第147話 相棒の役目

 恭一が玉匣に引っ込むと、それに続いて各々自分の寝床へ入っていく。

 いつもいつも飽きもせず繰り広げられる色恋。それは俺にとって胸焼けするような感覚をもたらしており、さっさと頼まれごとを終わらせてふて寝してやる、と決意を固めさせるほどの代物だ。

 だが、ウンザリしつつ外へ踏み出してみれば、今回の下手人たるマオリィネがそれに続いて出てきたため、俺は後部ハッチを閉めてから、ついついため息をついてしまった。


「あの腑抜け野郎、面倒ごと全部投げ捨てて逃げやがったぞ」


「本当、こういうときは弱腰なのね」


 それはどこか呆れたようでありながら、しかし親しみが籠っているような、どことなく柔和な表情だった。

 少なくとも現代に目覚めてこの方、相棒の周囲には女っ気が多い。否、男性と親しい関係はビジネスライクなものを除けばほぼゼロだ。己惚れるわけではないが、同性の友人となれるのは自分以外に居ないのではないだろうか。最早羨ましいを通り越して妬ましい。肉がないことで人畜無害にしかなれない自分が、万一人間の心を捨てて妖怪化するとすれば、原因は間違いなく奴だろう。

 無論、その嫉妬から相棒に本気の殺意を抱くほど、俺は腐っていない。否、腐れるような肉がない。

 だからこそ、肉のある連中の気持ちと言う奴に興味を抱くのは、ある意味自然と言えるのではないだろうか。


「一応聞いときたいんだがよ、お前も面長朴念仁愛好会に入ったってことでいいのか?」


「お、乙女の口から、そういうこと言わせようとしないでくれないかしら?」


「わっかんねぇんだよなぁ、アレの何がいいんだ? 俺が女ならあんな面倒くせぇのは勘弁だぜ」


 顔を背けて表情を隠すマオリィネに、俺はカラカラと乾ききった骨の音を立てる。

 捕虜に奴隷に頭でっかち、挙句の果てには貴族令嬢まで惚れさせるとはどういう手品だ、と小一時間は問い詰めたいところだ。それこそ、優しさを砂糖で漬け込んで瓶詰したような野郎が、現代女性の間ではトレンドだというなら話は早いのだが。

 至極どうでもいいそんな妄想を頭に巡らせ、しかし仮に自分が異性なら、と何度シミュレーション繰り返したところで、奴に向けられる結果は変わらず事故物件だ。相棒の感情は友人であれば相談に乗ってやれても、恋愛感情となれば重すぎて面倒くさいに傾きすぎる。

 だというのに、隣にいる黒髪のお嬢様は整った顔に僅かな喜色を浮かべて見せた。


「……私の場合、等身大の自分を見てくれた人って居なかったのよ。貴族だ騎士だって面倒でしょ?」


 天然のたらしなのが、ここへ来て立証される結果となった。意図してやるなら反吐が出る行いだが、人の内面へ自然と手を差し伸べられる点は、人間として評価できる。

 であればこそ、俺にはファンタジーな疑問が空っぽの頭蓋骨に浮かんだ。


「その貴族様ってのは、普通に恋愛結婚なんてできるもんなのか?」


「無理ね。貴族には面子もあるし何より家柄を大切にするもの。女はできるかぎりは王侯貴族に嫁ぐか、有力貴族の子息を婿にして家名を高めるための道具よ。私もその1つでしかないわ」


「それじゃなんでわざわざ……いや、聞くのは野暮だな」


 立場のある家系は血縁を驚くほど重視する。それこそ、個人の意思などどこにも介在しない程に。

 それでもマオリィネは嬉しそうに自分の立場を語って見せた。それは逆に、何か開き直っているようで、茶化すことすら躊躇われる。


「へぇ? 意外と気遣いもできるのね」


「カッ、心のセンサーを進化の過程に置き忘れてきたような鈍感優男と、この有能な骸骨様を一緒にすんじゃねぇよ」


 古代人全員があんなのだと思われてはたまらない、と俺はマオリィネを睨みつける。いや、正しくは睨みつけた気になっている、と言うべきだろうが。なんせ硬質な素材で形作られた眼孔は、どうやっても瞼のようには変形してくれないのだ。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、彼女は少しだけ自分の手に視線を落とすと、どこか儚げにポツリと呟いた。


「……あの男、ヘンメに言われたのよ」


 アイツか、と不精髭に義手義足の無頼漢を思い出す。

 ああいうタイプとはそれなりに付き合いがあったので、個人的な評価としては話しやすく、しかも頭の方も悪くないときているため、酒を酌み交わすくらいしてもいいのではないかと思っているくらいの存在だ。

 だが、マオリィネの口から零れた言葉に、俺はその評価を多少改めさせられる。


「嫌なら貴族なんて辞めちまえ、ですって」


「はぁ? あんな強化型チンピラのどこ叩きゃ、そんな話が出てくんだァ?」


「シューニャが言うには彼ね、元々帝国貴族だった可能性があるそうよ。でも今はコレクタなんていう立場に居る。向こうから私がどう見えたのかはわからないけれど、きっと迷いに気づかれたのでしょうね」


 ただのチンピラではないとは思っていたが、まさか元貴族とは。あくまで可能性だけの話とはいえ、危うく下顎骨が落下するかと思ってしまった。

 学を得ることが容易ならざる現代において、様々な情報を嗅ぎ分けられる男は貴重であろう。ならば、あんな見た目でも貴族という話からは、妙な信憑性が感じられる。

 しかし、今重要なのはヘンメの謎ではないため、俺はマオリィネの言葉を乾いた頭の中で反芻してから、真面目な口調で零した。


「迷い……そりゃなんだ?」


「恥ずかしい話なんだけれど――この前キョウイチにね、命がけで戦うくらいなら貴族になんてなりたくなかった、なんて言って泣きついたのよ」


「あぁ成程な。それでアイツの事だ、それで別にいいじゃないか、とか言われて惚れたか?」


 何とも単純なことだ。聞いて損したとまでは言わないが、一言でその光景が脳裏に浮かぶくらいには、いつも通りの具合である。

 無論、誰かを好きなったり嫌いになったりすることなど、大概はそれほど複雑な事でもないだろう。それこそたった一言で心を救われたと思うことも多いし、それが転じれば好意にも結びつきもする。

 おかげで想像したままを躊躇なく口に出してしまったのだが、それに対してマオリィネは湯気を立てそうな勢いで赤面しつつ、どこか悔しそうに奥歯を噛み締めた。


「ぅぐっ――い、いいじゃない! 今までそんな我儘誰にだって、聞いてもらえたこと、なかったんだから……」


「まったく臭ぇ台詞を恥ずかしげもなくよく言うぜ。んで? お前はどうしたいんだよ?」


 徐々に萎んでいく彼女の言葉を聞いていると、まるで少女漫画を一言一句聞かされているようでむず痒い。だが、若人の甘酸っぱい色恋沙汰など聞かされれば痒くなるものであり、それがうら若い美人とくれば微笑ましさまで追加される。だから俺は続きを促すような真似をしたのだろう。

 すると彼女は今までの恥じらい顔から一転、困ったように口を押えて笑った。


「それがね、ぜーんぜんわからないのよ。ただ色々考えてたら、楽しくなってきたかなってだけで」


「へぇ? もしかしたら相棒が求めてくれるんじゃないか、自分を貴族なんていう檻からどこかへ連れてってくれるんじゃないか、そういう白馬の王子様的妄想が―――痛ぇ!?」


 綺麗なビンタを貰い頭蓋骨がグラグラ揺れる。

 茶化しかたが露骨過ぎたらしく、マオリィネはまなじりを吊り上げて怒気を吐く。よくもここまでコロコロと表情を変えられるものだ。


「いちいちハッキリ言うんじゃない!! なによ、私が単純みたいじゃないの!」


「じゅ、十分単純だろうが……夢見る乙女も大概にしやがれ」


「次言ったらサーベル飲ますわよ」


 怒りとは燃え盛る炎のようなものだけではない。むしろその逆で、氷のように冷たい怒りの方が恐ろしいことも多々あるのだ。

 蜂蜜のような色をした瞳が細められるのを見た俺は、身内からとは思えないほどの殺気を感じて口を噤んだ。フリードリヒの騒動において、斬首くらいなら頭蓋骨を背骨から分離するという曲芸で事なきを得られることはわかったが、口の中に刃を突っ込まれては躱しようがないため、正直試したくはない。

 だから俺はふざけた様子を払拭し、可能な限り真面目な口調を作った。


「……1個だけ忠告がある」


「何よ、改まって」


 僅かばかりの静寂。

 それはこのコミュニティを維持するうえで絶対に譲ることのできない、いや、譲ってはならない部分であり、俺は喉にサーベルを突っ込まされる恐怖をも乗り越えて、静かに口を開いた。


「貴族だ何だって話は自分で解決しろ。あいつにすがって自由を得ようなんて片腹痛ぇんだよ。あいつらと同じ位置に立つつもりなら、まずは自分の足で恭一んとこまでくらい行ってみやがれ」


「す、縋ってなんていないでしょ! ここまでだって自分で――」


 図星であったのだろう。マオリィネは慌ててこちらへ身体ごと向き直り、髪を振り乱して声を荒げる。

 だが、俺は体温のない頭蓋骨を無慈悲に振って、その声をかき消した。


「お前がアイツと会えたのは奇跡的な偶然の重なりに過ぎねぇ。そりゃ運も実力だってのは否定はしねぇが、打算じゃなく本気で好きだって言い張るなら、お前には捨てるべきものが山ほどあんだろうが。恭一と駆け落ちするなら、国も貴族も黙らせられるだろう、なぁんて甘い考えでいたら、間違いなく早晩後悔するぜ」


「そんな、こと……」


「恭一は確かに優しいし、俺から見ても良い奴なのは疑いようもねぇ。だが、その奥底は誰かが支えてやらねぇと折れちまうくらいにボロボロなんだ。自分で立てもしねぇ奴に、それができんのか?」


 俺から見た天海恭一という男は、強さと脆さが極端に混在する不安定な存在だ。それこそ身体的な部分は元特殊部隊とあって驚くほど強靭でも、心は未だ過去に囚われたまま揺らぎ続けている。そこへこれ以上精神的負担を背負わせてしまえば、何もかもが壊れてしまいかねない。

 俺も随分と焼きが回ったと思うのだが、面倒くさい奴でもアイツ以外に相棒は居ないのだ。おかげで腹立たしいことに、嫉妬以上に心配が前に出て、こんな話をしなければならなくなっている。


「泣きそうな顔してんじゃねぇよ。意地が悪い言い方かもしれねぇが、これはあくまで忠告だぜ。お前とアイツと、玉匣に居る全員の未来のためのな」


 女を泣かせるのはベッドの上だけで、その涙は幸福を感じて流れたものでなければならない。

 そんな肉のあった頃に自分が誓った言葉は、この身体と同じでスカスカになっているだろう。

 全く損な役回りだとため息をついた俺が、煙草に小さな明かりをともせば、涙目を隠そうとしてかマオリィネはこちらに背を向けた。


「悪魔みたいな見た目の癖に……好きなのね、彼の事」


 この貴族、鼻声の癖になんていうことを言いだすのだろう。

 せっかく煙草で恰好をつけていたのに、全身を駆け巡った虫唾に、俺は堪らず体を掻きむしる。

 それは絶対に認めたくはないが、やはり図星だったからのだろう。スプリントアーマーを着込んでいることが、ここまで鬱陶しいと思ったのは初めてだ。


「あ゛ーっ!! やめろやめろ気色悪ぃ!! 確かにアイツはいい相棒だがな、そういう関係じゃねぇんだよ! 俺はおっぱいが好きなの! わかるか!? むさくるしい奴なんざ全員滅べばいいと思ってんの!!」


 ガチャガチャと鎧を鳴らして叫び散らせば、その不思議な舞いをちらと一瞥したマオリィネは、涙を散らしてクスクス笑った。


「そ、その割によく観察してるみたいじゃない?」


「あぁあぁ! そうだよクソッタレ! あんな腐れ鈍感のへっぽこ野郎でも、俺にとっちゃ大事な相棒だ! お前らが寄り添ってりゃ、その内全部上手く行くんじゃねえかとも思ってるくらいにな! 自分で言ってて鳥肌立ってきたわ!」


 恭一に臭い台詞がよく言えるな、などと宣っておきながらこの様だ。

 ピエロのような自分の姿を見て、マオリィネが涙を引っ込めてくれたのはよかったのだが、それだけで背筋を駆けあがる悪寒と釣り合わない。

 だから俺は見ろ! と言ってわざとガントレットを外し、カタカタ震える骨の手を彼女に突き付けてやった。

 無論、マオリィネはクスクス笑うばかりで、もうそれを怖がるようなことはなかったのだが。


「どこにも肌なんてないでしょうに。でも、忠告は受け取っておくわ」


 骨の掌に拳をぶつけられ、残念な話だ、と虚空へ向かって煙草を吹かす。

 彼女は霞んでいく紫煙をしばらく眺めていたが、何か吹っ切れたように踵を返すと、玉匣のハッチに手をかけようとしてふと立ち止まった。


「キョウイチの事優しいって言うけど、貴方も大概よ? スケルトンさん」


「カッカッカ! 悪魔にゃ打算しかねぇよ! 俺はただ、過去がどうであれ誰にだって幸せになる権利くらいあんだろって、そう思ってるだけだぜ」


 とんでもない評価に、俺は手を叩きながら笑って見せた。

 優しいなんてのは裏のある幻想にすぎない。少なくとも、俺は自分自身をそう評する。

 だというのに、背を向けたまま艶のある黒い髪を揺らすマオリィネは、何故か小さく笑ったように見えた。


「……ありがとう、ね」


 閉じられるハッチの音でわかりにくい声。

 だが、どういう仕組みか頭蓋骨にある耳孔は不思議とそれを聞き分けており、俺は糞不味い煙草を口から零していた。


 ――女ってのは、どうにもズルい生物だな。男が馬鹿なだけかもしれねぇが。


 煙草1本犠牲にして得られたのが、貴族令嬢の泣き顔と感謝。だというのに、それが久しく感じていなかった切なさのようなものが去来させるのだから、俺は暗い天井へ視線を投げることくらいしかできやしない。


「――骸骨にも来るもんかねぇ、人生の春って奴ぁよ」


 誰にも聞こえていないであろう呟きが、コンクリートへ吸い込まれて消えていく。

 抗うことで叶うかもしれない少女たちの恋は、骨たる我が身にあまりにも甘美なもので、永久に春が訪れないであろう白い手を見返しながら、俺は地面を焦がす煙草を踏み消したのだった。

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