第83話 ストリ③

「前線からこーんな遠くまで、よく会いに来てくれました、ね?」


 それは想像していたよりも心なしか落ち着いた声だったが、わざわざ本を読んでいる人間に、しっかり影を落としてくる不躾さは疑いようもない。

 あれから3年、子どもであった彼女が成長しているくらい不思議ではないだろう。だというのに言葉に内包された刺々しさから、僕の体は緊張に固まった。


「や、やぁストリ。久しぶり――大きく、なったな?」


 視線を逸らしつつ告げる挨拶は逃げの一手。無論それに効果などあるはずもない。とりあえず白衣を身に纏っていることと、変わらず髪を長く伸ばしていることだけはわかったが。


「へぇー顔も見れないんだ。後ろめたいって思ってるから? それとも私が眩しいの?」


「寝違えててね。首を動かしにくいだけだよ」


「そう? そんな状態でバイクを転がしてくるなんて、随分気を遣わせちゃったみたいねー、わ、た、し」


 楽しそうなのに冷たく響く声に、僕は安易に会いに行くかなどと考えた自分を呪った。

 今更な話だが、まさかここまで怒っているなどと考えてもみなかったのだ。とはいってもこのタイミングで会いに来なければ、彼女はより怒りを増幅させていただろう。そう考えれば、ある意味最善の判断とも言える。

 しかし恐る恐る顔をあげた先には、ニコニコと笑いながら怒るという器用な芸当をやってのける美少女が居た。


「ね? 大きくなったってさ、キョーイチもしかして喧嘩売ってる?」


「し、身長は伸びたんじゃないの、かな? いや僕が座ってるからそう見えるだけ――」


 鈍い衝撃音と共に目の前で火花が散った。

 如何に少女の力とはいえ、振り下ろされたのがタブレット端末の角であり、かつ直撃した位置が頭頂部なら破壊力は十分すぎる。

 おかげで僕はぐおぉぉぉと唸り声をあげながら頭を押さえて蹲った。


「これでも1cmは成長してるわ!」


「た、大して変わらないじゃないか……それよりも凶暴性に磨きがかかってる」


「3年も待たせておいてどの口が言うのよ! この程度の制裁で済ませたことに感謝しなさい! 大体何が、また会いに行くー、だっ! ぜんっぜん連絡も寄越さなかったくせに!」


「それは軍事機密ですか――ら゛ッ!?」


 顔を引き締めて彼女に正論を返せば、何故かもう一度タブレットの角が降ってきた。それも同じ位置に直撃させてくる精度の高さである。もしかするとこの娘には火器管制装置が装備されているのかもしれない。


「真面目な顔してゆーな! 女の子を待たせてるんだぞ! 反省しろ、反省っ!」


「ぬぉぁぁぁ……だから、会いに、来たじゃないか……それに対してこの仕打ちはあんまりだと思わないか」


 3年なんてあっという間だろう、とは流石に口にしなかった。

 だというのにストリはそれを敏感に感じ取ったらしく、顔をグッと近づけてくる。それは頭突きをされるのかと思ってしまう程の勢いで、しかし額が接するギリギリで止まった。


「青春の3年は長ぁいってご存知?」


「人間に与えられているのは平等に1日24時間―――いえ、知ってます。ごめんなさい」


 ギラリと光るタブレット端末に素直に頭を下げた。何せこれ以上屁理屈をこねたせいで、頭頂部から頭蓋骨を陥没させられては堪らない。

 するとストリは大きくため息をつき、ゆっくりと身体を離した。


「最初っからちゃんと謝ってればいいのに、いちいち言い訳が多い」


「返す言葉もございません」


「わかったからさっさと顔上げて、部屋に行ってお話しましょう? 色々聞きたいこととか、言いたいこととかもあるんだから」


 言いたいこと、という部分に怖気がした。あれだけ文句をぶつけておいてまだ言い足りぬかという感じだが、声のトーンが明るくなっているのでボロカスに怒られることはないだろう。

 少しだけ大きくなった彼女に手を引かれて、僕は本来ゲストが入れないはずの廊下を行く。通りがかりの職員たちを何故か驚かせたり感心させながら辿り着いたのは、以前から変わらない彼女の自室だった。

 ストリは片付けが苦手だ。リッゲンバッハ教授もそうだが、血がそうさせるのかとにかく彼女の部屋は汚い。過去を思い出してまずは片付けから手伝えということだろうかと想像すると、顔に出ていたらしくストリに背中を叩かれた。


「早く入りなさいってば!」


 どんな汚部屋が待っているのかと戦々恐々としていたが、失礼しますと扉の向こうを覗き込めば、なんと片付いていて思わず声が出た。

 身長も体格も大して成長変化が見られない18歳の少女に、初めて見えた大きな進歩である。


「馬鹿な……ストリ、ここは本当に君の部屋なのか?」


「どう? 見直した?」


 ぐるりと見まわしてみてもゴミ一つない。以前は漫画やらお菓子やら服やらと散らかっていたのがまるで嘘のようだ。

 驚愕する僕が余程お気に召したのか自慢げににふふんと鼻を鳴らすと、彼女は自分のベッドに腰を下ろす。僕も3年前に彼女の部屋に来た時と同じように彼女のコンピュータチェアに腰かけた。


「ね、私大人になったでしょ?」


「ああ。これは確かに大きな成長だよ」


「いや掃除のこともそうなんだけど……ほら、年齢的にも?」


 改めてストリを眺める。相変わらずの金髪碧眼美少女に背丈は低くスタイルもスレンダーだが、腰の位置は高く手足も長い。大人びたと言えばそうなのだが、まだあどけなさも残る感じで見事な過渡期と言えた。胸や尻に関しては、少々残念な結果に終わっているようだが。

 ふとそんなことを思えば、彼女が慌てて胸を隠す。


「セクハラ親父」


「何も言ってないだろう。それに僕ぁ君の父親になった覚えはないぞ」


 多少嘘も混ぜながら自意識過剰であるとこちらが訴えれば、それはそれで癪なのか彼女はフグのように頬を膨らませた。


「どうせ小さいですよーだ! なにさ、キョーイチだってぜんっぜん変わらない癖に」


 24歳にもなって体格が成長してたまるか、と言おうとして自分の大人げなさに呆れてやめた。せっかく彼女の近況を聞けるタイミングだというのに、わざわざ無駄な口論を続ける必要もない。


「悪かった悪かった。それで、最近はどうだい?」


「そうそう! それなんだけどね!」


 無理矢理に話題を逸らせば、彼女はすぐにパッと表情を明るくして手を叩いた。そんなストリの純粋さは大きな魅力だが、そのうち下手な詐欺にでも合わないかと心配になってくる。


「第三世代型、もうすぐ量産にこぎつけられそうだよ。あと、部外秘なんだけど特殊部隊専用の機体も作るって話になってるんだ」


「部外秘は漏らしちゃダメだろう」


「キョーイチにしか言わないもん。それに、どうせ真っ先に配備されるのは夜光中隊でしょ? 前よりずっと凄くなってるし、ダウンサイジングと軽量化もうまくいってるから期待しててよね」


 そう言われれば確かに楽しみになってくる。

 自分が制御系の設計に協力した第三世代型だが、彼女が期待しろという以上は相当の性能となっているに違いない。ただでさえ現時点ではヴァミリオン相手に黒鋼が優位を保っており、更なる高性能機が投入されれば完全なワンサイドゲームになる。これに共和国が対抗する新型を準備できなければ、戦争は早晩終結することになるだろう。

 僕は彼女の力強い言葉に、兵士として素直に頭を下げた。


「ああ、楽しみにしている」


「へへ……あ、でもちょっと困り事もあって」


「困り事?」


「うん。最近この近くで不審な車両が目撃されてるんだ。ゲリラとかテロとかを警戒して、玉泉も近いうちにショコウノミヤコのジオフロントに施設を移すつもりみたい」


 むぅと僕は腕を組んで唸った。

 戦場は企業連合有利に進んでいる以上、共和国側が作戦を切り替えて内部破壊を狙ってきても不思議ではない。特に兵器開発を遅らせることはかの国にとって急務と言ってよく、リッゲンバッハ教授が亡命していることも含めて、玉泉重工の研究所を狙うのはあたりまえだった。

 だがホシノアマガサに守られたショコウノミヤコに拠点が移動させられれば、その決行は非常に難しくなる。首都なのだから当たり前だが、警戒態勢は他所の比ではなく、テロリズムに走るにせよ爆薬や武器は容易に持ち込めず内部での調達も困難だ。


「それはいつ頃の予定に?」


「まだ近い内としか言われてないんだよねー。いつするんだろ?」


 内通者の可能性を考慮してか、どうやら内部にも情報を回していないらしい。ストリにも話が回っていないとなればかなり厳重だ。

 しかし警戒態勢の内容には興味がないのか、ストリはそれよりさ、とこちらに近づいてくる。


「キョーイチが来たら絶対聞こうと思ってたことと、絶対言おうと思ってたことが1つずつあるんだけど、いい?」


「そりゃ別に構わないが――なんだい?」


 どうやら真面目な話らしく、彼女は青い瞳でこちらをジッと捉えてくる。

 話題をコロコロと切り替えるのはストリの癖だったが、真剣な表情をしてというのは珍しい。そして彼女をそこまで真剣にさせる話題となれば、マキナ開発に関わるもの以外に考えられない。

 何か目を見張るような開発や、あるいは重大な欠陥でも見つかったかと僕は息を呑んだ。


「キョーイチさ……」


「――ああ」


 静寂。

 彼女が言い出すのをじっとこらえる。よほど言い出しにくい内容なのか、彼女は数度深呼吸を挟むと、グッと表情筋に力を込めた。


「彼女ってできた?」


 危うくコンピュータチェアごとひっくり返りそうになったのを、つんのめって必死に耐える。いくらストリの肩透かしが原因とはいえ、せっかく綺麗になった部屋をいきなり散らかさずに済んだのは不幸中の幸いだと思う。


「真面目な顔して何を言い出すのかと思えば……ずっと前線に居たんだ、できるわけないだろうに。大体なんだい、さっきの大層な溜めは」


 あまりにも薄っぺらい内容に僕は大きくため息をついた。ただマキナに関するリコール問題などではなかっただけ、ある意味マシとも言えるが。

 こちらが呆れかえる一方、ストリは緊張していた表情を徐々に喜色に染めると、上機嫌な笑みを浮かべてベッドから立ち上がった。


「私にとっては重要なことだもん。じゃ、前提もできあがったし、言うね?」


「何を」


「私がキョーイチの彼女になってあげます!」


 一瞬自分の耳が馬鹿になったのかと思った。

 ストリの出身は共和国だ。向こうの文化には詳しくないが、こういうジョークが好きなのだろうか。どこかにドッキリのカメラが仕掛けられているのではないかと周囲を見渡してみるも見当たらず、最終的には目の前で僅かに頬を染めながらも満面の笑顔を崩さないストリに向き合わざるを得なくなった。


「あげます! って、言われてもなァ」


「いいでしょ? こんな美少女が恋人になってあげるって言ってるんだから」


 自分で言うかと思ったが、見た目に関してはまごうことなき美少女なので異論を挟む余地はない。

 しかし解せないのは何故僕なのか、だ。ふざけているのだろうと笑えば、ストリは表情を真面目な物に戻した。


「気づいてなかった?」


「気づく?」


「私がキョーイチのこと好きだったってこと」


 無理言うな、と肩を竦める。どちらかといえば散々玩具にされていた印象しかない。無論そういう意味では懐かれている自覚もあり、僕自身が彼女を可愛がっていたこともまた事実だ。

 とはいえ21歳だった僕に、当時15歳のストリに恋愛感情を抱くことは、倫理的にも法律的にも無理だった。ただ、多少なりとも好感があったのは認めるが。


「君は子どもだったからねぇ」


 僕が当時の思ったままを呟けば、何故か彼女は罠にかかったと言わんばかりにニヤリと笑う。


「じゃあ、今はいいでしょ? 3年も待たせてくれたんだから、我儘聞いてよ」


「どんな理屈だい。からかうのもいい加減に――」


 言えなかった。

 真面目な顔で瞳を潤ませて、僅かに朱がかかっていただけだったはずの頬はいつしか太陽に晒されて熟れたリンゴのようになり、小さな手で自らの服の裾を強く握っている彼女を相手に、冗談だろうなどと。

 言葉を詰まらせた僕に、ストリは震える声で告げる。


「ねぇキョーイチ。私は本気だよ?」


「それは――だが、僕は兵士なんだ。明日もわからない人間なんだぞ」


「逃げないでよ。兵士が幸せになっちゃいけないの?」


 いままでと同じ言い訳をしようとすれば、それに被せるようにして退路が断たれる。

 兵士が幸せになってはいけないなど、誰かを愛する度胸がない自分の屁理屈に過ぎない。そんなもの、真剣であるストリの言葉を前にしては濡れた薄紙のように脆く、いとも容易く崩れていく。

 自分は無意識に彼女は子どもだと考えて抑え込んでいたのだろう。そうでなければ目を合わせるだけで、こんなに彼女を抱きしめてやりたいと思うはずもない。

 異性を好きになる理由など、そう複雑な物でもないらしい。そうでなければ、未だ20歳にすら届かない少女に迫られて、言い淀むはずもないのだから。

 それでもと最後に残った抵抗の心は、本当に後悔しないかという意味の言葉を口から吐き出させる。


「君は……明日僕が死んだとしても、誰かを恨まずに居られるのかい?」


「平気よ。だって私は―――」


 小さな体が座ったままの僕に預けられる。細い両腕が首の後ろに回されて、肩に頭の重みが乗りかかった。


「大人だって、言ったじゃない」


「……そうか」


 僕は彼女を初めて抱きしめた。

 ストリの言葉を嘘か真か判ずる術はない。だが自分の中から溢れる感情や想いに偽りはなく、それを覆い隠すことは最早不可能だった。

 今まで彼女を1人にしていたことへの贖罪ではなく、再会できた嬉しさだけでもなく、自分のことを本気で好いてくれている少女がただただ愛おしい。

 どちらからともなく拙い口づけを交わす。それは互いの未熟さを象徴しているかのようで、しかし自分にとってはこれ以上ない多幸感に満ちたものだった。

 それはストリも同じだったのか、恥ずかしがるようにこちらの胸に顔を埋めると、顔を見せまいと強く抱き着いてくる。その様子がまた可愛くて、僕自身もまた照れくさくて抱き合った。

 恋とは甘い物らしい。そんな話はよく聞くが、実際に我が身で感じてみればそれもどうして悪くない。

 これからしばらくはチョコレート菓子よりも甘いような未熟な関係を続けていくのだろうかと思えば、明日が明後日が何年後かが楽しみで、僕も本気で彼女と一緒に居ようと思えてくる。

 だがそんな甘い感覚は、無粋な爆音によって引き裂かれたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る