第311話 アンシュグームの木の下で
乾いた火山の土に生える珍しい木。
だが、それは荒地であればこその珍しさなのだろう。森の中にあれば埋もれてしまうであろう、見た目には何の特徴もない樹木だった。
しかし、シューニャに話を聞いてみれば、疎らにしか生えていない光沢を持った葉は外傷の治癒を促す薬草として、しなやかな幹は帝国領における貴重な木材資源の1つとして利用されていると言う。また、なんでも乾燥した地域で生育するため、地下の途轍もない範囲に根を広げているのだとも。
彼女がアンシュグームと呼んだその木の下を、アランは母の寝所と選んだらしい。
乾いて引き締められた硬い土も、ファティマが怪力を持って掘り返し、現れた太い根の合間に、モーガルの遺体は寝かされた。
柔らかい土を被せる折、誰も何も言わなかった。それはきっと、皆の優しさだったのだろう。
ただ、粛々と続けられた埋葬作業の最後。僕の立てた簡素な墓標の姿が、現代人たちの目には余程奇妙に映ったらしい。悼む空気が流れる中にあってなお、彼女らは揃って首を傾げていた。
「地面に突き刺したジュウと――」
「まきなの頭、ッスよ、ね?」
「これが昔の墓標……?」
金、茶、翠の視線が同時に僕の方へ振り返る。その訝し気な雰囲気の内訳は、不思議さ半分、これで本当に合っているのか? という疑念半分と言ったところだろう。
彼女らの前にあるのは、破損したマキナ用散弾銃を地面に突き刺し、光を失ったヴァミリオン・ガンマのヘッドユニットを被せただけで、名前すら刻まれていないモニュメント。本当ならば、認識票の片割れを残していってやるべきなのだろうが、モーガルにはそれすらない。
野ざらしよりマシ。そんな程度の墓標を前にすれば、彼女らが疑問を抱くくらい当然であろう。
ただ、僕が何か言うよりも早く、隣でカロンと骨が鳴った。
「鋼を纏った英霊の墓標って奴さ。似たような兵士の墓は色々あるが、どれも戦死者に敬意を払って平等に送ることは変わりねぇ。その送り先が、神か仏か祖先やらの霊かは死んだ奴の決めることだ。残された奴には、これくらいしかできねぇからな」
どこか空し気に過去を語りながら、ダマルは墓標へと歩み寄っていく。
それに驚いた様子で、アランがおい! と声を上げるのは当然だろう。何せ、2人の出会いは最悪だったのだから。
ただ、ダマルの落ち着いた様子に僕が視線と腕で見守っているよう制すれば、アランは暫くこちらも睨んでいたが、やがてゆっくりと引き下がってくれた。あくまで想像でしかないが、彼も埋葬を手伝った者に強く出るのは、少し気が引けたのかもしれない。
一方の骸骨は彼の声を気にした様子もなく、腰のポーチから2本の煙草を取り出すと、ゆっくり跪いてそれを墓標の前へそっと並べた。
「……喫煙者だったらしいな。話したこともねぇ以上口に合うかはわからねぇが、いずれ向こうで会うことがありゃ、よろしく頼むぜ」
これがダマルなりの、残された奴にできること、だったのだろう。
煙草と呟きだけを残した骸骨は、静かに元の位置へ戻ってくると、それきり兜のスリットを誰にも向けないまま黙り込んだ。
土の下に眠ってもなお、モーガルは母親であり続ける。そうでなければ、背中越しにアランの身体から力が抜けたのが分かるはずもないのだから。
「私からも――こんなものしかなくてごめんなさいね」
「じ、自分も何か……えぇっとぉ」
ダマルがお手本となり、皆が揃って何かを墓前に供えていく。
羽ペン、銅貨、つるりとした綺麗な石、乾燥させた木の実――それは偶然手元にあったほんのささやかな代物だったかもしれないが、名も刻まれない墓標を確かに彩っていった。
「キョーイチ……」
しかし、最後となったポラリスは、何もない掌を僕の方へ向けてくる。
自分が供えようと思える物が手元になく、王国領と違って周囲には草花すら見つからないことが、彼女にはとても辛かったのだろう。ボロボロと大粒の涙が頬を伝っていた。
「なら僕と一緒にお供えしようか」
コクン、とポラリスが頷いてくれたことを確認してから、僕は小さな手を握って墓標の前に膝をつく。
ポーチから取り出した小さな金属を彼女に手渡す。空色の瞳はそれを暫くまじまじと眺めていたが、やがて納得したようにそっと墓前へ置いてくれた。
「空薬莢……拳銃のものか」
「酒も煙草もやらない身だと、中々似合いの物がなくてね。何から何まで、略式のような恰好ですまないが」
死者に安らかなれと祈るには、あまりふさわしくない供物だろう。だが、モーガル・シャップロンという女性の戦いを称えるのなら、悪くはないはずと掌を合わせる。
「いや、これでいい。普通ではないやり方だからこそ、きっとすぐに父が母を見つけてくれるだろう。そう、信じたい」
赤く腫れた目で遠くを見るアランは、少し憑き物が落ちたような表情をしていた。
砕かれて柔らかくなった土も、いずれは降り注ぐ雨風に引き締められて、また強張っていくのだろう。この木や墓標が、自然の力か月日の流れか誰かの手によって、失われる日もいつかは訪れるはず。
それでも僕は、アランが選んだこの場所に、モーガル・シャップロンという名の誇り高き機甲歩兵が眠ることを忘れぬよう、光を失ったヴァミリオン・ガンマのヘッドユニットを目に焼き付けていた。
■
「甲鉄でミクスチャと殴り合いを……?」
マキナ輸送用トレーラーの荷台を見上げていた僕は、骸骨鎧のスリットから漏れてきた報告に対し、ついつい訝し気な声を漏らしてしまった。
しかし、ダマルお得意の冗談の類ではなかったらしく、砲兵隊に同行していたマオリィネは小さく肩を竦めてみせる。
「敵の奇襲部隊を撃退できたのは、ほとんど奇跡みたいなものよ。途中で敵の連れていたミクスチャが離脱してくれなかったら、私たちも窮地に陥っていたと思うわ」
「おかげで、1番機はご覧の通り装甲ぶち抜かれて背骨を粉砕骨折。もう部品取り用くらいにしかならねぇって訳だ」
2番機を使って回収してきたのだろう。1番機は荷台に固定されてはいるものの、骸骨の語った通り、言葉の通り胴体正面の装甲を貫通されて撃破されている。両腕のマニピュレータにも損傷が見られる辺り、殴り合いをしたと言うのも嘘ではないだろう。
甲鉄は重量級の機体を支える以上、単純なパワーならそれなりにあるが、格闘戦を前提としていない機体であるため、手指に関しては見た目の割に繊細なのだ。とてもではないが、硬いミクスチャをぶん殴ってどうにかできるような物では無い。
それでも砲兵隊が独力で敵を突破できた理由となると、十中八九マオリィネの言った通りなのだろう。僕は少し考えてから、その立役者であろう人物へ向き直った。
「ミクスチャの離脱……それは、シューニャの言っていた話が理由だろうか? えぇと――」
「ん。ファティを助けようとして咄嗟に撃ったダンガンが、偶然キムンの腕輪に当たって壊した、らしい」
「なーに謙遜してるッスか! 凄かったんスよ!」
むぎゅという声と共に、シューニャの頭が大きな胸に埋もれる。
ポンチョから伸びた手がパタパタと暴れていたものの、尻尾を楽し気に振り回しているアポロニアは気にした様子もない。
そうして会話を奪い取った――もとい引き継いだ彼女は、まるで機関砲のように言葉を撃ちだした。
「いやぁ、自分も援護しようとしてたんスけど、周りのミクスチャを撃ってたら反応遅れちゃって。間に合えーって思ってたら、横からパンパンって! 慌てて振り向いてみたらこう、ウンテンセキの上から体乗り出したシューニャが、真っすぐケンジュウ構えてて――向こうじゃキムンが武器落として腕押さえてたんスから、もうビックリッス! ねー、ポーちゃん?」
「ねー! けっこうとおかったんだよ! あそこくらい!」
アポロニアのマシンガントークに圧倒されながら、ポラリスの指さした岩を見れば、なるほど30mはあろうか。
その距離で
また犬娘が誇張しているのではないだろうかと、柔らかい圧迫からようやく頭を出したシューニャへと視線を向ければ、間違いないと頷き返してくれた。
それもほんの一瞬。今度は前から跳びついたもう1つの影によって、金紗の髪とキャスケット帽は再び埋もれてしまい、僕にはピンと立ち上がった尻尾だけしか見えなくなった。
「んふふ、やっぱりボクのこと助けてくれたの、シューニャだったんですね。ありがとうございます」
「んみゅぐ……ファティ、首に頬ずりしないで……く、くすぐったい」
「いや、本当によく当てたものだ。訓練の賜物だな」
もぞもぞしていた塊の動きがピタリと止まる。
はて、自分は何か変なことを言ってしまっただろうか。少し不安になって輪の外に居るポラリスへ視線を向けると、彼女も不思議だったらしい。サンドイッチの具にされているシューニャを2人の隙間から覗き込んだ。
「あー、シューナかおまっかー!」
「へぇ、照れてちゃって可愛いッスねぇ?」
「う、うるさい……」
消え入るような声だったため、またファティマとアポロニアに揉みくちゃにされていたが、とりあえず気を悪くしたりしていなくてよかったと僕はホッと息をついた。
その上で、改めて確認しなければならないこともある。
「アラン君、その腕輪とやらについて、何か知っていることはあるかい?」
「……先に聞かせてもらいたいことがある。そのキムン、サンタフェがどうなったのかを」
戦っていた相手の名前に反応してか、ファティマは顔だけをこちらへ向けてくる。その表情は普段通りのボーっとしたもので、これといってサンタフェへの興味や執着は生まれなかったらしい。
「逃がしちゃいました。なんか、ムセンで色々話してるなーと思ってたら、その後とんでもなく力の強いアステリオンが迎えに来て、運ばれて行っちゃったので」
「そうか……生きているんだな」
どこかホッとしたように、アランは小さくため息を吐くと、僕の方へと向き直った。
「あの腕輪や指輪は、イーサ管と呼ばれる装置だ。父が考案したものらしい」
「イーサ管――聞き覚えのない名前だが、どういう効果が?」
「人の声をミクスチャや失敗作にしか伝わらないエーテル共振波という形に変換して、あれらを制御しているそうだ。どちらも人の手で生み出した化物にしか効果はないらしいが、腕輪型はより高出力広範囲にエーテル共振波を生成でき、指輪型による制御を奪い取ることも可能なように作られていると聞く。サンタフェはそれを使って、この車にミクスチャを集中させたんだろう」
要するに化物を操る手綱であるのは間違いないらしい。命令への絶対服従と意思の疎通が可能なら、想像以上に細かい指示も可能なのだろう。想像していたよりも厄介な装置である。
しかし、問題点のない装置というわけでないのは確かであり、ようやく揉みくちゃにされていた中から離脱したシューニャは、裾を払いながら彼に興味の視線を向けた。
「2つ質問がある」
「なんだ」
「腕輪が破壊された後で、ミクスチャの暴走を獣使いは止められなくなっていた。その制御というのは、一旦腕輪に移ってしまうと指輪には戻らなくなるもの?」
「ああ。腕輪はミクスチャの制御者、今で言う獣使いが反乱を起こした場合に、制御を回復して対応するために作られたらしい。だから一旦上書きした制御は戻らないし、もしも腕輪が破壊された場合には、一定時間の硬直を経て野生化していたはずだ」
危険な生物兵器であるために、何らかの使用制限は必ず設けているはずとは思っていたが、想像以上に悪質な方法のセーフティである。とはいえ、仲間すら躊躇いなく殺せる男が、国家など信用する方が不自然なのだが。
シューニャはその答えに満足したらしく、では、と言って人差し指を立てた。
「あなたたちはその腕輪、あるいはその他の装備品で、魔術の行使を妨害することができる?」
「魔術を妨害……? いや、聞いたこともないが」
「ポラリスに何かあったのかい?」
「ん……彼女は先の戦闘において、一時的に魔術を発現できなくなっていた。それも、キムンが撤退して間もなく復調している」
アランが知らないとなると、最早原因究明の可能性は1つしか残されていない。
淡々と語られた状況にガリガリと兜を掻いたダマルは、可能性の前にゆっくり膝をついた。。
「おいおチビ、魔術を使えなくなった時、なんか普段と違うように感じるこたぁなかったか? どんな些細なことでもいい、ヒントをくれ」
「うーんと……こう、くうきがね? ざわざわーってしてるようなかんじで、つかんだところがわたあめみたいにつぶれちゃうっていうか、すなみたいにサラサラながれていっちゃうっていうか――」
「すまん、俺が悪かった」
骸骨、撃沈。
ポラリスも分かってもらおうと努力したのだろうが、彼女の抽象的な説明は神秘であり、ただの人間及び骸骨が理解するには早すぎる代物だったらしい。
となれば、自分の中で何となく噛み砕くしかなく、僕はスノウライト・テクニカの記憶からそれらしき文言を引っ張り出して、現状の理解を作ることにした。
「魔術は元々、エーテル汚染を発端として人類に発現した特殊能力だと言われていた。これが本当なら、そのイーサ管とやらが関与している可能性は高いが、詳しいことまではサッパリってとこかなぁ」
「なーに、俺たちゃ研究者じゃねぇんだ。優先撃破対象が1種類増えただけの話だぜ」
「いや、増えた優先撃破対象は1つじゃない」
「エクシアン」
全員の視線が一斉にアランへ向けられる。
特に奇妙な存在と直接刃を交えたというファティマは、耳慣れない言葉に身を乗り出した。
「それってあの、ボクをぶっとばしてくれたアステリオンのことですか?」
「僕の見かけたケットも同じ類だろうが、アレについては?」
「ルイスが目指している人類進化の形。ミクスチャに比肩する身体能力を持ち、飢えることも病にかかることもなく、最終的には神代に存在した、虚空からエヰテルを取り入れて生きていける存在だと聞いている」
本当に完成してればだが、とアランは最後に付け加える。
パイロットスーツの補助を受けたファティマを吹き飛ばすアステリオンに、プラズマトーチへ生身からエネルギーを供給できるケット。それだけでも、意味の分からなさは際立っていたが、彼の語ったルイスの目標という奴は、生物そのものの在り方を変えてしまうような突拍子もない物だった。
これには自身が
「なんじゃそりゃ。エーテル機関の擬人化じゃねぇとすりゃ、仙人そのものじゃねぇかよ」
「うーん……キメラリアの身から言わせてもらえば、飢えないし病気にもならないのは理想だし、アステリオンがケットに力で勝てるって言うのも凄い話ッスけど、あんまりなりたいとは思えないッスねぇ」
「まぁ、いつミクスチャに化けるかわからないような存在には、誰もなりたくはないだろうが」
たはは、と笑っていたアポロニアの表情がサッと青ざめる。理性を持たないミクスチャに変異する可能性が常に付きまとうというのは、全ての利点をひっくり返すのに余りあるデメリットなのだから。
しかし、アランはそれが当然と言わんばかりに、驚くべき言葉を零した。
「ルイスはミクスチャとキメラリアを同じように考えている。どちらも人類の進化した形で、変わらず愛おしいとよく語っていた」
「い、意味が分かりません。どうやったらあんなキモチワルイのと、ボクみたいに素敵な毛並みのキメラリアが一緒だって思えるんですか」
「自分で言うのね……」
マオリィネが苦笑を浮かべても、ファティマは聞く耳を持たず、自らの尻尾を持ち上げて、ほらよく見てくださいこのフワフワ、とアランに突き付ける。大事だと言う割には、少々雑な扱いに思えたが口にはしなかった。進んで金目に射抜かれたくはない。
一方、アランは慌てたように視線を逸らすと、俺に言うな! と叫んでいた。それも顔を赤らめているあたり、彼の思考はキメラリア的基準に準拠しているのかもしれない。
「ゴホン! お、御大がキメラリアを好んでいるのは事実だ。子どもの頃、何のために研究をしているのかと聞いたことがあるが、その時は人間にキメラリアが虐げられているのが許せないと言っていたからな」
「それっていいことじゃないの?」
お前もそうだろう、と言わんばかりに見上げてくるポラリスに、僕は困った様な笑顔を向ける。
自分は決してキメラリア好きという訳ではないが、人間がキメラリアを差別する考え方には納得できないため、近い考えと言えばそうなのだろう。ポラリスもここに来るまでの間に、幾度かそういう場面を目にしており、疑問に感じていたに違いない。
「やり方を間違っているのがね。歪んだ愛情っていうかさ」
「とりあえず、敵の親玉はケモナー変態性癖ドリーマーだってのがわかりゃ十分だろ。そいつをぶちのめすのも揺るがねぇことが確認できた訳だし、そろそろ肝心のアジトについて教えてくれねぇか? 野郎のふんぞり返ってる玉座はどこにある?」
ダマルはガントレットの中で弄んでいたライターをカチンと鳴らし、細いスリットを青年へ向けて身を乗り出すと、一拍置いてから声を低く問いかける。
赤い瞳は僅かに揺らいだように見えた。
しかし、彼とて最早腹は決まっていたのだろう。深く息を吐いた後、しっかりと顔を上げて口を開いた。
「――皇帝居城。クロウドン城の真下だ」
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