第29話 捕虜取り扱いに関する条文

「運がよかったなァ」


 ダマルは玉匣を南へ向かって走らせながら、ポツリとそんなことを呟く。

 その言葉は決して、車体後方の座席にロープと余っていたシュラフを使って簀巻きにされた斥候兵を指して言ったわけではない。

 先ほどまで月を覆い隠すだけだった雲から、ついに雨粒が零れ始めたのである。

 荒野が続くロックピラー地域では非常に珍しいとシューニャは言っていたが、それが理由なのか、一度降り出すとあっという間にスコールもかくやと言う激しさになっていた。

 テーブルマウンテンのように天頂部が平らになっている岩壁が林立したロックピラーでは、その独特の地形から流れ出す水であちこちが滝のようになり、それらが合流した谷間は浅い川になりつつある。

 全装軌車であるシャルトルズは、渡河行動も可能なようには設計されているため、今のところ水で動けなくなるようなことはなさそうだったが、ダマルはあまりに視程が短いと苦笑していた。


「壁に正面衝突とか勘弁してくれよ」


「だーからゆっくり走ってんだろうが。これで連中の追撃も難しくなっただろうしな」


 車両に乗っている自分たちですら満足に距離を稼げない現状で、歩兵部隊の進軍は困難を極めるに違いない。

 加えて川のように流れる水が、キャタピラの作った轍を消してくれるだろうとダマルは笑う。実際、対策が必要だった事案の1つが消えたのは大きい。

 とはいえ、問題は山積していたが。


「それで、彼女はどうするつもり?」


「そうなんだよねぇ」


 雨のせいで湿度が上がったのではないかと聞きたくなるほど、凄まじくした眼でシューニャは僕を睨む。

 彼女が指しているのは、紛れもなく車両後方の簀巻きのことだった。


「中に連れ込んじまったからには、帝国軍に返すってわけにもいかねぇしなぁ」


「とりあえず、尋問してみるよ」


 それで何かが打開できるとは思わなかったが、とりあえずは状況が落ち着いたこともあり、僕は車両後方へと身を移した。

 ファティマが僕の渡した銃剣を片手に、彼女の監視を続ける中、斥候は口を開くなと言われたことを忠実に守り、必死の形相で口を噤んでいた。


「さて……じゃあ少し話をしようか。僕は天海恭一、放浪者だ。君への尋問は僕が行う。わかる質問には答えてくれ。わからないことは素直にわからないでいい」


 僕は斥候の正面に座る。念のため、僕はボディーアーマーを着たままの姿だ。


「まず君のことを教えて欲しい。名前、軍の中での役職、出自、家族の有無、その他なんでもだ」


 できる限り穏やかに質問したつもりだったが、斥候は不安そうにファティマの方へ視線を流す。するとファティマは手にした銃剣を下ろし、喋ってよしと小さく頷いた。

 ようやく凶器が離れたことに少しだけ安心したらしく、斥候は怯えた上目遣いで僕を見ながらではあるが、ぽつぽつと喋り始めた。


「じ、自分は、アポロニアと言うッス。種族は見ての通りキメラリア・アステリオンで、所属はカサドール帝国軍ハレディ将軍麾下第三軍団のイルバノ百卒隊ッス。出身は……えっと、バックサイドサークルの流浪民族だったもので、よく知らないッス。家族はその、両親から子供の頃に捨てられて以来あったことがなくて、結婚もしてないから今は独り身ッス」


「あー……その、話の腰を折るようで悪いんだが、キメラリア・アスなんとかっていうのは、どういう?」


 あまりにもまとめて喋られたため、最初に言われた種族名を僕は覚えきれていなかった。

 それにもアポロニアは素直に、アステリオンッス、と素直に答えてくれる。少なくとも、何かを渋ったり、隠そうと言う気は今のところないらしい。


「そのアステリオンというのは、どういう種族なんだい?」


 この質問に、彼女は何を聞かれているのかわらかないと言うように首を傾げた。とはいえ、現代人にとっての常識が備わっていない自分にとっては、これも必要な情報なので続きを促す。


「えーっと……こう、他のキメラリアから比べれば自分たちは力が弱くて、小さくて軽いッス。だから軍隊とかに入ると、武器持って戦うよりも自分みたいに斥候兵とか密偵とかやってたりすることが多い、って感じッスか。あと、自分は持久力と足の速さに自信あるッスよ」


 彼女は物はついでと、まるで面接かのように自分をアピールしてみせる。捕虜に能力をアピールされても困るのだが。

 そして、背丈がシューニャよりもなお低いこともあって子供だと思っていたが、彼女は種族的に小さくて軽いとか、結婚はまだと言ったことが気になった。

 何故ならば、さっき彼女を担いで運んだ時に、やけに体の凹凸がハッキリしていることに気づいたからである。


「年齢はいくつだい?」


「20ッス」


 僕とダマルは瞬時に凍りついた。

 女性かつ子供かつ武装解除降伏状態というので収容したわけだが、前提条件が完全に覆されてはぐうの音も出ない。


「そ、それで体格が……」


 あまりの衝撃に口から転がり出た言葉にハッとした。

 やれるものなら、たとえどんな味でも自分の言葉を飲み込みたくなったが、一度発された物は覆しようがない。

 アポロニアの頭から生えている肉厚で小さな獣耳が聞き逃すなどという奇跡も起きなかったらしく、彼女は途端に顔を青ざめさせると爆弾発言を繰り出した。


「えっ、えっと、自分は捕虜ですので文句は言えないッスけど、あの辱めとかは許して欲しいなぁ……なんてぇ」


 彼女からしてみれば、今まさに犯されるのではという恐怖に打ち震えたことだろう。対する僕は、左右からの凄まじい殺気に体を震わせたのだが。

 いきなり捕虜よりも立場が弱くなった気がする。何ならファティマの握っていた銃剣の先端が、僕の咽へと向けられたのだから。


「しないしないしない! 僕は別に捕虜を性的な目で見ていないし、天地神明に誓って勘違いです!」


 途中から敬語になるくらいには、ファティマとシューニャの視線が恐ろしかった。ボディーアーマー程度で防げる代物ではない。

 女性の団結力と言うのは恐ろしい物で、ついさっきまで敵だったはずの簀巻きに、彼女たち2人はあっという間に鞍替えしている。僕の発言が嘘であった場合には、本気で後ろから刺されかねない。

 未だに信用ならぬという表情を向ける2人に対し、セクハラ被害を受けたアポロニアに関してはむしろきょとんとしていた。


「あの……自分で言っといて何ッスけど、捕虜の取り扱いがそれでいいんスか? 殺されるくらいなら、最悪身体ぐらい――」


「企業連合国法の戦時下における捕虜取扱いに関する条文で、虜囚に対する性的暴行等は禁じられています……」


 これ以上余計なことを言うなと、僕は彼女らには呪文にしか聞こえないであろう内容でアポロニアの言葉をかき消した。

 唯一言葉を理解できたダマルはカッカッカと笑っていたが。

 

「お前よく連合国法条文の頭なんて覚えてるなァ? 次はなんだ? 国際平和憲章か? それともマキナ陸戦条約か? 俺ぁ覚えてねぇけどよ!」


「茶化さないでくれ……僕は君みたいに、下心だけで女性と話ができるわけじゃない」


 おぼこちゃんかよぉ、というダマルの呟きに、女性2人の殺意が僕よりも骨に集中する。

 とりあえずの危機は去ったと判断した僕は、何故か内戦状態に突入しつつあった車内で、状況が掴めずにおろおろしているアポロニアに視線を戻す。


「本当ならもう少し色々聞きたかったんだが、もういいや。それよりも、君に伝えておかないといけないことがあるんでね」


 最後の方だけ無理矢理緊張感を持たせようと、相対するアポロニアに鋭い視線を投げかける。

 ややあって、彼女の方も僕の雰囲気の変化に気づいたのか、冷や汗を一筋垂らし、ごくりと喉を鳴らした。


「残念ながら、君が乗っているこの車両を含めて、君が見ていることの全てが帝国軍に漏れるわけにはいかない機密だ。意味がわかるかい?」


「――それってもしかして……自分は何をもってしても解放されない、って事だったり?」


 察しがいいのか、彼女は顔を青ざめさせながらも的確に自分の状況を飲み込む。

 元々この世界における捕虜の扱いや、国同士の捕虜交換条件などは知らないが、ここまで中身を見られた以上、何を条件にしても彼女を帝国軍組織には返せないのだ。


「理由がどうであれ、君が逃げ出そうとすれば僕たちは容赦なく君を殺す。できればそうさせないでほしいが……一応、君が今後どういう身の振り方をしたいかは聞いておこう」


 剣呑な空気に、アポロニアの額は濡れ、質問に対してしばらく空中に視線を泳がせていたが、しばらくしてから大きく深呼吸をして、僕の方へと向き直った。


「自分は、死ぬくらいなら別に軍にも帝国にも未練は、無いッス……自分が殺されたり、痛い思いをしないですむなら、なんでも言うこと、聞くッスから」


「あ゛!? なんでも!? マジで!?」


 ならしばらくは経過観察を、と人が穏便に終わらせようとしていたのに、それをダマルの余計な叫びがかき消した。

 僕が築きなおした真剣な空気が一気に霧散し、再び殺気にあふれる女性陣の視線が車体前方に集中する。それに気づいていないのか、あるいはわざとなのかダマルはハンドルから手を放し、手もみしながら妄想を語る。


「いやぁ~そりゃいいな……さっき見たときも思ったけどよ、アポロニアちゃんは背がちっこいのが難点だけど、顔は可愛い系だし、胸すげぇしなぁ。まずは一緒に湯あみとか――くきぇ」


 何かを回す音がしたかと思うと謎の叫びが聞こえ、最後に何かが崩れ落ちる音がした後、世界は静寂に包まれた。

 運転者を失った玉匣は走行抵抗で自然に停車する。装輪装甲車でなかったことにこれほど感謝したことはなかっただろう。

 その後しばらく、車内には何か乾いた軽い物が床にぶつけられる音が響き続けたのだが、僕は何も見ていない。時々思い出したように、何かの声も聞こえた気がしたが、僕は知らない。知らないことにした。

 人骨が散乱している間、僕は変わって玉匣のハンドルを握った。後ろでアポロニアがヒィと声を出していたのだが、もうそれに関しても何も言うまい。

 走り出してからしばらく後、雨脚はいやまして強まり、視界はそれに応じて極端に悪くなってくる。

 谷間は増水して濁流となったことに身の危険を感じ、僕は通りがかった僅かな高台の木の下で玉匣を停めた。


「ここで今日は休息に―――」


 出かかった言葉は、車内の様子に喉の奥へと引っ込んだ。

 ダマルの解体で疲れたわけではないだろうが、車両の後ろに作られた寝台で、既に女性2人は夢の世界に旅立っていた。

 心身ともに疲れ切っていたに違いない。何せ朝早くから試合に呼び出された挙句、驚天動地ともいえる依頼を受け、買い物をして玉匣に戻れば今度は帝国軍の襲撃を受けたのだから。

 僕が伸びをしながら運転席を立つと、足に何かがぶつかって視線を落とす。

 そこにはダマルの頭蓋骨が転がっていた。しかし蹴られても一言も発さないあたり、どうやら解体された状態で眠っているらしい。

 見た目で眠っているかどうかなど、予想することすらできないというのに、なんとなく僕はそう感じて、頭蓋骨を運転席の上に置いておいた。

 頭だけでも寝られるなど器用なものだと感心しながら、僕も荷物庫から寝袋を引っ張り出して横になる。


「あの……」


 頭上から声がかかったのはその時だ。

 見ればまだ眠っていなかったらしいアポロニアが、何故か真っ赤な顔で目を潤ませながらこちらを見ていた。相変わらずロープと寝袋で簀巻きにされ身動きが取れないままだが、何か息苦しそうにもぞもぞと動いている。


「まだ起きていたのかい」


 ロープは多少緩めてあったため、眠れないということもないだろうが、そもそも敵のど真ん中で寝ろというのも無理な話なのだろう。

 体調を崩されでもしたら不味いので、できるだけ柔らかい声で、早く寝なさい、と伝える。

 こちらに害意がないと分かれば、少しくらいは眠れるだろう。

 だが、アポロニアはブンブンと首を横に振った。


「そ、その……あ、あの、自分縛られて動けないッス」


「そりゃ、そうだね」


 何をわかりきったことを、と僕が首をかしげると、非常に恨めし気な視線を向けられた。

 一体なんだと言うのだろう。

 疲労した頭の演算が悪いのか、あるいは僕の空気を読むなどという能力が欠如しているのかはわからないが、彼女の涙目の訴えは何故か要領を得ない。


「じ、自分は、その、だから、いわゆる堤が崩れそうとでも表現すればいいッスかね……?」


「すまないが、用がないなら眠らせてくれるかい? 僕もちょっとは休みたいんだ」


「ま、待ってほしいッス! ですから――」


 しばらくまたもごもごと言ってから、アポロニアは意を決したように目を結び、それを再び見開いて叫んだ。


「もう我慢の限界ッス! 漏れそうなんで助けてほしいッス!」


 一瞬の後、流石にここまで言われれば疲労した脳味噌でも合点がいった。なるほど、それは確かに言い出しにくいだろうと、悠長に考える思考回路に驚愕と言う過電流が迸る。


「ちょっ、待て! もう少し耐えてくれ、直ぐ解くから!」


「急いでほしいッス! もう、もう本気で限界が!」


 バタバタと慌ててロープを解きにかかるも、あまりにも巧みなシューニャのロープワークは中々解けなかった。人間を縛ることに慣れているわけではないだろうが、驚くほどしっかり固定されているのである。

 ならばロープを切断すればいいのかもしれないが、マキナを吊り上げられるほど強靭な繊維はそう簡単に切れるものでもない。


「ま、まだッスか!? あ……ちょ、もう、も、漏れ」


「もう少しだから、頑張れってくれって!」


 もがき苦しむ彼女を見ながら、僕はそれなりに長い時間をかけて、ようやくロープを解くことに成功した。


「よし解けた! 急いで外へ!」


 途端にシュラフから飛び出し、アポロニアは玉匣の外へ転がり出ると、ハッチから洩れる光の中で、慌てながら下履きを下ろそうとしてチラとこちらを振り向く。


「こ、ここから先も見られてないとダメッスかね!?」


「後ろを向いているから、早く済ませてくれよ」


 痙攣するように震える彼女は、僕が後ろを向いたことを確認してアハハ、と小さく笑った。


「お、お気遣い感謝す――あ」


 しかし、最後のは、彼女と僕の努力が空しくも悲劇的結末に終わった事を示していた。

 僕は雨水が全ての悲しみと、この一連の事件を洗い流してくれることを期待して、天を仰いで目を覆ったのだ。

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