第61話 安全意識

 ガラガラガシャンとキャタピラが揺れる。運転するのは金紗の髪の少女。

 その隣には骸骨が壁から生えた小さな椅子に座り、右を見ろ左を見ろ、加速減速ハンドルの取り回しと、細かく指示を出していた。

 その口には赤く灯をともす煙草が咥えられ、立ち上る煙はシューニャの頭上で開け放たれたハッチから中空へ消えていく。

 最初はダマルが副流煙を気にして吸わなかったのだが、自身も負い目を感じていると言ってシューニャがダマルからアークライターを受け取って火をつけたことから、骨は上機嫌に紫煙をくゆらせていた。

 とはいえ上機嫌であっても煙草への不満は変わらないらしく、吸い込むたびに一瞬固まっては唸り声をあげる。


「雰囲気はいいんだけどよ、やっぱ不味ぃわコレ……」


「それしかなかったんだ。許してくれよ」


 舌もないのにどうやって味を感じていて、どこに消えて行っているのかは謎だが、少なくとも現代煙草は骨の口に合わなかったらしい。

 だからと言って煙草が何種類も売られているはずもなく、あったとしても僕にその味はわからないので選びようもないのだが。


「まぁ、事情はわかったから別にいーんだけどよ」


 そう言ってダマルは煙草を灰皿代わりにしていた軍用食の空き缶で揉み消すと、ふぅと大きく息を吐いた。

 あまり思い出したくはない事故の後、僕らは結局酒場で一泊させてもらったのだ。

 中年女性店員曰く、夜はヘルフの活動が活発だから出ていかない方がいい、とのことで、しかも宿泊費はタダでいいと言われては断る理由もなかった。

 その理由を聞けば、アポロニアが語ったで店が儲かったから、だとか。

 流石にそこまで言われては興味沸いて、本人に内容を教えて欲しいと僕は聞いたのだが、何故か真顔で首を千切れんばかりの勢いで横に振って断られた。


 ――英雄譚だと聞いたが、どんなものだったんだろうな。


 そう思えども、語り部たるアポロニアは車体後部でファティマに発情制御のやり方を熱心に教えているため、改めて聞くこともできない。

 さっきも少し覗いただけで、男子禁制ッス、と言って頭を噛まれた挙句運転席側に追いやられてしまった。加えて、それ以後1歩でも後退しようとすれば唸り声が飛んでくるので、ダマルと2人でシューニャの運転教習に集中している。

 ちなみにダマルが水を飲もうと後ろに行った際は頭蓋骨をもぎ取られて投げ返され、慌てふためく胴体に水筒を握らされて押し返されるという一種の刑罰を受けていた。


「キメラリアってのも大変なんだなァ、男もそうだったら変態が大量生産だぜ?」


「男のキメラリアも発情する。それが普通」


「マジかよ……いや、男なんて人間でも年中発情期みたいなもんだよな!」


 生殖器官すら存在しないカルシウム生命体に言われても困るが、下ネタを連呼するような同僚もそこそこ居たので一様に否定もしづらい。

 しかし僕より先にシューニャがその言を一蹴した。


「ダマルに限定した内容を一般論というのは無理がある」


「馬鹿野郎! 俺みたいな紳士はそう居ねぇぞ!? なんせ女に手を出すことがこの骨ボディじゃできねぇんだからな! このムッツリ君よりよっぽど人畜無害だぜ」


 シューニャの評価にダマルが全力で抵抗したが、彼女はその様子をチラと一瞥するとふぅと息を吐いて無言を貫いた。

 侮蔑が込められた光のない視線は、完全に糞に沸く蛆を見るものである。それに対し色欲骸骨は下顎骨を中途に落としたまま、頭蓋骨だけで僕の方を向いた。


「このチンチクリンに冗談を理解する柔軟さを教えてやってくれ」


「面の皮が厚い骨だな君は。人をムッツリ呼ばわりして言うことかい」


「お前は俺の面に皮膚があるように見えんのかよ?」


「顎と頭を鉄条ワイヤーで固定されたくなかったら黙っててくれ」


 ノリの悪い奴だとため息をついてダマルは正面モニターに視線を戻す。

 ただでさえ先日の一件からシューニャの視線が痛いというのに、これ以上そういう話題で刺激しないでほしい物だ。

 昨晩僕にかけられた嫌疑は、ファティマを襲おうとしたのではないかというものだった。

 宿の一室でシューニャとアポロニアを前に正座させられた僕は、長時間周囲をぐるぐる回り続けられる呪術的自白強要を受けている。

 それでも一切が冤罪であると叫び続ければ、ついにアポロニアが根負けした。

 最後には猫がそんなにいいッスか!? などと訳の分からないことを叫びながら後頭部に噛みつくという実力行使に出たものの、これにはシューニャからストップがかかり、結果僕の無罪主張が全面的に認められたのである。

 しかし無罪放免というのは表だけであり、玉匣公安委員会の重点監視対象に指定されたらしく、僕は普段以上に言動に気を付ける必要が生じていた。

 特にファティマと会話をしていると、背中に刺々しい視線があからさまに突き刺さってくるのだからたまらない。


 ――我が家に居るのに胃が痛いってのは、洒落にならないなァ。


 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 とはいえ、血縁関係にない年頃の女性が3人も居れば、苦労もあって当然と僕は諦め気味にため息をついた。


「キョウイチ」


「ハッ!」


 シューニャの声で思考の海から引きずり出された意識が、反射的に軍隊式の返答を口から吐き出す。それを叱る人間も居ないというのに、訓練を覚えている身体はご丁寧に踵を揃えて両腕を胴体にびっちりと揃えるところまでやってのけていた。


「……どうしたの?」


「な、なんでもありません」


 一度そうと意識した言葉が中々緩まない僕に、シューニャは少しの間をおいて彼女はゆっくり玉匣を停車させると、こちらへ身体ごと向き直る。


「キョウイチ、普通に喋って」


「これが自分にとって普通――」


 で、あります。

 そんな言葉が出るよりも早く、視線を鋭くしたシューニャは小さな両手が伸び僕の両頬を掴むと、それを左右へと引っ張った。

 隣でダマルが笑いを堪えて震えていたのは、見なかったことにしようと思う。


「普通に、喋って」


「いふぁいいふぁいいふぁい」


 炸裂音が鳴りそうな勢いで頬が離される。ジンジン疼くような痛みが残されたが、そんなものより見上げてくる瞳の方が数段恐ろしい。

 おかげで、信じてくれないのが原因ですよ、とは口が裂けても言えそうもなく、結果ハハハと乾いた笑いで逃げる。

 けれどシューニャはそれを許さず、今度は胸元を掴んで迫った。その迫力にひぃと悲鳴が出る。


「急によそよそしいのは怪しい。何かやましいことでも、ある?」


「ないないないない」


「じゃあ普段通りにして……流石にちょっと、寂しい」


 途中まで表情が変わらないというのに伝わるほど凄まじい気迫で来たかと思えば、最後にしゅんと視線を落とした。

 こうハッキリ言われては流石に言い訳も引っ込む。


「あぁ、いや……すまない」


「ん。別に怒ってないから」


 それに満足したのか、シューニャは小さく頷いて外部モニターに映る黒い森を指さした。


「この先の森を抜ければ最短ルートでユライアランドに出られる。王都ユライアシティもすぐ」


「情報収集には人間が集まる場所とはいえ、やっぱりいきなり首都というのはその……大丈夫なのかい?」


 今まで都市はおろか町にも立ち寄ったことのない身としては不安が先に立つ。バックサイドサークルのように雑多な種族が行き交う場所ならいざ知らず、普通の人々が根を下ろして暮らす場所に向かうことにはまだ抵抗があった。

 そして何より玉匣をどうするかだ。今までのように丸1日程度空けるだけならダマルに留守番を頼めるが、広い都市で情報収集が一筋縄でいかない可能性は高い。

 長丁場になれば骸骨だけを待たせるのは申し訳なく、それに加えて往来が多ければ多いほど玉匣が人目に付く可能性は増え、様々な大混乱を巻き起こしかねないというリスクも高まる。

 あの酒場でテクニカの情報が欠片も見つけられなかったことが原因だとは言え、シューニャは一切リスクを理解した上で王都行きを進言したのだ。


「タマクシゲの隠し場所に関しては、提案がある」


 だからか、彼女は少しだけ声を明るくして言う。

 装甲マキナ支援車シャルトルズは、マキナを搭載する簡易基地としての性格から、かなり大型の戦闘車両だ。

 それを隠せるようなスペースがあるとすれば、洞や窪地のように自然に形成された場所くらいしか思いつかないため、試すと言われて僕が首を傾げるとシューニャは流れるように説明を口にした。


「ユライアシティの外れにある、唯一私が知っているまともな遺跡。真銀の道具でも攻城槌でも壊せない巨大な扉と壁に覆われていて、まだ誰も中に入った事がない場所」


「へぇ……おあつらえ向きじゃないか」


 ただでさえ目指すべきは遺跡なのだ。それも人の手が入っていないならば、期待も膨らむ。

 しかし、いい話ばかりではないとシューニャは首を振った。


「ただ、近づいた者が1日経つと消えてしまって誰も帰ってこないから、呪われた場所として危険視されている。少なくとも王国人は絶対に近づかない」


「なんだそりゃ、B級パニック映画の最初かよ。どっかの馬鹿がなんかの拍子に開けちまって、中から化物の群れとか太古に封じられた邪神が出てきて、最後は世界が滅ぶパターンか?」


 ダマルはカカカと笑う。

 しかし消滅というのは不可解だ。獣や野盗に襲われたとすれば、何かしら痕跡が残っていて普通なのだから。


「そこには何の痕跡も残っていないのかい?」


「死体どころか血痕や肉片も見つからないらしい。ただ訪れた者が使っていた道具などが放置されているのを


「まさか――君は、そこ行ったことが?」


 コクンと頷くシューニャ。

 おかげで突然背筋が冷たくなった。


「それはコレクタの仕事で、とか?」


「違う。王都のコレクタに居た頃はまだ集団コレクタだったし、時間の自由が効いたから、仕事のない日に1人で調べに行っ――何?」


 シューニャがキョトンとするのもむべなるかな。

 僕は余程渋い顔をしていただろうし、こめかみをきつく押さえなければならず、なんとすれば昨日から続いている怯えやらの感情も一切合切吹き飛んでいた。


「なんて危険なことを……」


 普段より低く落ちた声に、小柄な体がピクリと震える。


「わ、私は遠巻きに確認しただけ。肉食獣が近くに出たりする話もなかったから、見るだけなら大丈夫だと」


「だとしたら、考えが甘すぎる」


 知識欲があるのは大いに結構であり、それを否定するつもりは毛頭ない。

 だが、それは一定の安全があっての話だ。ミクスチャの件では涙を溜めてまで自分を止めようとしてくれた少女の行動とは思えず、僕は膝を折ってシューニャと視線を合わせた。


「僕らの時代にあった物がどんな危険を孕むか、君は理解していないだろう。分かっているなら、人が消えたと噂されるような場所には、安易に近付けないはずだ」


 うっ、と彼女は言葉に詰まった。

 人間が1人でできることなどたかが知れている。それはマキナという武器を用いたとしても同じことで、ミクスチャ相手に1人で挑んでいたならば仮にミクスチャを倒せたとしても僕がバックサイドサークルに帰る事はなかっただろう。

 それどころか玉匣で安穏と行動すること自体が夢のまた夢だ。

 単独行動の危険性については、聡いシューニャが理解していないはずもない。だというのにそれを蔑ろにしたことを、僕は怒っていた。


「王都までは遠くないから、何かあっても逃げ切れると思って……見積りが甘かったのは認める、けど」


「君の好奇心を否定するつもりは無い。だが、何事も命あっての物種だ。違うかい?」


「それは――そう」


 そう言って彼女は肩を落とした。

 ダマルは隣で一切声を出さず、後ろから僅かに聞こえていた話し声も消えている。

 僕自身も驚いていた。人を叱るなどほとんどしたことがないのに、いざ必要だと思えば咄嗟にそんな言葉が飛び出していたのだから。


「ともあれ、何事もなくて良かった。君が居なくては僕も困る」


「ぁ……ご、ごめんなさい」


「分かってくれたなら、それで十分だよ。まぁ、僕の言えたことではないかもしれないが」


 怖がらせたかな、とキャスケット越しに頭を撫でれば、シューニャは平気と言って小さく頷く。

 なんとなく視線を感じる気がして振り返ってみれば、いつの間にか背後からファティマとアポロニアの頭が覗いている。まるで竜巻が過ぎ去る様子を遠巻きに見守っているかのようで、目が合った途端にわたわたと寝台の方へ逃げて行った。

 それに僕が肩を竦めると、タイミングを見計らっていたのか、ダマルがカタカタと骨を鳴らす。


「んで? 結局どーすんだよ」


「あぁ、とりあえずその遺跡とやらに行ってみよう。人が消えるとなれば、僕らの時代の産物で間違いないだろうし」


「ったく、女には優しくしろよ? 嫌われちまうぜ」


 常に紳士であるべし、とダマルは胸を張る。僕はそうあることの難しさを感じて苦笑を漏らした。


「元々好かれるタイプでもないから、なんとも――」


「あ゛?」


 そう言った途端、骸骨はギリギリと骨を軋ませながら、まるでオートマタのような動きでこちらへ向き直る。

 暗い眼孔からは感情を読み取れないが、地の底から響くような声には明らかに怒りが込められていた。


「恭一、とりあえず1回思いっきり殴らせろ。お喋りはそれからだ」

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