第203話 正体不明の敵(前編)

 走る走る走る。

 茜さす空の下、獣車は地面の凹凸に跳ねながら、牧草地帯を駆けていく。

 牽引するアンヴは口から泡を吐き、それでもとセクストンは手綱を必死で振って頑張れと声をかける。荷台では振動の中、義足で上手くバランスを取ってヘンメが立ち上がり、背後から迫るそいつらにクロスボウを構えた。


「クソッタレ、嗅ぎつけるのが早すぎるぜ!」


 無頼漢は毒づきながらボルトを放てば、次の瞬間にはドンという鈍い音と共に、追手の腹部にそれが突き立っている。義手で支えているというのに、なんとも見事な腕前だとあたしは感心していた。

 彼が用いるクランクとギアで弦を巻き上げる方式のクロスボウは、連射こそ苦手とするものの、その威力は1撃で板金鎧さえ貫通してしまう程の強力なものだ。

 にもかかわらず、その直撃を受けた追跡者はよろめいて立ち止まっただけで、またすぐに追撃を開始してくる。それこそ全身を覆う布の下に、何か恐るべき技術の鎧を着こんでいるならわからなくもないが、それにしてはボルトが深々と刺さりすぎていた。


「ほんっと、しぶといよね」


「人間だったら、もっと早く半数近くは殺せてるぞ。だってのにこいつら……どんな身体してやがんだかな!」


 重そうにヘンメはクランクを巻き上げると、また新たにボルトを装填して狙いをつける。

 だが次の1射は獣車が大きく跳ねたことで外れてしまった。


「ゴルァ、アホストン! ガタガタ揺らすんじゃねぇ!」


「無茶言わんでください! もうアンヴだって限界なんですからね!?」


「そこをなんとかすんのが御者の役割だろうが! エリ、ボルト!」


 無茶苦茶な言いようなのは自分が馬鹿でもよくわかる。セクストンは泡を吹く軍獣をそれでもなんとか扱っており、そもそも獣車が揺れるのは大概地面が原因なのだから、ヘンメの言葉はただの八つ当たりに過ぎない。

 しかしどれだけ射ても1人すら倒れないのでは、無頼漢がイライラするのも頷ける。あたしが同じ立場なら、既にクロスボウそのものを投げつけていたかもしれないくらいだ。

 そして腹を立てているヘンメには非常に言いにくいことが、あたしの目の前には広がっていた。


「それがさー」


「何だよ早くしろ!」


「――空っぽなんだなぁ」


 クロスボウを巻き上げようとした姿勢のまま、ヘンメは苦笑するあたしの方を振り返る。それに向かって空になった木箱を振って見せれば、無頼漢はふぅと深く息を吸い込んで天を仰ぎ見た。


「……エリ、なんか武器になりそうなもん残ってたか?」


「手持ちの武器以外ないねー。ヘンメの酒瓶ぶつければ?」


「あんな奴らにくれてやんのは勿体ねえだろうが」


「だよねぇ」


 あたしが空になった木箱を敵に投げつければ、それを追手は体当たりで砕いて僅かも速度を緩めない。なんならそれに続けてヘンメがクロスボウも投げたが、こちらは当たりもしなかった。

 少しでも軽くするため、最早荷車の上には何も残っていない。それこそあたしが寝かされていた藁まで全部捨ててしまっており、残されているのは身に着けている僅かな装備と人間だけ。


「どーしよっかセクストン。もうそろそろ諦めて戦う?」


「将軍が万全なら、それも考えますけどね……! ハァッ!」


 セクストンが奥歯を噛み締めて言う通り、自分の身体は未だに戦いには耐えられない。

 それこそ指先に火を灯すくらいはできるかもしれないが、未だに魔法を撃とうとするだけで激しい頭痛に襲われるうえ、さっき軽く木箱を投げただけで足元が覚束ないのだ。剣を振って化物とやりあうなど、到底不可能だった。

 御者台の騎士補はそれでもと頑張っていた。僅かな時間でも走り続けられるように、連続する丘をできるだけ登らぬように裾を駆け、少しでも目につくようにと開けた場所を選んで走らせる。

 だがどれほど努力を重ねたとて、またいかほど頑丈な軍獣であったとしても、獣車を牽いて永遠に全力で走りつづけることなどできはしない。


「いかんっ!?」


 だから丘の脇でセクストンが手綱を打った時、ついに地を駆ける4つの足はもつれて地面を転がり、繋がれていた獣車も同じように横転すると、自分たちも草原へ放り出された。


「あぐ……ッ!?」


 咄嗟に受け身はとったものの、全力で走っていた軍獣から落とされたのだから、一瞬息ができなくなる。

 しかし痛みの中でも自分の意識はハッキリしていて、派手に咳き込みながらでも足に力を籠める。


 ――こんなところで死んでやるもんか。そんなのは面白くないじゃない。


 歯を食いしばってよろめくように立ち上がりはしたものの、魔術を行使しすぎて癒えぬ身体は全く力が入らない。何なら地面に打ち付けられた衝撃でか、迫ってくる敵の輪郭さえ二重三重に見えるほどだ。

 それでもとあたしが剣に手をかけようとすれば、濁った男の叫び声が木霊する。


「ぐ……セクストン! エリ抱えて走れ!」


「言われんでもそうしますよ!」


 自分にはそれに抵抗する力もなかった。

 ただされるがままセクストンに担ぎ上げられると、揺れる視界の中で丘を駆けあがっていく。その中ではヘンメが後退しながら、化物と刃を交える距離まで近づいていた。


「ねぇ、ヘンメ死んじゃうよ?」


「――兵士は皆、己の役割を全うします。国のため、将のため、家族のために」


「セクストン?」


「ヘンメ殿の犠牲があってもなお、自分には将軍を守り通すことができんかもしれません。ですが、1歩でも遠く、一瞬でも長く、貴女を生かすことが私の役割なれば!」


 騎士補は雄たけびを上げながら力の限り走る。後ろで旅路を共にしてきた無頼漢が殺されようかというのに、振り返る事すらせずに。

 それはあたしが戦場で薙ぎ払った、幾百人もの弱い者たちと同じ。決して敵わないと、どう足掻いても死から逃れられぬとわかっていながら、それでも抗うことを止めない者達。


 ――守るって、難しいなぁ。


 自分は帝国最強の将軍だというのに、今できることは彼らの運命が安らかなることを祈る事だけ。なんともままならない話だと呆れてしまう。

 だからだろうか、誰が死んでも感じなかった寂しさのようなものが込み上げて、不意に涙が零れたのは。


「悔しいよねぇ……こんなのってさ」


 荷物のように運ばれるだけの自分が嫌だ。剣ならあるのに戦えない自分が嫌だ。

 だから一層、セクストンさえ生きていればと思ってしまった。自分を捨てて走れば、あるいは助かるのではと。

 だがそっと自らの剣に手をかけようとした時である。突然セクストンが立ち止まったのは。


「駄目だよセクストン、走らなきゃ――?」


 後ろ向きに担ぎ上げられているため、首を捻ったところで前の様子なんてほとんどわからない。ただでさえ視界もぼやけている中である。いよいよセクストンがついに諦めてしまったのかとも思った。

 だが彼の声に悲壮感はない。それどころか、救いを見つけたかのように響いた。


「……自分たちは、まだ助かるのかもしれません」


 何が、と聞くより早く、セクストンは力強く足を踏み出していく。それも大きく手を振りながら。

 自分のぼやける視界では、まだヘンメもなんとか戦っていた。これも運がいいのか悪いのか、ヘンメの相手をする者はほとんど居らず、大半がセクストンと自分を追いかけてきていたと言ったほうがいい。

 足の速さなら追手の方が圧倒的。特にその先頭を駆けていた者は、最早自分たちを間合いに捉える寸前だった。

 だというのに、目の前でまさかそれが弾け飛ぶなど、一体誰が想像できるだろうか。



 ■



初弾命中。

整備を終えたマキナ用機関銃の単射精度は800年前と変わらず見事な物で、セクストンを追っていた1匹の頭を綺麗に吹き飛ばした。


『シューニャ、急いで3人を回収してくれ! 敵は僕が引きつける!』


『ん!』


 手を振りながらエリネラを担いで駆けてくるセクストンに向かい、玉匣は土埃とエーテル機関の排煙を上げながら猛然と突き進む。一方の僕は追手の全身布包み共を目指して突撃した。


『アポロは停車次第エリとセクストンさんを保護! ファティはヘンメさんの安全を確保するんだ!』


『了解ッス!』


『わかりました』


 僕はヘッドユニットの中で声を張りながら、向かってくる敵に対してレティクルを合わせトリガを引いた。すると機関銃は得意のフルオート射撃に機嫌よく乾いた断続音を響かせ、マズルブレーキから閃光を瞬かせたかと思えば、鎧さえ着ていない敵の身体を軽々と弾き飛ばしていく。

 敵がもしも普通の兵士だったら、どれほど訓練された者であったとしても見知らぬ飛び道具に怯んだことだろう。にもかかわらず、連中は一切の恐れなく、金属製らしい棍棒片手に弾雨の中を突き進み迫ってくる。その歪な走り方と薄すぎる死への恐怖心は、最早生物とすら思えなかった。


 ――まるでミクスチャ、か。


 横合いから奇声を上げて飛び掛かってくる敵を躱し、サブアームに装備した突撃銃を浴びせれば、四肢がバラバラに砕けて体液を飛び散らせる。昔は豆鉄砲と揶揄された突撃銃でさえ有効となれば、身体の堅牢さはミクスチャに遠く及ばないらしい。

 ならばわざわざ機関銃弾を無駄にする必要もないと判断し、僕は両手を突撃銃に持ち替えて接近戦に移行する。

 1匹払い、2匹撃ち、屍をこしらえながら丘陵を下り、ヘンメと絡んでいた1匹を蹴散らしてまだ進む。突如目の前で敵が弾けた無頼漢は、返り血を浴びてひっくり返っていたが。


『副長と将軍を保護したッスよ!』


 後ろから湧いてくるに弾幕を浴びせていれば、アポロニアから収容完了の報告が飛んでくる。彼女にとって2人は元上司だからか、セクストンとエリネラのことをわざわざ役職名で呼んだため、僕は苦笑交じりに指示を返す。


『了解。茶でも準備できればいいんだが』


『そんな高級品積んでないッス』


『なら仕方ないな。2人を休ませたら、機関銃座についてファティの援護を。シューニャ、ヘンメさんの方に向かってくれ』


『了解ッスよー』


『わかった』


 地面に散らばった薬莢を踏んで肩越しに振り返れば、玉匣は慣れない2人を気遣ってか、ゆっくりと進路を変えて丘を下ってくるのが見える。その前では地面にへたり込んで何か笑っているヘンメに、ファティマが何かを会話をしているようだったが、間もなく荷物のように引き摺られて玉匣へ連行されていった。

 要救助者の回収が終わったなら、後は残存部隊を蹴散らすだけの簡単な仕事だ。ギリギリのタイミングだったため、事態が順調に進んで僕はホッと胸を撫でおろす。


『キョウイチ、後ろから新手が来てる。気をつけて』


『ああ、こっちでも確認した。あまり僕から離れないようにしてくれ』


 数を減らしていたレーダー上の光点に、比較的大きな反応が4つほど現れる。

 敵がいくら化物の一団だったとはいえミクスチャほどの脅威ではなく、古代兵器であるマキナの相手にはならない。むしろ感情を持った兵士でないぶん、戦いやすい相手に感じられたほどだ。

 だが地形の向こうから現れた敵増援は、周囲で奇声を上げる雑魚とは明らかに異質な存在だった。


『……こいつはまた、デカいのを連れてきたなぁ』


 そいつは象のような太い脚で地面を鳴らし、ファティマの斧剣さえ小さく見えるようなハンマーを携え、キメラリア・キムンのマッファイすら子どもに見えるほどの巨体を、板金鎧で覆い尽くした化物である。

 これでスリットが刻まれた兜から粘液のようなものが漏れ出ていなければ、試作型の第一世代型マキナとでも言われた方が納得できたことだろう。3メートル以上はあろうかというそいつは、機械ではないことを裏付けるように雄たけびを上げると、ハンマーを地面に叩きつけてこちらを威嚇した。


『喧しいものだ。悪いがそういうのは僕の趣味じゃなくてね』


 両手に構える突撃銃でデカブツ4匹に狙いをつければ、敵も大小構わずこちらへ向かって走り出す。

 棍棒を手に殴りかかってくる小柄な方の敵を、ジャンプブースターの推力で機体を回転させながら銃撃を加えて薙ぎ払い、弾幕を抜けてきた奴を銃床で殴りつけて振り払う。

 小柄な方は動きこそ早いが力はそれほどでもなく、金属製の棍棒程度では翡翠の装甲に傷もつけられていない。だが生命力は驚異的であり、人間の頭をスイカのように叩き潰せるマキナの蹴りを受けてなお、体液を流しながら起き上がってくる。ならばとハーモニックブレードで真っ二つにしてみたが、それでも上半身だけで蠢いたりするものだから、驚愕を通り越して呆れてしまう。


『ミミズもびっくりの生命力とでも言うかな。エリが苦戦するわけだ』


 僕が軽く毒づいていれば、接近してきたデカブツは唸りを上げて巨大なハンマーを振り下ろしてくる。それを半歩退いて躱せば、地面に当たったそれは大量の土塊を巻き上げた。

 それに対して至近距離から突撃銃を放てば、小さな連中と違って機敏に回避運動を取って見せる。無論躱しきれるはずもなく、数発が鎧に着弾して体液を飛び散らせたが、その程度でデカブツは止まらない。

 頭か脊髄か、それとも身体を肉塊にされるまで止まらない敵。それは弓や槍で武装しただけの現代人にとって、十分すぎるほどの脅威であろう。


『機敏で剛力、本気でマキナみたいだが――』


 ジャンプブースターを使って敵の間合いから離れ、再び武装を突撃銃からマキナ用機関銃へ切り替えながら着地する。

 敵は飛び道具を持たず、そして弾丸を躱すほどの機敏さも持っていない。


『さよならだ』


 腰だめに構えた機関銃のトリガを引けば、翡翠は全身のアクチュエータを使って暴れようとする銃身をしっかり保持して見せた。

 掃射時間、およそ3秒。

 唸りを上げる銃身を右から左へ振れば、帯のようにして飛ぶ高速徹甲弾が土煙を立てながら丘の裾を舐めていく。それは小型の敵を軽々しく吹き飛ばし、回避を試みたデカブツ達をもひき肉に変えた。

 風に硝煙と土煙が流された時、数にして10体近く残っていたはずの敵で立っていられたものはなく、ただ物言わぬ屍がそこかしこに転がるだけ。


『敵残存戦力なし……掃討終了』


「やースゴイスゴイ、ビックリした」


 だから僕は自分の作戦終了報告に、返事をされるとは思わなかったのだ。

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