第202話 小高い丘の上から
車体が右へ左へと滑る。
ユライアランドとグラスヒルの間に存在する森は、相変わらず玉匣にとっては難所だった。それも吹き荒れた冬の嵐は路面状況を一層悪化させていて、雪の吹き溜まりはもちろん、風雪に耐えきれず倒れた枯れ木が道を塞いでいる場所もあり、それらを除去しながら進まざるをえない。
おかげで玉匣が雪を払い、ようやく路面が安定したグラスヒルに辿り着いたころには、予想していた通り出発から4日が過ぎていた。
森を抜け街道に合流したところで、ダマルは全身鎧を着こんで偵察用バイクを下ろすと、それに持てるだけの銃火器を結いつけはじめる。
「対戦車ロケット弾発射器まで持ってくのかい?」
「敵が何かわからねぇからな。ハイパークリフだっけか? あそこでこいつを見つけられたのはラッキーだったぜ」
敵は少なくともエリネラを負傷させる力を持っている。それが出てくるかどうかはわからないが、火力はあるに越したことはない。ただでさえ火薬が未発見の現代で、爆発物は敵の士気を挫くことに有効だろう。
だが対戦車ロケット弾発射器は長い筒であるため、側面に括りつけると邪魔であるため、ダマルはやれやれとため息をついた。
「こりゃシートに載せていくしかねぇか」
そう言って骸骨はスリングを掴もうと手を伸ばしたが、それより早く銀のガントレットが対戦車ロケット弾発射器を奪い去ると、たすき掛けにして背中に担ぎ上げてしまう。
これには僕もダマルもどういうつもりだと後ろを振り返ったのだが、堂々と立つマオリィネはさも当然と言い放った。
「私が背負うわ。そうすれば、もう1人は乗れるのよね?」
「お、おいおい、そりゃ何の冗談だ?」
「貴族である私が居れば、王国軍からジークの居場所を聞き出せるかもしれないのよ。それとも、グラデーションゾーンを端から端まで走って見つけるつもりかしら?」
黒いバトルドレスの上から白銀のラメラーアーマーを纏った騎士様が、背中にロケット砲を背負って仁王立ち。なんとも違和感ありありながら、やけに頼もしく思える絵面にダマルはそれを眺めて沈黙する。
ただ傍から見ていた僕はついつい笑ってしまった。
「ハッハッハ! これは君の負けだな」
「……チッ、軽く言いやがって。いいのか? 安全は保障できねぇぞ」
舌もないのにどうやってかダマルは軽く舌打ちすると、僕の方へと兜のスリットを向ける。
勿論マオリィネの身を心配していない訳ではない。だがジークルーンはそのマオリィネにとっても大切な友人である以上、それを助けに行きたいというのを止めるわけにはいかなかった。
しかも彼女は僕が反論しないとわかるや、一層自信をつけてかふふんと鼻を鳴らして見せる。
「あら? 悪魔みたいな癖に随分優しいこというのね。それとも馬鹿にされているのかしら。これでも騎士なのだけれどね?」
「だそうだ。マオがしたいようにさせてやってくれ」
「わーったよ。思った以上に放任主義でびっくりだ。さっさと乗れ」
骸骨はきっと大いに呆れていたことだろう。本来ならば、僕が彼女を止めるべきなのだから。
だが後悔してほしくないのは、ダマルもマオリィネも同じなのだ。それに彼女を連れて行った方が効率的なのは、王国軍という組織に属するジークルーンが防衛対象である以上、火を見るよりも明らかだった。
「よっ、と……へぇ? 意外と座り心地は悪くないのね。アンヴに似てるかしら?」
「カカカ、今度は恋人の後ろに乗せてもらうこったな」
「……どーいう意味よ」
ガチャガチャと鎧を揺すって笑うダマルに対し、マオリィネは琥珀色の瞳を半眼にして睨みつける。それを骸骨は努めて無視すると、軽く肩を竦めてから僕へ向き直った。
「ヤベェのが来たら逃げるつもりだが、一応迎えを頼むぜ」
「2、3日して戻らなかったら、こっちから拾いに行くよ。最悪は僕だけでもね」
「そいつぁ頼もしいこった――頼んだぜ相棒」
向けられたガントレットに軽く拳をぶつければ、ダマルはスロットルを捻って勢いよく発進する。微かにマオリィネの悲鳴が聞こえたような気もしたが、騎乗に慣れた彼女のことなので、さほど心配もないだろう。
グラスヒルはなだらかな丘陵地帯が続くこともあって、偵察用バイクはすぐに見えなくなった。
「よし、僕らも動くとしよう。シューニャ」
「ん。とりあえず前の農村を目指す」
後部ハッチが閉じられると共に、シューニャはゆっくりと玉匣を発進させる。
何せこの地域には人口密集地が少なく、目印となるものもほとんどない。だからこそ街道酒場のある農村というのは、それだけで十分に目立つ場所だった。
ヘンメがそこを目指してくるかはわからないが、ただ闇雲に黄色くなった草原を駆けずり回るよりは有効であろう。
僕はシューニャに運転を任せて砲手席へ潜り込むと、モニターに目を光らせた。レーダーに光点が表示される度にカメラをズームし、画像の中に知り合いの顔を探す。ただ敵を探すだけでないからか、非常に集中力を要する作業である。
にもかかわらず、自分の膝にはポラリスが楽しそうによじ登ってくるのだからたまらない。
「狭いよ」
「わたしも一緒にさがしてあげる!」
自信満々、拳を握って彼女は瞳を輝かせる。
とはいえ流石にこれは邪魔なので、強制退去させようとポラリスの脇腹を両手で掴まえれば、彼女はブンブンと大きく身体を捩って抵抗した。
「キャハハハハハハハハ!? キョーイチ、くすぐったい!!」
「いや、そうは言うが……流石に見えないって」
「目はいいもん! ちゃんと見てるから、任せてってば!」
どけられそうになったことが余程不満なのか、ポラリスはぷぅとりんごほっぺを膨らませると、薄い尻に全体重をかけると根を張ったように動かなくなる。
ならば今度は足から抱え上げるようにして持ち上げようとすれば、こちらの行動を予想していたのか、バタバタと暴れて手を払われてしまう。おかげで僕は早くも諦めるしかなくなり、青銀の髪の向こうにモニターを注視することになった。
だが自分が諦めたとはいえ、誰しもが許してくれるわけでもない。
「ポーちゃん、我儘は駄目ッスよ。ご主人が困ってるッス」
どうやら彼女の叫びは車両後部にまで轟いていたらしく、いつの間にか背後にはアポロニアが背もたれに掴まるようにして立っていた。
その口調は年長者らしく諭すようではあったものの、どこか有無を言わせぬ迫力も持っている。
ただしその程度でポラリスが退くわけもない。何せ彼女の中にあるのはストリの遺伝子なのだから。
「そんなこと言って、アポロ姉ぇちゃんだっておひざの上に行きたいだけじゃないの?」
「自分はそういう話をしてないッス。それに聞き分けの悪い子は嫌われちゃうッスよ? ねぇご主人?」
「えっ? いや――じゃなくて、そう、だね?」
いきなり会話に混ぜられたため、僕はどうにもぎこちない答えを返してしまう。
何よりそれがポラリスを納得させるための方便でわかっているはずなのに、嫌うという言葉を使われると咄嗟に否定しそうになってしまった。挙句アポロニアの言葉に乗っただけだというのに、とんでもない罪悪感が込み上げてくるものだから堪らない。
しかし嫌われるという言葉はポラリスとしても衝撃だったのか、暫く僕とアポロニアの顔をキョロキョロと見比べると、慌てて自分から膝を降りて行く。
だがやられっぱなしというのも癪だったのか、最後に捨て台詞を吐いた
「2人ともいじわるだー!」
ベーと大きく舌を出すと、彼女は梯子を渋々と下っていく。これには僕も苦笑を浮かべるしかなかった。
「悪いね、嫌われ役を任せちゃって」
「いいんスよ。それにポーちゃんは賢いッスから、ぶう垂れてもちゃんとわかってるッス」
視線はモニターから外せない。しかしアポロニアが優しく笑っていたことは、顔が見えなくともよくわかる。こういった素朴な優しさが、僕には彼女の強い魅力に思えて、浮かんだままの称賛を口にした。
「アポロはいい母親になりそうだ」
「そ、そうッスかね?」
「ああ。家事炊事もばっちりだし、ポラリスのこともよく見てくれている」
理想の母親像というのはよくわからないが、少なくとも自分が当てはめるとすればアポロニアを指すだろう。
だがそれをどう受け取ったのか、彼女はそっと僕の肩に顎を乗せると、囁くような小声で鼓膜を揺らした。
「――母親にしてくれるの、待ってるッスからね」
一気に頬が熱くなる。
しかし僕が何か返事をする前にアポロニアはくるりと踵を返すと、軽やかな足取りで梯子を降りて行ってしまった。
恋人になるということ、婚姻を結ぶということ、そこにはいずれ子どもという話も出てこよう。全く考えていなかったわけではないが、改めてそう言われてしまうと流石に動揺は隠せない。
――い、いかんいかん。集中しろ自分。周辺警戒は基本中の基本だ。
一瞬脳裏に浮かんだ助平な思考を、頭を左右に振るって消去し、モニターを凝視する。
レーダーの光点に変化なし。映される遠景にも怪しい点は見当たらない。
だというのに無線のインジケーターを見て、僕は僅かに息を呑んだ。何せ浮かぶマイクのピクトグラムは、ミュートできていない状態をハッキリと示していたのだから。
しかもタイミングよく無線機はガリッと音を立てた。
『……キョウイチ、そういう話は聞こえないようにするべき』
『ねぇおにーさん、ボクはどーですか? おかーさんに向いてますか?』
「自分の失敗は認めるので許してください」
このまま母親になれるかどうかなどという話を続けられたら、ポラリスが膝からどいてくれたことなど関係なく集中できない。何より自分の野性的な部分が下手に反応してしまいそうで、僕は下唇を噛んで邪念の再到来を阻止し続ける。
ただ、思考の一切を周辺警戒へと全力で切り替え、目を皿のようにしてモニターを眺めても、結局あの街道酒場付近まで目標は見つからなかった。しかもできるだけ遠望が可能な高所を通るルートをとったため、随分回り道をしてしまい集落に近づいた頃には夕焼けが近づいている始末。
「初日ははずれ、かな?」
『そうですね。まぁヘンメさんたちですし、そのうちひょっこり現れそうですけど』
砲塔の上から周囲を見回していたファティマは、どうにもヘンメには厚い信頼を置いているらしく、大きな欠伸を無線で響かせる。
そもそもろくな集合場所すら指定せずに、1日で見つけられるなどほぼ奇跡と言っていい。
その後シューニャはファティマを伴って、街道酒場へ聞き込みに出かけたものの、ヘンメ達に関する情報は得られなかったと小さく首を振る。
ただ近隣の地形がわかったということで、僕らは小高い丘の上で今夜は周辺を警戒することを決めて移動を再開した。
そこまでの道もフウライやムールゥがちらほらと草を食むばかりで、これといって異変は見られず、玉匣はちょうど窪地になっている丘の麓に差し掛かる。
だからだろう。レーダーが反応しないなかで、装甲上のファティマが不意に声を上げたのは。
『お? あれなんでしょう?』
「どっちだい?」
『西の方、なんだか獣車が走ってるように見えるんですけどね』
彼女は装甲上で立ち上がっているのだろう。言われた方向にカメラを回してみるも、残念ながら周囲の傾斜に阻まれて遠景は望めなかった。
「シューニャ、加速してくれ。丘の上から状況を確認したい」
『ん』
シューニャからの返事が聞こえると同時に、エーテル機関は激しく唸りを上げ、玉匣は履帯で地面を抉りながら勢いよく傾斜を駆けあがる。
すると間もなく地形に隠れていた景色が顔を出した。西側は沈む太陽が輝いて眩しいが、モニターに広がった草原の中には確かに動くものの姿がある。
キメラリア・ケットは人間に対して視力が優れていることもない。なのでファティマは視界が開けてなお、獣車らしき何かが動いているという程度しか見えていなかったことだろう。
しかし偵察用の光学望遠機能を持つ玉匣のカメラは、猛然と走行する獣車の存在をハッキリと映し出した。牽引するのは1頭のアンヴ、手綱を握っているのは見覚えのある軽装の鎧を纏った旅装の男である。
「こりゃ奇跡的とでも言うべきかな」
「そうかも知れませんけど、あんまり状況よくなさそうですよ」
天井ハッチから飛び降りてきたファティマは、器用に砲手席の背もたれに飛びつくと、モニターに表示された獣車に視線を凝らす。
そこでは荷台に立ち上がった人影が映っており、どうにもクロスボウを構えているように見えた。
――戦っている?
そう思った途端、モニターの脇からわらわらと現れる布を被った謎の集団。それもたかが3人を追いかけるにしては過剰ともいえる数である。一様に全身を覆うような変わった見た目の服を身に着け、しかし体格はあまりにもまちまちで、武器も持たずにひたすら獣車を追いかけている姿は、どこか狂気的にも見えた。
「白昼堂々襲撃とは、帝国も随分大胆な事するもんだ――戦闘用意!」
『ん、接近する』
僅かに緊張したシューニャの声に合わせ、玉匣は獣車に向かって走り出す。
だがどうにも敵の様子が気になった僕は砲手席から出て、翡翠を着装しながらアポロニアに疑問を投げかけた。
『キメラリアの足は、獣車を追いかけ続けられるほど速いのかい?』
「それなら騎兵なんて要らないッスよ」
彼女は自動小銃を背負いながらとても無理だと首を振り、隣でファティマも腕を組んで微妙な表情を浮かべる。
「ボクなら少しは追いかけられますけど、すぐ息切れしちゃうと思います」
『ということは、あの連中は――』
「人種って考えない方が良さそうッスね」
キメラリアすら凌駕する身体能力を持つ何者か。それは帝国からの命令を忠実に遂行できるだけの思考力を持ち、獣車を執拗に追跡している。そして帝国はミクスチャを制御する何らかの方法を手にしているはず。
生物兵器とでも言うべき存在に、僕は迷わずマキナ用機関銃を手に取って、背中に
確実に脅威を撃滅するために。
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