第88話 無理難題

 王宮とは見た目ほど美しい場所ではない。

 ここに住まう王侯貴族は肥沃なユライアランドを占有し、女王陛下のお膝下で権力闘争と権謀術数に腐心する連中が大概であり、自分のような田舎子爵の1人娘など庶民と大差がつかないだろう。

 権力欲が強く家名を上げようとする諸侯ならばいざしらず、トリシュナー子爵家の人間は直接お呼びがかかりでもしなければ近づかない。まず北方の外れを所領とする子爵家は領地運営に忙しく、中央で何が起きていようが気にしている余裕などないのだ。

 だというのに私は、空席の玉座を前にして直立不動を貫いている。同じ田舎貴族のジークルーンも居心地が悪いらしく、普段から縮こまっている体を更に小さくして私の後ろに控えていた。

 ヴィンターツール男爵家とは小さな領地同士で隣接していることもあって、昔から家族ぐるみで懇意にしてきた仲だ。私より1つ年上のジークルーンとも、幼いころからよく遊んでいたことを覚えている。それがまさか、2人揃って玉座の前に立つことがあるとは思いもしなかったが。

 田舎貴族丸出しで緊張する私と委縮するジークルーンに比べて、ガーラットとエデュアルトは堂々としたものだ。彼らはチェサピーク伯爵家の現当主と次期当主であり、王国中央でも一目置かれる存在である以上当然とも言える。

 チェサピーク伯爵家は領地を持たない。その代わりに王家直轄軍の軍事裁量権を女王陛下から直々に与えられるという信望の強さを誇り、戦時においての発言力は王族であっても捻じ伏せられるほど大きくなっている。そしてガーラットは大老という立場も兼任しており、宰相と共に女王陛下への直接発言を許される特権階級でもあった。

 その息子、エデュアルトもまた武勇に優れた傑物であり、親の七光りと揶揄する連中も彼を前には視線を逸らすしかない。

 彼らが先導してくれたからこそ、不快な視線に晒される中でも、私はこの場を逃げ出さずに済んでいた。

 ややあって太鼓の音が響き渡り、全員が一様に膝をついて首を垂れる。自分たちも不慣れとはいえ、この一連の動きだけは最早本能と言っていい。


「面を上げてください」


「ハッ」


 鈴を転がすような声にガーラットが返事を返せば、皆一様にゆっくりと顔を上げる。

 広がった視界の先におわすのは、高貴な者たちの中でも群を抜いて力を持つ女性。凛とした表情で玉座に座る、ユライア王国現女王陛下エルフリィナ・レルナント・アルヴェーグ4世である。

 美しい刺繍が施された濃紺のドレスを身に纏い、薄緑色の長い髪を結い上げた姿は神々しい。切れ長の目と美しい白い肌は、王国女性の憧れですらあった。


「ガーラット、此度の戦ご苦労様でした」


「勿体なきお言葉」


 女王陛下はゆっくりと立ち上がって、再び恭しく頭を下げた老将へと歩み寄る。

 その柔和な視線は自分に向けられておらずとも、為政者から発される圧力に私の身体は石のように固まっていた。


「さてガーラット、諸将を連れて戻り戦勝行進もそこそこに、余に直接謁見を申し出るなんてどういう風の吹き回しでしょう? そも其方は前線に残り、エデュアルトだけが戻ると思っていましたが」


 我が師は女王陛下に行動パターンを読まれていた。王宮の中でどういう振舞をしていればそうなるのかはわからないが、恐る恐るガーラットを覗き見れば一切動じた様子もないことからいつものことなのだろう。


「恐れながら。我が弟子が至急陛下のお耳に入れたい情報を掴みました故、急ぎ帰参した次第にございます」


「まぁ、其方の溺愛するトリシュナーの娘ですね?」


 緊張に冷や汗が頬を伝う。

 大体予想はしていたが、ガーラットの行動パターンが読めるということは、自分の情報もほぼ筒抜けだということだ。ただでさえ私の自慢話を吹聴するのが趣味かのようなガーラットである。それがまさか女王陛下の耳にまで届いているとは、ここに来るまで露ほども思わなかったが。


「聞きましょう。マオリィネ?」


「は、はい!」


 ガーラットが説明してくれるのかと思えば、女王陛下はゆっくりとこちらへ向き直った。無論私は助けを求めたい気持ちで一杯だったが、名指しされた以上、誰かが代わることはできない。

 必死で落ち着けと息を整え、意を決して私は口を開く。


「私が警戒隊を率いて、帝国軍の橋頭堡を襲撃した時のことです」


 喉はカラカラだったが、一度話し始めてしまえば言葉はスラスラと出てくる。その1つ1つが不敬にならないかが不安でしょうがなかったが、先の戦いをありのまま全て伝えれば女王陛下は頷きながら聞いていた。

 そしてこちらが話し終えた途端に悩まし気なため息をつかれ、同じ女性でありながら私は心臓が高鳴ったのを感じる。男ならばこの美貌に落ちぬ者など居ないのではないだろうか。


「喋る青いリビングメイルに助けられた、と。挙句そのリビングメイルはかの猛将スヴェンソンを討ち取り、其方の要請に応じて帝国軍兵士を撃滅――ガーラット、どう思います?」


「事実でしょうな。マオリィネは剣の才に恵まれてはおりますが、スヴェンソンを討ち取るには未だ経験が浅い。そして某も両断されたスヴェンソンの亡骸を見ましたが、傷口が焼け爛れていることから光る剣というのも真でしょう。カーネリアン・ナイトの用いた、光の矢に類する武器かと愚考する次第ですが」


「であれば、探し出すべきでしょうね。俄かには信じがたいですが、言葉を解すのならば交渉も可能でしょう」


 そう言いながら女王陛下はゆっくりと私に近づき、ぴたりと正面で足を止めた。


「マオリィネ・トリシュナー、我が名を持って命じます。今よりひと時警戒隊隊長の任を解き、件のリビングメイルを捜し出しなさい。策は問いません、それをこの場へ連れ戻ってみせよ」


 到底不可能な命令に私は声を失った。しかし勅命である以上、無理だとも言うことも許されない。

 こうなることが予想できていたのか、ガーラットは小さく頷くだけで手を差し伸べてもくれず、エデュアルトはまるで夢見る少年のような瞳を向けてくる。

 結局、自分に許された言葉は1種類だけだ。


「――謹んで、拝命いたします。必ずやこの場まで、青いリビングメイルを連れて参りましょう」


「期待していますよ」


 胃が締まる。しばらく胃痛と友達になることは必至だった。



 ■



「無理無理無理無理、ぜーったい無理ぃ!」


 椅子に座ったままバンバンと両手で机を叩き、踵で床をドンドンと叩いていた。

 駄々っ子のような私の様子を見かねたジークルーンが、そっと紅茶を置いて苦笑する。彼女の紅茶は美味しいが、これを飲んだからと言って私の苦境は解決しない。

 しかも隣に座るガーラットはフハハと笑って余裕綽々なのだ。睨みつけたくもなる。


「ガーラット様が言えば良かったじゃないですか! なんで私が……」


「これを成功させればマオリィネの名は王国内に轟くだろう! そうすればトリシュナー家の爵位も上がり、吾輩も鼻が高いと誰もが幸せになるいい作戦ではないか!」


 何がいい作戦なのか。そもそも成功する気が微塵もしない。

 あの時は友軍だと思い込んでいたこともあって、咄嗟に強気に出ることもできた。だが言葉が通じるだけの野良を相手に、もう一度迫れるかと言われればどう考えても不可能である。

 相手は数百人の大軍を瞬く間に蹴散らし、スヴェンソンすら歯牙にもかけない化物だ。力ずくで敵うわけもなく、だからと言って交渉するにしても、喋るリビングメイルが求めるものなど想像もつかない。

 この段階で既に八方塞がりだというのに、さもいいことをしたと言いたげなガーラットには流石に腹が立つ。色々と世話を焼いてもらっておいてなんだが、八つ当たりくらいは許されるだろう私はその呪文を小さく呟いた。


「チェサピーク卿……今日からは立場の違いをはっきりとさせていただきます」


 途端に笑顔のままでガーラットが石化する。

 その様子にジークルーンも、あぁ、と小さく声を漏らして苦笑を強めた。


「ま、まお、マオリィネ……ガーラットおじさんと呼んでく――」


「チェサピーク卿、私は卿を師と仰いでいるのであって、と気安くお呼びしていては周囲に示しがつきません。それに今回の任に関しては、どう考えても卿の独断と偏見に基づく無謀な決定ではありませんか?」


 語尾を強めた私に、カイゼル髭の初老が色を失って膝から崩れ落ちる。だがこの程度で許していては勅命という凄まじい重みの任務には吊り合わない。


「というわけで、これからはちゃんと卿とお呼びするとともに、必要があれば私から出向きますのでしばらく近づかないでください」


「ま、マオリィネ様、流石にお可哀想では」


「いーえジークルーン、チェサピーク卿にはしっかり反省してもらわなければなりません。身の丈に合わないことをすれば、私だけじゃなくて家名、ひいては王国そのものに大きな損失を与えることになるかもしれないのよ? それを誰もが幸せになれるなんてよく言うわ!」


 言い切った途端、ガーラットはその場で横倒しになり、白眼を剥いて口から泡を吐いた。

 その姿に女王陛下と謁見した際の威風堂々たる様は微塵も感じられない。それどころか酒場の酔っ払い浮浪者のようにさえ見える。水たまりを作るほど涙を流し、鼻からは魂魄がこんにちはしていた。

 ただ一切同情の余地なしと、私はそれを無視して紅茶を飲み干し、椅子を蹴って立ち上がる。


「それではチェサピーク卿、私も自分の務めを果たしてまいります。ジークルーン、行くわよ」


 倒れたガーラットの脇を抜けてチェサピーク宅から外へ出れば、ジークルーンも慌てて追いかけてくる。今回の任務について、彼女も目撃者であることから同行するようにと勅命が下っていた。

 気心の知れたジークルーンがついてくれるのはありがたいが、それでも非常に難しい任務であることに変わりはない。外の風にあたってもその考えは重く暗いままだった。


「マオリィネ様……その、どこに行くんですか?」


「部隊の外だしマオでいいわよジーク。とりあえずご飯にしましょ、お昼だし平民街の方なら何か食べられるでしょう」


「う、うん」


 相変わらず年上とは思えないジークに苦笑しながら貴族街を出れば、一気に雑多な人々が行き交う平民街の広場に行き当たる。

 田舎貴族とはいえ白昼堂々平民街を歩けば目立つのだが、それでも王都在住の者でないとわかれば平民たちは多少道を譲る程度でこちらに関心を持たない。逆に王都在住の貴族が歩けばハッキリわかるほどに道を開けて注意を払う。それは特権階級から目をつけられれば、とんでもない刑罰を受けかねないことを理解しているからだ。

 おかげで自分としては、妙な警戒感も抱かれなければさりとて絡まれることもないため、なにかと非常にありがたかったりするのだが。

 そうして馬車もなしに道を歩いて目抜き通りから街路に進めば、王都に来れば立ち寄るようにしている店に着いた。どこからか金属が打ち合うような音が響いているのが少々気になったが、それ以外はいつも通りの佇まいに安心する。

 明らかに貴族が来る店ではない雰囲気で、入口の扉も建付けが悪く重たい。それを無理矢理引いて開けば、中からピナフォアドレス姿の少女が赤いリボンを揺らしながらパタパタと駆けてくる。


「いらっしゃいま―――あ、マオリィネ様! ジークルーン様も!」


「お久しぶりねヤスミン、また大きくなったかしら?」


「ヤスミンちゃん、ご無沙汰してますぅ。わしゃわしゃー」


 子供好きなジークルーンが癖のないアッシュの髪を撫でれば、えへへとヤスミンは笑う。私も子供は嫌いではなく、この夜鳴鳥亭の看板娘は愛らしいと感じていた。

 しかしその店内は相変わらずあまり繁盛していない。理由は至極単純なのだが、その理由が故に私はここを気に入っているので、カウンターの向こうで頭を下げるハイスラーには苦笑を投げかける他なかった。


「いつもこんな店に足を運んでいただいてありがとうございますマオリィネ様」


「私が好きで来ているのだから気にすることはないわ、ハイスラー。この様子だとまだコレクタユニオンは閑古鳥かしら?」


 この店は宿を兼用する平民街の中では珍しく、キメラリアを積極的に受け入れる姿勢を取っている。であれば基本的にその利用客のほとんどはコレクタに所属する人間ということになり、普通の旅人や庶民は中々寄り付かない。

 だがその料金設定や宿の質を考えれば、そこらの集団コレクタには少々荷が重いのだ。ただでさえ無頼漢の集まりでしかない彼らは好んで安宿を利用する傾向が強く、夜鳴鳥亭は地域最安とは言えない立場にあった。

 されど薄利多売にするには立地が良すぎることと、建物の規模が小さいことが枷となり、さりとて場所を移すほどの余裕もない。常連に支えられているとハイスラーは笑いながら語るが、現実はとても楽観視できるようなものではなかった。

 それでも稀に経営が大きく良化するタイミングがある。それが各地を巡る組織コレクタの来訪だ。

 多くの人間を抱えて行動する上に懐事情に余裕があり、かつ必ず1人以上のリベレイタを雇っている。必然的にこの宿を利用する条件がそろった特別な存在だ。それこそ、コレクタユニオンは閑古鳥か、と問うた理由でもある。

 閑散とした店内を見れば質問の意味などないようにも思えたが、しかしハイスラーはうーむと首を捻って不精髭を掻いた。


「組織コレクタはいらっしゃっているのですが、何と言いますか少々変わった方々でしてね」


「変わった? どういうことかしら?」


 言いながらカウンターに着けば、ハイスラーはいつもと同じように薄い葡萄酒を入れてくれる。

 ジークルーンはまだヤスミンと戯れていたが、彼女の分も隣に置かれていた。


「組織と言うには少人数で、女キメラリアが2人とブレインワーカーが1人に流れの騎士が1人、そして変わった槍を持った軽装の男リーダー……だというのに懐事情はやけに潤沢と言ったところでしょうか」


「たった5人ということ? それもその内2人がキメラリアなんて、あぁもしかしてそういう性癖だとか」


「それも違うようです。世の中のそういう連中なら複数で押さえつけて言うことを聞かせるものですが、無理矢理どうこうするということもなければ上等の外套を買い与えたりするほどで……」


「あら、聞く限り一番近いのは貴方じゃない。イエヴァにベタ惚れしたから店をこんなにしてるんでしょう?」


「これはしたり! しかし愛する妻を思えばこの程度!」


 ハイスラーが誇らしげに笑って見せれば、私はどこか懲罰中の恩師の姿と重なった気がして小さく肩を竦めた。

 この店主はキメラリアを差別しない人として大いに尊敬できる。だがその根幹たる愛妻家の側面には、どこかガーラットに通じる偏愛性が見え隠れして素直に褒められないのだ。

 キメラリアの地位向上は、チェサピーク伯爵家を旗頭としてトリシュナー子爵家やヴィンターツール男爵家の掲げる大切な指針だ。しかし大々的な法を国内に発布できるほどチェサピーク伯爵家は内政に強くはなく、他の2家は領民に浸透させることさえ難しい状況だった。

 そんな中でこのコッペル一家、特にハイスラーは強い共感を得られる珍しい人物変人として懇意にしているのだが。


「貴方みたいな変わり者が他にも居るなんて思わなかったわ。今も店に居るのかしら?」


「ええ、今は庭の方に」


 これには首を傾げた。

 組織コレクタがどういうスケジュールで動いているのかは知らないが、休暇にしてもこの昼間から庭で何かすることがあるとは思えない。

 まさか庭園で茶飲み話に耽るような貴族令嬢でもあるまいしと、席を立ってそっと庭に続く扉を開けてみればそこにはやはり不可解な光景が広がっていた。


「いだだだだだだ!?」


「相手が武器失くしても攻撃はできるんだから、油断しちゃダメだよ」


 不思議な恰好で腕を釣り上げられているアステリオンと、それをがっちりとホールドする黒髪の男。アステリオンの手元にはこの状況ができるまで持っていたのかククリ刀が転がっており、男の方は無手だが遠くに件の変わった槍が落ちている。


「あ、貴方! 今朝の!」


「はい?」


 静かに観察するつもりが咄嗟に声が出てしまった。

 同時に締められていたであろうアステリオンの腕が解放され、彼女がその腕を押さえながらゴロゴロと地面を転がっていく。

 凱旋の途中目についた。彼は驚愕する私に対し、呆然とした顔を向けていた。

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