定住生活のはじまり

第165話 御前報告

 赤い絨毯の上、少数の者達が膝をつき首を垂れている。

 この場に居られるものは一握りの特権階級だが、今日はそんな者たちの中でも最上位に位置する十人足らずだった。

 カサドール帝国において、彼らが頭を下げる人物はほとんど1人しか居ない。そしてそれは唯一にして絶対の存在。


「面を上げよ」


 玉座から響いた重々しい声に、全員が揃って顔を上げる。

 カサドール帝国皇帝、ウォデアス・カサドールはそんな彼らを睥睨し、いつもの顔ぶれの中に久しく顔を見ていない者を1人見つけた。

 否、正しくは彼女が戻ってきたからこそ、この臨時招集は行われたと言ってもいい。


「久しいなエリネラ。息災か」


 ウォデアスは深く玉座に腰を下ろしたまま、正面中央で立っている真っ赤な少女に微笑みかける。


「ご無沙汰をお許しください皇帝陛下。されど、このエリネラ・タラカ・ハレディ。仰せつかった任務を――」


「よい。いつものように話せ。お主の妙な敬語を聞いているとむず痒くてたまらぬのだ」


 胸に拳を当ててたどたどしい敬語を喋っていたエリネラは、呆れたようなウォデアスの言葉にギッと唇を噛んだ。


「なにさそれ!? これでも結構頑張ってるんだから、ちょっとぐらい褒めてくれてもいいじゃんか!」


 いつものように、と言われた途端、エリネラは馬鹿にするなと叫ぶ。

 この帝国においての絶対者に対し、それこそ欠片の遠慮もない言葉を発して、生きていられるのは彼女くらいのものだろう。

 だが、周囲の者は気が気でなく、その中でも古参の将軍や大臣に至っては青筋を浮かべながら食って掛かった。


「その物言いは何だハレディ!  陛下に対して無礼であろう!」


 誰もがこれには同意する。そもそも年若い小娘が自分たちより格上の第1位将軍という立場を持っていることにも、いい気分ではないのだ。失点を見つければこれでもかと足を掬いたくなるくらいには。

 だが、いつも通りを求めたウォデアスは彼らを諫める。


「よい。余はこやつに言葉遣いやら礼儀など求めておらぬ」


「し、しかしそれでは他の者に示しが――」


「ではお主がエリネラを力で捻じ伏せてみるがいい。誰人であれ、それができるならばこれは言うことを聞くであろう」


「そーいう約束だからね。やんのかー?」


 それはウォデアスがエリネラを将軍として取り上げた際、彼女が畏れ多くも突き付けた条件だった。

 当時愉快なことを言うものだとウォデアスはそれを認めたが、おかげでエリネラは瞬く間に並み居る将軍たちを叩きのめし、ついでに文句をつけてきた官僚やら大臣やらも叩きのめし、結果として皇帝以外誰にも命令を受けない立場へと上り詰めたのである。

 何より、この場に居る面々こそが彼女に蹴落とされた連中そのものであり、業火の少女レディ・ヘルファイアと再び拳を交えるかと言われれば、全員が瞬く間に首を横に振って距離を取った。

 誰からも異論が出ないと見て、ウォデアスは再びエリネラに視線を向ける。


「して、其方が戻ったということは、件のリビングメイルに関して何か掴めたのか? よもや空振りということもあるまいな」


「勿論。テイマーとも会ったし、ちょっと戦ってもみたよ」


「ほぉ? どうであった?」


「歯が立たなかったし、仲間にするのも断られちった!」


 興味深げに玉座で前のめりになっていたウォデアスに対し、あっけらかんとエリネラは告げる。なんなら後ろ頭を掻きながらアッハッハと笑って見せた程だ。

 だが周囲からしてみれば笑いごとではない。特についさっき恥をかかされた序列第4位の古参将軍は、これぞ好機と再び怒鳴り散らす。


「何を気楽なことを! それが負けて戻った者の態度か!?」


「リビングメイルには魔法は効かないし槍も通らないことはわかるでしょ? じゃあそれ着込んでるテイマー相手にどーやって勝てってのさ? ほい、これ証拠ね」


 だが、怒鳴り声程度にエリネラは一切動じない。それどころか、完全に馬鹿を見る目で第4位将軍を一瞥すると、背に結わえていた細長い包みを床に転がした。

 布が外れて現れたのは1本の槍。それも帝国と交易国リンデンの誇る最新技術を集めて作らせた、アクア・アーデン燃える水を噴射する機構を備えた特注品だった。


「これは、見紛うはずもない。其方の槍であるな」


「ば、馬鹿なッ!? 真銀の槍が、このような……」


 作らせた皇帝本人がそういえば、信じないわけにもいかない。

 一振りで城を建てられると謳われたその槍は、まるで粘土細工のように拉げていた。

 周囲が驚愕に包まれる中、エリネラだけは淡々と言葉を続ける。


「これでわかった? この間のミクスチャ、だっけ? あれをやったのもソイツだしね」


 彼女の言葉に、誰もが口を閉ざした。

 ミクスチャの脅威は将軍である者はおろか、文官である大臣たちもよく理解している。そしてエリネラが敗北したとなれば、彼らは数で抗う以外に方法を思いつかなかった。そしてそれが、どれほどの大損害を生み出すかも、簡単に理解できてしまう。

 諸将の沈黙にウォデアスは大きなため息をつく。


「リビングメイルを着込む……まさかそのような者が居ようとは俄かに信じられぬが、その槍を見せられては信じぬわけにもいくまい」


「ま、ね。でも悪い話ばっかじゃないよ」


 白い顎髭を撫でながら難しい顔をするウォデアスに対し、エリネラは明るい表情を崩さない。


「テイマーが言うには、これ以上ちょっかいかけないなら、向こうから攻めてきたりはしないってさ。王国の味方するつもりもないみたいだし」


「スヴェンソンを殺したという話もあるが、それでなお帝国に敵対する気はないと?」


「さぁ? でも、国とか権力とかに関わる気はないって言ってたし、やる気ならわたしを生かして返さないと思うけど?」


 帝国の首脳陣は顔を見合わせてどよめいた。

 スヴェンソン・リッジリーを失ったのは帝国にとって痛手である。故に彼を殺害した相手に報復するのはある意味当然なのだが、それがエリネラすら敵わぬ相手であれば取れる手段は限られている。

 その上、刺激しなければこれ以上敵対しないと明言した以上、わざわざ大人しくなっている肉食獣をつつくべきかは意見が分かれた。

 そのテイマーを信用できるのか、これ以上猛獣の尾を踏むな、と各々が叫び合う中で、ウォデアスだけはエリネラと視線をぶつけたままで暫し固まっていたが、やがて肩を震わせ始めると大声で笑い始めた。


「……ふ、ふははははははは! よかろう! 全軍に通達せよ。今後、青いリビングメイルを刺激することは避けろとな」


 突然の呵々大笑に周囲の者達は一斉にウォデアスへと視線を向け、絶対者による判断が下ったことに膝をついて首を垂れる。

 黒い物も皇帝が白だと言えば白くなる以上、最早彼らの意見には何の意味もない。この議題はこれ以上続ける必要がなくなったのである。

 その後も暫く戦況や国の内情に関しての報告が行われ、全てに何らかの判断が下されると、御前報告は散会となった。

 お偉方は口々に情勢を語り合いながら、あるいは何かの愚痴を言いながら、連れだって謁見の間から退出していく。

 そんな中、エリネラはぽつねんと玉座の前から動こうとしなかった。その様子を不思議に思ったウォデアスは、浮かそうとしていた腰を再び玉座に戻す。


「どうした」


「直接聞きたいことあってさ。いい?」


 ウォデアスは彼女からの意外な申し出に首を傾げた。

 ただでさえ会議やら報告会と言った行事をエリネラは嫌う。無理矢理社交界に呼びつけたときは、散々食事だけを食いまくって退散する始末だ。

 闘技会にだけ喜び勇んで出てくるような凶戦士の少女が、わざわざ人が居なくなるのを待ってから何を聞こうと言うのか。興味をひかれたウォデアスは鷹揚に頷いた。


「申してみよ」


「噂なんだけどね。皇帝陛下さ……ミクスチャ飼ってたりとか、しないよね?」


「これはまた異な事を申すではないか。そのようなこと、神以外の誰にできる?」


 何の脈絡もない一言に、ウォデアスは笑いを堪えて肩を揺する。

 対するエリネラは暫く首を捻っていたが、ハッキリあり得ないと告げられれば特に食い下がることもなく、すぐに興味を失ったようだった。


「そっか。やっぱそうだよね。変な事聞いてごめん!」


 カラカラと笑いながらエリネラはくるりと踵を返すと、そのまま大股で玉座の間から去っていく。

 だが、その後ろ姿を見ていたウォデアスの表情は硬いものに変わっていた。

 単純な娘の嘘を見抜けないようで、皇帝という立場など務まるはずもない。おかげで彼はエリネラが立ち去った扉の向こうを、ぼんやりと眺めてため息をつく。


「あれが余を試すとはな」


「……面倒な者に嗅ぎつけられましたな、陛下」


 玉座の影から陰鬱な声が聞こえてくる。

 ウォデアスはそれに驚くこともなく、そこにあって当然と言わんばかりに鼻を鳴らした。


「あれは頭は悪くとも、勘働きはよい。獣のようなものだ」


「臣民の士気に関わる大切な駒であることは重々承知しておりますが、噂として振り撒かれるわけにも参りません」


「あれの口止めができるならばやってみるがいい。だが、神国の征伐も近いのだ。優先すべきはわかっておろうな」


 エリネラには権力欲がなく、権謀術数を理解できるほど頭も良くない。それでいて類稀な武勇と魔術の才、そして臣民からの人気を持っていた。

 そんな単純かつ従順な戦力を用いない訳もなく、今まで飼いならしてきたわけだが、獣が知恵をつけたとなれば対応を考えなければならない。

 だからこそウォデアスは、影の意見を否定することはなくとだけ言いつけて目を閉じた。


「ご安心を、作戦は滞りなく」


 影の気配が消えていく。

 エリネラは非常に惜しい戦力だが、今後絶対に必要な駒ではない。

 だからこそ、ウォデアスはこれからの展望に思考を巡らせ、小さくほくそ笑んだのだった。



 ■



「ただーいまー……ってなんで居んのさ」


 久しぶりに執務室へ戻ってきたエリネラは、そのままソファへダイブしようとしたが、そこで本を広げて横になっている先客に対してハッキリ嫌そうな表情を浮かべる。


「居ちゃ悪いか?」


「いいとか悪いとかじゃなくて、もしかしてヘンメ暇なの?」


「少なくともお前よりは忙しいわ」


 ヘンメはそう言ってへらへらと笑っている。

 いつまでも子ども扱いされるのはエリネラとて流石に癪なので、日ごろから我慢しようと努力はしているが、忙しいと言う割に酒瓶片手にダラダラと本を読んでいるだけの屑男に、彼女の小銭入れより小さい堪忍袋はたちまち限界を迎え、努力の甲斐もなくいつも通り叫びが木霊した。


「どこがだ! あたしはこれでもちゃんと面倒くさい御前報告出たり、言われた通り探り入れたりしてきたんだぞー!」


 エリネラはスクラップになった槍を振り回して威嚇するが、ヘンメはそれを一瞥しただけでまた視線を本に戻して相手にしない。

 苛立ちが最高潮に達した彼女は本気で殴り殺してやろうか槍を振り上げたが、同時に執務机に座って書類仕事をしていたセクストンが机を派手に叩いたので、エリネラはその音に硬直する。


「いちいち喧しいです。わかった事があるなら喚いてないで報告してください」


 小言というよりも毒舌に近い騎士補の言葉に、彼女は涙目になって向き直る。

 そもそも何故自分が怒られねばならないのか、納得がいかない。


「ここあたしの部屋だよね!? なんでセクストンは毎回ヘンメ部屋に入れちゃうの? お馬鹿なの?」


「将軍にだけは言われたくありません」


 秘書官として成長著しいセクストンは、華麗なスルースキルを発揮してエリネラの悪口を軽く流す。

 この空間に味方が居ないことを悟った赤い将軍は、異名の通りにその顔を真っ赤に染めて怒気を放った。


「こ……のぉ……お前らなぁーッ!!」


 自動で発動した魔術で空中を小さな火の玉が飛び回る。普通の兵士たちなら、これを見ただけで平伏し、泣きながら許しを乞うに違いない。

 しかし、そんなことは日常茶飯事であるオッサンズが怯えるはずもなく、彼女自身も本気で焼き殺してやろうとは思っていないわけで、結局残るのは彼女の身体的疲労だけだった。

 エリネラが怒り疲れたことで火の玉が消滅すると、ようやくヘンメは首を回しながら起き上がる。


「で、皇帝陛下はなんだって?」


「……あり得ないって」


 唐突に真面目な口調で聞かれ、疲弊していたエリネラは膨れながらも素直に返す。

 だが、ヘンメはそうじゃないと質問を変えた。


「じゃあお前はどう思った?」


「そんなことわかるわけないじゃん。でも、なんとなーく嘘ついてそう」


「下手すると不敬罪ですよ」


 なんとなくで絶対者たる皇帝を侮辱するなどもっての外だとセクストンは憤ったが、ヘンメはそれを落ち着けと諫める。


「こいつの勘は意外と馬鹿にできん。やっぱ探りは入れにゃならんらしい」


「ヘンメ殿、それは……」


 探りと言う言葉に椅子を蹴って立ち上がったセクストンは、僅かに怯えた表情を作る。

 以前の彼ならば怒りを先行させていたかもしれないが、アマミという男を追いかけた旅で様々な物に触れた彼は、騎士らしい熱狂的な愛国心も影を潜めていた。


「我らが祖国のためだぜセクストン」


 ヘンメはそんなセクストンを気遣ってか、敢えて大義名分を自らの行動に添えた。

 無論、状況がよく理解できていないエリネラは、上の空で聞いていたのだが。

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