第261話 抵抗の灯火

 帝国軍がミクスチャを投入したことにより、市街地への侵攻を瀬戸際で防ぎつづけていた王国軍は大混乱に陥った。

 力自慢のキメラリアたちでもかすり傷1つつけられず、訓練された兵士たちが束になったところで動きを止めることさえままならない。

 そんな化物が数十体、四方より王都を蹂躙せんと迫ってくる。


「ガーラット卿、ここのしんがりはヴィンディケイタが引き受ける! 兵を下がらせ、防御を立て直されよ!」


 西門前の広場でメイスを振るうヘルムホルツの言葉に、ガーラットは悔しげな表情を隠しもせず、鈍く奥歯を鳴らす。


「ぐぬぬ……僅か数匹の化物のために、市街地をみすみすくれてやるなど――ええい致し方あるまい! 全軍、貴族街まで後退せよ!」


 命令が下された途端、兵士たちは我先に目抜通りを駆けていく。中には怯えすくんで動けない者や、武器を投げ捨てて近くの建物に隠れてしまう者も居るなど、その様子は完全に敗走だった。

 無論、西門以外も例外ではない。


「右翼側っ、はぁッ……崩れました……っ! このままでは、持ちません! どうか、後退のご決断を!」


 味方の合間を縫うように駆け戻ってきたプランシェは、重々しい全身鎧にハルバードを抱えたまま、乱れた息を整えようともしないまま、南門の危機的状況を叫んだ。


「まだか、アマミ……!」


 副官の言葉に、エデュアルトは白む空を静かに見上げると、ロングソードを握りこみながら、どこか祈るように小さく声を漏らす。

 だが、板金の兜で頭全体を覆っているプランシェには、呻きにも似た小さな声など聞こえるはずもなく、固まったままのエデュアルトに掴みかからんばかり勢いで迫った。


「閣下!」


「わかっておる。やれやれ……敵部隊は後方で再集結しているにも関わらず、僅か数匹の化物に押し負けるなど、まったく嫌になる。全軍後退! 貴族街まで退けぇ!」


 やかましい副官に肩を竦めつつ、エデュアルトは大きくマントを翻す。

 ただ、あっけらかんとした口調と裏腹に、その心中は父ガーラットと同じく市中へ敵を入れる決断をしなければならなかった悔しさに溢れ、大きな拳は岩のように硬く握られていた。



 ■



 ロウソクの光に照らされるコレクタユニオン支部の中を、私は右へ左へと駆け回っていた。

 夜明け前ということを除けば、別に珍しいことではない。忙しい日には、胸に書類の束を抱えて走っていることくらい多々ある。

 だが、今の自分が手にしているのは紙の山でなく、外側を白く塗られた木箱だったが。


「包帯、とってきました」


「助かります。こちらはもういいので、マーシュさんは受付前に寝かされているカラの手当てを」


「はい」


 暫定支配人クローゼ・チェサピークの隣に抱えていた木箱を降ろし、その中から古そうな包帯を1巻き掴んで、私はいつも自分が仕事をしている受付へと足を向けた。

 しかし、そこに自分の日常はない。

 大軍同士がぶつかる激戦に、床は負傷者で溢れかえって足の踏み場もなく、部屋中が苦痛を訴える呻き声に満たされている。

 血の臭いはむせかえりそうなほど濃い。そんな中でも、私は言われた通りカラの前に膝をつき、傷口に包帯を巻き付けていく。

 王都が故郷というわけでもない自分には、全てを置いて逃げ出すという選択肢もあった。

 その上、サフェージュの言葉通りなら、英雄アマミが自宅に匿ってくれるというのだから、戦火を逃れて避難するにしても、これほどの好条件を得られる者はそう居ないだろう。

 けれど、私はそれを断った。

 なんのことはない。自分はここを1人で離れる決断ができなかったのだ。

 ほとんどの同僚は、たった数ヵ月の仲にすぎない。それでも自分1人が安全な場所に逃げるということが、汚職からの再建に奔走する仲間たちと、真っ直ぐ誠実に仕事をこなしてきた暫定支配人を見捨てるように思えてしまったのである。


 ――別に何ができるわけでもないのに、私は。


 コレクタユニオンの職員として、大怪我を負った人々は何度も目にしているものの、所詮自分は受付嬢に過ぎず、できることといえば見よう見まねで包帯を巻いてやるくらい。

 そんな私のおぼつかない手当てにも、負傷したカラは痛みを訴えることなく、ぼんやりと建物の入口を眺めていた。


「痛く、ないですか?」


 彼は傷のあまり朦朧としているのか、小声で問いかけても視線すら動かさない。

 戦いが始まってから今に至るまで、同じような反応の者は何人も居た。そのほとんどが、手当てを負えてからまもなく、息を引き取っている。

 このカラも駄目かもしれない。だが、戦争は1人の死を悲しむ時間を与えてくれず、私は唇を強く結んで静かに立ち上がった。


「……姉さん、下がった方がいいかも知れんぜ」


「へ?」


 掠れたような声に慌てて振り向けば、さっきまで反応のなかったカラが静かに目を細めていた。

 だが、たとえ私がポカンとしていようとも、時間はまってくれないらしい。

 次の瞬間、正面の扉を蹴り開けて、そこから人影が転がりこんできた。


「ひっ!?」


「チッ、こんなところにまで敵が入ってきてんのか……?」


 激しい音に私が肩を震わせれば、カラは自らが負傷しているにも関わらず、こちらを庇うように毛深い腕を横に伸ばして低く唸ってくれる。

 もしも彼の言葉通り、帝国軍がこの建物を襲撃してきたとすれば、負傷者ばかりのコレクタユニオン支部に抵抗する術はない。

 だが、転がり込んできた人物はラメラーアーマーをまとった騎士であり、寒い中にもかかわらず玉のような汗を浮かべていた。


「はぁはぁ……っ、驚かせてしまってごめんなさいね。どうしても急ぎで……ポラリス、大丈夫?」


「んにゅ~……ギリギリへーきぃ」


 不思議なことにその女騎士は兵士の1人も連れず、代わりにぐったりとした様子の少女を小脇に抱えている。ただ、どうにもけが人だとか、逃げ遅れた子どもを救出してきたとかではないらしい。

 何より私は、騎士の特徴的な姿に思い当たる節があった。


「黒髪――もしかしてマオリィネ・トリシュナー子爵令嬢?」


「よくご存じで。本当ならちゃんと自己紹介したいところだけど、時間がないわ。クローゼが居るなら、今すぐ地下に身を隠すよう伝えてちょうだい」


 少女を床に降ろすと、彼女は息を整えながらこちらへ向き直る。その僅かな動きを見ているだけで、子爵令嬢らしい育ちの良さが伺えた。

 逆にそんな人物だからこそ、見ず知らずの相手に躊躇わず無茶な指示を出せるのかもしれない。

 一方の私はと言えば、ただでさえ庶民出身な上に、帝国領内の田舎で生まれ育った身である引け目から、彼女へ意見するにはかなりの勇気を絞らねばならなかった。


「え、ええとその……急に身を隠せと申されましても、見ての通りここに居るのは負傷者ばかりですので、とてもすぐには……」


 はらわたを絞られるような感覚は久しぶりである。

 それに付随して背中には滝のような冷や汗が流れ、接客用の笑顔を貼り付けるのにも苦戦する始末。トリシュナー子爵令嬢が訝し気な表情を浮かべるのも無理はないだろう。

 ただ、そんな混乱状態の自分を救ってくれたのは、落ち着いた低い声だった。


「はぁ、いつの間に王都へ戻っていたのか知りませんが、突然現れてマーシュさんを困らせるんじゃありませんよ。それに、貴族街ではなく地下に逃げろとはどういうことです?」


 先の手当を終えたのだろう。暫定支配人は血で汚れた手を拭きながら廊下を歩いてくると、丸い眼鏡の位置を指で正してトリシュナー子爵令嬢を見据えた。

 中々威圧的な雰囲気だと個人的には思うのだが、貴族同士知り合いなのか、彼女はサラリと長い黒髪を払ってから支配人に琥珀色の視線を向けた。


「理由は簡単よ。何せ敵は――くッ!」


 彼女が説明を口にしようとした瞬間である。

 突如、何か人間の腕くらいの太さをした物が勢いよく天井を貫き、建物の破片があちこちへ降り注いだ。


「きゃああああっ!?」


「いかん、マーシュさん!」


 暫定支配人に腕を引かれてよろめけば、さっきまで自分の立っていた場所は、何かわからない物が床まで貫いて大きな穴を穿つ。

 自分が呆気に取られていると、謎の物体はまたすぐに天井の向こうへ戻っていき、天井にはぽっかり空いた穴が残された。

 そこから見えているのが夜明け前の空だけなら、どれほどよかっただろう。


「馬鹿な……ミクスチャが、空を……」


 薄暗い中にユラユラと浮かんでいる不思議な影。

 それは歪な4枚羽根をはばたかせ、樽のような胴体に短い腕脚を持ち、その上に丸い頭のような部位を2つ持つ異形だった。それも屋根に大穴をあけたのは触腕に似た何からしく、丸い頭のような部分へと消えていくのが見えた。


「腹立たしいけれど、クラッカァだけじゃほとんど足止めにもならないか。ポラリス、もう少しだけ頑張れる?」


「う……がん、ばるぅ……ッ!」


 トリシュナー子爵令嬢が優しく頭を撫でると、今まで具合が悪そうにしていた少女は深く息を吸って、大きな空色の瞳を輝かせる。

 騎士が少女を戦場で連れ歩く。普通に考えればただの足手まといにしかならないが、少女は私の想像を大きく超えた存在だった。

 吹きすさぶ冷気と共に生み出される、建物を覆う氷の膜。それは澄んだ水以上に透明で、再び空から放たれたミクスチャの一撃を、ガツンという音1つで跳ね返して見せた。


「ま、魔術による防壁……!?」


「ッ! 全員で負傷者を地下倉庫へ運びます! 1人も残してはなりません!」


 名も知らぬ少女が生み出した、二度と訪れないであろう好機だった。

 暫定支配人の指示に従い、コレクタユニオンの職員たちは慣れない手つきで動けない負傷者を担ぎ上げ、狭い地下倉庫への階段へ駆けていく。

 だが、ミクスチャも氷を破ろうと攻撃を加速させ、2つの頭から無数の触腕を連続で叩きつけた。

 ガンガンと音が響く度、元々具合の悪そうだった少女は額に汗を浮かべ、色白な肌から一層血の気を失せさせていく。


「マオリーネ……もう、むりぃ……!」


「もう少し、もう少しだけ……お願い!」


 白い腕がゆっくり下がっていくと同時に、魔術の効力は急激に弱まったのだろう。あれほど堅牢だった氷壁には大きなヒビが走り、限界が間近であることを伝えていた。

 守られていた僅かな時間。その間に床を埋め尽くすほどの負傷者全員を、コレクタユニオンの僅かな職員だけで地下に運び込むなど到底不可能なこと。


「ごめん、ね……」


「ポラリス!」


 少女はまるで人形のようにくたりと倒れ、それをトリシュナー子爵令嬢が慌てて受け止める。

 だがその直後、氷壁はパァンという音を残して砕け散った。

 キラキラと輝きながら散らばっていく破片。その向こうには、こちらへ向かって伸びてくる無数の触腕。

 呆然と立ちすくんだ私は、その美しく恐ろしい光景に、硬く目を瞑ることも悲鳴を上げることもできない。

 だが、異形の腕がコレクタユニオン支部の屋根を再び貫く寸前。

 私の目に映ったのは、弾け飛ぶミクスチャの姿だった。


「……へ?」


 全部見えていたはずなのに、何が起こったのか全く理解できず、口から間抜けな声が出る。

 とはいえ、同じように空を見上げていた負傷者たちも、揃ってあんぐりと口を開けていた。

 唯一、白く幼い魔女の身体を抱き上げる、トリシュナー子爵令嬢を除いては。


「まだ夜明け前だけど、待ちくたびれたわよ――青いリビングキョウメイルさんイチ

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