鞭のようにしなり、頭は全体がラッパのような形になって、その入り口には牙が円形に並んでいた。


「お、おおおおッ!」


 その不気味な姿にも怯まず、勇敢な兵士が槍を構えて突撃する。

 異形はそれを避けようとも防ごうともせず、柔らかい表皮が貫かれて串刺しとなった。人間ならば致命傷、あるいは即死の傷である。

 だが次の瞬間に見えたのは、宙を舞う両断された兵士の身体だった。

 鈍い水音を立てて亡骸は地面に落ちる。たった一撃、それだけで鎧を着た兵士が捩じ切られていた。

 誰もが竦んだのは無理もない。だがもう異形は待ってくれなかった。


「ア゛ァ゛――ッ!」


 長い両腕が大きく振り回され、元々味方だった捕虜たちさえ巻き込みながら、間合いに入っていた王国軍兵士たちへ襲いかかる。余程の剛力なのか、纏めて数人の兵士たちが吹き飛ばされていった。


「なんなのだこいつは! 射手! 針山にしてやれぇ!」


 言うが早いか、次々と矢が射かけられていく。

 悲惨なのはやはり、周囲に残されていた他の捕虜たちだっただろう。彼らは逃げることも叶わず、悲鳴を上げるばかりの内に、異形の腕と降り注ぐ矢に虐殺されたのだから。

 にもかかわらず、化物だけは何本もの矢が突き立っても動きを鈍らせることもないまま、それどころか手当たり次第に兵士へと襲い掛かり、天幕や柵を破壊して暴れ出す。

 それは、兵たちの後ろで剣を抜いた自分にも、同じように襲い掛かった。


「くっ――!」


 咄嗟に身体を地面に転がすことで躱したものの、同時に天幕を支えていた木柱がへし折られたのを見て、私は表情を引き攣らせる。


「馬鹿力……! あんなの食らったら一溜りもないわね」


 身体の中央に槍が突き刺さったまま、降り注ぐ矢を受けて剣山のようになってもなお、化物は暴れ続ける。しかし、体液が流れている以上、全く無傷というわけではないらしい。

 またも振り回される腕に篝火が吹き飛ばされ、火の粉が自分に降り注いだ。


「熱ッ!? こんのぉ、嫁入り前の娘になんてこと――火?」


 ふとレディ・ヘルファイアのことを思い出した。

 ヘンメから届けられたホウヅクには、彼女は追手と交戦して負傷したとあったはず。帝国の最強戦力たるエリネラを負傷させたとなれば、まさかただの人間やキメラリアということも考えにくい。


 ――これを彼女が撃退したというなら、もしかして!


 私は勢いよく身体を起こすと、物資が備蓄されている天幕を目指して駆けだした。

 以前自分が占領指揮を執っていた時と施設の配置は全く変わらない。だからこそ迷うことなく、私は備蓄庫へ辿り着くことができたのだ。

 その多くは籠城に耐えるための食料であり、武器などは予備が僅かに置かれるばかり。だが私が求めるのはそのどちらでもなく、自らの指示で最奥へ押し込んだ2つほどの樽だった。


「まぁ、そう使う物でもないものね――猛将スヴェンソンに感謝しておかないと」


 ニィと不敵に表情を歪めた私は、天幕から顔を出して近くで右往左往する兵士たちを呼び止めた。


「そこの兵士、手を貸しなさい! 人手が要るのよ!」


「は――き、騎士様!? 失礼しました直ちに! おい、お前らも来い!」


 声をかけられた兵士は、その相手が本来の上官でないことに一瞬訝し気な表情を浮かべたが、こちらの恰好が騎士のそれであると分かった途端に姿勢を改め、周囲の兵士たちも集めて駆けつけてくる。


「これをぶつけて火矢で燃やしてやれば、あの化物も流石に耐えられないでしょう」


「火樽ですか!? し、しかし奴にぶつけるとなると――」


 先ほどまでの戦いを見ていたのだろう。体格のいい男たちは、皆怯えたように互いの顔を見合わせる。

 彼らが竦むのも無理はない。何せ敵は得体の知れぬ化物で、アクア・アーデンが満載された火樽を的確にぶつけようと思えば、かなり接近しなければならないのだから。

 だがそんな中で1人の兵士が静かに手を挙げた。


「ワシがやりましょう」


 穏やかな声が響いたことで人垣は自然と割れ、そこから歩み出てきたのは長身の老兵である。古ぼけて傷だらけの装備を身に纏った姿は、どれほどの戦場を潜り抜けてきたのか想像もつかず、私は静かに唾を呑んだ。


「貴方、名前は?」


「ゴルウェ・ノイシュタットと申します。老骨ではありますがたかが樽の1つ程度、軽く担ぎ上げてご覧に入れましょう」


「大きな危険が伴うことは、理解しているのよね?」


「ハッハッハ! 御心配には及びませぬ。このような大任、若い連中に譲るには勿体ないと思いましてな」


 歴戦の兵士は私の不安さえも吹き飛ばすように笑ってみせる。

 年齢はガーラットよりなお上だろう。本来なら退役して、ゆっくり余生を過ごすことくらいできるはずだ。それでもなお戦場に立とうという彼に、私はしっかりと頭を下げた。


「――わかったわ、ノイシュタット。貴方に任せます。他の者は火矢の用意を! 急いで!」


「応!」


 集まった兵士たちはどこか負い目を感じたように、しかし僅かな羨望も混ざった視線を彼に投げながら、各々が準備に取り掛かっていく。それに続いてゴルウェも悠然と肩を回し、軽々火樽を担ぎ上げて天幕から出て行った。



 ■



「退くなぁ! 断じてこの場で止めを刺すのだ!」


 化物を止めようとホンフレイは必死になって指揮を続ける。

 彼は騎士であり、何より典型的な貴族であった。それは如何に化物とはいえ、僅か1体の敵を相手に部隊を率いて敗北するなど、あってはならないことなのだ。


「し、しかし指揮官殿、あれはミクスチャでは――」


「馬鹿なことを言うでないわ! ミクスチャが相手ならば矢も槍も通りはせん!」


 膝をついた兵士長を殴りつけんばかりに怒り狂いながらも、この中年貴族は冷静に化物を観察していた。それはガーラットがホンフレイに指揮官の任を与えた理由でもある。傍目には神経質な面ばかりが目立つものの、内側では物事をよく観察し、烈火のごとく叫びながらでも、その指示は冷静であることが彼の強みだった。


「見よ、奴は血を流している! リビングメイルでもない限り、血を流して死なぬ生物などこの世にはおらんのだ!」


 恐れなく振りかざされる手が、怯える兵士たちを支えていたことは間違いない。

 既に近接戦闘は危険と判断され、盾と槍衾で包囲して敵の動きを制限しながら、矢と投げ槍ジャベリンとでの攻撃が続けられていた。

 流石の化物も体の損傷が大きくなってきているからか、最初と比べてその動きは鈍っている。だからこそ、遠距離攻撃を鬱陶しいとでも思ったのか、振り回す腕で降り注ぐや飛び道具を払いのけ、気味の悪い叫びを轟かせて威嚇していた。

 王国側は決め手に欠き、化物は身体を回復させようと攻撃を振り払う。そんな状況がしばらく続いている中、私は大きく声を上げた。


「包囲そのまま!」


 兵士達のいくらかが驚いて振り返る。

 しかし、誰より驚いたのはこの場で最高指揮権を持つホンフレイだろう。たちまち額に青筋を浮かて、こちらへドカドカと駆け寄ってきた。


「騎士トリシュナー、貴様何をするつもりだ!?」


 貴族にとっては面子が最大。横から出てきた小娘が突如指揮を執ろうというのだから、中年貴族としては黙っていられなかっただろう。

 とはいえ、今の私には面子など至極どうでもいいことだった。


「ホンフレイ卿、奴は傷に強くとも火に強いとは限りません。


「な、にぃ……!? いやしかし……ぐぬぬ……」


 それは策が成功すれば、一切をホンフレイの手柄であると認める発言だった。

 まさかそんなことを言い出すとは思わなかったのだろう。小太りの彼は勢いを失うと、ふと周囲に視線を回してムッと顔を顰めた。

 整った火矢の準備、ゴルウェの抱える火樽。それらは皆、部隊も問わない寄せ集めであったが、お膳立てができていることに違いはない。

 彼は明らかに悩んでいた。何せ眼前の状況に対処するのに精一杯で、打開策を見出す余裕がなかった中、突如舞い込んだ可能性のある対処法である。それも手柄は全て自分の物となるのだから、利益を考えれば断る理由はどこにもない。

 しかし、小娘程度から手柄を譲られるというのも、ホンフレイという男にとっては屈辱だったのだろう。それでもこのまま膠着を続けるかと言われれば、苦虫を噛みつぶしたような顔になるのもよくわかる。

 だから私は敢えて、煽ってみることに決めた。


「どうなさいますか? 私は卿の指示に従いますが?」


「貴様――!」


 兵たちの前である。ふわりと髪を払ってやれば、わかりやすく中年男の額に一層の青筋が刻まれた。放っておけば血を吹き出したかもしれない。

 だが、偶然にもホンフレイが唾を飛ばすより先に、その背後で絶叫が木霊して兵士の壁が大きく崩れた。

 ジャベリンの投擲に隙間ができたことが原因か、攻撃の手が緩んだのをいいことに化物は再び腕を振い、盾の壁にそれを叩きつけたである。木柱さえも叩き折るそれを受けて、兵士たちは見事になぎ倒されていた。


「――ええぃわかったァ! 奴に炎を浴びせるぞ! 盾を前に、包囲を崩すな!」


 どこかやけくそに舌打ちしながらも、ホンフレイは守備を固める兵士たちに指示を飛ばす。

 すると先ほど打ち倒された数人に代わり、彼らの盾を取って別の兵士が欠けた穴を埋めに入った。


「ご英断、感謝いたします。ノイシュタット!」


「お任せ下され!」


 控えていたゴルウェが合図とともに走り出す。

 自らを老骨と呼びながらその身のこなしは凄まじく、盾の壁から飛び出すと振り回される化物の腕を見事掻い潜ってみせた。

 それでもなお彼は樽を投げようとはせず、更に距離を詰めていく。


「ふははっ、残念だったな化物ォ! 動きが鈍いわい!」


 転がりながら老兵が取り付いたのは敵の背後。ラッパ状の口が向くのとは逆側に立ち、ゴルウェはついにその樽を叩きつけた。

 どれほどの力だったのだろう。気味の悪い身体にぶつかった樽は亀裂を走らせ、中身のアクア・アーデンを撒き散らす。


「が――ッ!?」


 だが、化物は謎の液体をただただ鬱陶しいとでも思ったのだろう。

 まるで羽虫を振り払うかの如く振り回された腕に、ゴルウェは身体を宙へ舞わせた。


「ノイシュタット!!」


「古兵殿!」


 周囲の兵士にどよめきが広がる。

 それが同じ部隊に所属する者たちだったのか、あるいは誰しもが良く知る人物だったからなのかはわからない。老兵は盾の壁にぶつかるほどに吹き飛ばされ、ほどなく兵たちの手で包囲の外へと引き摺られていった。


「放てぇい!」


 ホンフレイの声に合わせ、間もなく炎の雨が降り注ぐ。

 咄嗟に準備できた火矢の数は数十本。これでは木壁を燃やすことも難しく、天幕などに刺さっても消火されてしまう程度の量でしかない。

 だがアクア・アーデンは1本目の火矢が刺さったところで、瞬く間に巨大な炎を立ち上がらせた。

 その肉に突き刺さった木製の槍を、矢を、炎は食らうように絡み付いて勢いを増し、身体にできた傷を外から焙られて、堪らず化物は暴れ出す。


「奴をその場に縫い付けろ! 足を狙え!」


 振り回される腕は今までのような正確な攻撃ではなく、ただ暴れるだけで狙いなどない。その大きな隙を逃さず、兵士たちは防御用に使う長槍を敵の足へと突き刺していく。

 刺さった槍は一層炎の勢いを強め、兵士たちが距離を取れば再び飛んでくる矢が追い打ちをかける。

 炎と執念の猛攻に、化物はやがて地面へ倒れ込むと、僅かに痙攣してからピタリと動きを止めた。


「――ようやく死んだか。まだ警戒は解くなよ、首を落とすまで油断するな!」


「ハッ!」


 兵士達は一瞬気が緩んだようだが、背中に投げかけられたホンフレイの言葉に、再び背筋を伸ばして燃える化物を盾越しに睨みつける。

 そんな中、私は輪の外に運び出されたゴルウェの下へと駆け寄っていた。


「彼は――!?」


 兜は叩きつけられた衝撃で外れ、破損した鎧は口から流れる血に汚れている。

 私にはそれが致命傷に見えた。あれだけの力をぶつけられたのだから、体の中がぐちゃぐちゃになっていてもおかしくないと。

 だというのに、ノイシュタットは咳き込みながらだが、ゆっくり身体を起こして見せた。


「騎士様……ごほっ……奴は?」


「ちょ、ちょっと! 動いちゃだめよ!」


「なぁに、あの化物も思ったほどではありませんでした。ケットに本気で殴られたのと大差がない」


 そう言って老兵は笑う。普通キメラリア・ケットに本気で殴られれば、ただの人間は中々の重症を負うものだが、ゴルウェにとっては大したことではないのだろう。

 しかし、私は老兵の傷よりも、小札が千切れたラメラーアーマーの下に見えた身体に驚いた。多くの古傷が残るそこには、薄い動物のような毛を持つ肌が覗いていたのだから。

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