第315話 突入

 重々しく開いた防火隔壁の先に広がっていたのは、コンクリートで舗装された広い空間である。

 どうやら、ここまで車両が乗り入れる前提で作られていたらしく、周囲にはプラットフォームが見て取れた。


『強固なシェルター、ってわけじゃなさそうだね』


『エネルギー供給さえ生きてりゃ、自己修復素材は800年も耐えられるってか? 多宝ケミカルの開発者連中、もし生きてたとしたら技術表彰もんだぜ。だが――』


 ちょっと、とアポロニアが窮屈そうに声を上げるのも気にせず、ダマルは上部ハッチから銀の兜を覗かせ、ため息を吐くように一言。


「なんだってんだよ、この有様は?」


 辺りに点々と転がる人間の死体。血の跡を見る限り、殺されてからそう時間は経っていないように思える。


「仲間割れでもしたんでしょうか? つまんないですね」


『いやいや、手間が省けた上にダンヤクの補給もできるなんて、自分たち的には万々歳じゃないッスか』


『そんなに単純なことかしら? いくら劣勢だからって、ヴィンディケイタが簡単に誓いを破るとは思えないし……罠だったりしない?』


 マオリィネの訝しげな声を背に、僕は周囲にスキャンを走らせる。

 検知されるのは生命反応の失われた肉体と、その傍らに転がっている銃火器。

 アランから聞かされていた通り、彼らはルイスの居城であるイーサセラ・テクニカを護っていた、ヴィンディケイタに相当する私兵隊なのだろう。

 カサドール帝国との同盟が失われ、シャップロン親子が敵となったことを知った彼らは、隔壁の外からやってくるであろう侵略者をここで迎撃するつもりだったに違いない。

 酷く破損した亡骸の片隅に、僕は翡翠の膝を床につけた。


『人間同士で争ったと言うより、獣に襲われたような感じかな。その上、まともに反撃すら出来なかったらしい』


 床に転がっていた自動小銃は、目の前で事切れている兵士が使っていた物であろう。

 それを玉匣の上に向かって差し出せば、受け取った骸骨は弾倉の小窓を覗きこみ、だろうな、と呟いた。


「予備弾薬どころか、マガジンの中までほぼ手付かずって訳だ。そこで転がってる原始人アドバンスの腕がどの程度だったかは知らねぇが、まともにトリガも引けてねぇとなると、よっぽど想定外の方向から噛み付かれたんだろうよ。さて、その害獣はどこのどいつだろうな?」


『私兵は人間ばかりで構成されていた。劣等種である人間をいくら使い捨てにしたところで、あの男は何も感じない。掲げられた大義を希望と信じ、研究のために献身した母でさえ、簡単に切り捨てられたのだからな……!』


 無線越しに聞こえてくる、グッと奥歯を噛みしめるような青年の声。強く滲みだしてくるのは憎悪か後悔か。

 モーガルの言葉を思い返せば、彼女がルイスを恨むことはないだろう。たとえ虚偽に満ちた甘言に、どのような裏の目的があったとしても、それが最愛の人を失ったモーガルの生きる目標となり、アランをここまで育てる力となったのだから。

 しかし、奪われ残された者にとっては、誰がどんな理屈を並べたてたところで所詮は綺麗事に過ぎない。

 怨嗟の炎に焦げる青年の心を、僕は昔の自分と重ねていた。

 原因と見なした全てを破壊し尽くさんとする衝動。いつまで経っても消えない痛み。

 そして、復讐を続けることで血に塗れる自らの両手と戻らぬ命の虚しさ。

 何も生み出さない。何も与えられない。それでも。


『今日で全て終わらせよう』


 僕にはそう言うことしかできはしない。

 生死の理が覆ることがないとわかっていても、奪われた者が先へ進むにはケジメが必要なのだ。

 その形は人それぞれ、様々な要因によって異なるだろう。ただ、この状況は青年に武器を握ることを選ばせ、僕たちと彼の目指す先は一致した。

 思考を凍らせる。冷たく冷たく、トリガを引く指に1点の迷いもないように。


『総員降車。作戦通り、施設全域を掃討する』


 玉匣が停車すると同時に、軽い足音がコンクリート舗装の床を叩く。

 パイロットスーツの上から軽量の防具を纏い、各々握り慣れた得物を手に、青い装甲の後ろへと展開する。

 その中で、僕の傍らから見上げてきたのは、戦闘用ヘルメットに隠れるような翠色の瞳だった。


「キョウイチ」


『相棒の面倒を頼んだよシューニャ。決して、無理に戦おうとはしないように』


 機体各部の状態を示す半透明のインジケータの向こうで、金紗の短い髪がふわりと揺れる。

 無表情の中に感じる緊張と不安。鋼の手ではこちらから彼女に触れる事すらできないが、やがてシューニャは翡翠の装甲におずおずと掌を触れ、小さく頷いた。


「ん……キョウイチも、ちゃんと帰ってきて。約束」


『ああ、約束だ。ダマルも、毎度畑違いのことばかり頼んで悪いとは思うが』


「何言ってやがる、言い出しっぺは俺なんだぜ? 安穏なる贅沢な休暇の為なら、この程度屁でもねぇさ。お前の方こそ、シューニャを心配しすぎてヘマすんなよ」


 無反動砲を担ぎ機関拳銃を握った完全武装のダマルは、シューニャとポラリスに譲った戦闘用ヘルメットの代わりに被る、馴染みの鉄兜の中でカラカラと笑う。


『今更、天才骸骨の自称を疑うつもりなんてないさ。君の方こそ、帰ってきたら頭蓋骨だけになってる、なんて勘弁だからね』


「カッ、それに関しちゃ敵より小娘の方がおっかねぇ気がするぜ」


 兜のスリットをチラと向けられたところで、彼女の表情は微塵も揺るがない。

 ただ、その声からは少しムッとしたような印象を受けたが。


「誤解されては困る。ダマルが余計なことを言わなければ、私から手を出すようなことなんてしない」


「へぇへぇ、んじゃあ唇すらねぇ口をしっかり閉じたところで、仕事を片付けるとしようぜ。準備はいいか地図担当マッパー?」


「ふぅ……了解」


 シューニャはまだ何か言いたげではあったが、小さなため息1つで切り替えたのだろう。アランが描いた小さな地図をポーチから取り出すと、左奥にある通路へ向かい歩き出す。

 その後に続くダマルと無人動作の甲鉄を見送るや、さて、とマオリィネは癖のように艶やかな黒髪を軽く払って振り返った。


「それじゃ、私たちも行きましょう? 時間をかけていいことなんて何もないわ」


「マオリィネの言う通りッス。サッサと片付けて、お風呂入りたいッスもん」


「ボクはお風呂より、美味しいお魚が食べたいですね」


「わたしどっちもー」


『これはポラリスの意見に賛成かな。アラン君、道案内を頼む』


「……そっちの通路だ」


 多分、あまりにも平熱過ぎる会話が原因だろう。1列縦隊となって歩き出す直前、アランの表情は疑念と不安の混ざった複雑な物になっていた気がした。

 しかし、いざ施設を進み出せば雰囲気も変わる。

 薄汚れた壁の廊下を足早に進む中、余計な言葉を発する者は誰も居ない。ひたすら通路の前後に視線を巡らせ、見えない部分は電子装備以外にも音と臭いで警戒する。

 その鋭敏な生物センサーが反応したのは、通路の切れ目に差し掛かろうかという時だった。コツンと軽く装甲を叩かれた僕は、素早く歩みを止めて姿勢を低くする。


「話し声がしました。扉の向こうに人が居ます」


『……センサーでも10程の生体反応が確認できた。この先は?』


「大型機械が置かれている広間だ。隠れられる場所が多い」


『了解。戦闘となれば一息に仕留めよう。マオはポラリスをカバーしつつ通路後方を警戒。ファティ、アポロ、翡翠突入後の援護任せる』


 アランが開閉装置へ手をかけた事を確認し、両手とサブアームを合わせた4丁の突撃銃を構える。

 呼吸1つ。分厚い扉が上下に開くと同時に、金属の足で床を強く蹴った。

 目の前に広がった吹き抜けの空間を把握するため、軽くブースターを吹かして周囲を俯瞰すれば、翡翠のシステムが自動スキャンを走らせる。

 部屋の天井高はマキナで跳び回るのに十分、床面には大型機械や配管など遮蔽物も多い。廃材を組み合わせたような防御陣地に、アンノウン表記の生体反応が16。奥には防盾付きの連装機関砲座が1基。


 ――現代で作る陣地としては上等だ。しかし。


 機関銃座の隣に立つ指揮官らしき男は、何かを叫んでいるように見えた。両手を大きく広げた彼の指示はもしかすると、攻撃待てだったのかもしれない。

 だが、同じ兵器を持つ敵と相対したことがないであろう、練度の低い私兵たちにとって、翡翠の存在はあまりにも恐ろし過ぎたのだろう。


「う、うわああああああッ!?」


 パキンと音を立て、僕の背後で白いランプが弾けた。赤い曳光弾の光がいくつか見えた。

 指揮官がどのような指示を出そうとも、それだけが答えの全てである。


「あんの馬鹿! 御大からの指示を聞いてなかったのかよ!?」


「クソめ、ムールゥの方がまだ堪え性があらぁ! 仕方ねぇ撃ちまくれ!」


「隊長がなんか叫んでるのはいいのかよ!?」


「こんな状況で命令なんて待ってられるか! 神代人だろうが英雄だろうが、不死身って訳じゃねぇんだ!」


 堰を切ったように視界を埋める銃火。微かに聞こえた兵士たちの会話からは、攻撃に躊躇いがあったことも伺えたが、始まってしまえばそれだけのこと。

 遺跡の絶対的な防御に守られている上、ルイスの思想により使い捨てとされる人間ばかりの部隊に、安定した指揮系統や高い練度の兵士など望むべくもないのだろう。

 それを哀れとは思う。だが、撃ってくる相手に躊躇うつもりはない。

 一瞬のブースター噴射。飛び込んでくる機関砲弾を急降下で躱し、両足で床面に火花を散らしながら広間を一気に駆けた。

 正面と左右の敵にレティクルが割れる。

 両手は左右へ広げ、背中から正面にサブアームを伸ばす。

 左右のブースター推力を調整。反時計回りに機体を回転させながら、僕は軽くトリガを引いた。

 高速徹甲弾が地面に火花を散らす。半身を逃がし損ねた者の胸から上が弾け跳び、うまく物陰へと転がり込んだ者も、壁とした細い配管が花の咲いたように裂け、その後ろで力なく崩れ落ちる。


『この辺かな――ッと!』


 勢い任せに滑り抜け、到達できたのは部屋の半ば程。等間隔に並ぶ大型機械を3つ越えた辺りで、黒い砲身がこちらへ指向したのを確認し、横っ飛びに機体をその隙間へと滑り込ませた。

 その直後、先ほどまで自分の走っていた場所には、連装機関砲が嵐の如く吹き荒んだ。

 元は対空機関砲として使われていた物だろう。徹甲弾装備ならばマキナの装甲にも損傷を与えうるだけの火力を持っている。

 現状においては、最大の脅威であると言っても過言ではないだろう。だが、先ほどの指向速度を見る限り、照準操作を人力だけに頼っており、射線を避けて機動すれば撃破は容易いはず。

 そう思い、機械の影からチラとバリケードの方を覗けば、次の瞬間、ヘッドユニットの中に警報音が鳴り響いた。


『贅沢な連中だな、対戦車誘導弾まで持ってるのか』


 轟く発射音に、僕は慌てて機体を後ろへ滑らせる。その直後、電動機らしき機械が吹き飛び、赤い炎が吹き上がった。

 流石にマキナを運用していただけのことはある、と言ったところだろうか。兵士の練度はともかくとして、対装甲火力はそれなりに整っているらしい。

 そしてこちらが後ろへ下がったのが見えたからか、敵も今までの混乱状態から立ち直ったらしく、翡翠のシステムは複数対象からのロックオンを検知していた。


 ――さっきみたいに跳び出そうものなら、集中砲火待ったなしか。


 武装はできるだけ温存しておきたいが、こんなところで時間をかけるのも得策とは言えない。

 さてどうしたものかと、散発的な自動小銃の音を背にしながら考えていれば、何やら途中から銃声が悲鳴に変わった。

 まさか、と慌てて頭を覗かせれば、どうにもタイミングがよかったらしい。ドップラー効果を交えた男の叫び声が、自分の頭上を通過して後ろの壁面に衝突した。


「今のは、なん、だ……?」


「何だじゃねえ! マキナ以外にも敵が居――ぶるぇっ!?」


 ゴキン、と気持ちのいい音を立て、男の首が明後日の方向へ向く。

 その後ろから現れたのは、ゆーらゆーらと尻尾を揺すりながら、弓のような細い笑みを口元に湛える少女である。


「んふふ、おにーさんの方ばっかり見てないで、ボクとも遊んでくださいな?」


「こ、このガキ……! ふざけん、な、ぉぁ?」


 目の前で仲間の首があらぬ方向に曲がるのを見せつけられた男は、混乱したのか激高したのか、あるいはその両方か。担いでいた対戦車誘導弾発射器をそのまま、目と鼻の先に立つファティマへ向けるという、何がしたいのかよくわからない行動に出た。

 しかし悲しきかな。彼の指がトリガを引くことはなく、鎧を纏った重そうな身体は膝から力なく崩れ落ちていった。首元から、赤い血を迸らせながら。


「もぉ、横取りしないでくださいよ。ボクの玩具だったのに」


「早い者勝ちッスよ。それに、中々いいもん持ってたッスからね。代わりに使ってやろうと思って、よっこいしょ」


 どうやって登ったのか、器用に配管の上から飛び降りてきたアポロニアは、床に転がった対戦車誘導弾発射器を拾い上げると、そのまま敵が築き上げたバリケードへ向かって構える。

 マキナとの戦闘にのみ意識を払っていた敵にとって、彼女らの出現はあまりにも予想外だったらしい。味方の武器を奪った彼女に対し、慌てて自動小銃を向けた敵兵は3人居たが、揃いも揃って障害物から身体を晒してしまっていた。

 こちらへ注意を向けておらず、隠れてすらいない敵を倒すことなど造作もない。サブアームの突撃銃から放たれた高速徹甲弾が、2つの身体を熟れた果実のように弾けさせ、残った1人は真正面から飛んできた大剣によって壁へと縫い付けられた。

 味方の損害が一気に拡大したからか、指揮官がまた何かを叫んでいたように思う。しかし、彼らが何か動きを見せるより早く、前方で対戦車誘導弾が火炎を上げて飛び上がった。

 広いとはいえ所詮は屋内。高速で飛翔する誘導弾を迎撃する手段などない。

 それもバリケードに突き刺されば、彼らから身を守る壁を奪うだけで済んだだろう。しかし、誘導弾は障害物に接触する寸前に軌道を変えて急上昇し、またその直後に急降下を開始したかと思えば、そのまま機関砲座へと突き刺さった。

 爆炎が敵の防御陣地を包み、2本の銃身が人と一緒に宙を舞う。内側からの衝撃にバリケードが崩れ、積まれていたであろう機関砲の砲弾がいくらか誘爆を起こしてから、部屋の中はようやく静かになった。

 残っているのは、どうだとばかりに八重歯を覗かせる犬娘と、壁からミカヅキを引き抜いて欠伸を浮かべる猫娘。

 訓練していた自分が言うのもどうかとは思うが。


『なんていうか、どんどん戦い方が手慣れていくよなぁ……』


 末恐ろしいのは、誰かだけではないのかもしれない。

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