第242話 欲望に忠実であれ

 翡翠の整備はかなり大規模な物になっていた。

 全ての装甲部品が取り外された機体はいつも以上に細い。そこに様々な装置が取り付けられ、フレームの僅かな歪みや関節部分の疲労といった物理的な範囲から、操縦系や装備とのリンクなど、システムエラーの修正まで行われている。


「現代でオーバーホールができるってのは本物の幸運だな。ここ半年で結構無茶苦茶な使い方してたし、見ろよ。ブースター推力は8割、伝導率は正常値の7割、装甲修復速度なんて半分も出せてなかったんだぜ?」


「不都合を感じなかったのは、じわじわ落ちていく性能に感覚が慣れていったから、かな。まったく悪い癖もあったもんだよ」


 骸骨が指さした先の数値を見れば、損耗状況は一目瞭然。尖晶のパーツを用いて機能を代替していたこともそうだが、やはり度重なる無理な戦闘によって、ダメージも蓄積していたらしい。

 特にこいつが酷い、とダマルは足元から筒状の部品を持ち上げた。


「ええっと? これは――収束波レーザーフラ光長剣ンベルジュのレーザー照射装置か」


「あぁ、俺も気づいてなかったんだが、動作試験してみたら出力が安定しねぇのなんの……お前は随分気楽に使ってるが、本来は重装甲目標用の特殊装備だってこと忘れてねぇだろうな?」


「そうだっけ?」


『少なくとも、基本装備として振り回すことが想定された武器ではないのぉ』


 パシナの代理らしい警備用クラッカーは、モニターに老人の顔を映し出しながら呆れたように喋る。

 とはいえ、近距離武器の損耗率が高いのは自分の所為ではないだろう。


「弾薬に制限がないなら、僕だってわざわざ近接戦に持ち込もうとは思いませんよ」


『現代の工業レベルで弾丸の生産は難しいか』


「そいつぁとても無理って奴ですわ。なんせ現代人どもは、黒色火薬にすら辿り着いてねぇんですよ?」


 現代に弾丸の工場生産ファクトリーロードなんて望むべくもない、とダマルは装甲を取りつけながらカタカタ笑い、逆にリッゲンバッハ教授は難儀なことだと低く唸る。どうもこの老人疑似人格プログラムは人間臭すぎる気がしなくもない。


『文明が無くなるというのは想像以上に厳しいんじゃなぁ。外の様子を見てみたいものじゃが――む? 恭一君、どうも来客のようじゃぞ?』


「来客?」


 自分達が封印を解いて以来、ニクラウスには遺跡の警備が不要とは伝えてあるため、入口付近に衛兵は既に立っていないが、慣習と言うものはそう簡単に変わるものでもなく、司書たちも遺跡に用事があるわけでもないため、わざわざ入口に近づこうとする者は珍しい。それこそ興味本位で訪れる子どもたちくらいである。

 しかし、老人の顔から変わって映し出されたのは、司書の谷で数少ない知り合いの1人だった。


「あれ? サーラさんだ」


『知り合いかの?』


「ええ、シューニャのお姉さんですよ。ちょっと行ってきます」


 動作試験に向けて着ていたパイロットスーツの上から戦闘服を羽織り、僕は広いマキナ用ハンガーを後にする。

 ただ、廊下へ向かって歩き出した直後に聞こえた、ツルペタじゃねぇ! という叫びについては、聞こえなかったことにしようと思う。


 ――安心してくれダマル。それは僕も最初に同じことを考えてしまったから。



 ■



 自分の義姉に当たる踊り子の女性。サンスカーラ・フォン・ロールは、青白いランプを片手に工事中地区の入口付近を挙動不審にうろついていた。

 だが、奥から懐中電灯片手に僕が現れるや否や、暗闇の中でもわかるくらいに彼女はパッと明るい表情を見せる。


「導師様! あぁよかった、まだ王国に向かわれてなくてぇ」


 妹と本当によく似た顔立ちであるものの、シューニャからは全く想像できない弾ける笑顔に、僕は何事かと首を捻った。

 何せ、これまでサンスカーラから自分に向けられていた感情は、その大半が敵意だったのだから。


「シューニャならもう出発してしまったんですが――どうかしましたか?」


「あぁええっとそれは残念なんだけど、そうじゃなくてねぇ? スクールズから聞いたのよぅ、導師様が重婚考えてるって」


「そ、それについては言い訳できないんですが――やっぱり不味いです、よ、ね?」


 緊張のあまり、全身から冷や汗が噴き出した。

 つい数時間前、僕はシューニャに連れられて、彼女の両親へ婚姻関係についての挨拶をしに行っている。しかし、サンスカーラは仕事の関係でその場に居なかったため、重婚を考えているということを直接伝える機会を逃していた。

 ただでさえ彼女はシューニャを目に入れても痛くない程溺愛している。その相手として渋々認めた男が、いきなり重婚がどうだのと言い出したとすれば、怒り狂うのは目に見えていた。しかもこの場には、妹溺愛狂戦士シスコンバーサーカーを静止してくれるシューニャやご両親は居らず、しかも演武会のようにルールもない。


――もしやこれ、判断を間違えば殺されるのでは?


 僕は祭りでの演説が可愛く見えるほど、身体をガチガチに緊張させながら、万が一にも彼女が武器に手をかけたその時は、脇目も振らずガーデンへと逃げこもう、と視線を泳がせる。

 だが、こちらの不安を知ってか知らずか。サンスカーラは怒気など全く発することなく、むしろ何処か安心したような明るい笑顔を浮かべて唇を揺らした。


「ねぇそれ、私も囲ってくれない?」


 言葉を失う、とはこういうことだろう。本気で彼女が何を言っているのか、僕にはサッパリ理解できなかった。

 しかし、こちらが目を瞬かせるばかりで沈黙していると、義姉は長い人差し指をクルクル回して理屈をこね始める。


「ほらぁ、姉妹揃って囲ってもらえれば、2人合わせて美味しいでしょ? シューニャちゃんはぺったんこなのが可愛いけど、男の子にはそれだけじゃ物足りないだろうし、私なら埋めてあげるのに丁度いいじゃない。なんなら、一緒に味わってくれてもいいのよぅ?」


 どうにもぎこちない踊り子の動きに、思考が徐々に冷静さを取り戻していく。この隙を活用しない訳にもいかず、僕は貼り付けたように明朗な声を出した。


「――で、本音のところは?」


「こうすればシューニャちゃんと一緒に居られるし、その上導師様の輪に入っちゃえば色んな可愛い女の子と合法的にイチャイチャチュッチュできちゃうオマケ付きでしょぉ。あの黒髪の子とか私すんごく好みだしぃ、白くて小っちゃい子も食べちゃいたいくらい可愛いし――あ、もちろん結婚するからには、導師様のお相手だって喜んでするし、ちゃあんと心の底から愛してあげるわよ? ね? ね? お得でしょ?」


 自らの欲望に正直なのはいいことである。むしろ足踏みだらけの自分は、この素晴らしい勢いの義姉を見習うべきなのかもしれない。

 ただ、それができるかどうかは別問題であるため、僕は最大限爽やかな笑顔を作りつつ、腹の底から弾けるような明るい声を発した。


「はい、お話はよくわかりました。とりあえず、この場で回れ右をして頂き、そのままご自宅にお戻りくださいませ。では、自分は忙しいのでこれにて」


「アッサリ見捨てないでぇぇぇぇぇ!! 年の離れた妹が先に結婚しちゃったから、両親から向けられる圧力が今までの比じゃないくらいしゅごいのぉぉぉぉぉ!!」


 今までの明るい表情は何処へやら。感情豊かなサンスカーラは涙と鼻水塗れになりながら、踵を返してガーデンへ戻ろうとする僕の腰にしがみ付いた。

 あのご両親は、彼女らを束縛するようなことは一切しないようにしていたらしいが、やはり行き遅れというのは多少なりとも気になるのだろう。無論、サンスカーラが泣き喚く程の圧力がかかっているとは、流石に思えなかったが。


「お相手なら、谷の中で探せばいいじゃないですか……サンスカーラさんはまだお若い上にお綺麗なんですから、言い寄られることだって多いでしょうに」


「26になる独身女のどこが若いのよぅ!? 大体、この歳の女に言い寄ってくる男なんて、ほんっとクズみたいなのばっかりなんだから! ねぇお願いよ導師様ぁ! ホントに綺麗だって思ってくれるなら、1人くらい余計にもらってくれたっていいじゃないぃ!」


「無茶苦茶言わんでください。ほら、泣かない泣かない」


 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら離れようとしない義姉に、僕は小さくため息をつきながら頭をポンポンと撫でる。

 すると彼女はようやく諦めたのか、力なくズルズルと崩れ落ちて地面にへたり込んでしまった。


「うぅ……今の私には癒しがないのよぅ。せめてシューニャちゃんと毎日お話がしたいぃ」


 彼女の気持ちは分からなくもない。

 今まで追放を理由で会えなかった妹と久しぶりに再会できたと思えば、それが突然見ず知らずの男を夫だと言い出し、しかも帰省から数日あまりでまた離れ離れ。挙句の果てに、親から自分の行き遅れに対する心配まで強化されたと言うのだから、精神的に堪えても不思議はないだろう。

 しかもその根本原因が僕自身なのだから、少しくらい同情したって罰は当たらない、はず。


「いつでもというわけではありませんが、それくらいならできなくもありませんよ」


「できるのッ!? えっ、それって神代の力で!?」


 滝のように流れていた涙を振り払い、彼女は希望に満ちた顔を勢いよく上げる。

 僕はその迫力に気圧されそうになったものの、咳払い一つで威厳を保たせ、努めて冷静に2本の指を立てた。


「――ただし、条件が2つあります」


「それは?」


「まずは内側の秘密を守って下さい。あくまで義姉さんだから、特別に教えるというだけなので。それからもう1つですが――」


 サンスカーラにも、ここまでは予想の範囲内だったのだろう。

 真剣な表情を崩さないまま、折られていく指を凝視してゴクリと咽を鳴らす彼女に、僕はつい悪戯心が湧いて、それはそれは野心的な笑顔を浮かべていた。


「――誰にも秘密の上で、教えて頂きたい重要な情報がございまして」



 ■



 アポロニアから聞いてはいたが、シラアイの速度は快速船などおよびもつかない。それどころかタマクシゲを追い抜くほどの勢いにすら感じられる。

 ただ、猛烈な速度が理由なのか水しぶきが凄まじく、リング・フラウに乗った時と同じように外を覗こうとしたファティマは、分厚い扉を開けた途端に海水塗れとなり、すぐにしょんぼりして船内へ戻ってきていた。


「うわ、ファティ姉ちゃんビチャビチャだー」


「……速いと言うのは、いいことばかりでもないのね」


 軽く頭を出しただけにも関わらず、一瞬で髪の毛から水が滴るようになった彼女に対し、ポラリスとマオリィネは哀れむような視線を向ける。

 一方で、アポロニアは呆れたように彼女へ手ぬぐいを投げた。


「だーから言ったじゃないッスか。無理だって」


「犬のことだから、どうせ大袈裟に言ってるだけだと思ってました……」


「捻くれたこと言ってるからそんな目に遭うッス。大体、外出たところでうるさくて会話だってできないのに、なぁにがしたかったんスか」


 ぐうの音も出ないとはこのことだろう。

 正論に晒されたファティマが、無言のまま手ぬぐいで濡れた頭を荒く擦っているのを眺めながら、各々はなんとなく決まった自分の座席に戻っていく。

 だが、彼女だけは髪の毛を適当に拭き終えると、そのままこちらへ歩み寄ってきて、私の膝にもたれかかるような格好で、床へと腰を下ろした。


「不機嫌?」


「……ちょっと面白くないです」


 なんだか随分久しぶりなように思う。

 キョウイチたちと出会う前は、何か不機嫌や不安なことがあった時、よくこうして私にくっつきに来ていたのだ。それはヘンメ・コレクタの中で私が唯一の同性だったからだろうし、またパートナーとしてそれなりに信頼されていたからだと思いたい。


「それは、濡れたから?」


「それもあります。けど……こう、モヤモヤするんですよ」


 膝の上で頭をぐるりと回し、ジッと見上げてくる金色の瞳。

 私は他人の感情を読み取るのがあまり得意ではない。けれど、彼女にしては珍しく、何か言い淀んでいる事だけは分かった。


「もやもや――その原因は、もしかして私?」


「自分でもよくわからないんです。おにーさんとシューニャがチューしようとしてるところ見てから、こう、胸の奥がグチャグチャしてるのは間違いないんですけど」


「……なるほど」


 自分も恋愛など今までにしたことがなかったし、初めての恋が叶うなど、つい数日前までとても信じられなかった。

 けれど、それはファティマも同じなのだと思う。だからこそ彼女は、胸中に芽生えた今までとは大きく異なる感情を、上手く処理できなくなっているのだろう。


「シューニャなら、わかりますか?」


「私もそういう感情をよく知っている訳じゃない。けれど、ファティが抱いているのは、私への嫉妬とキョウイチへの不安で間違いないと思う」


「嫉妬……ですか」


 耳をぺったりと後ろに下げたファティマは、むむむと唸って悩み始める。

 キョウイチに拾われる前の彼女なら、きっとこんな風に悩みはしなかったはずだ。自分がどれほど大切にしている存在であっても、借金を抱えたキメラリアであるファティマの手からは、その全てが零れ落ちていくのが当たり前だったのだから。

 けれど、今はもう違う。彼女は欲しい物を手に入れることも、ほとんど与えられてこなかったであろう温かさを掴むことができる。それを手放したくないと思うのも、離れてしまうことを恐れるのも、至極当然のことだろう。


「……ボクは、シューニャのことも好きなんです。ヘンメさんのところに居た時、キメラリアのボクと普通にお話してくれましたし、くっついても叩いたりしませんでしたから」


「私は種族がどうこう以前に、他人への興味が薄かったから」


「けど、ボクは嬉しかったんですよ。だからヘンメさんに頼んで、シューニャの護衛を続けてました。なのに……おにーさんとシューニャがくっついてたのを思い出したら、なんだかとってもヤな気分なんです」


 ファティマが零した一言に、私は心底驚かされた。

 彼女が単独で自分の護衛についていたのは、ヘンメが効率を重視したからだとばかり思っていたし、あの悪人面をした無頼漢がキメラリアの願いを聞き入れるところなど想像もつかない。

 だが、知らなかったことを恥ずかしく思う一方で、私は彼女が自分と仲良くしようとしてくれていたことが、どうしてかとても嬉しく思えた。


「……きっと大丈夫。ファティのモヤモヤは、すぐになくなるから」


「そう、でしょーか……」


 ぐすりと小さく鼻を鳴らしながら、ファティマは私の薄いお腹に顔を埋める。

 これも今更だが、私は他人に興味がなかったなどと言いながら、素直で裏表のない彼女のことは、無意識の内に気に入っていたのだろう。最初は命を預ける護衛として、途中からは気を許せる友人として、そしていつしか心の底から大切と呼べる家族として。


「私もファティのことは好き。だから、本当の家族になれる日を、私も待っている」


「……はい。ボクも、2人と一緒にぬくぬくしてたいです」


 明るい橙色をした頭を、キョウイチがするように優しく優しく撫でた。

 私は彼女の恋が叶うことを知っている。けれど、それを口にするのはキョウイチの役目だ。

 だから、今はその時を待つ。ファティマだけに限らず、あの騒がしい仲間たち全員が本当の家族になれる日を。彼が大きな愛で、自分たちを包み込んでくれるその時を。

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