第287話 ゼファーの手を取って

 毛長牛ボスルスに牽かれた獣車の群れが、要塞門手前の広場に整列していた。

 先頭には捕虜であるはずのラルマンジャ・シロフスキが堂々と座り、幌の中には護衛を装ったコレクタたちが控えている。

 王国の正規兵たちと比べて彼らの装備は雑多であることから、偽装商隊と称するには万全な態勢であろう。後方に連なる獣車の中には、実際に食料や予備の武器などを積んでいるものも多く、これを傍目から反帝国連合軍の部隊と判断することは容易ではない。

 ただ、それらを指揮することになったマルコは、表情の分かりにくい犬面を妙に強張らせていたが。


「おいアポロニア、お前英雄様に余計なこと吹き込んだだろ」


「なぁんの事ッスかぁ?」


「しらばっくれんな。そこまで俺にアルキエルモで戦わせたくないか?」


 せっかく朝っぱらから見送りに来てやったと言うのに、長身の犬男はグルルと低く唸る。

 とはいえ、こんな反応をされるであろうことなど想像できていたし、自分にはやれやれと大袈裟に肩を竦め、ついでに呆れ笑いまでつけてやれる程の余裕があった。


「はぁー……勘違いしないでほしいッスね。自分はご主人に、世間的に顔が売れてなくて、それでも指揮官として優秀な人物を知らないか、って聞かれたから、マルコの名前を出しただけッスよ」


 犬男の視線は疑わしいが、残念ながらこの言葉に嘘はなかった。

 無論、マルコの故郷であるアルキエルモを攻撃することに関して、微塵も考えなかった訳ではない。だが、自分だって虐げられてきたキメラリアであり、彼自身が故郷へのこだわりがないと語ったからには、そんなものはオマケに過ぎず、重要なのは彼の持っている能力と知名度がご主人の言った人物と合致しただけの話である。

 それもマルコを推したのは自分だけではない。


「ボクからも推薦しときました。マルコがそこそこ強いことは知ってますし」


 顔見知りの出立は気になったのだろう。朝に弱い彼女が、早朝の見送りについてくるとは思わなかった。

 しかし、マルコの知るファティマはヘンメ・コレクタ時代のそれだったらしく、彼女からの評価にフンと小さく鼻を鳴らした。


「そこそこねぇ? ただの毛無子猫ボールドキトンだったお前がよく言うぜ」


「いやいや、そこそこって結構いい評価だと思うッスよ。ファティマの言ってる比較対象って、マオリィネとかペンドリナさんなんスから」


 自分は剣技に詳しいわけではないが、ファティマがご主人と出会ってから今日までの間に、驚異的な速度で成長していることくらいは分かる。

 キメラリアでは訓練の場はおろか、師と呼べる存在を中々得られない。だが、彼女は若くして圧倒的な剣の腕を持つマオリィネに教えを乞うことができた上、パイロットスゥツやミカヅキといった古代技術をも使いこなしており、最早リベレイタはおろか、そこらの騎士など歯牙にもかけない存在となっている。

 無論、実際に戦っている様子を見たことがないマルコからすれば、到底信じられないものだったのだろう。冗談も休み休み言えとばかりに笑ったが、こちらの真顔が崩れないことを悟るや否や、身体と表情をピタリと硬直させた。


「――え、マジで? 本当にとかと比べられてんの?」


「だって、おにーさんは優秀な人材を知らないかって言ってたんですよ? 弱っちいのと比べてもしょうがないじゃないですか」


「そりゃそこそこ止まりだわ……てか、あんなのと知り合いなのかお前。ヘンメのところから出ていってから、どんな生活してきたんだよ」


 口の端を引き攣らせるマルコの気持ちはよくわかる。自分だってご主人たちと行動を共にしていなければ、とても信じられるような内容ではないのだから。

 だが、そんな豪傑と比較してもなお、マルコが優秀であることは疑いようもないため、自分はしっかり歯を見せて笑ってやった。


「ま、これで言いたいことは分かったッスよね? 故郷がどうのこうのなんてついでのついでッス。それより自分達が推薦したんスから、レンドのこと、任せたッスよ」


「そんなことを頼んだつもりはないが――ま、仕事だからな。報酬分は働くさ。野郎ども、出発すんぞ!」


 照れているのか素直に面倒くさいのか、彼はボリボリと後ろ頭を掻いてため息を吐くと、獣車の御者台に飛び乗って号令を飛ばした。

 御者が手綱を振るえば、車列はギシギシと軋む音を響かせ、帝国領西部地域のレンドへ向かって動き出す。

 その去り際、自分の耳には微かにマルコの呟きが聞こえた気がした。


「あんなイイ女になるなら、ちゃんと唾つけとくんだったなぁ」


 多分聞き間違いだろう。浅い付き合いではあったが、あの男が本気になった相手なんて見たことがないのだから。

 それにたとえ聞き間違いでなかったとしても、自分の心はもう決まっているので、今更どうにもなりはしないのだ。


「さぁて、自分たちも動き出す準備するッスかね――って、何ッスか?」


 ぐっと伸びをしながら踵を返す。同時作戦なのだから、レンド方面の部隊が出撃すれば、次は自分達を含めた本隊の番である。

 しかし、何故かファティマはしばらくこちらをじっと見つめて動こうとしなかったため、自分がそれに首を傾げれば、彼女は大きな耳を2、3回弾いてからポツリと呟いた。


「……ま、アポロニアが気にしないなら、それでいいんですけど」


 呆気にとられるのは一瞬。口元は自然と緩んだ。

 なんだ、やっぱり可愛いところもあるんじゃないか、と。


「おぉん? もしかして心配してくれるんスかぁ? でもお姉ちゃん、こう見えてご主人一筋ッスから大丈夫ッスよぉ」


「ゲー吐きそうなくらい気持ち悪いんで黙っててください。大体、お姉ちゃんってなんですか」


 害虫を見るような目で見下してきた彼女は、尻尾を派手に振り回しながらタマクシゲへ向かってズンズン歩き出す。

 だが、今までなら苛立ちを覚えたかもしれない言葉にも、自分の頬は戻らない。

 これもご主人が繋いでくれた大事な家族の縁なのだから。



 ■



「本当に行かせてよかったのか? あのオッサン」


 玉匣の上部装甲に腰かけた骸骨は、見えない城門の方を向いたままプカリと紫煙を吹かす。

 僕はその後ろで車載機関銃にもたれながら、朝のコーヒーを1口啜った。


「奴隷商ラルマンジャのことを1番よく知ってるのはファティなんだ。その彼女が信じられるって言うんだから、そこまで分の悪い賭けでもないだろう」


「どうだかな。それこそ関所で裏切られたりしたら、こっちの小部隊はいきなり包囲されることになっちまうし、付け焼刃の西部方面作戦も間違いなく1発でパァだぜ」


「どんな作戦でもリスクをゼロになんてできやしないんだ。それに、失敗しても本作戦に影響するような致命傷にはならないし、成功すれば敵の背後を押さえられるんだ。マルコさんには貧乏くじを引いてもらうことになったけどね」


 骸骨の不安もわからないわけではない。

 だが、自然に魔術だの魔法だのという超能力を発現する者が居るような現代においてもなお、人種は未来を見通す力の会得には至っていない以上、戦争であれ経済であれ人生であれ、結局は見込みで判断することしかできないのだ。

 だからシューニャが立案したこの作戦の実行が決まったのも、多少のリスクを背負ってでも得るべき価値が見込まれた、というだけの話である。

 本隊と行動を共にしなければならない自分たちにできることといえば、ラルマンジャ・シロフスキの恭順が嘘でないと祈ることくらいであり、それはダマルも理解していただろう。

 ただ、言いたいことはそれだけではなかったのか、ガントレットで摘まんだ煙草を兜のスリットで睨むと、また大きく煙を吐いた。


「いや、むしろ貧乏くじは俺たちの方かもしれねぇぞ。あの犬面、アルキエルモの出身なんだろ? 攻略先の情報をよく知ってる奴をわざわざ選んで、作戦から外しちまうってのはどうもなァ」


 それは絶対に合理的な判断に基づいた決定なのか。きっと骸骨はそう言いたかったに違いない。

 確かにアポロニアは、マルコを故郷への攻撃に参加させることに関しては複雑だと語っていた。それが単なるおせっかいであるとも認めながら。

 優しい彼女の言動を聞いていて、何も感じなかったといえば嘘になる。だが、別動隊の指揮官として推薦した理由は先の会議で述べた内容が全てであり、逆に言えば彼の他に思い当たる適任者も居なかったのだ。

 そしてもう1つ。マルコを指揮官にしても問題ない理由がある。


「アルキエルモは帝国有数の大きな町。出身者もマルコだけではないし、コレクタには地形に詳しい者も多いから心配ない」


 下から聞こえたくぐもった声に、身を乗り出して車体側面を覗き込めば、パン籠を抱えたシューニャがもにょもにょと頬を動かしており、その隣では同じように保存食を手にしたマオリィネが微妙な表情を浮かべていた。

 行軍開始前に食料を分けてもらいに行った彼女らだが、シューニャのことなので動きながら食べたほうが効率的だとでも考えたのだろう。行儀の悪さを指摘したいところではあるが、自分も作戦中などは片手間に食事をとることも多いため、余計なことを言わないように苦笑を張り付けて口をつぐんだ。

 一方、骸骨は合点が行ったらしく、そういうことかと小さく笑って立ち上がった。


「カッ、あのババァ巻き込んだのは正解だったってわけだ。ヘンメにも感謝しとかねぇとな。だからお前も、そんな梅干しみてぇな顔してんなって」


「してないよ、うん。してないとも」


「鏡見てから言えよ」


 意図してそんな皺くちゃな顔を作ったわけではないため、最早グランマという名前に対する反射的な拒否反応なのだろう。同盟関係になってもなお、強烈な苦手意識は抜けないようだ。

 とはいえ、目の前に居るわけでもない妖怪のことを考えて渋面を作っていたくはないため、いかんいかんと顔を必死でほぐしていれば、マオリィネが呆れたようにため息をついた。


「グランマのこともマルコのことも、この戦争が順調に進むならなんだっていいわ。それより、帝国がここを無傷で手放した理由のほうが妙じゃない?」


「なんだよ、まだそんなこと気にしてんのか? それこそ罠でなけりゃどうでもいい話だろが。こっちはタダで要塞を使わせて貰えてんだしよ」


「1回の夜襲すらなかった以上、何かの意図をもって放棄したとは考えにくいし、兵士が統率を失って逃げ出した可能性のほうが高いかな」


 いかにフォート・サザーランドが堅牢な要塞だったとしても、全戦力を結集した反帝国連合軍を駐屯部隊だけで押しとどめるのは難しい。それに加え、ここを守っていた部隊がロンゲン率いる第三軍団だとすれば、王都から撤退できた数少ない部隊ということになり、こちらの戦力については兵士たちでさえよく理解しているはず。

 そんな状況で増援に来た部隊が連絡を絶ち、しかも敵が逆襲侵攻してくる兆候をつかめば、兵士たちが軍の指揮を離れて離散してしまうのも不思議ではない。

 ただ、どれだけ頭をひねっても確証はないため、ダマルのいう通り、罠でなければそれでよし、という話にしかならないのだ。

 だが、マオリィネは理由が気になって仕方ないらしく、複雑そうな表情を崩さないままだった。


「……どうも気味が悪いのよね、こういうの」


「ひもひはわはる。へれほ、わはひはひには――」


「もぉ! 頬張ったまま喋らないの! いくら仲間内だからって、ちょっとくらい行儀を気にしなさいよ! ただでさえシューニャは口小さいんだから、何言ってるのかサッパリわからないわ」


 流石に子爵様として許容できる限界を突破したらしい。白いパンを口いっぱいに頬張ったまま喋りだしたシューニャに対し、マオリィネは甲高い叱責の声を上げた。

 余程もらってきたパンが美味しかったのか、あるいはこれも効率を考えてのことなのか。シューニャは小さい口一杯に、それこそリスやハムスターの如く頬が膨らむほどパンを詰め込んでおり、げんなりした琥珀色の瞳に見つめられながら長い時間をかけて咀嚼し続けていた。

 それをなんとか飲み下すと、パンのせいで乾ききったであろう口の中を水筒の水で潤してから、改めてマオリィネへと向き直った。


「気持ちはわかる。けれど、私たちには推測することしかできないし、必要なのは安全だったという結果だけ。今のところ、その証明は継続している。と、言いたかった」


「そ、そう……なんて言うかその、もう、いいわ」


 シューニャはいつもと変わらない調子だったが、前段の行動があまりにも無邪気すぎたためか、マオリィネは腹の中に抱えていた毒気を完全に抜かれてしまったらしい。

 それこそファティマやポラリスならともかく、理知的な彼女としては珍しく無防備な一面だったようには思う。


 ――こういうシューニャも自然体で悪くないなぁ。


 そんなことを考えていると頬は勝手に緩んできたものの、僕がだらけきった表情を晒すよりも先に、少し離れた場所で喇叭らっぱの音が鳴り響いた。


「やぁれやれ、どうやらお出かけ準備が整ったらしいな」


「よし、総員乗車。忘れ物がなければ、これよりアルキエルモへ向かって出発する」


 ガントレットの甲で煙草をもみ消したダマルは、砲塔から滑り降りるとトレーラーの運転席へ向かって歩き出し、マオリィネも食料を玉匣の車内へ置いてから助手席へ乗り込んだ。

 それとほぼ同時にシューニャも運転席へ座ったらしい。足元からはエーテル機関が低い唸りを響かせる。

 しかし、特徴的な機関音にも既に慣れてしまったのか、それとも朝早すぎることが原因か。ポラリスは寝台でシーツに包まれたままで夢の世界に囚われているらしい。起きだしてくる様子がないことを確認してから、僕は代わりに砲手席へ入り込んで無線のスイッチを入れた。


「シューニャ、僕らの位置は予定通り隊列の中段だ。マレー男爵の部隊後方につけてくれ」


『ん、了解――あ』


 機関音が一層大きくなり、履帯がギャリギャリと音を立てて動き始めた瞬間である。

 返答に続いて小さく聞こえたに、砲塔の状態確認を行っていた僕がモニターへと視線を移すと、そこには大きく手を振りながら走る2つの影があった。

 同時に無線から聞こえてくる悲鳴のような声。


『ちょ、ご主人、自分たちのこと忘れてるッスよぉ!!』


『置いてかないでくださぁい!!』


 必死の形相で走るキメラリアはとても速い。風に耳と尻尾を揺らしながら乾いた大地を蹴って猛然と駆け、どんどんモニター上の姿が大きくなる。


『忘れ物、あった』


「ぶはっ!」


 当然のことながら、別に忘れていたわけではない。

 ただ、どうせ城門に向かって進むのだから途中で拾えばいいと思っていただけなのだが、シューニャの一言は必死に走る2人とあまりにも温度差がありすぎて、僕はついつい笑ってしまった。無線のスイッチを入れたままで。

 この後、僕の体に2つの歯形がついたのは、言うまでもないだろう。

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