第21話 月夜の練習試合

 月明かりに照らされるだけの暗闇に徐々に目が慣れて、ファティマの輪郭がぼんやりと浮かび上がる。

 当たり前だが明日の試合にマキナは使えない。万一相手がキメラリアをぶつけてきたら、ただの人間である僕が純粋な力比べで勝つのは難しいだろう。

 そしてシューニャは、間違いなくリベレイタで来ると、明日の状況を予言した。


「本当にいいんですか?」


 借金を背負わされている当事者は、長い棒切れを構えてこちらの心配をしてくる。それでは話にならないのだが。


「全力で打ち込んできてくれ。寸止めはできると思ったときだけで構わない」


 ファティマと同じような長い木の棒をこちらも構える。ただし、僕は棒の中間あたりを、彼女は板剣と同じように後端を握っていた。


「行きます!」


 気迫のこもった一言と共に、ファティマは地を蹴った。1歩1歩と足が地面を捉えるたびに加速し、あっという間に距離を詰めてくる。

 二足歩行だというだけで彼女は獣だと、この時初めて思った。射程距離に入るや否や振り上げた木の棒が、鈍い風切り音と共に身体を叩き潰さんと迫りくる。

 直撃されれば骨が粉砕しそうなほどの一撃に、僕は棒を斜めに構えて力を逃がす。それでも両の手に痺れが走った。

 板剣を片手で構えていたことも考えれば当前ともいえるが、その一振りは予想していた以上に速く重い。

 受け流されたファティマはつんのめりながらも、無理矢理踏み込んだ足で姿勢を支える。そこから一拍の間もないほどの速度で斬り上げが迫った。


「シャあっ!」


 土煙が舞い上がり、吹き飛ばされた脆い土塊が脛に当たって砕け散る。それを無視して体を逸らし、すんでのところで切っ先を躱した。

 その後も次々と繰り出されるラッシュを時に払い、時に受け流し、体を捻って躱していく。牽制やブラフといった駆け引きのない、どれも一撃必殺の攻撃だ。

 貰ってしまえば良くて昏倒、悪くて即死。唸りを上げる木の棒は、こちらを切り裂ける刃などついていないはずなのに、死神の鎌のようにも思えてくる。


「つゥッ!」


 そして今一度、上段から振り下ろされた棒に、連続した衝撃で痺れる体が対応できず、僕は歯を食いしばって全身の筋肉を緊張させ、重い重い兜割をなんとか受け止めた。

 猛烈なあまりの衝撃に、受け止めたはずなのに視界がぶれる。木が軋みを上げる鈍く乾いた音と共に、全身に衝撃が伝わって膝が崩れた。

 押し返そうと足腰に意識を払っても、ファティマの力は僕の下半身を地面に縫い付けて動かさせない。


「なんって……馬鹿力かなぁ」


「ぃやぁああああああッ!」


 ギリギリで耐え続けた僕に焦れたのか、ファティマは叫びと共に雨あられと連続で攻撃を叩きつけてくる。

 一瞬抜けた重みになんとか膝を浮かせることができたが、彼女はこちらの防御を正面から突き崩すつもりらしく、わざわざ棒を狙って打ち込んでくる。流すこともできなくなった僕の手から、ついに木の棒がはじけ飛んだ。


「こぁあああ!」


 止めと袈裟切りに振り下ろされる棒。もはや防ぐ物を持たない僕は、それを見て咄嗟に体を捻った。

 笑う膝で地面を蹴り、一気に長柄の間合いの中へ。

 武器を失って空いた右手は腰に、左手は棒きれを振り下ろす彼女の手首をつかみ、勢いよく前に出てくる右の膝に自分の右足を当てる。

 動作は一瞬、彼女の身体は棒を振り下ろす勢いのまま前へ飛び出し、綺麗に宙を舞った。


「あニ゛ャっ!?」


 地面に叩きつけられてファティマが鈍い声を出す。

 手からは木の棒が吹っ飛び、遠くでコーンという乾いた音を響かせて転がっていく。

 引き手で持っていたファティマの手首を離すと、彼女の連撃に耐えていたのが余程厳しかったらしく、掌が直接鼓動するような鈍痛が走る。

 キメラリアとは人間とどのくらいの差があるのか、それを知るためだけだったというのに、体へのダメージが思いのほか大きい。


「お、お、お~……? ボク、どうなったんですか?」


 状況が掴めないらしい、ファティマが寝そべったまま両手を宙にパタパタと遊ばせていると、遠くで試合を見守っていたシューニャが駆け寄ってくる。


「ファティ、大丈夫?」


「シューニャぁ……? 背中が痛いですけど、それ以外はへーきです」


 シューニャに付き添われて上体を起こしたファティマは、大きく身体を震わせて髪の毛や耳、背中についた土を払い落とし、最後にニッコリと笑った。


「アタタタ、一発も届かないなんて思いませんでしたよ」


「あんなのが一発でも届いていたら、僕は生きてないだろう」


 咄嗟に投げ飛ばせたからよかったものの、一歩間違えば彼女のように倒れていたのは自分だったに違いない。それもあの位置だったら脳天への直撃は避けられず、高確率で昇天だろう。

 加減が要らないと言ったのは僕だが、それでも乾いた笑いと流れる冷や汗は止まらなかった。


「キョウイチ、どうだった?」


「凄い力だよ。今でも手が痛いし、体も節々が軋んでる。受けたらダメだな」


 しかし、おかげで傾向と対策は一応頭の中で出来上がった。一撃必殺が過ぎる彼女の戦法がキメラリア達に共通しているならば、そこまで難しいこともない。

 もう二度とファティマと組手はしたくないと思ったが。


「あの、おにーさん。最初の方は当てても当てても全然手ごたえがなかったんですが、何をしていたんですか?」


「避けて、受け流して、逸らしてを繰り返してただけだよ」


 僕が棒を槍のように扱ったのは理由がある。800年前の戦場で、白兵戦と言えばバヨネット銃剣とナイフだった。

 銃剣は小銃などにつけて用いる特性上、槍と似た動きが基本であったし、僕はナイフよりも着剣格闘の方が得意だった。

 避けて、受け流して、逸らして、とファティマは僕の言ったことを繰り返したのち、眉毛をハの字に曲げた。


「簡単に言いますけど、ボクはできませんよ?」


「あの戦い方で防御を考えてるとは思えなかったけど」


「ボクは相手が壊れるまで叩く以外、戦い方は知らないですから。それだけで敵は倒せましたし」


 間違いではない。むしろ、大の男を圧倒できるだけの速度と力があるならば、小手先の技よりよっぽど強いだろう。


「でも、全てのキメラリアがそうじゃない」


 と、シューニャは彼女の言葉に自分の意見を重ねた。


「明日ぶつかる相手がファティのように力だけで挑んでくると考えるのは、あまりにも楽観的だと思う」


「まぁ、どうせやってみないことにはわからない。可能性があるだけいいじゃないか」


「ん」


 にわかに不安そうな表情のシューニャの頭を、未だ疼いている手で軽く撫でる。

 彼女はそれを拒みはしなかったが、複雑そうな表情でこちらを黙って眺めていた。





 練習を終えて玉匣に戻ると、ヘルメットの上に暗視装置を取り付けたダマルが、電子タバコを咥えていた。


「まったく大したもんだぜ。流石は特殊作戦部隊SOF出身ってか?」


 まるでスポーツを見たあとに興奮が収まらず、選手の真似をするかのように彼は見えない剣を振って見せる。


「マキナの運用に特化した高月師団麾下第三機甲歩兵大隊。その中でも特殊作戦部隊はヤベェ奴が集まってるって聞いてたが、噂以上だぜ。夜光中隊のエース殿?」


「よく知ってるなぁ」


「夜光中隊の噂なんて軍に居りゃあしょっちゅう聞いてたから忘れられねぇよ。南方戦線で共和国向こうさん第三世代型マキナロシェンナ相手に、性能で劣る黒鋼くろがね使って空中機動戦までやったんだろ? 一般の兵士からしてみりゃヤベェ奴どころかバケモンだ」


「あー……あの時か」


 カカカと含んだような笑いを飛ばすダマルに、少しだけ昔のことを回想してみる。

 確かに南方戦線に配置されていた時は、最新鋭機の尖晶は前線配備が遅れていたのだ。

 それでも共和国の侵攻に対応しないわけにもいかず、前線部隊では黒鋼に空戦ユニットを搭載して出撃を繰り返していた。

 第一世代型の甲鉄や素銅すあかと比べれば軽量化されていたとはいえ、空戦ユニットの推進力で何とか飛び上がっているだけの黒鋼は、空中機動戦に特化したロシェンナに次々と落とされていく。

 そんな状況を覆すために僕らは最前線へ配置され、技量で無理矢理性能を補いながら、空軍部隊が制空権の確保に成功するまで、必死に泥臭い戦闘を続けるはめになったと言うのが噂の真相である。


「必要に迫られて、ってだけだよ」


「よく言うぜ。肉弾戦もこなすとは思わなかったがな。とはいえ、よ」


 骨はどこに入っていたのか大きく蒸気を吐き出すと、何か聞きにくそうにバトルヘルメットを掻いた。


「なんだい?」


「ないとは思う。思うんだが――明日お前が負けたら、どうするつもりなんだ?」


 どうする、というのはファティマのことだろう。

 僕としても負けてやる気はないが、勝負は時の運でもあり絶対は存在しない。だから、ダマルの心配は自然なものだった。

 

「見捨てるつもりはないよ。シューニャの護衛はファティマだし、僕はファティマの雇い主だ」


「ってことは武力行使も辞さないってことでいいんだな?」


「あんまり考えたくはないけどね」


「尻の毛まで引っこ抜かれそうなあの娘を救うために仕事をするか、あのテント村を焼夷榴弾で焼き払うか……下手すりゃいきなりテロリストたぁ、とんでもねぇ二択だぜ」


 カッカッカと骸骨が笑っていると、突如ダマルの頭蓋骨が体から浮き上がる。


「お、おい、なんか俺浮いてねぇか!?」


 一瞬本当に亡霊の類になったかと身構えたが、本人も状況を理解できていないのか取り乱し始めたので、明らかな外的要因だと安堵した。

 背後で影のように浮かび上がったファティマが、ダマルの髑髏しゃれこうべを、ムスッとした表情で持ち上げている。

 ラフィンスカル君の頭はプラモデルよりも簡単に外れるのか、それともファティマが骨格模型を解体することに対し、特別な才能を開花させたのかはわからない。

 そして持ち上げられた頭骨顔面を自分の方に向けると、至近距離でダマルを睨みつけた。


「ボクのお尻に毛なんて生えてません……尻尾だけです」


「違う違う違う!! 言葉の綾でぇす!!」


 骨のセクハラ発言にご立腹だったらしく、ダマルも慌てて弁明に走る。仕組みはわからないが、カルシウムの塊から滝のように汗が流れ落ちていた。

 その声はファティマの大きな耳に届かなかったらしく、彼女は眼孔に指をかけるとダマルの頭蓋を振りかぶる。


「ア゜ー目がぁぁぁぁ!! なにすんじゃ、この猟奇殺人犯ー! あっ、いや違う、待って! 助けて相棒! ヘルキャット性悪女に殺される!」


 その言葉にファティマはスッと目を細め、見事なオーバースローでダマルの頭骨を投げ捨てた。口は禍の元とも言うが、ダマルの場合は意図して言っている気がしてならない。

 狙ったのかそうでないのか、投擲された髑髏は後部ハッチの角にぶち当たり、軌道を変えて洞窟内の脆い地面へと突き刺さった。

 残された方のボディが慌てて立ち上がり、頭蓋骨を追う形で後部ハッチから外へ出ようとしたところで、オマケとばかりにファティマがそれを背後から外へ蹴り落とす。

 何やら派手な音と共に人骨がバラバラになった気がしたが、頭部が無くては叫びもでないのだろう。

 崩壊した骨の姿をしっかり見届けたシューニャは、その手でゆっくりと後部ハッチを封鎖した。


「失礼ですよね。ボクみたいに素直なキメラリアは珍しいですよ」


 ファティマはふんす、と鼻から息を吐くと、ちょうど僕の真正面にあたる機甲歩兵用の座席に腰かけ、大きな金色の瞳をこちらに向けた。


「その、今日はボクのために、ありがとうございました」


 膝に手を置いた彼女は、その場でぺこりと頭を下げた。

 だが、僕はその感謝を素直に受け取っていい物かと悩んでしまう。


「いや、これは僕の都合だから、むしろ君たちに謝らないといけない。2人の立場を徒に危うくしてしまった」


 謝っておきたいと言う僕に対し、ファティマはゆっくりと首を横に振った。


「ボク、嬉しかったんですよ? リベレイタの、それもキメラリアのために本気で怒ってくれるなんて見たことありませんでしたから。おにーさんは変人です」


 ついでのように毒を吐く彼女からは、褒められているのか貶されているのかよくわからない。

 だが、ファティマは笑っていたので、少なくとも最悪の選択ではなかったのだろうと少しだけ安心することができた。


「明日の勝負、おにーさんが勝っても負けても、ボクは恨んだりしません」


「いや、むしろ負けたら恨んでほしい。その方が、気が楽だ」


 その方が、自分を正当化せずに先へ進めるだろう。

 僕には完全勝利か最終手段かの選択肢しか存在しないのだから。


「そんな顔してちゃダメですよ。バックサイドサークルを滅ぼすんじゃないんですから」


 心臓が跳ねた。一瞬ダマルとの会話を聞かれたかとも思ったが、頭蓋骨が投擲される直前まで彼女は車内に居なかったはずで、つまりは自分が追い詰められた危険人物の面構えになっていたということらしい。


「ボクもシューニャと離れたくないですし、今はおにーさんたちとも離れたくないって思ってます。でも、負けたって一生会えないわけじゃないですし」


「それは……そうだが」


 それでいいのか、と口に出しかけてやめた。それはファティマの考えた最低限の妥協ラインにすぎない。敗北に伴って自分を納得させる方便だ。

 言葉を失った僕は、疼くように痛んでいた手に視線を落としていたが、ファティマはふと両手で僕の手を取った。

 驚いて視線をあげた先で、彼女は咲き誇るような笑顔でこちらを見つめている。


「ボクは、おにーさんのこと、信じてますから」


 グッと息が詰まった。

 明日の試合、何があっても敗北は許されない。

 偽善者と呼ばれても構わないから、僕はこの笑顔を失いたくないと思ったのである。

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