第199話 豪雪

 夕方にチラついていた雪は夜が深まるごとに勢いを増し、明け方頃には暴風を伴って大荒れになった。

 ユライアランドは四季のある穏やかな気候ではあるが、稀に前触れなくこのような冬の嵐が巻き起こる。強い降雪自体は例年の事だが、それに東のハイパークリフから吹き降ろす風が加わると、視界を奪う程の吹雪となるのだ。

 大抵この荒れた天候は丸1日に渡って続くため、ユライアランドに住む多くの人々は家に籠ってやり過ごす。残念ながら貧困層にこの環境は厳しく、嵐の度に凍死者も出るが、彼らは彼らなりにどこか1箇所の比較的しっかりした建物などに集まって身を寄せ合い、その日を乗り切れるよう知恵を出し合っていた。

 そんな中サフェージュは夜鳴鳥亭の酒場で暖炉の炎に当たりながら、困ったように息を吐く。


「今日の仕事はできないなぁ……早く届けたいのに」


 このところ盛況だった宿ではあるが、流石にこの天気では宿泊客など、彼のような長期滞在の者を除いて全くなく、そのぼやきを聞く者は温かい蜂蜜酒ミードを小さく啜りながら、火の番をしているハイスラーくらいしか居ない。


「流石にこの天気ではどうしようもないでしょう。いくらフーリーが北方に住む、寒さに強い種族だと言っても凍えてしまいます」


「です、よね」


 サフェージュの生まれは帝国の北部。酷寒で他の種族では生きていけないとされる氷の大地だ。おかげで帝国に面していながら干渉を受けることもなく、キメラリア・フーリーとごく僅かな変わり者が平和に暮らす地域である。

 彼らは常に風雪と寒さに耐えながら暮らすため、必然的に暖房や防寒の技術に優れていた。

 だからサフェージュは外の風雪に恐れはしないものの、夜鳴鳥亭の暖炉はあまりに頼りないと息を漏らす。ミードがなければただの人間には厳しい冷えであった。

 であればこそ、気がかりなこともある。


「あの……この嵐は西側のどこまで届くんでしょう?」


 それは一昨日の事。マティの荷物運び役から解放されたサフェージュが夕方頃に宿へ戻ってみれば、酒場の隅に緊張した面持ちで縮こまるメイドの姿を見つけたのだ。


『クリン? どうかしたの?』


『サフ君! 待ってたよ!』


 彼が声をかけたところ、クリンはパッと明るい顔をして立ち上がり、サフェージュへ歩み寄ると、2枚の手紙をこちらへ差し出した。


『これを、マオリィネ様とダマル様へ渡してほしいって、ジークルーン様から』


『あぁいつものね……でも珍しいじゃないか。クリンだけで届けに来るなんて』


 彼は手紙を受け取りながら周囲を見回し、不思議そうに尖った耳を揺らす。

 何せジークルーン・ヴィンターツールという女性は、貴族であるというのにキメラリアとやけに親しく接し、使用人がすべきことを大半自分でしてしまうような変わり者だ。

 そんな彼女の厚意によってファティマと再会できたため、サフェージュにしてみれば恩人であり、その友好的な姿勢も高く評価していた。だからこそクリンだけが現れたことに、不穏な違和感を感じたのである。


『それが――』


 彼女は不安そうな表情を浮かべると、ジークルーンが居ない理由をたどたどしく語った。

 王国軍が国境の防衛を強化していること、そこに騎士団とリビングメイルが向かったこと、そしてジークルーンは騎士団所属であるということ。

 元奴隷のキメラリアであるサフェージュには貴族の責務などわからない。だが彼女が戦うことに向いていないのは、リベレイタとして仕事をしてきた身として十分理解できる。

 とはいえ国の決定に対して、自分にできることなどあるはずもない。それはクリンも同じであり、揃ってきっと大丈夫だと不安を慰め合うくらいしかできなかった。

 ならばせめて、手紙だけはきちんと届けるのだ、と意気込み、サフェージュは夜明けを待っていたのだが、そこにこの暴風雪である。

 自分が死んでは手紙もへったくれもない。だから動けないのも仕方ないが、となると違う不安が襲い掛かってくる。

 だからそれをハイスラーに疑問としてぶつけたのだ。


「はて、西ですか……そちらは王国内でも比較的温暖な気候ですから、大地の裂け目を越えていれば嵐は届かないと聞きますが――何故です?」


「その、王国軍が西に増援を送ったと聞いたので、部隊が野営中にこんな嵐に襲われたらと思うと……」


「あぁそれなら大丈夫でしょう。行軍でとんでもない事故でもなければ、昨日の夜には大地の裂け目に近づいているはずですし、あそこには小さいながら砦がありますからな」


「そうなんですか?」


 宿の主人である彼は主要な客層がコレクタということもあって、王国領内の地理には詳しい。おかげで従軍経験などなくとも、王都から近い砦の位置くらいは大体理解している。

 出撃した部隊の規模が大きくとも、この豪雪を防ぐくらいなら小さな砦でも不可能ではない。加えてハイスラーは長く王国に住んでいる経験から、大地の裂け目には嵐が到達していないのではないかと予想していた。

 仮に嵐が到達していなければ軍隊は予定通り行軍を続け、今日には大地の裂け目を越えてグラスヒルの手前までは辿り着く。温暖な牧草地帯は豪雪とは無縁であり、冬場には寒さを嫌って別荘に避難する貴族も多いくらいだ。

 ハイスラーがにこやかに頷けば、サフェージュは少し安堵した表情を浮かべて、温かいミードを啜る。


「明日には、止みますよね」


「心配いりませんよ。冬の嵐が連日続いたことは今までありませんから、明日の朝にはお仕事に出られるでしょう」


 サフェージュは一人前に仕事をこなしていても未だ成人前の少年であり、慣れぬ環境で頼れる者もないとなれば不安は大きかった。それを一児の父として宿を守り続けてきたハイスラーが気づかぬはずもない。

 だからこそ、このこけた頬のキメラリア好きは普段より一層明るく振舞った。


「そうだそうだ。アマミさんのお宅へ手紙を届けられるのですよね? よろしければ、ついでをお願いしてもいいでしょうか?」


「ついで?」


「ええ、うちの子はアマミさんに懐いていましてね。それも彼の連れている、ポラリスちゃん、だったかな。あの子とも友達なんですよ」


「ああそういうことなら。いいですよ、伝言でもお手紙でも」


 頼られたことが嬉しかったのか、パッと花の咲いたようにサフェージュは浅黒い肌から白い歯を覗かせて笑い、一方のハイスラーは二つ返事の快諾に小さく手を打って喜びを露わにした。


「おおやってくださいますか! ありがたい、早速ヤスミンに伝えてこなければ!」


 彼はグッとミードを飲み干すと、寒さの中だというのに勇み足で階段を上っていく。

 ただ耳のいいサフェージュには聞こえていた。立ち去り際に小声で呟かれた親バカの言葉が。


「ククク……逃がしませんぞアマミさん。貴方はうちの子にふさわしいのだから……」


 英雄アマミ。彼は様々な人物に好まれ、疎まれていることだろう。

 その一端を図らずも垣間見てしまったサフェージュは、自分がとんでもない人物のもとで働いているのだと改めて実感しつつ、ハイスラーの危険な一面に尻尾を巻き込んで表情を引き攣らせる。

 結局この嵐が過ぎ去ったのは、日が暮れてからのことだった。



 ■



 風呂の力と暖炉だけで寒波を乗り切った朝、僕らは再び雪かきに追われる。

 凄まじい積雪量は年に1回あるかないかだとマオリィネは言う。とはいえ問題は大量の雪以上に強い冷え込みであり、我が家の暖房能力向上は最早急務であった。

 それを最も痛感したであろうダマルは、屋根より先に道を除雪するよう指示を出し、玉匣が通れるようになるや否や、1人で乗り込んでテクニカへ出かけている。曰く、せめて薪ストーブが必要だ、とのこと。

 暖炉は燃料消費の割に部屋全体を暖められず、離れた場所では外気を吸い込むためにむしろ冷え込んでしまう上、発生した熱の大半が煙突から外へ流れてしまう。だが煙突付きの薪ストーブであれば、その問題点の大半を解決できるのだと骸骨は語った。

 800年前の僕はそれらを洒落たインテリア程度にしか見ておらず、弱点も利点も知らなかったため、暖房に関しては一切をダマルに任せて家の除雪に励む。

 そんな時、雪の積もった梢に止まっている鳥を見つけた。


 ――こんな寒い中で鳥か。鳥……?


 器用に嵐を避けて飛んできたのだろうか、特に疲れた様子もないその鳥は、きょろきょろと不思議そうに首を回すばかりで、こちらが近づいても逃げようともしない。

 そのあまりに人間に対する警戒感の無さが、僕にあのつがい羽根を思い出させてくれた。


「シューニャ! すまん、少し来てくれ!」


「ん? 何――あっ」


 呼ばれた彼女は額から汗を拭ってこちらを振り向くと、ちょうど僕の向こうに鳥が見えたのだろう。歩きにくい雪の上を急いで駆け寄ってきて、小さく息をついた。


「つがい羽根の位置に止まったということは、ヘンメからのホウヅク」


「タイミングが悪いな……ダマルが出掛けてる時に」


「この際仕方ない。おいで」


 シューニャがつがい羽根を止めていた紐を解いて手に取れば、ホウヅクは彼女の肩に飛び移って悪気もなさそうに羽根を繕って見せる。

 小型の鳥であるため運べる手紙は小さなスクロールに過ぎない。それでも現代においては貴重な緊急連絡手段であり、ヘンメがこれを使ったということは吉報というわけでもないだろう。

 僕は急いで全員を呼び集めると、除雪作業を中断してリビングへ戻った。

 集合した彼女らは何事かと訝し気な顔をしていたが、シューニャの肩にホウヅクが止まっているのを見れば、その表情は途端に硬くなる。


「キョウイチ、確認してほしい」


 ホウヅクの足からシューニャは器用にスクロールを外すと、全員が見つめる前で僕の方へと手渡した。

 これがホウヅクで緊急連絡をする必要がなくなったとか、エリが駄々を捏ねたからまた会いに行くとか、そういう内容であれば僕はどれほど笑えたことだろう。

 しかし開いたスクロールに荒々しい筆跡で刻まれていたのは、帝国が行っている研究の大まかな内容だった。


「何らかの医術、魔術、あるいは神代の技術かを用いて、帝国はミクスチャを生み出し、制御することに成功している。方法は不明なれど――なんだって?」


 文字を追って読み上げた僕は、その行の最後に記された内容に目を疑った。

 突如声が止まった事で皆が揃って首を傾げ、特に先を知りたかったであろうマオリィネは、こちらに訝し気な視線を投げてくる。


「もったいぶらないでよ。何が書いてあるの?」


「……キメラリアを、ミクスチャに変えている、と」


 想像を絶する馬鹿げた話。あるいは神の御業とでも言うべきだろうか。

 文字を読み上げた自分でさえ理解が追いつかないのだ。ミクスチャを知らないポラリスを除いて、皆一様に驚愕と混乱を露わにした。


「ま、待ってほしいッス! じゃあ帝国は自分たちを化物にしようとしてるってことッスか!?」


「今まで思ったことなかったんですけど、それなら本気で死んだ方がマシですね……」


 できればアポロニアの言葉を否定してやりたい。しかし帝国の思惑が世界を征することならば、キメラリアを兵器製造の資源と見るのは当然だろう。

 そして戦力化されたミクスチャが次々投入されてくると考えれば、世界中が帝国の旗を掲げる日も遠くない。

 キメラリア2人が特に強い嫌悪感を表すのは当然だろう。しかしシューニャはそれを制して、冷静にこちらへ向き直った。


「キョウイチ、続きはある?」


「――俺たちは証拠と共に亡命する。エリネラが追手により負傷しており、英雄へ救援求めたい……か」


 スクロールの最後にはグラスヒルを目指すとだけ書かれている。ヘンメはそこで待てと言いたいのだろう。

 僕が小さく息を吐いて顔を上げれば、全員の複雑な視線がこちらへ向けられていた。


「本当は、避けられる物なら避けたいんだがね」


 自分たちが平穏な暮らしを続けられるなら、どこかと敵対したりわざわざ危険な何かに介入するような真似はしたくない。だがこれは幸福の根底を揺らがせる事態である。


「……どうするの?」


 シューニャが皆を代表して問うてくる。

 それは半ば確認作業のようだった。無論、自分の中でも結論は決まっている。


「出撃準備だ。ダマルが戻り次第、直ちにグラスヒルへ向かって出発する。皆にはまた苦労をかけるが、この家を守るために力を貸してほしい」


 ようやく掴み取る覚悟が出来た、800年越しの幸福である。今更何もせずに手放すことだけはまっぴらごめんだ。

 自らを正義だと宣うつもりはない。ただ再び血濡れの戦場へ戻る覚悟は、しっかりと固まっていた。

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