第121話 和解の食卓
「わりぃアポロ、おかわりくれ」
「ほいッス」
ダマルが差し出した木椀に、アポロニアはなみなみとシチューを注ぐ。
ただ、骸骨が直火で炙ったパンをシチューにつけて食べ、具である野菜と干し肉を咀嚼するという不気味な光景に、マオリィネがぽかんとするのも無理ないことだろう。
「本当に、どうなってるのよ」
「僕も最初は不思議でたまらなかったけど、まぁそういうものだと思う以外にないかな」
僕はシチューを口に運びつつ、マオリィネの問いかけに杜撰な答えを返す。
ただ、流石に納得できなかったらしく、暫く自らの木椀をじっと睨んで唸ると、隣でパンを齧る少女に声をかけた。
「シューニャは何かわかったりしないの?」
「謎。一度解体されたダマルの骨を検分したけれど、分かったのはファティの馬鹿力にも耐えることぐらい。一言で表すなら気持ち悪いくらい硬い」
「貴女にわからないんじゃ、私が理解できるはずもないわね」
「おい、どさくさに紛れてなんつった今」
シューニャはいつの間にか、ダマルの骨を実験対象としていたらしい。それでも成果が得られないことに、謎の情熱を燃やしているのか、小さく拳を握っていた。
その一方、人骨実験の対象にされていたダマルは、ぱっかり顎を落とす。
「わかった事があれば伝えるようにはする。次は炉で加熱して叩いてみるつもり」
「ケーキ作るくらいの感覚で人体実験やろうとしてんじゃねぇよ! お前らが骨折すんのと俺が骨折すんのじゃ訳が違うんだぞ!」
ダマルは身の危険から、ガランガランと骨を鳴らして抗議する。しかし、シューニャは涼しい顔のまま、軽くシチューを啜ってから息をついた。
「――壊れそうならやめる」
「それがわかんのは壊れてからだろがぃ! 頭膿んでんのか!? それとも倫理観を母ちゃんの腹ん中に忘れてきちまったのか!?」
「胎児に倫理を求めるのは無理があると思う」
すまし顔を崩さないシューニャに対し、最早自らの抗議は通らないと感じたのだろう。ダマルは白い両手で頭蓋骨を抱えると、まるで呪詛のように呟きはじめる。
「お前に皮肉を理解してくれって方がよっぽど無理らしいな。そんなだから、頭どころか体もペッタンコのカッチコチなんだろうが。幼女か?」
はぁーあと大仰なため息が響く。
だが、このセクハラ紛いの暴言にシューニャは無表情なままで硬直すると、その頬を真っ赤に染め、以外にも大きな声を出した。
「か、体は固くない! それに私は大人!」
「じゃあ緩いってか? そんなペラッペラなナリして実は尻は軽――待てって、まだ飯食ってるから。零したら勿体ないんで、猫を嗾けてこようとしないでください」
少し前までならば無言で制圧していたように思うのだが、このところ体つきに関しての発言について、彼女はやや過敏な反応を示すようになっているように思う。結果として骸骨が調子に乗り、ファティマが目を輝かせるのだが。
ただ、そんな光景も見慣れてしまったために、僕は食事の手を止めずにボーっとその様を眺めている。その一方、これが先ほどまで悪魔悪魔と呼び続けたダマルの阿呆っぽさに、マオリィネが唖然としていた。
「あ、貴方たちっていっつもこんな感じなの?」
「こんな感じだねぇ」
「……本っ当にミクスチャを倒したのよね?」
「倒したねぇ」
黒い貴族様は訝し気にムムムと唸る。もしかすると英雄とは斯くあるべきという理想像でもあったのかもしれない。それがどんなものであったとしても、現状の自分たちが当てはまるとは微塵も思えないが。
「こんな姿を見たら、吟遊詩人が全員失職しちゃうかもしれないわね……」
現代の常識的な意見に、僕は苦笑を浮かべるしかなかった。
どんな風に世間で語られているのかは知らないが、相当尾びれ背びれがついているらしい。そうでなければ吟遊詩人に社会の寒風が吹きつけるはずもないのだ。第一その原因は身内にある。
「うちの
「自分の所為ッスか!?」
他に誰が居ると言うのだろう。
現代の吟遊詩人という職業の人がどれほどの存在かは知らないが、少なくともアポロニアの語りは上手いと思う。だが、マオリィネとジークルーン相手に語った時を思えば、話を盛る癖があるのは疑いようもないため、それを現実と比べられても困るのだ。
理解が及んだらしいマオリィネも、これには困ったような笑顔を浮かべていた。
「アポロニアは語り部としての才能があるのかもしれないわね」
「それは認めるよ。話を盛るにしても、即興で人を信じさせる内容にするのは簡単じゃないからね」
「ほ、褒められてるんスよね? 取りようによっては、詐欺師扱いされてるように聞こえるッス」
「それは、自分の心に聞いてくれ」
大切なのはアポロニアの中で自信を持って、話を聞いた人々が僕の実像を見て落胆しないと言い切れるかだ。フィクションの僕と現実の僕が乖離しすぎている気もするが、聴衆がそれに納得すれば詐欺とは言えない。
ただ、アポロニアには落ち度と感じられたのか頭を抱えて唸り始め、それをマオリィネはクスクスと笑っていた。
「まぁけれど、アマミがやったことは偉業で間違いないわ。アポロニアはそれをわかりやすく伝えただけよね?」
「英雄なんて祭り上げられても、本物はただの人間だ。生身ならそこらに居る兵士と大差ないって」
純粋な目で素晴らしいことだと言ってくるマオリィネに対し、僕は気が重くなって目を閉じる。偉業と言われてもその実感は全くなく、実感がない功績はただの重石にしかならないのだから。
そもそも自分はただの兵士であり、勧善懲悪のヒーローになりたいと思わない。そもそも現代の武具を用いて戦えと言われれば、一兵卒にも敗れるかもしれないような凡愚が英雄などとは、あまりにもおこがましい話ではないか。
しかし、少々卑屈が過ぎる自分の言葉に、マオリィネは黒髪をかき上げると、不服そうな半眼をこちらに向けた。
「王国の兵士が皆貴方のようなら、私たち貴族は形無しよ。まだ一太刀だって入れられてないんだから」
「ね、根に持ってるなら謝るが……いやしかし、ミクスチャに生身で勝てないのは、皆同じじゃないか」
別に、と彼女は首を振ったものの、悔しいとは感じているのか、視線は少々険しい。その上、ミクスチャを基準にした自分の言葉には、意外にも足元から間延びした反論があった。
「おにーさんが凄い人なのは間違ってないですよ」
いつの間に近寄っていたのか、木椀の向こうにファティマがしゃがんでいた。背中を焚火に炙られているからか、尻尾が燃えないようにくるりと身体の前に巻き込んでおり、揺れる炎の光に金色の双眸を輝かせている。
「誰かを助けるために、進んでアレと戦うなんて人は普通居ません。言うだけなら誰にでもできますけど、ホントに戦えるのは自殺志願者くらいでしょうし、たとえどんな手を使ったとしても、それに勝っちゃうようなのはおにーさんぐらいなんです」
「買い被りすぎだよ。おかげで皆を危険な目に遭わせもしたし」
身内贔屓が過ぎると笑えば、ファティマは納得いかないのか小さく頬を膨らませる。
だが、意外なことに、マオリィネはふと表情を緩めると、慈母のような笑みと共に柔らかい口調で諭すように言った。
「そうだとしても貴方はやり遂げたんでしょう? きちんと胸を張りなさい」
彼女の年齢は聞いたことが無いが、優しい口調とやけに大人びた雰囲気に、少しだけ鼓動が早くなったのを感じる。しかしその微笑みは、すぐに口に手を当てた苦笑へと切り替わった。
「私も得意じゃないわ。けれど、それが成し遂げた者の責任よ。放っておけば結局どこかの国で大勢の人が死んだはずなのだから、貴方がやったことは評価されるべきじゃない?」
「……さっきはどこかの国を焼き払おうと思ってたけどね」
誰の所為だとは言わないが? と真似して微笑んでみれば、彼女は顔を真っ赤にして身体を震えさせると、琥珀色の瞳でこちらを睨みつけてくる。
「悪かったと思ってるわよぉ! でも、そっちだって大概のことしてくれたじゃない!」
謝っているのか怒っているのかわからない複雑な表情だ。本人も処理できない感情に戸惑っているらしく、さっきまでの大人びた雰囲気から一転、駄々っ子のようにバトルドレス越しの膝をバンバンと叩いた。
とはいえ、あの強硬説得は、こちらとしても苦肉の策であるため、理解してもらうしかない。
「いや、普通に話しても絶対わかってもらえないだろうから、心苦しくも体に訴えようって意見が一致したから」
「ぜーったい楽しんでたわよね!? 貴方だって乙女の素肌に断りもなく触れたじゃない!」
「触れずにマッサージはできないじゃないか」
「そういうこと言ってるんじゃない! み、未婚の女の、それも足を揉むだなんて、十分に淫らな行為なのよ!? 恥を知りなさい恥を!」
「そんなに言う程なのかい?」
足裏のツボを押したことが、どうやら怒りの原因らしい。だが、これがアウトならリフレクソロジストやら按摩師やらという職業は成り立たないだろう。確かに男性が女性の足に触れるというのは、問題のある行動ととられてもおかしくはないが、最終的に指圧が効いたらしく蕩けていた彼女の言葉では説得力に欠けた。
特に800年前には女性兵であった井筒タヱ少尉にもよくやっていたので、これが邪な感情からの行為と言われるのは少々心外だ。結構疲れるんだぞと言ったところで、頭から蒸気を吐き出しそうなマオリィネに、聞いてもらうのは難しいだろうが。
ただ、このままでは僕の現代常識の理解が進まないと判断したらしく、シューニャが小さく手を挙げた。
「男女間の関係に関しては国家や立場、種族によっても大きな隔たりがある。交易国では結構明け透けな印象を受けたけれど、逆に王国では未婚の男女には厳しい。これには女王という存在の影響力が強く働いているのではと予想している」
「種族、ということはキメラリアによっても違うとか?」
「ん。育った環境に左右されるとは思うけれど、ケットやカラ、アステリオン辺りは一般的にスキンシップを非常に好む傾向にあるし、逆にシシやキムンは余り触れ合うことは好まない。特にアラネアとファアルはそれぞれかなり変わっていて、アラネアの好意を持った1人の相手以外とは絶対に触れあわず、逆にファアルには婚姻という概念そのものがわからないと言われる」
なんとなく、動物の部分が影響しているのではないかと思わなくもない。それなら犬猫である彼女らがスキンシップを求めてくるのも納得できるし、逆に猪や熊を撫でるというのは、余程慣れた個体であっても無謀な気がする。
そんな中、聞き覚えのない名前に、僕は首を傾げた。
「ファアルっていうのは初めて聞いたが……どんなのなんだい?」
「鼠ですよ。ボクは犬以上に嫌いです」
「ほとんどが小柄で非力。力の強い存在を嫌い、ほとんどが同種だけ集まって暮らす。非常に多産で病気や飢餓に強いから、その多くが各国の鉱山奴隷として使役され、群れの外で見かけるのは、何らかの理由で集団から弾き出された個体だけ」
名前を聞くや不機嫌そうな顔になるファティマを、軽く撫でて宥めながら考える。
確かに今まで鼠のような姿をしたキメラリアは何度か見かけている。そのほとんどは2足歩行で人語を話す鼠という風貌だったはず。
最近では王都の貧民街近くで、古着屋を営む者が居たように思う。要らぬことを口走ったために、ファティマに高々と持ち上げられ、アポロニアに刃を突きつけられていたが。
「ファアルは集団から弾き出されていない同種族全てを、一族と見て行動すると言われる。だから、男女の間に契りはなく、その……私たちから見れば淫乱と判断されるような行動を平然とする。おかげで他の種族や人間から嫌われている」
「そ、そうかい……まぁ、随分受難のある種族なのはわかったよ」
社会構造の違いというのは認め難い。それも感覚が理解できないような内容ならば、排斥という形が現れてくる。数が多いと言われながらも僕が目にしたことが少ないのは、陽の当たる場所では生活させてもらえないような扱いを受けているからなのかも知れない。
「ファアルに関しては問題が複雑なのよ。体が小さくて小回りが利いて、キメラリアの中では集団行動も得意だから、鉱山奴隷として最適過ぎてどの国も手放さないわ」
「それに鼠は群れから出たがらないし、奴隷万歳って感じッスよね。そもそもキメラリアは、奴隷から解放されたところで、貧しい暮らしができればマシな方ッスけど」
奴隷が悪とは言い切れない、とアポロニアはあっけらかんと語る。
要するに奴隷として使役されるのも、種族として生き残る方法であるということらしい。複雑な現代の社会問題を見せられた気がして、マオリィネのような信念もない自分は僕はむぅと唸るしかなかった。
ただ、そんな僕の姿を見てか、ファティマは膝に両手と顎を乗せ、何が嬉しいのかにんまりと笑って後ろ頭を太ももに擦りつけてきた。
「んふふ、そう思うと、ボクはかなーり幸せな方ですよねぇ」
何が、と僕が聞く前に、今度は背後から僅かな衝撃と共に背中に人肌の温度が広がる。
肩越しに振り返れば、座高からしても僕の頭は遠いのか背伸びをしながら張り付いたアポロニアは、僅かに頬を染めながら白い八重歯を覗かせて笑い、大きく尻尾を振った。
「人並み以上の生活なんて考えたこともなかったッスから、感謝してるッスよご主人ー」
全く大した娘たちだと思う。社会問題云々を悩みかけていた自分が、結局は家族や仲間のためだけだと思い直させてくれるのだから。
何より、自分も彼女らには救われているのだ。そんな感謝を、言葉の代わりに2人まとめて撫でてやれば、ファティマは嬉しそうにゴロゴロと咽を鳴らし、アポロニアはくすぐったそうに身を
これもまた普段通りの光景になりつつあるが、ただマオリィネは信じられないように目を見開いていた。
「ね、ねぇ――もしかして貴方、この2人を
とんでもない言葉を投げかけられ、僕は慌てて2人から手を離し、大きく咳払いをして場を取り繕う。
それでもアポロニアもファティマも、まだ撫でられたりないと言いたげに、背中や太ももを、カリカリと爪で掻いてくるものだから、堪らなかったが。
「め、娶ってません……大切な存在ではあるけれど、それと色恋は別物だ」
「にしてはやけにベタベタするのね――ちょっと信じられないわ」
端正な顔立ちの美人から向けられる、生ゴミを見るような目。それは驚くほど鋭く心に突き刺さり、僕は己が尊厳を守るため必死の反論を強いられた。
「いや、これは僕の所為じゃないだろう!? ちょ、露骨に距離を取らないでくれるかい、素直に傷つくぞ!」
琥珀色の目から光を感じない。今まで木椀1つを挟む程度の距離で話していたというのに、彼女は音もなく倒木の端にまで離れていく。
何か弁解の手段は無いかと必死で考えたものの、彼女を納得させられる理由は思いつかず、軽く持ち上げた腕だけが空しく空を切った。
ただ、意外な援護射撃もあったりする。
「ケットとアステリオンはスキンシップを好む」
いつも頼りになる我らが教師に、助かったと勢いよく振り返ったものの、彼女は何故か湿度を帯びた半眼をこちらへ流しつつ、残ったシチューをゆっくりと口に運んでいた。
「気分が悪そうだけれど、どうしたの?」
その様子にマオリィネは心配そうに首を傾げるが、シューニャは普段通りとだけ言って目を伏せる。
僕にも不機嫌の理由はわからないが、せっかく鎮火した炎だ。再燃しないようにさっさと話題を変えてしまおうと頭をフル回転させたものの、その一瞬の隙だけでさっきまでよりも派手にキメラリア2人が張り付いてきて、自分の努力は水泡に帰した。
「シューニャもやればいいじゃないですかぁ」
「人間も色々大変ッスねぇ」
「……貴方が女の敵だったとは思わなかったわ」
嬉しそうなキメラリア達に対し、マオリィネの視線はより悪化して最早死んだ魚が如く。重ねてシューニャにまで冷たい視線を投げられ、僕は全てを諦めた。
「負のスパイラルを作り上げるんじゃない……死にたくなってきた」
「カッカッカ、モテるってのも辛ぇなぁ相棒?」
そうじゃない、と僕は骸骨を睨みつけたものの、ダマルはカタカタうるさく笑うばかりで、状況を改善させてくれることはなかった。
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