第171話 貴族が抱えた珍問題

 王都の貴族街。

 ごきげんようなどと穏やかな挨拶を表で交わす連中が、水面下では権力と富と名声を求めて戦う複雑怪奇なデンジャーゾーンである。

 そんな中で、そのどれにも当てはまらない攻防をしている者が居た。


「ずぅぇぇぇぇぇぇったいに許さぬぞぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 夜な夜な空気を揺るがすような大音声が響き渡る。

 あまりにもそれが繰り返されるためか、夕闇が迫る時間になると人々はこの豪邸の前を通らなくなり、野生動物もここには近づかなくなった。

 本来ならば面子という貴族にとって重要な要件が傷ついている時点で、この地域に住む者ならば何らかの対応をして然るべきである。

 だが、声の主たる初老のカイゼル髭にとって、そんなことは二の次どころか、道に落ちた砂利以上にどうでもいい話だった。


「わっ、がっ、はっ、いっ、のぉ……っ! 可愛いマオリィネを、どこの木偶とも知れぬ男になんぞやれるかぁーっ!」


 口角泡を飛ばす。読んで字の如くである。

 それを正面から聞かされているのは、この状況が繰り返されて1週間近くになる当事者、マオリィネであった。


「ですから、ガーラット様。勅命なので私に選択肢なんてありませんよ」


「ぬぇえい! そのような輩になら、どこぞ適当な男爵家の娘でも嫁がせればよいのだ! 吾輩は断じて許さぬ、許さぬぞマオリィネ!」


 今のガーラットに正論は何の効果もない。なんせ同じ問答は既に嫌ほど繰り返されているのだから。

 その余りにもな醜態に、次期当主であるエデュアルトは大きな体を揺すり、ふぅとこれ見よがしにため息をついた。


「親父殿、あまり駄々をこねるものではありませんぞ」


「じゃぁかましい! そもそもお前がグダグダ言わず、マオリィネと婚姻を結んでおけばこんな事にはならなんだだろうが!」


 これにはいつも豪放磊落な彼も心底参った。

 というのも、まだマオリィネが5歳になったばかりの頃、ガーラットは一方的にエデュアルトとマオリィネの間に婚姻を結ばせようとしたことがあるのだ。

 有名伯爵家との婚姻は田舎貴族であるトリシュナー子爵家としても大きな価値があっただろう。しかしあまりに幼いマオリィネを嫁がせることなどできるはずがない。

 困り果てたマオリィネの父であるトリシュナー子爵は、婚姻相手であるエデュアルトに相談を持ち掛けた。

 その時彼は、他家の女性と交際関係にあったことを理由に抵抗し、ガーラットの手が回らぬうちに婚姻まで結び、挙句1年としない間に第一子を設けて見せたのである。

 結果、幼いマオリィネがいきなり嫁がされるという事態は防げたが、ガーラットはそのことを大いに根に持っていた。これでクローゼが当主になることを辞退しなければ、エデュアルトを勘当するつもりであったくらいには。

 しかし仮にガーラットの企みが成功していたとしても、そう都合よくはいかなかっただろう。

 それを常々エデュアルトは口にする。


「俺には幼子に手を出すような趣味はありません。むしろ存分に熟れたる果実にこそ興味をそそられるのです。何度も言っているでしょう?」


 ガッハッハと笑う彼はその言葉の通り、これ以上ない熟女好きであった。

 そのため、件の正妻もなんと歳の差20歳。自らの母より年上の女性を伴侶として選んでいる。

 それに対しマオリィネは苦笑を浮かべ、ガーラットはやはり烈火の如く叫び散らした。


「お前の性癖なんぞ知るかぁー! くそ、どこかに適当な娘でも――ヴィンターツールの娘はどうだ!? お前と懇意にしておったろう!」


「ジークが勅命の間に割って入ることなんて、できるわけないじゃないですか。ガーラット様、そろそろ私も本気で怒りますよ」


 親友であるジークルーンの名を出され、マオリィネはムッと眉を寄せる。

 そこにあったのは、友を自らの身代わりになど絶対にしたくないという思いと、そもそもアマミ・キョウイチという人物に好意を寄せている身として、それを誰かに譲りたくないという意志だった。

 それを全く汲み取れないガーラットは、ひたすらに机を叩いて叫ぶ。


「なんと言われようとならぬものはならぬ! そも、子爵家の者を庶民風情が娶るなど、あり得ぬ話ではないかッ!」


「はいはい、聞き飽きました。エデュアルト、悪いのだけれどそろそろ寝るわ」


「うむ。父上の相手は、俺がしておこう」


 マオリィネはこれ以上の対話は無駄だと、今日もまた席を立つ。その様子に、エデュアルトはやや同情的な視線を向けていた。

 頭に血が上り絶対にならぬと叫び続けるガーラットを尻目に、マオリィネは2階の客間に戻ってため息をつく。

 最初はガーラットになんとかわかってもらおうと努力はした。だが、大恩ある師はそれを一向に認めようとせず、あまつさえ勅命を誰かになすりつけようとまで考えている。

 寝台に腰を下ろした彼女は、その醜態に心底ウンザリしていた。


「ホント……そろそろなんとかしないと。このままじゃキョウイチを見張るっていう勅命も果たせなくなる」


 本来ならばすぐにでも勅命通り、彼を見張るという目的で新居に移動するべきなのだろう。

 だが、それを阻止せんとするガーラットは、チェサピーク家の私兵を使いマオリィネの行動を監視させていた。

 事実上王都に幽閉された状態の彼女は、今日も月明かりを眺めながら解決の糸口を考える。

 そんな中、客間の扉を叩く者があった。


「マオリィネ、まだ起きていますか」


 珍しいこともある、とマオリィネは目を丸くした。

 普段は自分用の別宅で過ごし、滅多な事が無いとこの場所に居ないはずの男が、薄く開けた扉の向こうに立っていたのである。


「クローゼ? 貴方が本家に戻ってるなんてどういう風の吹き回し?」


「兄上が父上を押さえている間に、少々耳に入れたい話があったので」


 クローゼの重い言葉遣いに、マオリィネは小さく唾を呑んだ。


「何よ……キメラリアに関する厄介事?」


「いえ、ただ貴女にとっては重要な話だと思いますよ。これを」


 そう言って彼が手渡したのは、特徴的な筆跡で書かれた1枚の手紙だった。

 最後に記載されているサインも含め、マオリィネが見紛うはずもない。


「ウィラミットから? 珍しいわね」


「確かに渡しましたよ。それは読んだら、持って逃げるか焼き捨てなさい」


 用件だけ伝えると、クローゼは素早く部屋から退出していく。それは彼なりのガーラット対策だったのだろう。

 やけに厳重な機密保持の方法を伝えられ、マオリィネは一体何がと小さなランプを頼りに手紙を読み始めた。

 それも数行読んだ時点で十分に理解できたが。


「嘘……キョウイチが王都に?」


 驚きの事態に、危うく手紙を取り落としかける。

 それに続けてウィラミットの文字は、明日までは確実に滞在しており接触するなら今夜しかないと告げていた。

 突如訪れた千載一遇の好機に、マオリィネは急ぎ愛用している漆黒のバトルドレスを身に纏うと、腰にサーベルだけを帯びて窓を開け放つ。

 旅装が恭一と行動する上では全く必要がないことを、彼女は良く知っている。ならば身軽な方がいい。


「ごめんなさいガーラット様。でも、これが勅命で、私の大事な目標なのよ」


 そう言って扉へ向かって頭を下げると、マオリィネは屋根伝いにチェサピーク家から闇へ姿をくらませる。

 ガーラットの耳に彼女が消えたことが伝えられたのは、幾ばくかの時間が経ってからだった。



 ■



「おいコラ相棒てめぇ。何を優雅にこんなとこで珈琲啜ってやがる」


 僕が夜鳴鳥亭の中庭から月を眺めていると、それを遮って金属製の兜が視界一杯に広がった。


「いいじゃないか……僕ぁ疲れた」


 ハイスラーたちの誤解を解くことに成功し、この身が解放されるまで、かなりの時間を要した。

 それには娘を溺愛する父親が落胆するのを慰めたり、どこか寂し気な顔をする少女の御機嫌を取ったりする作業時間も含まれている。

 だが、ダマルは僕の疲労を一笑に付した。


「自業自得だろうが。まさかヤスミンまで手にかけるつもりか?」


「そんなわけないだろう。ポラリスと同い年なんだぞ」


「だがポラリスには執心じゃねぇか。わざわざ友達作りを手伝ってやるくらいだ」


「あれは親心と罪滅ぼしみたいなものだよ」


 10歳そこらの少女に何を抱けと言うのだろう。

 ポラリスに関してはストリの影が重なることもあって何かと気を焼いてはいるが、恋愛感情とはとても結びついていない。

 強いていうなれば、シューニャ達に感じるものよりも強い父性だろうか。

 それでも骸骨は煙草の火をつけながら、どうだかと続けた。


「お前、未来の旦那様なんだろう?」


「何だい随分突っかかるね」


「カッ、そりゃあんだけ面倒くさい野次馬の相手させられたんだ。愚痴ぐらい言わせてもらうぜ」


 あぁ、と僕は額を押さえた。

 外の状況は店を閉めに行ったヤスミンから聞かされている。途轍もない人だかりと謎の自己PR大会が発生し、アマミ・コレクタに入れてくれと宣うキメラリアが後を絶たなかったと言うのだ。

 それはシューニャやダマルの努力で無事納められたというのだが、それでも明日を想像すると気が滅入る。

 しかし、その遠因が自分の不注意な発言であったことを思えば、ダマル相手に頭を下げない訳にはいかなかった。


「あぁ悪かったよ。今後気を付ける」


「期待はしねぇけどな。それで? 疲れてんならなんでサッサと寝ないんだよ」


「いや……なんだか今日は眼が冴えててね。こう、嫌な予感じゃないんだが、何か起こりそうな気がして」


 僕は第六感的な部分をそれなりに信頼していた。これは戦場で何度も命を救われたことに起因しているのだが、理屈で説明することが難しく、結局僕はコーヒーを啜って適当に誤魔化してしまう。


「なんだそりゃ。高校生のガキが深夜徘徊する理由みてぇだな」


「そういうのやってた口かい?」


 馬鹿にしたような口調で話すダマルにカマをかけてみれば、骨は煙草の煙にむせ返りながら、待て待てと手を振った。


「俺の過去に触れるのはやめとけ。その辺は要封印なんだからよ。それになぁ、勘なんざ当たるわけもな――」


「やっぱりここに居た! キョウイチ!」


 突如揺れた草陰の向こう。高い塀に仕切られているはずの中庭の奥から、胸騒ぎの原因らしき人物は現れた。

 黒い闇の中で琥珀色の目だけがハッキリと光る。それは紛れもなく、つい1ヶ月前まで行動を共にしていた貴族様だった。


「……お前の勘って案外馬鹿にならねぇのなぁ」


「僕も驚いてるよ」


 ポロリと煙草の灰を落としながらダマルは感嘆し、僕はいやいやとそれに首を振る。

 だが、何度目を擦っても彼女の姿は消えず、長い髪をさらりと振り払う仕草に疑うことすら馬鹿らしくなった。


「あー、マオ? こんな夜中に何してるんだい」


「色々あってね、それも今回はとびっきり面倒かも」


 髪やら服やらについた木の葉を払いながら、マオリィネは困ったように笑う。

 それを聞いた骸骨騎士は、露骨に嫌そうな声を出した。


「自分から厄介事の持ち込み宣言してんじゃねぇよ」


「正直に言わないよりはいいでしょ。それより、ちょっと匿ってくれない?」


 言いながら彼女は静かに歩み寄ってくる。

 周囲を警戒しているのか、普段以上に足音と気配に気を使っているらしい。

 それも含めた不穏な単語に、僕もダマルと同じ気持ちになった。


「あー……匿うって、何から?」


「私の剣の師と、その私兵たちからよ」


 これまたとんでもない発言が飛び出してくる。

 なんせ自分の記憶違いでなければ、マオリィネの剣の師匠と言えばクローゼの父親に当たる人物だったはずだ。それはつまり、上級貴族様ということになる。

 僕にはマオリィネが起こした問題が、とても厄介事などという簡単な単語で片付けられていい物ではないような気がして、これまた大きなため息をついた。


「君、一体何したらそんなのに追われる身になるんだい」


「詳しくは部屋で話すから。ほら早く!」


「相変わらずこういう時は強引だなぁ」


 ぐいぐいと腕を引いてくる彼女に、初めて出会ったときに有無を言わさぬ圧力で押し負けた光景が重なり、僕は軽く目を逸らしながら乾いた笑いを漏らす。

 だが、それが思いのほか効いたらしく、彼女は急激に力を失ってその場にへたり込んだ。


「こ、これでも迷惑かけてる自覚はあるんだから許してよぉ! それとも、ここで泣けばいいの!?」


 その言葉はどうやら本気らしい。

 月光の下で瞳を潤ませられては、自覚がある分余計に酷いという皮肉も喉の奥へ引っ込み、僕はすぐに両手を挙げて降参した。


「わかったわかった僕の負けだよ。ダマル、皆を起こしておいてくれ」


「へいへい」


 王都に来たことで起こり始めた問題に、こんなことならポロムルで買い出しをするべきだったと、僕は心の底から思ったのである。

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