第275話 不可解な報告

 護衛兵たちは彼女の言葉にざわめき、行軍を続ける兵士達の中でも、耳がいい者はギョッとした表情を浮かべていた。

 しかし、会話をしている当人たちは至って冷静であり、エデュアルトは静かに目を細め、低い声でペンドリナに問うた。


「その言葉、真か?」


「はい。それだけではなく、全ての門が開け放たれており、防壁上に守備兵の姿も見当たりませんでした。あまりに奇妙な状況でしたので、偵察隊だけでの突入は危険と判断し、現在は外部からの警戒を続けております」


 石造りの要塞は国境防衛の要であり、そこを本拠地としていたロンゲン率いる第三軍団は、王都の戦いから速やかに撤退したことから、戦力を温存している可能性が高い。

 にもかかわらず、もぬけの殻というのはあまりにも奇妙であり、エデュアルトが顔を顰めるのも当然だった。


「ふぅむ……戦わずに済むというのなら、こちらにとってありがたい話ではあるが――」


「罠である可能性が大きすぎます。ただでさえ、前哨基地の戦いでは、ホンフレイ卿が化物による奇襲攻撃を受けておりますし」


「ノコノコ入ったところを襲われるのは敵わんが、しかし、キメラリアがイソ・マンに化けるというような奇策、どのようにして見抜けばよいものか」


 プランシェの進言は妥当な物だったが、フォート・ペナダレンの占領は帝国侵攻の足掛かりとして避けて通れず、彼は腕を組んで唸りだしてしまう。

 化物を扱う非常識な敵に相対する状況で、将兵の命運を握っているエデュアルトが悩むのは当然である。

 だからこそ、これまでの会話を半ば盗み聞きしていた僕は、道端で話す彼らの隣に玉匣を停車させる指示を出した。


「自分達が先行して調査を行うのはどうでしょう?」


 シューニャも随分運転に慣れたもので、指示通りの位置にピタリと車体を止めてみせ、僕はアポロニアと交代して上部ハッチから半身を出しつつ、前線司令官に軽く頭を下げる。

 周囲の兵士たちは、間近に迫った玉匣に、おぉ、と声を上げたものの、今更驚いて腰を抜かす者は居ない。そして、自分たちと親交の深いエデュアルトに至っては、パッと顔を上げると、何か光明を見つけたとばかりに前のめりになった。


「できるのか?」


「確実とは言い切れませんが、よくわからないまま本隊を入れてしまって大損害、というよりはマシでしょう。火計であれ化物であれ、自分達だけなら対応できる可能性は上がりますし」


 鎧を纏っただけの兵士と、古代兵器を扱う自分達とでは生存性に大きな差がありすぎる。パイロットスーツを着込んでいるだけでも、段違いと言っていいほどにだ。

 何より、戦う前から同盟軍の戦力が削られるリスクは、全体の士気に悪影響を及ぼすため、可能な限り限り避けなければならない。

 そのため、行軍速度も違いすぎますしね、と冗談交じりの言葉もダメ押しで付け加れば、エデュアルトは腰に手を当てて苦笑交じりにため息をついたかと思うと、姿勢を正して表情を引き締めた。


「何から何まで頼り切ってしまうのは気が引けるが――すまん、頼まれてくれるか」


「任務了解。ペンドリナさん、もし前線に戻られるのならどうぞ乗っていってください」


「私が? いや、そう仰ってくれるのは有難いのだが、その……お邪魔ではないだろうか?」


『邪魔ってことはねぇぜ。でけぇワンコが荷台でよけりゃ、だがな』


「抜群の乗り心地はお約束できませんが、駆け戻られるよりは楽だと思いますよ」


「すまない、私も兜狼この子もここ数日、昼も夜もなく走りづめだったから正直助かる」


『決まりね。こっちよ』


 助手席から箱乗りになったマオリィネが手招きをすれば、ペンドリナは兜狼を連れてマキナ輸送用トレーラーの下へ歩いていく。

 彼女がこの大柄な兜狼を乗騎としているのは、その体格だけが理由ではないのだろう。飼いならされているとはいえ、妙な音を立てる鉄塊を恐れる様子はなく、それどころか勝手知ったると言った様子で荷台へ乗り込むと、並ぶ甲鉄の間に身体を横たえて、あからさまにリラックスする余裕まで見せてくれた。


『おし、客人は収容したぜ』


「では、自分達はこれより先行します。また後日、フォート・サザーランドにて」


「うむ。用心してくれ」


 絵に描いたような騎士から向けられる真剣な青いまなざしに、僕は軍事パレードにおける戦車長よろしく、肘を張って額に指を揃える敬礼を送る。

 再びエーテル機関が大きく唸りを上げ、玉匣は今までより一層勢いを増して、長蛇の列を成す兵士たちの横を走り出す。

 間もなく先頭を歩く旗手を追い抜き、前に味方が居なくなったことを確認して、僕は砲手席へと戻ることにした。


「すまないアポロ。狭いところに急に押し込んでしまって」


 僕が会話するために慌ただしく交代したアポロニアは、先ほどの自分と同じようにポラリスを膝に乗せていたらしい。

 ただ、砲手席の上で何を思ったのか。肩越しに振り返った顔には、にんまりした含み笑いが浮かんでいた。


「自分は小さいッスから、これくらいなんてことないッス。なんなら、このまま膝に乗せてくれてもいいくらいッスよ?」


「アポロ姉ちゃんもいっしょ?」


「いやいや、流石にポラリスと3人一緒は窮屈だろう。身動きが取れなくなる」


 装甲車両の中でもかなり大型のシャルトルズは、砲手席の居住性も頑張れば眠れるくらいには良好である。しかし、どれだけ言っても空間には限界があり、ポラリス1人を膝に乗せるだけでも、尋常ならざる圧迫感になってしまう。

 だからこそ、アポロニアの申し出は流石に冗談だろうと思い、僕は苦笑を浮かべつつ首を横に振ったのだが、何故か彼女らは顔を見合わせると、同時に満開の笑顔を浮かべた。


「ねぇポーちゃん、たまには自分と代わって欲しいッス」


「んー? やだ」


「そんなこと言わずにぃ」


「やーだー。キョーイチのおひざはだれにもあげないもん」


 密着した体を揺すりながらの不思議なやり取り。流石に自分の膝を分譲した覚えはない。記憶がまたもどこかで欠落したのでなければ、だが。

 ただ、穏やかな笑顔をしていたのはここまでであり、アポロニアは肩越しに振り返る空色の瞳をジッと見つめると、表情を不敵なものへと変えた。


「ほぉん、そんな聞き分けのない子には実力行使しかないッスね。自分に押し勝てたなら、この場は諦めてあげるッス!」


 背後を取っていた彼女の動きは早く、呆気にとられる自分を尻目に、ポラリスの腰を両手で掴まえると、そのまま持ち上げるながら背もたれの向こうへ釣りだそうと試みる。

 しかし、こうなることくらい想像がついていたのだろう。ポラリスの方も素早く壁面の手すりにがっしりしがみ付き、アポロニアへ抵抗を始めた。


「うぎぎぎぎ、ぜったい、ぜぇーったい離れないもん!」


「しがみ付いても無駄ッスよぉ! 体力勝負でアステリオンに勝てると思ったら大間違いだってこと、教えてやるッス!」


「ぐむむむむむ、力でかてないならぁ――」


 如何にアステリオンが非力と言えど、それは幼いポラリスも大概であるため、圧倒的に不利な姿勢を維持し続けることに限界を覚えたのだろう。

 だが、彼女はこういう時非常に聡い。ストリの遺伝子がそうさせるのかはわからないが、とにかく機転が利くのだ。


「えぇいッ!」


「ちょ、ポーちゃん、危な――ッ!?」


 それはそれはもう見事な物だった。

 ポラリスはわざと勢いをつけて手すりから離れると、器用に身体を捻ってアポロニアに正対する姿勢へ持ち込み、彼女の身体へしがみ付いて見せたのである。

 完全に虚を突かれた犬娘は、一瞬腕の力を緩めてしまったのだろう。胸に顔を埋める形となったポラリスは、反撃とばかりに両手を彼女の身体へ走らせた。


「それそれそれぇ!」


「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!? く、くすぐるのはズルいッスよ! あっ、ちょっ、わきはだ――ぁキャンッ!?」


 一気に形勢を逆転されたアポロニアは、自らの非力と合わせて姿勢が悪く、手足をバタバタさせるばかりでポラリスを振りほどけないらしい。一方的に蹂躙されて、咳き込みながら笑い転げている。

 ここまでのやり取り、ほんの数秒。梯子に掴まったまま唖然としていた僕はようやく我に返り、狭い空間で暴れる2人を止めにかかった。


「こ、こらこら。こんなに狭いとこで暴れるんじゃないよ」


「みてみてキョーイチ! アポロ姉ちゃん、ふとももとわきがよわいよ!」


「こ、こりゃ! そういうこと簡単にバラすんじゃな――あはははははははっ!?  ごめん、ごめんなさいってば! ちょっと、服に手突っ込むんじゃ――助けてごしゅじぃん!?」


 太ももと尻尾とわきが弱い。

 その無邪気な言葉はあまりにも衝撃が大きく、僕の思考を一気にフリーズさせるには十分すぎた。

 しかも当のアポロニアが、涙目になりながら赤く火照った顔をこちらに向けてくるのだから、いつぞやの発情事件を思い出してしまい、いかんいかんと妄想を振り払う。

 ただ、その間にもポラリスの攻撃は激しさを増し、アポロニアは服の裾からお腹周りに手を突っ込まれて笑い転げていた。

 それも、彼女の悶える声が相当大きかったからか、走行中だというのに砲塔の上に座っていたファティマの耳にまで届いたらしい。猫娘の顔が頭上から逆さまに生えてきた。


「おぉー、ポーちゃんもなかなかいい動きしますね。いっつもやる側の変態犬が翻弄されてます」


「はーっ、はーっ……さ、逆さまに眺めてないで助けろッスぅ! うひぃ!?」


「わしゃわしゃー!」


 息も絶え絶えと言った様子のアポロニアは、それでも必死でファティマを睨みつけたものの、ポラリスが尻尾を逆なでしたことで、ビクリと全身を大きく跳ねさせた。


「ちょ、尻尾は本当に! 本当に駄目ッスから――キャぁーン!?」


『うるさい』


 悶えるアポロニアの声量はかなりのものだったのだろう。

 レシーバーから響いたシューニャの苦情声は冷たく鋭く。しかし、今に至るまでずっと無線機越しに彼女の叫びを聞かされていたとすれば、声に棘が生えるのも納得がいく。

 おかげで僕は無理矢理砲手席へ身体を突っ込み、ポラリスのわきを抱えてアポロニアから引っぺがすことになったが。


「はいはい終わり終わり! 楽しそうなのはいいが、やるなら後ろでやんなさい。怪我しても知らないよ」


「じゃーあ……ベッドでつづき、する?」


 どうやらポラリスは、自分の膝に座っている事より、犬耳の生える姉と戯れていることの方が楽しかったらしい。僕に抱き上げられた状態のまま、太陽のような笑顔を浮かべつつ白い指をワキワキと動かせば、アポロニアは自分の胸を両手で覆い隠してブンブンと首を横に振った。


「もう十分、十分ッス! 我儘言った自分が悪かったッスから許して! もう既に身体が変な感じにゾワゾワして戻らないんスよぉ!」


 アステリオンという種族の特徴から、筋力で大したアドバンテージを持てないアポロニアにとって、無邪気で容赦がないポラリスはまさしく天敵なのだろう。

 おかげで彼女は、慌てた様子で砲手席から転がり出ると、這うようにして車両後部へと逃げていく。無論、僕の手から逃れたポラリスもすぐに後を追っていたので、彼女らの攻防は結局寝台の上でしばらく続くことだろう。

 しかし、おかげで砲手席は空いたため、僕はようやく落ち着いて座ることができ、フォート・サザーランドまでの地図を開いて1人苦笑を漏らした。


「相変わらず、賑やかな装甲車だなぁ」


「犬がうるさいだけな気がします」


 肩越しに振り返ってみれば、タラップの前を長い尻尾がユラユラと揺れていた。彼女にしては珍しく砲身の上に戻らず、ハッチから身を乗り出す恰好で居ることにしたらしい。


「どうだろう。でも、僕は嫌いじゃないよ」


「ボクも騒いだほうがいいですか?」


「いや、無理に騒いでほしいという訳じゃないんだが、こういう普段通りなのがいいなぁと思ってね」


 ファティマらしい切り返しに、こちらを見ていないとわかっていながら、軽くひらひらと手を振って笑えば、その指先にふわりと尻尾の先が触れた。


「なんだい?」


「いえ、別に」


 ファティマは短くそう言ったきりで、頭上からは風の音しか聞こえなくなる。

 ただ、何かしらの訴えが彼女にあったのは間違いないようで、手触りのいい長い尻尾は指先へ微かに触れたまま動こうとせず、僕は妙な姿勢のまま腕を下ろすタイミングを完全に失っていた。

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