第313話 権力者たちの見立て

 夜の帳が降りた瓦礫の町。

 そこには独特の臭いと緊張感が燻ってはいたものの、既に決した勝敗を覆す術を持つ者は居らず、焼け残った要塞施設を占領した反帝国連合軍は、ようやくひと時ばかりの休息を手にしていた。

 兵士達が疲労のピークを迎えていたのは言うまでもない。酒盛りのような光景も見られなかったわけではないが、それは戦勝の宴と呼ぶにはあまりに質素なもので、不寝番を除いたほとんどの者は、食事を済ませるや否や汚れたからだもそのままに、泥のような眠りへ落ちていた。

 朝日が昇れば、帝都クロウドンへ向かう最後の行軍が待っている。だからこそ、身分や立場に関わらず、誰もがくたびれた体と頭を1分1秒でも長く休ませたいと思ったに違いない。

 一方、間もなく深夜に至ろうかという時刻に至ってなお、蝋燭の光を漏らしている部屋もある。

 その入口にかけられた扉代わりの布へ、薄い影が落とされた。


「太母様、本部よりホウヅクが届きましてございます」


 落ち着きのある女性の声に、1拍の沈黙。

 部屋の中から聞こえてきたのは、トントンとパイプを叩く音である。


「失礼致します」


 空間を隔てる布を音もなく揺らして現れたのは、健康的なうら若い乙女である。

 短く切りそろえられた美しい灰色の髪に、額で金色に輝く小さなサークレット。鮮やかなストール1枚のみに覆われているように見える体には、女性らしい起伏はハッキリと自己主張をしており、スラリと長い手足と浅黒い肌は、健康的というよりむしろ蠱惑的だった。

 使用人と呼ぶには無理のある格好であろう。しかし、彼女は慣れた様子でしずしずと歩みより、小さな手紙をそっと机の上に差し出した。

 呆れたように吐き出される紫煙。やけに上質なスクロールは、部屋の主にとって見慣れたもので、その送り主は中身を見ずとも明らかだった。


「フン、戦から夜も明けぬうちに文を届けるとは、の連中は随分手際がいいねぇ? まるでどこかから見ていたようじゃないか」


 グランマはそう言いながら、大儀そうに細い紐を解くと、懐からモノクルを取り出して中身に目を通していく。その間、美しい乙女はその傍で床に片膝をついたまま、石像と化したかのごとく微動だにしなかった。

 蝋燭の炎だけが揺れる、沈黙の時間。それは老婆がクッと喉を鳴らしたことで終わりを告げた。


「まったく笑わせてくれるよ、スィノニームの椅子にしがみつくしか能のない耄碌もうろく爺共め。ここまで日和見を決め込んでおいて、今更反帝国連合への支援をとして行いたいとさ。どう思う、マリベル?」


「はい、本部は勝ち戦のお零れに預かりたいのでしょう。自ら死肉を作り出す分、ポインティエイトの方が幾分マシかと」


 静かに巻き起こるマリベルの怒気に、グランマはクククと肩を揺する。


「そのくらいならまだ可愛いもんさね。爺共の狙いはお零れなんかじゃない。アタシらが反帝国連合と結んだ同盟関係そのものをかっ攫おうって腹なのさ。外には自分たちが末端に指示を出していたように見せかけ、内には組織の相互利益とかいうしょうもない理由を掲げてね」


 華奢な拳が握られる。

 多くの私兵を抱えているコレクタユニオン本部の影響力は絶大で、従わなければグランマといえど反逆者とされるだろう。それは全ての立場を失った上、多額の賞金がかかったお尋ね者となることをも意味している。

 しかし、小さく肩を震わせたマリベルに対し、グランマはニィと顔を歪めると、手元の蝋燭でスクロールに火をつけた。


「全く、おめでたい老耄おいぼれ共だよ。次期総支配人の立場までチラつかせやがって。奴らはどうあっても、人は組織や立場だけで動くものだと信じて疑わないらしい。その大した信心のおかげかは知らないが、運はアタシらに味方してる」


「ラルマンジャ・シロフスキのことですか。まさかリベレイタ・ファティマが生け捕るとは思いもよりませんでしたが」


「そういえばアンタは知り合いだったねぇ。彼女のおかげで、アタシはなんの小細工もなしに、こうして爺共の手紙を焼き捨てられる。うまく機会を得られそうなら、英雄共々精一杯もてなしてやるんだね」


「は――はい、よろこんで」


 一瞬間を置いて、マリベルはクスリと小さな笑みを浮かべる。

 だがその内心では、グランマがファティマのことを、ケットとも猫ともリベレイタとも呼ばずと称したことに、マリベルはとても驚き、そこから小さな嬉しさも覚えていた。

 ファティマといえば、ヘンメ・コレクタには珍しい女性の内の1人で、シューニャと同じく中々の変わり者。そんな彼女とマリベルの接点は、やはりコレクタリーダーであるヘンメという共通の話題である。特にバックサイドサークルの中では、愚痴を共有できる気軽なキメラリアの友人だった。

 そんなファティマを、グランマが英雄と同列に語るなど、マリベルにとっては空が割れる程の天変地異に他ならない。

 しかし、片や賓客となった友人、片や伝説と呼ぶべき英雄。その2人を自らがことを想像すれば、赤い舌は無意識のうちに唇を這っていた。

 マリベルが頭を下げていたことで、グランマは彼女の顔など見えてはいない。だが、うら若い乙女の感情程度、何が見えずとも老婆には手に取るようにわかっており、マリベルの様子に満足したグランマは、大儀そうに椅子から腰を浮かせた。


「さぁて、大願の鏑矢を放つにはいい夜だ。そうだろう、マリベル?」


「御心のままに。太母様」


 揺らめく影はまたしずしずと去っていく。

 その音にすらならない1歩によって、小さな白い灰がフワリと宙を舞った。

 インクの残滓すら失ったそれは、間もなく埃に紛れ、部屋の片隅へと消えていくだけだったが。



 ■



「閣下、1つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 プランシェがなんの脈絡もなくそう問いかけてきたのは、アルキエルモより出立して間もなく、峠道の街道が枯れ沢に沿った頃だった。

 2列縦隊で行軍する兵達の前ということもあってか、持ち上げた兜の面頬に見える表情は、いつにも増して堅苦しい。目も眉も唇さえも、キリリと緊張させているのがわかる。

 そんな彼女と向き合う以上、俺もムッと顔に力を込めた。


「申してみよ。出発早々、昼飯の心配でなければだがな」


 周囲でガチャリと鳴った鎧の音。足並みを揃えた行軍のものとは明らかに異なったそれに、プランシェが気付かぬはずもない。

 俺の位置からぐるりと巡らされた兜の中身は見えずとも、彼女が魔物の如き形相をしていたことは容易に想像できた。というのも、運悪く視線の先に居合わせた兵たちは、皆揃って背中に鉄の棒を当てているかのように背筋を伸ばし、正面に固定した顔をピクリとも動かさなくなったのだから。

 自分は何も聞いておりません。兵たちの背中からは、そんな声が聞こえてくるようだった。

 俺が気さくに話しすぎることに兵たちが影響されているのかもしれないが、プランシェとてダヴェンポート男爵家の血筋を持つ立派な貴族なのだ。ただの庶民に過ぎない一兵卒が無礼と見咎められれば、再びユライアの土を踏むことができなくなってしまいかねないのだから。

 おかげでプランシェが何も言わないままこちらへ向き直った途端、彼らは気づかれないよう静かに胸を撫で下ろしていたようだった。

 無論、本人は全く納得していないらしく、不服そうな表情をハッキリと浮かべていたが。


「人を食いしん坊のように言わないでいただきたい。某は人より少し、ほんっ――の少しばかり、よくお腹が空くだけですから」


「そう睨むなよ、ほんの冗談ではないか。それで?」


 無理に話題を元に戻そうとすれば、深い青色の半眼はしばらく沈黙を貫いていた。

 余計な茶々を入れた本人がそんなことを言うのだから、プランシェの反応も当然だろう。しかし、それでも敢えてにこやかに、何ならわざとらしく思えるほど歯を見せて笑ってやれば、大きなため息と共に彼女は口を尖らせた。


「英雄殿とその連れ合い方のことですよ。某は今日、1度もお見かけしていないのですが」


 は? と咄嗟に声が出た。

 岩石のように固まった顔をする者だから、一体どんな問いかけがあるのかと身構えていたというのに、そんな自分さえ馬鹿らしく思える。こればかりはプランシェが一層視線を険しくしたところで、肩を竦める他にない。


「なァんだそんなことか。アマミらであれば、夜明け前に先発しておるわ」


「先発……なるほど、また偵察をお願いしたのですか。かの車の足は素晴らしいですし、もしかすると今頃、クロウドンへ着いているやも知れませんね」


「いや、別に偵察を頼んだわけではないが」


 自らの堅苦しい考察に相当の自信があったのだろう。顎に手を当ててうんうん頷いていた彼女が、俺の返答にポカンと口を開けた間抜け面を晒したのは言うまでもない。

 それも間もなく、酷く訝し気な表情へと切り替わったが。


「で、では一体何のために……まさか、あの方々だけでクロウドンへの先行奇襲攻撃を――!?」


「そんな馬鹿な話があるか。お前は普段鋼のような堅物である割に、時折突拍子もないことを想像し早合点しおるなぁ」


 悪い癖だとため息が出る。

 真面目で利口で何事も小器用にこなし、武勇においても名を馳せる騎士。何より、俺が自ら選任した以上、彼女が優秀な副官であることは疑いようがないのだ。

 ないのだが、やはり人には長所もあれば短所もあるもので、どうにもこの思い込みの激しさだけは頂けない。騎士になる前には、その所為で縁談を断られる事態になったことまであると噂される始末。

 ただ、プランシェという女は何事にも生真面目である。自らの悪癖についてはよく理解しており、俺が指摘すれば途端に、またやってしまったとばかりに小さくなった。

 自らを省みられるのならば、外から責め立てるのは余計であろう。俺は小さく顎を撫で、彼女の疑問に答えてやることにした。


「我らの目標がカサドール帝国という脅威の打倒によって、祖国に安寧と繁栄をもたすことであるように、アマミたちはこの戦争においてミクスチャを生み出す技術の根絶を目指している。今回の先発についても、ここに至るまでの行動についても、すべては我らが一致して、各々の目標を達するために必要と判断したというだけに過ぎん」


「それは、そうなのでしょうが……正直に申しますと、自分には英雄と謳われる御方が何を考えて行動されておられるのか、全く想像がつかないのです。閣下は、ご存じなのですか? 大国をも凌ぐ力を持つアマミ殿が、この戦争を終えた後に何を成そうとされているのかを」


 ふむ、と小さく首を傾ける。

 アマミやそれに連なる者たちについて、わかっていることは多くない。それでも王国の中においてなら、まだ俺は知っている方だろうか。

 怪物を退ける神代の蛮力を扱い、常識はずれの技術や知識を抱える存在。外面だけを語るならば、それ以外は些末な問題に過ぎない。

 プランシェが憂いた表情を見せるのは、アマミの恐るべき力を肌で感じたからだろう。

 ただ、俺はあの男と重ねてきた言葉を思い出すと、なんだかそれが酷く的外れなことに思えてならず、フンスと大きく鼻息を吐いて口の端を持ち上げた。


「さぁてどうだろうな。気になるのなら、連中が戻ってきた時にでも、アマミに直接聞いてみるがよかろう」


 俺の曖昧な返事に、副官殿はまた不服そうな表情を浮かべる。

 だが、他人の口から語ることではなかろう。そもそも、あの奇怪な優男について、自分の考えが正しいなどと誰が言えるものか。

 それでも俺がプランシェの憂慮が的外れと感じたのは、自分の中にあるアマミという男が、貴族の持つ権力や名声という欲望からかけ離れた存在であるということが、妙に確信めいているからだろう。

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