第316話 忘れ形見
壁のように並ぶ巨大な円筒形タンク。安定化循環液用補助ポンプと書かれた大型機械。大量の配管に換気用ダクト。
先の機械室から分厚い壁1枚を隔てて現れたこの部屋は、何らかの液体を貯蔵している場所らしい。
800年前、この施設が何のために用いられていたのか。新たな設備が現れる度、イメージはいくらでも膨らませられる。ここへ来た目的が戦闘ではなく調査だったなら、僕はダマルと共にシューニャからの質問攻めを受けていたことだろう。
一応、長く暮らしているというアランに聞いてはみたが、この場所はコルニッシュ・ボイントン博士の死後にルイスがアジトと定めた遺跡であり、遥か800年前に担っていた施設の役割について、彼は古代の貯蔵庫だということ以外、全く語ろうとしなかったという。
人類進化とやらを目指しているらしいルイスにとって、何が必要で、何を隠しているのか。科学者ですらない自分には、残念ながら想像もつかない話である。尤も、それが重要とも思えなかったが。
『ルームクリア。アラン君、ドアを』
皆を大型機械の後ろへ隠し、僕が正面の扉に銃口を向ければ、壁際に控えたアランがそっと開閉装置に手をかけた。
素早く左右へ開く金属製の薄い電動扉。その先に見えたのは、左右へと分かれている薄暗い通路である。
壁を背に通路の先を覗き込む。動くものの姿はなく、見えるのは並ぶの扉とぼんやり光る非常誘導灯と消火栓くらい。レーダーやセンサーにも反応はなく、ファティマとアポロニアを肩越しに振り返っても、聞こえず臭わずと首を横に振った。
――何かトラブルがあったのか、単純な無警戒か、あるいは。
思い出されるのは、無線越しに聞こえた神代人を歓待するような言葉。
ルイスが本当に自分を待っているのだとしたら、先ほどの戸惑ったような私兵たちの動きも納得がいく。無論、最初に見た激しい戦闘の痕跡から、それだけが理由とは流石に思えないが。
「左だ」
『了解、後ろを頼む』
アランの誘導に従い、僕は足早に通路を進む。
静寂な地下空間に響く金属の足音と特徴的な駆動音。それでも、一向に感じない人の気配に、ファティマは大きな耳を後ろへ絞って呟いた。
「敵、全然出てきませんね。さっきので打ち止めでしょうか?」
「だとしたら僥倖だけれど、ここまで人気がないと流石に不気味ね……ポラリス、平気?」
「どして? 夜のけんきゅうじょは、いっつもこんなだったよ?」
広い地下空間自体に不慣れなマオリィネが、落ち着かない様子で周囲を見回す一方、ずっと地下研究所で暮らしていたポラリスにとっては、むしろ慣れ親しんだ景色と言ったところだろう。不思議そうに首を傾げる彼女に対し、アポロニアは苦笑を零した。
「ポーちゃんは特別なんスよ。生まれも育ちも、全部ね」
「そうかなぁ?」
そうなんスよ、と犬娘に念押しされ、ポラリスはむぅと難しそうな顔を作る。彼女にとっては常識なのだから、特別と言われても理解できなかったのだろう。
ただ、現状の静けさを唯一説明できそうな青年には、大した問題でもなかったらしい。
アランは女性陣の会話に小さく鼻を鳴らすだけで、何を答えるでもなく、目の前にある扉の自動開閉装置へと手をかざした。
今までより重そうな音を立て、金属製の扉は開く。そこへゆっくりと踏み込めば、現れたのはまたも動くもののない広間である。
ただ、今までと違い、部屋の用途に関してはすぐに分かったが。
『格納庫か』
センサーに反応がないことを確認し、僕はゆっくりと銃を下ろした。
設置されている3基の整備ステーションを見る限り、元は民間警備会社辺りが使用していたのだろう。どれも市販向けモデルばかりで、武装ラックなどの軍用設備は簡略化されている。
「なんか、どこにでもあるんスね。ハンガァ? とかいう、まきなの部屋って」
「けど、肝心のまきなが見当たりませんね」
「むしろこれで正解なのよ。敵側にキコウホヘイが残っていないっていう、アランの言葉に嘘はなかったのだから。ほら、特に用事がないなら、先を急ぎましょう」
元より疑ってなどいなかっただろうに、マオリィネはわざわざ小さなウインクをアランに投げる。
たとえ彼の情報に誤りがあったとしても、あるいはこれまでの全てが巧妙な演技で、罠を張り巡らせていたとしても、僕らには全てを打ち破ってルイスと相対する以外の選択肢を持たない。だからこそ、運命共同体である彼女らも含め、あるかどうかも分からない彼の裏側を恐れる必要など、どこにもないのだ。
マオリィネの言葉と仕草が、青年の赤い瞳にどう映ったかは分からない。ただ、アランはどこか驚いたような表情を浮かべた後、微かに頬を赤らめて視線を逸らした。傍目にも美人である彼女の放った一撃が、純朴な青年にとって受け止めがたい火力を誇っていただけかもしれないが。
「あ、ああ、そうだな。中枢はもう目の前――」
『待て、動体反応を検知した』
僅かに流れた穏やかな空気が、一瞬のうちに張り詰める。
視界の中に動くものはない。ただ、翡翠のセンサーは確実にそれを捉え、アンノウンを示す光点は薄い壁で隔てられた小部屋の中を示していた。
――さて、何が出るか。
突撃銃を向けながら、ゆっくりと自動ドアへ歩み寄る。もしも飛び出してきたならば、その瞬間風通しを改善してやろうと。
しかし、僕が壁を背に張り付いてなお、反応の主は動かない。
否、光点の位置が全く変わらないだけで動いてはいるのだろう。何かはわからないが、部屋の中からはブリキのバケツを蹴飛ばすような音が響き続けている。
そんなノイズだらけであろう音からも、マキナの鋭敏なセンサーは何かを読み取れたらしい。モニターの片隅に小さく情報が表示された。
『型式2Y-OM45……八重山自動機製オートメック?』
「なんだ、サラマンカか。そいつなら問題ない。俺達のマキナを整備してくれていたオートメックだ」
アランは小さく息を漏らすと、躊躇いなく自動ドアを開き、その中を覗き込んだ。
不用心と言えばそうだろう。しかし、彼には相当の確信があったらしい。実際、倉庫らしき小部屋の中に見えたのは、倒れた棚に引っかかって動けなくなっているオートメックだった。
「暴れるなよサラマンカ。すぐどかしてやるから」
サラマンカ、というのは愛称だろう。
アランが道を塞ぐ棚を押し退ければ、オートメックはゴロゴロと音を立てながら、角張ったボディを揺すってこちらへ脱出してきた。
『完全装輪式って、また随分と古風なのが出てきたなぁ』
「ホントにパシナのともだち?」
『そんなとこだよ。メーカーは違うけど』
ゴムタイヤによる4輪駆動を、可動脚の補助ではなく主走行装置とする板状の台車は、旧式の自動機械によくある構造だった。その上に四角錐台のシンプルな外殻を搭載する無骨なデザインは、製品の堅牢をCMに謳う八重山自動機らしい。
そんな旧式のオートメックを、ポラリスはパシナと比べたのだろう。あまりにも似ていない外見に大きく首を傾げれば、同じように覗き込んだ他の面々も、またか、というような反応を見せた。
「まーたへんなのが増えました。神代って、どれだけこういうの作ってたんでしょうか」
「なんか小さいタマクシゲみたいッスね。自分とかポーちゃんなら乗れそうッス」
「はぁ……この際、敵じゃないならなんだっていいわ。どうせ、説明を聞いたところで分からないでしょうし」
感想を呟きながら警戒に戻っていく女性陣に、僕はヘッドユニットの中で苦笑を漏らす。いつの間にか、彼女らも随分と慣れたものだ。
一方、狭い部屋に取り残される格好となっているアランに視線を戻すと、何やら鉄の箱相手に何かを話しているようだった。
「あぁ、母は……そうだ。もう俺しか残ってない。父から受けたお前の役目もこれで――何だって?」
「……ねぇキョーイチ、あれどうやってお話してるの?」
『信号式っていう、光の点滅で言葉を表すインターフェースだよ。大体はバックアップとして搭載されてた物だから、こいつは音声会話システムが故障してるか、パシナと同じで改造の際に取り外されてしまったかだろう』
ふぅん、と呟いたポラリスは、真顔でサラマンカを眺めていた。もしかすると、本来は喋れるはずの機械が、光の点滅でしか言葉を表せなくなっていることを、可哀想だとでも思っていたのかもしれない。
ただ、この状態は相当以前、それこそコルニッシュ博士が存命の時分からなのだろう。アランは発光信号の読解に苦労する様子もなく、サラマンカが何を語ったのか、ゆっくりとこちらを振り返った。
「アマミ、少し時間をくれないか」
『何かあったのかい?』
「……使えるマキナが、残っていたかもしれない」
■
格納庫の奥底とでも言うべきか。ガラクタが山積している倉庫の中に、その古ぼけた獣車は放置されていた。
否、放置されているように見えた、というべきだろう。ちょうどサラマンカが走行できるだけの幅が開けられた道と、綺麗に埃が払いのけられた空間にあったのだから。
「こんなとこに獣車なんて、なんか不自然ッスね」
『いや、そうでもないようだ』
アポロニアの意見も分かる。周りに散らばった金属や樹脂のガラクタを見れば、なおそう思えて当然だ。
しかし、果たしてこれは単なる大型の獣車だろうか。車軸やスポーク部は茶色をしているものの明らかに金属製で、木製に見える車台をリーフサスペンションが支え、幌もまた色味が革のようにしてあるものの、材質はトラックなどで使われていた化学繊維製の防水品だ。
モーガルの昔話を思い出せば、最早疑いようもない。これは現代に溶け込みながら移動するための手段として、コルニッシュ博士が作った物だ。
『アラン君は、この部屋について何も知らなかったのかい?』
「ああ。ここは母が鍵を管理していて、仲間の誰も、それこそルイスですら入れない部屋だったんだ。まさか、サラマンカにロックキーを隠していたとは思わなかったが、その理由がよくわかった」
荷台に登ったアランを視線で追えば、彼は何やらロープを荒っぽく解いており、それが終わるや、何かを覆っていた大きな布を勢いよく払いのけた。
その下から現れたのは、薔薇のように鮮烈な朱色。特徴的な全体的に丸みを帯びた装甲と、頭部左右に配置された縦2眼のアイユニット。
青年の頬がニッと笑ったのを見たのは、この時が初めてだったかもしれない。
「……父のマキナ、ノルフェンだ」
『というと確か、テンペスタス・アーマメント製の? 博士は民間モデルを個人的に所有していたのか。とんでもない学者先生が居たものだ』
操縦資格と所有許可、そして懐に余裕さえあれば、民間向けマキナは誰にでも買うことができる。それは企業連合でも共和国でも同じで、警備のために購入する企業や、趣味で個人所有する資産家などの話はよく聞いていた。博士もその1人だったということだろう。
昔を思い出しながら、機体の全体像を眺める。
敵国機である以上、どこまでが正しい情報かはわからないが、共和国軍の第二世代マキナ選定において、ヴァミリオンと競争したもののコスト面で敗れたため、民間向けとして売り出されたのだとか。
しかし、その高性能を捨てきれなかった共和国軍も、少数を実戦配備していたらしく、僕にも戦場で遭遇、交戦した覚えがある。
「これ、動かせるんですか?」
『第二世代型以降の操縦系統は、共通規格のはずだしアラン君なら問題ないだろう。起動さえできれば、だけどね』
「試すぞ。サラマンカが面倒を見ていたなら、いけるはずだ」
深呼吸を1つ。アランは隣へサラマンカを呼び、外部操作で起動するよう指示を出す。ダマルが別行動でなければ、オートメックによる維持整備だけの機体を起動すると言った瞬間、発狂していたかもしれないが。
朱の鎧は第二世代機らしい、少々低い機関音を腹の底から響かせる。それから間もなく、企業連合兵士に
気密が解除される特徴的なブロー音と共に、背面の装甲が大きく開く。アランはその中へゆっくりと踏み込んでいった。
『システムチェック、良好。エヰテル機関出力安定確認。アクチュエータ、関節部、ジャンプブースター、稼働正常』
ただ淡々と。青年は有人モードにおける起動シークエンスをこなしていく。僕らはそれを黙って見守っていた。
言葉が途切れる。重い肩部装甲を小さく震わせ、彼は笑ったようだった。
『全く、実の息子にまで隠す物かよ。ガキだった俺を、あんなに叱り飛ばしておいて……それも今じゃ、有難い話だが』
「おかーさんのことですよね? 昔、何かあったんですか?」
ファティマの素朴な疑問に対し、青年は幼少期を懐かしむように語りだす。穏やかにも聞こえる声から、もしかすると誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
『昔から、俺はこの部屋に興味があってな。頼んでも絶対に入れて貰えないから、あの人が寝たのを確認してから、こっそり鍵を探し回った事があったんだ。まぁ、子どものすることだ。扉の周りを探している時にしっかり見つかって――』
ふと、彼の声がいつものぶっきらぼうな物に戻ったのは、一瞬の沈黙を挟んだ後である。
『そこからは、なんだ、思い出したくないというか』
滔々と語られていた言葉が、あからさまにぎこちなくなれば、誰であろうと疑問を持つだろう。
僕は、これ以上深く聞かない方がいいだろうな、なんて思う訳だが、残念ながら質問した金目のキャットは、その辺りを無視することに長けていた。
「ハッキリと、ですよ。アラン君?」
「そこまで語っといて、最後だけボカすのはズルいッス」
興味を示したのはファティマだけではなかったらしい。お喋りワンコにとって、こういう話は聞いておきたいということだろうか。
迫ってくる4つの瞳が発する圧に、高級機であるはずのノルフェンが後ずさる。僕は一体何を見せられているのだろうか、とも思ったのだが、よくよく考えてみれば多分翡翠も同じような状況に幾度も陥っていた気がしてならない。
「う、ぐ……だ、だから、その……」
「「「「じー」」」」
詰まっていれば、いつの間にか瞳の数が増えている。既に多勢に無勢であり、青年は救いを求めてこちらへヘッドユニットを向けたが、僕にできるのは視線を逸らすことだけである。
モーガルさん。貴女に彼を託されておきながらこの体たらく。どうかお許しください。
「……し、尻が、腫れ上がる程に、だな」
震える声のカミングアウトに、僕はそっと天井を仰ぐ。
機甲歩兵たる我が手で、青年の尊厳は守れなかったのだ。
流れる静寂は果たして長いものか短いものか。
それを破ったのは、ファティマの口から出た息の音だった気がする。
「ブフォっ」
「アッハハハハ!! そ、そりゃ思い出したくないッスよねぇ! この、ぶっきらぼうなのが、お尻、を、イヒヒヒ!」
「子どもの頃なら仕方ないわよ。愛されて、いた、のね……フフっ」
問い詰めた彼女らは、一体どんな結末を想像していたのか。アポロニアが笑い転げるのは仕方ないとして、マオリィネまで顔を背ける当たり、相当ツボに入ったのだろう。
『こ、この……お前らなぁ……ッ!』
「アラン兄ちゃん」
羞恥に機体を震わせるアランの傍らへ、いつの間に近づいていたのだろう。
ノルフェンのヘッドユニットがはたと向けられた先で、ポラリスは何故か自らのお尻を両手で押さえながら、装甲越しの青年を見上げていた。
「……そういうことも、あるよね」
『頼む、やめてくれ。そんな目で、俺を、見るな』
彼の心を真に抉ったのは、果たして笑い転げた3人か、それとも天使の如き純真なる幼子か。
後でフォローしておこう。僕は沈黙を貫きつつ、彼のメンタルケアを1人誓っていた。
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