第314話 穀物畑を行くインターリュード
『なんつーか、イメージと違ったなァ』
唐突に聞こえてきたダマルの不思議そうな声に、僕はシューニャの隣から運転席のモニターを覗き込んだ。
「何が?」
『この辺一帯のことさ。ノーリーフなんてけったいな地名してやがるもんだから、今まで以上に草木の生えねぇ場所かと思ってたんだがよ。蓋を開けてみりゃ、しっかり畑作してんじゃねぇか』
後方カメラに映る、マキナ輸送用トレーラーの運転席で、骸骨は斜面の下に広がる平地を眺めていた。
遠目には地面全体が暗い茶色に覆われているようにしか見えないのだが、側方モニターを動かしてみたところ、なるほどそこはダマルの言う通り耕作地らしい。暗く地面を染めているものは、どうやら纏まって植えられた背の高い植物のようで、その隙間には人が踏み固めただけの道が覗き、獣除けなのか石を積み上げた簡単な塀も見つけられた。
とはいえ、そうなると地名には確かに疑問が残るため、シューニャにちらと視線を向けると、彼女は待っていたかのようにキラリと翠色の瞳を輝かせた。
「あれはササモコの畑」
「バックサイドサークルで売っていたアレか」
記憶を掘り起こせば、以前シューニャが食料として買い込んでいた、茶色いトウモロコシといったような見た目の物がそんな名前だった気がする。帝国領では主食として食べられているらしく、ファティマが作ってくれたスープにも入っていた覚えもあるし、あの歯が砕けそうなほど固い黒パンの材料でもあったはず。
「ん、ササモコは乾燥した場所で育つと、ほとんど葉をつけず背が高くなることが知られている。だから、ノーリーフという名前は、ササモコの栽培が盛んであることに由来していると聞く。その収穫量は初代皇帝エンシア・カサドールを感動させ、この地に帝都が築かれるきっかけとなった、と言われるほど」
「帝都を支える穀倉地帯、ということか。壮大な話だ」
ユライアランドとユライアシティの関係がそうであるように、物流が貧弱な現代において、食糧生産拠点が都市と隣接するのは自然なことなのだろう。そう思えば、初代皇帝が収穫高に感動したという話も頷ける。
ただ、それが過去の栄光に過ぎないことも事実らしく、僕の腰に腕を回して脇腹あたりから顔をのぞかせたアポロニアは、困ったような表情を浮かべていた。
「最近じゃ、そのササモコすらどんどん採れなくなってきてるらしいッスけどね。クロウドン出身で元々農民だった同僚から聞いた話じゃ、種蒔きの季節が来ても雨が全然降らないせいで、農民は税を納めるどころか自分たちの食事にすら困るような状況らしいッスよ。そいつが兵士やってたのも、家の食い扶持を減らすためだって言ってたッスから」
「食糧難だとは聞いていたが、そんなに酷いのかい」
自分が職業軍人だったからだろうか。やむにやまれぬ事情で兵士になったというのは、ただ国全体が飢餓状態と言われるよりも断然やるせない気持ちがこみあげてくる。
それはダマルも同じだったらしく、ため息をつくように小さく骨を鳴らした。
『カー……そう思うと、俺たちの時代は恵まれてたよなぁ? 生産過剰だとか賞味期限切れだとか言って、食えるもんをバカスカ廃棄してたんだからよ』
800年前の価値観において言えば、農作物の価格を崩壊させず衛生的な食事を行うため、食品の廃棄が必要だったことは否めない。
ただ、現代と比べて考えると、やはり贅沢なことをしていたのだと痛感させられる。
それも自分でさえそう感じるのだから、過去を知らない女性陣が、驚いたように目を見開くのも当然だろう。
「昔は捨てるほど食べ物の余裕があった、ということ?」
「世界全体がそうだったとは言えないけど、少なくとも僕らの国ではそんな感じだったかな」
『信じられないわね……もしかして、昔は人の数が少なかった、とかかしら?』
『んなわけねぇだろ。少子化が進んでた企業連合だけでも、10億人以上が暮らしてたっつーの』
ダマルが数字を口にした途端、今まで一定のリズムを奏でていたエーテル機関がガォンと唸り、車体がガタガタとぎこちなく揺れる。
それにアポロニアは驚いたのだろう。キャンと小さな悲鳴が上がり、僕の腰に回されていた腕に力が入る。それと同時に、相当な質量のある柔らかいものが背中に押し付けられた気がした。
相変わらず凄まじい威力だと思う。しかし、僕とてスキンシップには慣れているのだ。素早く離れたアポロニアを案じて振り返るにしても、平静を保つことくらい造作もない。
だが、その考えは甘かったらしい。
いつもなら悪戯っぽい笑みを浮かべているはずの彼女は、僕と目が合った途端、上体を捩じりながら両腕で胸を覆い隠し、恥ずかしそうに頬を染めながらたははと笑う。いや何故だ、いつも平然とスキンシップをしてくるというのに、そういうギャップは反則――。
「――なんて?」
シューニャの平坦な声に救われた。
よからぬ想像を咳払い1つで振り払い、彼女への回答に無理矢理思考を切り替える。
「ん゛ん゛ッ! 10億人超で間違いないよ。企業連合という国は、世界最大の人口と領土面積を抱える大国でね」
「き、聞き間違いじゃなかった……」
『ごめんなさい、ちょっと頭が痛くなってきたわ』
こちらが人知れず頭を冷却している最中、シューニャは全く別方面の困惑によってこめかみを押さえていた。多分だが、無線の向こうに居るマオリィネも、同じような格好をしていたことだろう。ただでさえ彼女は、1つの町を治める領主家の娘なのだから。
一方、アポロニアの後ろから顔を出したファティマは、不思議そうに大きな耳を揺らした。
「ねぇアポロニア。ボク、数字って銅貨1000枚で銀貨1枚っていう風に覚えたので、その先の数え方知らないんですけど、オクってどれくらいの数かわかります?」
「な、何で自分に聞くッスか」
意外な名指しだったからか、あるいは何かを引きずっていたのか、アポロニアの肩がビクリと揺れる。太い尻尾が股の間へ滑り込んでいるのは無意識なのだろう。
ただ、ファティマは先ほどのやり取りを見ていなかったらしく、彼女の異様な驚きようにも訝し気な表情を浮かべるだけだった。
「斥候兵って敵の数とか報告するでしょ? だから詳しいかなって思って聞いたんですけど」
「あ、あぁ、なるほど……そりゃあ軍団長付きとかの斥候なら学もあるとは思うッスけど、自分はバックサイドサークルに引き籠ってた留守番部隊の斥候ッスよ? 怪しい輩がたむろしているのを見かけましたァ! なーんて言ったとこで、報告で10人とか言ったら珍しいくらいだったッス――ってぇことで、シューニャ?」
嘘は言っていないのだろうが、どうにも逃げるような早口で捲し立てたアポロニアは、そのぎこちない様子を崩さないまま質問を運転席へ投げる。たとえファティマが右から左へ首を傾げる方向を移しても、アハハと乾いた笑いを残すのみ。
そんな2人の様子に、シューニャもちらと視線を流したものの、どうやら不思議には思わなかったらしい。少し間があいたのは、2人でもわかりそうな例えを考えていたからだろう。
「1000枚の銀貨を全て青銅貨に両替した数、くらい」
「あ、もういいです。絶対数えられません、無理です」
そう言い残すと、ファティマはパッタパッタと大きく尻尾を振りながら、愛用の寝台へ潜り込んでいく。解放されたアポロニアがはぁと安堵の息を吐く一方、後方からは、うぐにゅぅ、という呻き声が聞こえてきた。どうやらファティマは、眠っているポラリスを抱き枕にでもしたらしい。
ただ、猫娘が夢の世界へ旅立つほどの時間は、残されていなかったようだ。
『見えた。前方の横穴だ』
アランからの無線に、僕は再びモニターへ視線を移す。ポラリスに交代してもらって、砲手席から道案内を行っていた彼は、ポラリスに教えてもらった覚束ない操作で、砲塔上のカメラを岩山にぽっかりと開いた洞窟へ向けていた。
■
見上げるほどに大きな穴。
アランからの情報によれば、元は何かしらの生物が作った巣穴らしい。玉匣が余裕で入れるほどの幅と天井高がある辺り、製作者は相当な巨体の持ち主だったのだろう。これまでに遭遇した現代生物の凶暴性を思うと、できれば一生会わないことを願いたい。
『周囲に生体反応なし。ファティ、どうだい?』
「んー、特に変な臭いはないですし、足音とか話し声も聞こえませんね。大丈夫だと思います」
『よし、これで周囲一帯はクリアだ。ダマル、そちらの準備は?』
『移乗と弾薬の積み込みはオッケーだ。んで、甲鉄に関しちゃ自動操縦で起動してるぜ。お前の予想通り、第三世代慣れした赤目君にゃ荷が重いみてぇだしよ』
甲鉄や素銅は第一世代型と呼ばれる通り、戦闘用マキナでも最初期に作られた機体であり、リッゲンバッハ教授によって規格化されたインターフェースを持つ第二世代型以降のマキナとは、操作が全く違うといっても過言ではない。無論、第二世代型登場以後には規格化されたインターフェースへの更新が実施されてはいたものの、自分たちがガーデンから引っ張り出してきた2機の甲鉄は、軍から完全に忘れられていたのか、操縦系統が旧式のままだった。
それでも、戦力化できるマキナなど自分たちの手には甲鉄しかなく、とりあえずで試してみたのだが、やはり旧式インターフェースの特別訓練を受けずに動かせるものではなかったらしい。
ただそれだけのこと。しかし、無線の向こうから聞こえてきた下顎骨の音が、いつもよりわざとらしく感じられたのは、決して僕の気のせいではないだろう。
サフェージュの時にしてもそうだが、ただでさえこの骸骨は同姓に対して厳しい節がある。それも、以前黒鋼の装甲ごと鎖骨を撃ち抜かれたこともあってか、アランへの当たりは輪をかけて強い気がしてならない。
ただ、モーガルの下で戦ってきた青年は、それで委縮するほど弱くなかったようだが。
『チッ……いちいち鬱陶しい人骨だな。お前など、第二世代機すらまともに操縦できない癖に』
『あ゛あ゛ん? パイロットとメカニックを同列に語るんじゃねぇよド素人が。ついこの間まで敵だった野郎が、マキナに乗れる機会を与えられるだけでもありがたいと思いやがれ!』
『はいはい、いちいち喧嘩しないで頂戴。ファティマとアポロニアがこのところようやく、犬だ猫だって言わないで静かになってきたと思ったら、今度は貴方たちが代わりという訳?』
呆れたようなマオリィネの声に、まだ何か言おうとしていた2人は、まるで示し合わせていたかのように揃って呻きを残し押し黙る。
敵味方のわだかまりは簡単に消えず、たかが1日そこらで手を取り合えというのはなお難しい。それはマオリィネとて変わらず、むしろ王国騎士という立場からすれば、ミクスチャによる蛮行に人一倍の恨みを抱いているのが当然だろう。
そんな彼女が率先して余計な諍いを起こすなと言い放ったのである。思いもがけない方向からの停戦命令に2人は黙り込んだ。何なら、アランを独断で受け入れた僕としても、彼女の言葉には胸に来るものがある。
一方、比較対象にされたアポロニアは、いやいや、と声を上げた。
『自分はこうみえて大人ッスから。ファティマのこともアレはアレで可愛い妹みたい、って思えるようになっただけッスよぉ』
「気持ち悪いですね、誰が妹ですか。大体、大人って言いますけど、無駄に歳ばっかり重ねて、大きくなっていってるのは胸だけでしょ」
大きく振られるファティマの長い尻尾が、翡翠の装甲をパシパシと叩いてくる。それも種族の持つ本能的な行動故か、少々痛そうにも思える程の勢いで。
しかし、彼女がサラリと口にした一言は、そんな心配を失念させるには十分すぎる威力であり、世界に刹那の沈黙をもたらした後、無線から妙なざわめきが沸き起こった。
『えっ……え゛え゛ーッ!? アポロ姉ちゃん、まだおおきくなるの!? もうじゅうぶんじゃない!?』
『世界は理不尽……りふじん……』
『ちょ、な、このエロ猫! 何で知って――あ、いや、違うんスよ!?』
無念、アポロニア。疑惑に過ぎなかった猫娘の言葉は、小さな八重歯の覗く彼女自身の口によって、ここに立証を見たのである。それがアステリオンという種族だからなのか、あるいは彼女自身の身体的個性によるものかはわからないが。
ただ思い出されるのはあの質量。
大小によって貴賤があるなどと僕は思わないが、アラネア糸で作られたダスターコート越しですら感じられる圧力を、アポロニアの魅力でないと誰が言えようか。いや、言えるはずがない。
と、そこまで考えてハッとした。何せ隣から、金色の視線がしっかり翡翠のアイユニットを捉えていたのだから。
沈黙は金かもしれないが、現状では妄想にふける変態に他ならない。ただ、ここで言い訳などした日には碌なことにならないのは目に見えていたため、僕はあえて身動きすらしないまま黙り込んでいた。
その空気を打ち破ったのは、やはり凛とした御貴族様の呆れ声ある。
『はぁ……これでご自分たちの不毛さをご理解いただけたかしら? お2人さん?』
『……なんか、すまん』
骸骨の申し訳なさそうな声と、フンと不服気に鳴ったアランの鼻に、内心助かったと思っていたことは秘密にしておこう。
『ま、まぁまぁ、身内の問題は一旦置いておいて、とりあえず話を元に戻そう。周辺の状況についてなんだが』
『あぁ、そういやトレーラーを隠しとけそうな場所は見つかったのか?』
『いや、ダメだな。最初に見た感じの通り、大きな遮蔽物が無さすぎる。これなら、洞窟の入口に突っ込んで置いた方がまだマシだよ』
『マジかよ。敵の拠点入口に置いとく不安があっても、周りから見え放題の岩陰に露天放置するよかマシだってのか?』
いかに広いと言っても、玉匣以上に車体長が長く悪路走破性の低いマキナ輸送用トレーラーを洞窟の奥まで連れ込むのは、移動の面から見ても戦闘の面から見ても無謀なのは明らで、放置していくしか選択肢はない。
これが玉匣であれば躊躇ったかもしれないが、あくまでトレーラーは予備車両である。
ただでさえ古代基準の万全が満たせたことなど、僕らは現代に目覚めてから今まで1度たりともなく、どうせこの先も永遠に変わらないのだ。それは当然ダマルも理解しており、やれやれと肩を竦めて見せた。
『こんなことなら、盗難補償にでも入っときゃよかったなァ』
『全くだ。800年も切れっぱなしの車検をなんとかできるなら、是非手続きをしておいてくれ』
『おいおい、勘弁してくれ。数世紀もののヴィンテージなんぞ通した日にゃ、車両環境税だけで俺の年収がお星さまになっちまう』
懐かしい響きに、そんなものもあったなぁとため息が出る。
旧型車両の環境負荷に対する課税、というのが国のお題目ではあったものの、内実は政府の中でも強い力を持っていた自動車産業が、国民へ新車買い替えを迫るために作った制度に過ぎない。実に企業連合らしいやり方である。
それも今となっては遥か過去の残り香に過ぎず、僕らのふざけたやり取りに対し、シューニャは不満そうな声を上げた。
『……話の内容がサッパリわからないのが悔しい』
「やめましょうシューニャ。聞くだけ無駄ですよ、きっと」
『オトナになったらわかる?』
面白くもなさそうに大きな耳を弾くファティマと、無線越しに何か期待の籠った声を出すポラリス。各々らしい反応ではあるが、それにあえて甲乙つけるならば正しいのは前者だろうと苦笑する。
『気にしなくていいよ、ただの戯言だ。これより内部に侵入する。皆、周辺警戒を怠らないように』
『ん、了解』
後ろからガラガラという履帯の音が聞こえてきたのを確認し、僕はファティマを引き連れてゆっくりと洞窟の中へ足を踏み入れた。わずかに進んだだけで日の光は届かなくなり、間もなくあたり一面が暗闇によって支配される。念のためとライトを消していれば、翡翠のシステムが光量の急激な低下を感知し、自動的に暗視モードが立ち上がった。
そんな人の目では輪郭すらわからなくなる闇の中を、ファティマは暗視装置も持たずにスイスイ進んでいくのだから、キメラリアの感覚には恐れ入る。
とはいえ、どれほど光を発さないよう努めたところで、玉匣や翡翠の盛大な駆動音は抑えられないため、気休め以上の効果はないだろう。
『洞窟には何もないと言っているだろう。警戒するだけ無駄だぞ』
『別に君を信用していないわけじゃない。ただ、念には念をってだけだよ』
『……母のようなことを言うな、アンタは』
アランの声からは困惑が伝わってきたが、僕としては光栄だと思う。
ただでさえ、敵はこちらが接近していることを知っているのだ。彼が知らない何かを置いていても不思議ではない。
しかし、彼のナビに従って奥へ奥へと歩みを進めても、辺りに動くものは小動物の1匹すら見当たらない。それでもと警戒を解かないようにゆっくり進めば、暗視モードの向こう側に土の浸食を拒んでいる人工物が現れた。
『これは……防火隔壁か?』
『この壁の先がイーサセラ。俺たち以外誰も知らない、ルイスが作った秘密のテクニカだ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます