第241話 愛国者の決断

 時を遡る事、数日。

 場所はグラスヒルとユライアランドを隔てる中間地帯。大地の裂け目と呼ばれる大渓谷を目前にした、ユライア王国西部に位置する大街道である。

 荷物を抱えて子どもの手を引く者があれば、家財一切を突っ込んでいるのではと思う程パンパンになった獣車の上がそれに続く。足の弱い老人や幼子は、運がよければ誰かに背負われていたが、運が悪いと次々道端に落後して、草陰に放置されて座り込んでいた。

 それは難民の列である。グラスヒルで牧畜を生業に生きる、小さな村落の住民たち。

 帝国軍の侵攻が迫っており、住民は王国東部地域に避難せよ。それがグラスヒルの軍事要塞、フォート・ペナダレンを通して地域全体へ伝えられ、人々は頑固に残ると言った者を除いて蟻のような列を成したのである。

 その列を守るのは情報を伝えた王国軍。あのマーシャル・ホンフレイが率いる国境防衛部隊であり、彼らと同じように王都ユライアシティを目指していた。

 そのホンフレイは列全体が見渡せる丘にアンヴを止め、隣に控える護衛騎士に対し、帝国軍が侵攻を開始したという連絡を王都に飛ばしたか、再三確認していた。


「ホウヅクは間違いなく飛んでおります。もう心配することなど――」


「馬鹿を申すな。帝国は侵攻開始直前に、こちらの目となりそうな人間を片端から潰してくれおったのだ。おかげで奴らは街道を堂々と進んできたというのに、我らは直前まで気づくことさえできず、グラスヒルを無傷でくれてやることになったのだぞ」


「それは……でしたらせめて、我らだけでもフォート・ペナダレンで帝国軍と戦った方がよかったのでは? 殿しんがりだけを残すというのは、どうにも……」


 護衛の重装騎士は苦々し気な表情を隠そうともせず、暗い表情で逃げ出す人々の列を眺める。無論、先の前哨基地における戦いを経験した彼は、それがいかに無謀なことかもよく理解していたが、民衆を守れないことがよほど心苦しかったのだろう。

 しかし、ホンフレイはちょび髭の丸い顔を緩く横に振る。


「兵の犠牲は心苦しいが、フォート・ペナダレンは時間稼ぎの囮に過ぎん。そこに我らが残ったとて、王国の貴重な戦力が削れるばかりだ。それにこれはチェサピーク卿直々の命令である。我らは総力を持って、王都で敵を迎え撃つ」


「しかし、それでは王都への被害が――」


「被害程度ならば可愛い物であろう。最早我らに残されているのは、傷を負っての延命か、あるいは受け止めきれずの滅亡かの二択しかないのだからな。それも、敵はミクスチャだ」


 以前、フォート・ペナダレンに戻ったマオリィネとジークルーンから受け取った報告を思い出し、ホンフレイは大きく息を吐く。

 たとえ王都に防御を集中したとて、相手がミクスチャの大群あれば奇跡失くして滅亡が回避できるはずもない。現実的なこの男は、王都を背に死ぬかとさえ思っていた。

 それでも、奇跡が起こる可能性はまだ残されている。ガーラットから届けられた命令書にあった、時間を稼げという文言が、それを如実に示していた。


「……心苦しいが、何としても民たちを急がせるよう伝令を出せ。私はまだ、この戦いを諦めてなどおらん」


「は、ハハッ!」


 重装兵は伝令を呼びつけ、ホンフレイの言葉を間違いなく伝えていく。

 グラスヒルの村落から王都までは、大きく疲弊する程の距離ではない。それでも人々の列は歩みが遅かった。

 このボトルネックは、大地の裂け目にかかる吊り橋にある。兵器を搭載した獣車が渡れるほど頑丈な橋ではあるが、それでも全ての人々が制限なく渡ることなどできはしない。

 そして、動きが遅いというのは最悪の事態を招くこともある。


「狼煙だ! 帝国軍が来たぞ!」


「チィッ、こんな時に限ってぇ……騎兵は援護に向かえ! 敵の規模を報告せよ!」


 前後に伸びる列では、すぐに情報を把握することが難しい。逆に民はこの変化を敏感に察知し、大きく混乱し始める。

 目の前に迫った死の恐怖。進まない列と軍の劣勢。戦に慣れない人々の列は間もなくバラバラと崩れ、森に向かって逃げ出す者もあれば、無理に大地の裂け目を下ろうとして滑落する者も多かった。

 それは貴族ホンフレイにさえ抑制できるものではなく、彼はただ必死に敵の情報収集と迎撃にあたることしかできなかったのである。


「報告! 敵部隊は少数、なれど、鎧を着た化物が居ります!」


「足の速い部隊を先行させたか……! そやつは人型をしておるか!?」


「いえ――あれは、獣と呼んでいいものかさえ」


 ギリッと中年貴族は奥歯を鳴らす。

 少なくとも、前哨基地を攻撃したあの失敗作と呼ばれる連中は人型をしていた。しかし、伝令は獣にさえ見えぬと語る。


「まこと、最悪と言うべきであろうな……列後方の民たちを、散り散りに森へと走らせよ」


 伝令兵は命令を聞くと、慌てた様子で駆けだしていく。それと交代に背の高い老兵がホンフレイに歩み寄った。


「指揮官殿。どうなさるおつもりですかな」


「貴様は確か……ゴルウェ・ノイシュタットと言ったか。もう動けるとは、流石に頑丈なデミと言ったところか?」


 失敗作からの攻撃で傷ついた鎧はそのままだったが、長槍を手に立つ姿からは怪我など初めから無かったかのようである。

 その武功からすれば当然なのだが、人間の貴族たるホンフレイが名を覚えていたことに、ゴルウェは感激したように深く深く頭を下げた。


「光栄です。指揮官殿はご寛大なのですな。デミ風情が高貴な御方に直接言葉をかけてなお、拳ひとつ振るわれぬとは」


「フン、貴様で無ければ蹴倒しておったわ。それで? 見ての通り危機的状況な訳だが、私に何の用か」


「――指揮官殿は民を森へ逃がしたようですが、その先をどうなさるおつもりかと」


「白々しいな。ここで我らにやれることは1つのみである」


 見ろ、とホンフレイは地形を指さす。

 その中に見えるのは広く深く切り立った渓谷。そこにかけられた、立派な吊り橋のみ。蟻のように列を成していた難民は、後続が途切れたことでようやく橋を渡り終えようかというところだった。


「まさか、本気でございますか?」


「奴らをやれるとは思っておらん。だが、時間を稼ぐにこれ以上の方法もないのでな。たとえ我が名が、王国の歴史に大罪人と刻まれてもだ」


「……随分変わった御方だ。感服いたしました」


「貴様に言われたくないわ――任せるぞ」


「この命に代えましても」


 男たちの間に1つのアイコンタクトが交わされると、ゴルウェは槍を投げ捨てて吊り橋へ向かって駆けだし、ホンフレイは伝令兵を呼び集めて作戦を声高に叫んだ。


「全軍後退! これより吊り橋を落とす!」


 兵士達に激震が走ったのは言うまでもない。

 とても今から全軍への伝令は間に合わず、化物を前に退路を塞がれた部隊は、うまく逃げおおせた兵士を除いて全滅するだろう。しかも、この吊り橋はユライアランドとグラスヒルを結ぶ重要施設であり、過去の国王が凄まじい労力を用いて建設したものだ。それを独断で破壊するなど、とても兵士たちには信じられなかったことだろう。

 それでもホンフレイという偏屈な貴族は、全ての責任を背負ってなお、迷いなど微塵もなかったのである。

 ユライア王国と敬愛するエルフィリナ女王を守り抜く、ただそれだけのために。



 ■



 王国を出発してから15日目の昼過ぎ。

 ホウヅクが海を越えてくることもなく、全行程で1ヶ月はかかるだろうと想定していた中で、白藍という不確定要素は最大の問題だった移動時間を大幅に短縮してくれるだろう。

 そのエア・クッション艇を前に、背中に荷物を抱えた女性たちが並んでいた。


「最終確認だ。混乱を避けるためにポロムルへ直接入港することは避け、近くで傾斜の緩い砂浜に揚陸すること。雰囲気はシミュレーションしてあるから、シューニャがわかってくれていると思う。上陸地点と航路の指示をパシナに出してくれ」


「ん」


「上陸後はすぐに、荷物一切を砂浜へ下ろし、白藍をそのままガーデンへ帰還させるように。それから玉匣への物資を積載し、一旦家に戻ってヘンメさんたちから状況の確認。それとマオはチェサピーク卿に対し、自分たちが数日以内に作戦参加できる旨を伝えてほしい」


「そのつもりよ」


 今回のキーパーソンになる2人が、自らの役割を認識していることを確認し、僕はよしと頷く。なんとも中隊長時代に戻った時のようだが、彼女らは部下ではなく家族であり、僕はいかんいかんと首を振って表情をやわらげた。


「困ったことがあれば、白藍からでも玉匣からでも無線を飛ばしてくれればいい。自分たちの命が最優先だから、絶対に無理はしないように。いいね?」


「キョーイチは一緒に行かないの?」


「翡翠が仕上がったら、すぐ追いかけるよ」


 どこか不安げな顔を向けてくるポラリスの頭を、片手でくしゃくしゃと撫でる。祭りの時に整えられていた髪は、既にいつも通りのボサボサ具合だった。

 思えば彼女と長時間離れたのは、ハイパークリフへ出かけた時以来だろうか。あの時のように1週間も離れ離れということはまずないが、あの経験から心細くなっているのかもしれない。大丈夫だから、と言いつつ膝を折って空色の瞳と視線を合わせれば、ギュッと力強く抱き着かれてしまった。


「……キョーイチはオンナゴコロがわかってないよ」


「そいつは耳が痛いなぁ……皆のことを頼むよ、君は凄い魔法使いなんだから」


「約束、もうのはヤだからね?」


 突き刺さってくる彼女の影。それに一瞬身体は硬直したが、以前のような辛さはもう流れ込んでこない。むしろ、ポラリスがそれを覚えていてくれたことの方が嬉しくて、僕は抱き締める腕に力を込めた。


「僕だってタブレットの角でぶん殴られるのは勘弁だ。今度こそ、約束を守ってみせるさ」


「……うん、うん! ちゃんといい子にしてるから、つぎはキョーイチからチューしてよ?」


 純粋という存在相手に、油断をしてはならない。

 瞬時に音を遮断する技術があればどれほどよかっただろう。よく通るポラリスの声はそれぞれの鼓膜――骸骨にはないだろうが――を揺さぶってしまい、僕は全身から冷や汗が噴き出した。


「え、えーと……それは大きくなってからで、お願いします」


「オイ、今このチビ聞き捨てならねぇこと言ったぞ。なぁ次ってなんだ、こっち見ろよロリコン野郎」


『仲睦まじいことは素晴らしいと思うが、少々感情エミュレータの数値がおかしいのは何故じゃろうな?』


「……他に聞きたいことが無ければ、早めに出航しようか!」


 逃げるようにポラリスを腕の中から解放し、露骨に話題を逸らしにかかる。

 ただでさえ、キスの話題はシューニャの一件でタイムリーなのだ。ちらと目が合ってしまった事で、彼女はそれを思い出したのか頬を赤らめて顔を背けていた。


「ポーちゃんといいシューニャといい、ご主人はやっぱりそういう趣味ッスか」


「むー……おにーさん、成人前の子に手を出すのはどうかと――」


「総員乗艦! 出港用意!」


 ファティマの声に被せるようにして、全力で指示を叫んで逃げた。そんな自分の姿勢に、マオリィネが盛大なため息をついていたことは、見なかったことにしようと思う。

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