第22話 軍鶏が如く

 ガリガリと地面を靴の先でひっかく。地面はロックピラー地域特有の脆い土を踏み固めただけだと確認できる。棒を突き刺してみれば思いのほか簡単に刺さるのに、抜こうと思うと粘土質が邪魔するのか意外と抜けにくい。

 周囲は地面に打ち込んだ木杭に綱を渡した柵に囲まれている。曰く、外に出れば失格らしい。


「ほ、本当にやるんですか?」


「ええ」


 周囲の状況を確認して歩く僕に対し、何度目になるかわからない怯えた声を上げたのは、わざわざ受付から出てきたマティである。

 僕は彼女に対して振り返ることなく頷き、眼前に控える白髪の老婆と向かい合った。


「逃げずに来たか。一時的な義憤に駆られただけで、一夜の内に消えているかと思ったぞ」


 声を殺すように笑う老婆。その左右はやはり衛兵が固め、一瞬の隙もなくこちらを警戒していた。

 とはいえ、戦う相手は彼らではない。ただ、僕が蛮行に及ばないかを見ているだけだ。

 だから、僕は余裕をもって老婆に笑いかけてやった。営業スマイルのマティにも負けず劣らずの仮面っぷりだ。


「敵を見誤ると痛い目に遭いますよ、グランマ。僕らが逃げ出す可能性を考えた時点で、既に貴女は敗北に歩き出している」


 こちらのカードを理解していないから逃げる可能性などを考える必要がある。少なくとも昨晩の時点で、バックサイドサークルそのものを火の海にして、ファティマを強奪するまで考えていたのだから、彼女を置いて逃げ出すなど万に一つもあり得ない話だった。

 自信満々な僕の言葉にグランマは呵々大笑すると、ギラギラする瞳を剥いてこちらをねめつける。


「たかが放浪者風情が学がありそうに物を言うじゃないか。それが大言壮語じゃあないって証明してみせな」


 それだけ言うと上機嫌に踵を返し、衛兵に囲まれたままグランマは柵の外にしつらえられた特等席へと歩いて行った。

 そこには既にシューニャとファティマが座り、こちらの様子を見守っている。一瞬目が合うと、ファティマが大きく手を振ってくれた。


「しかし、これは興行だな」


「す、すみません……まさかこんなことになるとは」


 まだ朝も早いというのに、娯楽に飢えたバックサイドサークルの人々が周囲に集まっている。

 スタジアムではないため客席などあろうはずもないが、柵の外周は既に立ち見の人で溢れかえり、それを好機と飲食店が立ち売りを繰り広げ、場所取り合戦に敗れた者たちは背後で朝から酒を浴びていた。

 動物園の人気動物になったようだが、槍の訓練に使われるであろう長い木製の棒を手にしたときに自分のスイッチを入れ替える。

 ここから先は戦場だ。

 僕が囲まれた広場の中で位置についたことを確認して、反対側から巨大な人影が同じように柵の中へと入ってきた。

 それは2メートルはありそうな体毛の濃い巨漢で、手に握られた同じ大きさの木の棒が細い枝に見えてしまう。

 筋骨隆々を絵にかいたような分厚くごつごつとした体格に、顔は野人を思わせるほど立派な髭を蓄えて、半裸の肌を焦げ茶色の剛毛が覆っている。


「これより、コレクタ特例による決闘を開始する!」


 男の姿をつぶさに観察していた僕は、場内一杯に響き渡ったグランマの大きな声に小さく息をつく。

 ざわめていた群衆は静まり返るのを待ち、グランマは全体を一瞥すると、わざわざ堅苦しい言葉で今回のいきさつを語った。


「この度の決闘は、ヘンメ・コレクタ所属リベレイタに起因する。既に耳ざとい者はかのコレクタが壊滅したということを存じておろう。だが、ブレインワーカーであるシューニャ・フォン・ロールとリベレイタは生き残り、ここに戻ってきた。何故彼女たちが生きて帰れたのか。その理由が今皆の前に立っているその男だ。その男、アマミ・キョウイチは我らの同胞を救い、こうしてここまで送り届けた。まずはその心意気を讃えたい」


 一斉に周囲から拍手が沸き起こる。だが、僕はその一切を無視した。

 この場に居る有象無象に関しては、僕は一切の興味がない。この長ったらしい演説に至っては、ただの雑音だと頭から排除する。

 だが、こちらの無反応をも楽しむようにして、グランマは言葉を続ける。


「しかし、この男はこともあろうに我々ユニオンから機密事項を持ち去ろうとした。これはいかな恩人であっても許されることではない。しかし、何が目的かと問い詰めれば、リベレイタの借金に心を痛め、それを肩代わりするために仕事を寄越せというではないか。どうだ皆の衆、まるで英雄ではないか!? 私とて乙女の年頃であったなら惹かれていたやもしれぬ。そこで、私はこの決闘を開くこととした」


 群衆が息を呑む。ここからが決闘の内容だからだ。

 わざと大きく間を開けられ、群衆の期待がいやまして高まったところで、グランマは大音声を響かせた。


「この決闘は我々コレクタユニオンを代表するリベレイタ・マッファイと、アマミ・キョウイチによる正邪を決める戦いだ! アマミの勝利はすなわち、彼を英雄に値するとして信用し、一切の仕事を与えることを約束する! コレクタユニオンの勝利はすなわち、アマミを大言壮語の重罪人として取り扱い、法に照らして裁きにかける! 異議のある者は名乗り出よ!」


 自分の名前が呼ばれたことで、僕は老婆の条件を改めて意識した。

 裁きにかけるなどと緩い言い方をしているが、要するに負けた時点で殺すと言いたいのだろう。

 もちろん周囲に異議申し立てを行うような輩は居ない。早く始めろと言いたげな好奇の視線をロープで仕切られたリングに向けるだけだ。


「誰かと思えばてめぇか、あの毛無のチビ猫ボールドキトンを買おうってぇ変人は」


 こちらのことを知っているかのような口ぶりで、熊にさえ見える大男マッファイは、試すような笑みを浮かべてフンと鼻を鳴らす。


「殺される前に教えてくれよ。あんな毛無の何がそんなによかったんだ?」


 マッファイは手に持った棒を肩にポンポンと当て、ファティマのことを嘲笑う。特等席で聞いていたファティマが八重歯を出して唸っていたようだが、僕にとってはそのどちらにも感情を動かすことはない。

 ファティマを馬鹿にされているのだから、反論の1つでもしただろう。だが、既に僕のスイッチは切り替わっている。

 こちらが一切反応を示さないとわかると、彼はつまらなそうにため息をついた。


「口が利けねぇってわけじゃねぇんだろ? ビビッて声も出ねぇのか? まぁ、ただの人間がキムンの俺とタイマンだなんて、そうなって当たり前だけどな」


 よく喋る熊だな、と思ったが口には出さない。

 ゆっくりと息を吐き、僕は手にした棒の先端を熊男の腹に向かって構える。


「やれやれ……喋れるくせに一言も話さねぇ奴は初めてだ。ま、精々悲鳴でも聞かせてくれや!」


 そう言って熊男は、本来は槍としての扱いを前提としているであろう棒を、右手だけで長い剣のように構えた。

 柵の外でマティが旗を高く高く掲げ、再び一瞬の静寂が訪れた。


「は、はじめっ!」


 旗が振り下ろされると同時に、僕は地面を蹴って駆けだした。

 昨夜のファティマとの組手とは正反対の動きと言える。正面に棒を構え熊の腹目掛けて突き進む僕に対し、マッファイは棒を引いて構えたまま動こうとしない。

 待ちの戦術を取った大男に対し、僕はその腹を目掛けて一直線に突きを繰り出す。

ここでようやくマッファイは自分の棒を引き寄せて、こちらの突撃を防いで見せた。


「軽いなぁおい!」


 弾かれた僕の身体がよろめく。それを見計らって、マッファイの一撃が頭上から叩き込まれた。

 ファティマの振りと比べても重く、そして速い。相手の情報をファティマより格上であると切り替える。

 僕は棒の先端を地面につけ、振り下ろされる得物を受け流す。

 力の向きを僅かにずらしたマッファイの棒は乾いた地面へと叩きつけられ、そのあまりの力に中央から折れ飛んだ。


「……あぁ?」


 確実に潰したと思ったらしく、目の前で自分の武器が折れているのに僕が倒れていないことに、マッファイは距離をとってから目を擦る。

 周囲からは彼の迫力のある攻撃に歓声が巻き起こっていたが、当の本人は実に不思議そうに何度も何度も手元とこちらを見比べて、結局棒を構える僕が消えないことを確認すると、獰猛な笑みを顔に浮かべた。


「一撃で倒れねえとは、どんな手品だ、えぇ?」


 折れ飛んだ棒切れを脇に投げ捨てて、マッファイはゆっくりと歩み出す。

 それは徐々に加速していき、身体を丸めた体当たりの姿勢となった。まるでダンプカーのような迫力で、馬鹿正直に棒を構えているこちらを目掛けて、猛然と突っ込んでくる。

 それが衝突する直前、僕は素早く棒の石突を地面に突き刺してその場に残し、自身は横っ飛びに転がって身を躱した。


「がほぉっ!?」


 あまりに引き寄せすぎたのか、足裏にマッファイの衝撃力が軽く伝わり、僕はやや不格好に地面を転がったが、背後から響いた木が砕け散る音とマッファイの叫び声から、上手く誘導されてくれたらしいことを理解した。

 立ち上がってみれば、体当たりの衝撃力に棒切れは粉砕していたものの、マッファイも腹を押さえて膝をついている。拒馬として用いた棒きれはうまく作用したらしい。

 だが、未だ戦意を失っていないマッファイに、僕は軽く舌打ちした。それこそ刺さりでもしててくれればこれで終わりだったというのに、予想以上に頑丈な体である。


「て、めぇ……なにしやがったぁッ!!」


 よろめきながら立ち上がったマッファイは怒りに目を充血させ、口から出た泡を吐き捨てながら無手でこちらに迫ってくる。

 そして、僕の方も無手だ。武器によるリーチの優位は失われ、体格差で言えば圧倒的に向こうに分がある。


「人間風情がコケにしやがってぇ、ひき肉にしてやるぁあああああ!」


 木の幹のような剛腕が振るわれる。紙一重でそれを躱すと、地面に突き刺さった拳はすさまじい土煙を巻き上げた。その様子たるや、まるであの甲鉄のようだ。それもキメラリアである以上、あの自動操縦よりは余程器用で判断も早い。

 力をマキナと比較することは間違っているだろうが、それでも生身の人間をペースト状にするには必要十分であろう。


――だから、なんだい。


 暴風のように振り回される腕を躱し、受け流していく。幾度か頬をかすめ、腹をかすめて鈍痛が体を襲うが、行動が制限されるほどのダメージは負わないよう気を付ける。

 じわじわと距離を詰め、もう1歩と言うところでマッファイの拳が受け流しきれず、左腕で受けた。折れたのではないかと思う程の激痛が走るが、歯をくいしばって耐える。

 詰まった距離にパンチの威力が出し切れなくなっていたのだろう。直撃を受けてなお指先まで感覚は残り、ちゃんと動いていた。

 ようやくのことで僕は自分の射程圏内にマッファイを捉えると、彼が放ったストレートパンチの勢いに合わせ、みぞおちに両手を握り合わせた肘を叩き込む。やはり硬い。

 圧倒的に筋肉量に劣る人間が無手で攻撃したところで、普段のマッファイならば蚊に刺された程度だっただろう。

 だが大男は軽くよろめいたのだ。

 僕が狙ったのは木の棒が直撃した位置であり、負傷した場所への追い打ちは分厚い筋肉の装甲でも堪えられなかったのだろう。


「いぃやぁッ!」


 そして、相手がよろめいた以上、僕は一気に反撃へ打って出た。

 体勢を立て直す前にくるぶしを狙って足を払う。バランスを崩した身体を保たせようと無理な姿勢をとったところで、がら空きのボディに拳を入れる。三度目のピンポイント攻撃で、マッファイは口を押さえて膝をつく。

 まだ足りない。まだ倒れていない。

 有無を言わせぬ決着だけを求める。最早自分の耳には周囲の歓声や怒号さえ聞こえない。


「が、ぁああああああああッ!」


 地面についた手指を踏みつけ、マッファイの膝を踏み台にして飛び上がる。雄たけびを上げた僕は膝と肘で挟み込むようにして、マッファイの顎と頭頂部を同時に打ち抜いた。

 鈍い音がして目の前を歯が飛んでいく。飛び上がったはいいが一撃を狙ったため、バランスを崩しながら僕は地面に落下し、ゴロゴロと2回転してから膝をついてマッファイを見た。


「が、ほ……っ」


 白目を向いた巨漢は身体をぐらり揺らし、ゆっくりと傾いたかと思うと、地響きを立てて地面に伏した。

 誰もが声を失っていたのだろう。僕は、自らが繰り返す荒々しい呼吸の音だけを、うるさいと思いながら聞いていた。

 周囲から大歓声が沸き上がったのは、一拍の間を置いた直後だった。中には大番狂わせだ、賭け金を返せと叫ぶ声も混ざっている。

 息を整えつつ立ち上がって視線を巡らせれば、シューニャが肘置きを掴んで立ち上がろうとした姿勢で固まっており、ファティマはその隣でぶんぶんと拳を振っている。

 彼女らの姿に少し気が抜けそうになりつつも、しかし特等席で最初よりなお面白そうに表情を歪めるグランマの姿が見え、僕は意識を引き締めた。


「第一関門突破……か」


 何にも触っていないのにぬめる左腕に目をやれば、青い軍服に赤黒い染みができている。どうやらマッファイの一撃を貰ったとき、完全には耐えきれていなかったらしい。

 意地でもと思って勝利した代償が左腕1本なら安いと思ったが、いざ勝ってみれば実感も嬉しいという感情も、何故か浮かんではこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る