第302話 バトルオブアルキエルモ②

『ヴァミリオン・ガンマで狩猟とは、大した猟師が居たものですね。モーガルさん』


 はるか800年の昔。嫌と言う程殺し合った2機のマキナを前に、僕はたっぷりと皮肉を込めた言葉を無線に投げる。

 するとカブトムシはまるでため息を吐くかのように、白い冷却煙を軽く吐いて見せた。


『なに、獲物がとんでもない獣ってだけさ。こいつを着ないと、到底狩れないくらいの大物で、戦場にしかほとんど姿を現さないって話でね』


『そいつはきっと、必要に迫られて現れるだけですよ。自分の聞いた話では、平穏を尊ぶとのことですし』


『フフフ、そいつは本質を知らないみたいだね。数え切れないほどの人間に加え、3機ものマキナを軽々潰しちまうような奴が平穏とは。それも今回は、偵察用か通信中継用かわからない羽虫まで飛ばして、見えないところから重砲の雨を降らせてるってのにさ』


 笑い声の裏に感じられる、線香のようにほのかな殺意。

 先日の話といい砲撃の腕といい、やはり彼女はいくつもの戦場を駆けてきているのだろう。

 一方、そこに割り込んだ低い声からは、特有の若さと未熟さを孕んでいた。


『……随分気安く話すものだな隊長。偵察の成果がこの茶番か?』


『何、せっかく顔見知りになった相手さ。挨拶くらいしておくのが礼儀だろう?』


『アンタが何を得てきたのか知らないが、こいつはワースデルたちの仇で、俺たちにとって最大の脅威あることに変わりはない。排除する相手と交わす言葉に、なんの意味がある』


 言葉の端々に感じられる苛立ちと緊張。それも重狙撃銃の銃口をしっかりこちらへ向けたまま言うものだから、僕はついつい笑ってしまった。


『ハッハッハ! 貴女の部下は、随分真面目な青年のようだ。うちの相棒にも、少しは見習って欲しいものです。それに、ドローンに気付いて1発で撃墜できるあたり、狙撃の筋は悪くないが――』


『黙れ。貴様と交わす言葉などない』


 遠くで骸骨がくしゃみをしたかもしれない。

 成程確かに彼らからすれば、自分は仲間の仇にもなるだろう。それは戦場の常であり、800年前の戦争においても、共和国から懸賞金がかけられている、なんていう噂を聞いたこともある。

 だから何だと言うのだろう。殺さなければ殺され、望む未来を得られなくなる。だから殺す。

 その単純なやり取りに、僕は軽く首を回しながら呟いた。


『随分嫌われたものだ。それとも、言葉を交わす余裕を失う程、僕のことが怖いかい? 新米ルーキー?』


『――ッ! 舐ぁめるなぁッ!』


 挑発に乗ったのか、きっかけを待っていたのかまではわからない。

 ただ、ヤークト・ロシェンナは凄まじい勢いで砂塵を巻き上げて崖から飛び降りると、ステルス幕を分離しながら低空を一直線に突っ込んでくる。なんなら、重狙撃銃による射撃のオマケつきだ。

 しかし、ただでさえ反動が大きな対装甲目標用の武器である。飛行しながら撃って当てられるものでは無く、ドローンを撃墜した時のような精密さはおろか、撹乱以上の効果は得られない。

 僕からすれば、もったいないの一言に尽きる攻撃だったが、それはモーガルから見ても同じなのだろう。無線機からはまたもため息が漏れていた。

 それもまた、一瞬の事だったが。


『やぁれやれ、落ち着きのない……だが、こっちも今更退く訳にはいかないもんでね。精々本気で抗わせてもらうよ』


 800年ぶりとなる機甲歩兵らしい戦いを前に、頭の奥が僅かに疼くのを感じる。

 背筋を伝って身体へ走るゾクリとした感覚に、僕も静かにマキナ用機関銃を握りしめながら、無線を一旦暗号通信へと切り替えた。


『玉匣、聞こえるな。今からは翡翠から距離を取りつつ、ミクスチャを殲滅。友軍部隊の援護に回れ』


『うぇえ!? ご主人1人で戦うつもりッスか!? 2対1なんスよ!?』


『この戦力なら、1人の方が気楽に戦えると言うだけだ。玉匣のことは任せる、通信終わり』


 短く、しかしハッキリと。身体に染みついたやり方で会話を切り、僕はゆっくりと機体を浮き上がらせる。

 すると間もなく、レーダー上に浮かぶ玉匣を示した光点は、こちらから距離を取るように走り出した。

 困惑したように叫んでいたアポロニアも含め、玉匣で戦う彼女らは皆聡い。そして何より、自分を信頼して背中を預けてくれている。

 ならば、機甲歩兵たる自分がすべきこと等単純だ。たとえそれが、遥か800年の昔に滅びた国家軍の所属であろうとも。

 一瞬だけブースターを噴射すれば、機体は弾かれたように左へスライドする。装甲越しに肌へ感じた殺意は、僅か数センチの向こうを通過した敵弾による物だろう。


 ――上等だ。


 遠距離攻撃に焦れて近づこうと言うのなら、こちらもそれに乗ってやる。

 油断はない。ただ、真正面から叩き潰すのが手っ取り早いと判断しただけのこと。


『僕と翡翠を見て撤退を選ばなかったこと――今際で後悔してくれるなよ』



 ■



 ぶぅんと長槍が風を切って唸り、穂先に乗った血糊が宙を舞う。

 ある者は横切った刃に布鎧を深々と切り裂かれ、またある者は突然首から血が噴き出したことに首を押さえ、しかし地面に転がって動かなくなることに変わりはない。

 その屍を踏み越えて響くのは、銀の鎧を輝かせる若人の雄たけびである。


「オラどきやがれぇ! 俺の道を阻もうってんなら、首級になる覚悟は出来てんだろうなぁ!?」


 乱戦の中、イーライは叫び終わりもしないうちに敵兵の胸を貫き、また引き抜きながら柄の半ばへ持ち替えると、近づいていた別の敵に石突を打ちつけて顎を粉砕した。

 ヴィンディケイタである彼の勢いに、雑兵は一様に斬りかかることを躊躇ってたたらを踏む。そんな相手に対し、武功を得る好機と若いイーライが調子づくのは当然と言っていい。

 しかしその一方で、この戦場に疑問を覚えて立ち止まる者も居る。


「……どうにも妙だな」


「敵のことか? 確かに、鉄にこだわると聞くカサドール帝国軍が、布鎧を着た軽装兵ばかりというのは気になるが、物が揃わぬのは戦の常だろう?」


 人間ではあり得ない角度まで首を曲げるタルゴに対し、大きな兜狼に跨ったペンドリナは、別段珍しくもないとダガーナイフを手の中で遊ばせながら笑う。

 他国を大きく凌ぐ鉄産量と、それに付随して発展した冶金技術によって支えられるカサドール帝国の軍備。流石に将官と兵卒では装甲範囲に大きな差があるとはいえ、板金鎧が整然と並ぶ姿は壮観であり、帝国軍の特徴として有名だった。

 とはいえ、ペンドリナが推測したとおり、帝国主力の鉱山は近年産出量を低下しており、戦争による消費に補給が追いつかない状況となっているのも事実である。

 ただ、タルゴは物資不足という彼女の言い分に対しても、首をくるりと反対へ傾け直すだけだった。


「いや、そこは重要じゃないかもしれんぜ、って言うのも――」


「うおおお! その首よこしやがァ――るぇっ?」


 長剣を腰だめに走ってきた布鎧の男は、珍妙な声を残して地面へ倒れ伏す。

 彼は後ろ頭を掻きながら話していた2人を、隙だらけの存在とでも見たのだろうが、残念ながらほとんど近づく事すらできない内に、頭から矢を生やすことになった。

 その様子にタルゴは短弓を下ろしながら、大嘴を薄く開けて小さくため息を吐く。


「これだよ。ここまで一方的にやられていながら何故退かない? 何かしら策あっての行動か、単に敵将が用兵を理解していない間抜けなだけなのか……」


「布鎧の連中は虜囚兵だ」


 重々しい鎧の音と低く聞き慣れた声に、2人はチラリと視線を向けた。


「まさか、これだけの兵が全てそうだと申されるのか? ヘルムホルツ殿」


「おいおい、いくら安物だとしても布鎧だぞ? 掃除にも使えなさそうな襤褸布ならわかるが、使い捨ての虜囚兵になんて普通渡さないだろう」


 虜囚兵とは、大きな減刑や市民権の回復を約束されて志願したり、極刑や親族を人質に脅されたことで戦闘を強制された捕虜、あるいは囚人を指す言葉である。

 とはいえ、ほとんどの場合は後者であり、そんな連中にまともな装備品など回ってくるはずもない。ボロボロの武器だけで戦場に放り出され、怪我をしたところで気にもしてもらえないのだから、使い捨てというタルゴの言葉は的を射ている。

 しかし、ヘルムホルツは確信しているかの如く、シュウと深く息を吐いた。


「こちらの手の内を探るための囮ならば、虜囚兵と一目で悟られぬようにせねばなるまい。そのためにを使い、斯様な大軍をこしらえたと言えば辻褄も合う」


 重々しいメイスの先が、死体が纏う布鎧の胸元を胸元を指し示す。そこは墨でも零したかのように、雑に黒く染められていた。


「だとしたら、敵の本隊は……」


 確証などどこにもない。だが、ヘルムホルツの言葉は今の状況と合致しており、ペンドリナは銀の体毛を僅かにざわめかせながら、その視線を崩れた壁へと向けていた。




 ■



 ――敵に動揺は認められず、影はしくじったと考えるのが妥当、か。


 防壁より後方に設けられた尖塔の上からでは、乱戦の最中にある敵味方など判別できはしない。

 それでも灰の盾よりなお高く、胸壁越しに戦場を一望できるその場所で、ガルヴァーニは自らの搦手の失敗を悟っていた。

 英雄がこの場に居る中、王国がどのような策を用いたかは見当がつかない。ただ連絡が届いていないだけの可能性ももちろんあるが、彼は最悪の事態を常に想定する。届くかもわからない王都からの報せを待ち、苛烈な攻勢が覆るなどという期待はしないと。

 一方、隣に立つ豪奢なマントの男は、塵芥の如く吹き飛ばされていく味方陣形を睥睨し、何故か愉快にも思えるような笑みを浮かべていた。


「全く恐ろしいものだな。貴様の策通りに虜囚を使っておらねば、どれほどの兵をいたずらに失ったか知れたものではない」


 皇帝ウォデアスからの賛辞に、ガルヴァーニは恐縮至極と恭しく頭を下げる。

 フォート・ペナダレンへ向かったシャーデンソン麾下の大軍が、瞬く間に消滅したという報告について、ウォデアスは妄言だと一蹴していたが、実際に目にしたものは報告に駆けてきた第三軍団の騎士のみ。その言葉をガルヴァーニは重く受け止め、敵が用いてくるかもしれない未知の攻撃手段を探るため、神国軍の捕虜や国内の囚人で構成された虜囚兵隊を囮として防壁の外へ配置したのである。

 どれだけの命が失われたかはわからないが、帝国にとっては囚徒をいくら失ったところで痛痒になどならない。それで敵の情報が得られるのなら、これほど有益な使い方もないだろう。

 とはいえ、彼らの眼下で繰り広げられる戦いの中から、想像を絶するものが無くなったかと言われれば、それは否だった。


「まさか、ルイスが子飼いのテイムドを出してくるとは思いもよりませんでしたが……」


「フフフ、余に尻尾を見せる恐怖より、英雄の持つ青いリビングメイルとやらへの興味が勝ったのだろう。アレは元来そういう男なのだ。今一時は捨て置くがよかろう。優先すべきを見誤るな」


 幼少の頃よりウォデアスの傍仕えをしてきた彼だが、ルイスとの関係についてはほとんど知らされていない。だからこそガルヴァーニは自ら掴んだ情報を元に、忠誠心のない怪しい学者と強い不信感を抱いており、ウォデアスから死罪を告知され姿を消して以来は一層警戒を強めていた。


 ――しかし、この場では敵対せぬ限り手出し無用。それも致し方なし、か。


 ステッキで床を突いた絶対者の言葉に否はない。故にガルヴァーニは自らの心を封じ、恭しく頭を下げると指揮棒を振りかざした。


「ハッ――つづみを鳴らせ!」


 号令に合わせ、まず塔の上で鼓が激しく打たれ、それに呼応するように防壁上でも低い音が響き始める。

 事前に伝えられていた一定のリズム。それに反応したのは、虜囚兵の背に武器を向けていた最後列の正規兵部隊だった。


「後退の合図だ! 退け、退けぇーっ!」


「何!? 後退するのか!? お、おい、俺たちも退くぞ!」


 それに遅れる事暫し。アルキエルモ市街まで後退という情報は、戦場全体へさざ波のように広がっていく。

 ただ、整然と退避した正規兵たちに対し、訓練も施されていない虜囚兵は混乱の中で敗走の様相を呈し、破壊された防壁へと殺到するしかなかった。

 無論、それを反帝国連合軍が見逃すはずもない。


「敵のが崩れた! 騎獣兵隊、一気に押し込めぇ!」


 背を見せた虜囚兵を蹴散らし、王国の騎獣兵が戦場を突き進む。

 灰の盾はあちこちが打ち崩されたことで、兵器による攻撃もまばらとなっており、散発的なクロスボウなどでの反撃では、勢いのある軍獣の群れなどとでも止められない。

 壊乱して逃げ惑っているようにしか、反帝国連合軍には見えなかっただろう。それは紛れもない事実だが、虜囚兵という一面でしかない。

 故にウォデアスは顎を撫でながら、満足そうに鼻を鳴らしていた。


「余はここに至るまで、虜囚のような連中は飯を食い糞をひるばかりで、何事の役にも立たん故、さっさと斬り捨てるべきとばかり思っておったが、少し考えを改めたほうが良さそうだ」


「このまま石工街の細路地へ誘い込みます。旗手、サロルド百卒隊へ合図をなせ!」


 ガルヴァーニの声に合わせ、塔の上では青い旗が大きく振られる。

 それは障害物が積み上げられた街中へ向けられ、密集して作られた建物の屋根上では伏兵の動きが大きくなった。

 大軍が街中へなだれ込んで来ようとも、敵に地の利はない。そこで各所に分散配置された小部隊から少しずつ打撃を与える持久戦をガルヴァーニは考えていた。これならば、密集した陣形を一瞬で焼き払うような攻撃にあっても、致命傷とはなり得ないと信じて。

 だが、その非常識な戦い方は誰もが飲み込めるものではなく、守旧的な将軍はあり得ないと拳を握って声を上げた。


「陛下! 何とぞ、なにとぞ今一度お考え直しを! 防壁の内へ敵兵をおびき寄せて殲滅するなど、市街にどれほどの被害が出るかわかりません」


「それも散兵で迎え撃つなど、用兵としては下の下。兵の足並みを揃えて戦わねば、数に応じた力を出せぬのは合戦のことわりでごさいます!」


「理? 貴様は灰の盾が打ち崩されるような戦に、常道が通じると申すか? 軟弱な虜囚兵とはいえ、あの数を瞬く間に蹴散らせるような敵に、守旧的な凡策のみで勝てると?」


 将軍は皇帝へ言葉を発せる立場にはある。忠実な臣下であればなお、時にはその愚行を諫めることも必要となろう。

 しかし、この発言にウォデアスが揺らぐことはない。


「これは歴史を変える戦なのだ。勝者は未来を手にし、敗者は全てを失うことのみが道理。なればこそ、いかな犠牲を払ってでも、たとえアルキエルモを瓦礫の山に変えようとも、その上にカサドールの旗を打ち立てねばならぬのだ」


 それどころか、肩越しに発された低く冷たい声は、古びた栄誉になお縋る彼らを糾弾するような響きさえ湛えており、年嵩の将たちはぐっと押し黙る事しかできなかった。

 無論、その中には序列第1位将軍のガルヴァーニに対して向けられる憎々し気な視線もあったが、この場で物申すような勇気など誰にもない。故に彼は平然としたまま、階段を駆け上がってきた伝令兵からの報告に対応していた。


「将軍。ホウヅクが戻りました」


「どこからだ」


「バシリカ洞の物見からです」


「……南の外れからだと? 閣下」


 静かに張り詰めた意識に、ガルヴァーニは唯一の絶対者へ指示を仰ぐ。それこそ、周囲に並ぶ同じ将軍たちすら視界には入っていなかっただろう。

 対するウォデアスは、小さくステッキを鳴らすのみで言葉は発さない。

 否、それだけで十分だった。


「ハッ」


 軽い一礼を残し、彼は伝令兵を引き連れ塔から駆けていく。

 指揮官は皇帝1人あればよい。走るのはただ、それを勝者とするために過ぎない。


「まこと、常道の通じぬ敵よ。果たして、人の世を狂わす怪物はどちらやら」


 ガルヴァーニの姿が見えなくなってから呟かれたウォデアスの言葉は、誰の耳に止まることもなく、戦場の喧騒と山から吹きつける風の中で消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る