第276話 フォート・サザーランド

 ひび割れた赤茶色の岩に、僕は自動拳銃を片手にどっかと腰を下ろしてため息をつく。

 ロックピラーを見るのはいつ振りだろう。現代で初めて外界へ踏み出してから今に至るまで、まだ1年すら経っていないというのに、植物の少ない荒涼とした大地と、水分を奪っていく太陽の光がとても懐かしく思えてならない。


「まさか、本気で何もないとは……」


 ヴィンディケイタ達が忙しそうに行き交う姿を眺めていた僕は、大きすぎる取り越し苦労にガリガリと後ろ頭を掻いた。

 いくら王国に対して圧倒的に有利な戦いを挑んでいたとはいえ、フォート・サザーランドは国境防衛の要である。たとえ司令官であるロンゲンが出陣していたとしても、一定数の守備兵は残しておくものだろう。

 だが、自分たちが目にした要塞はペンドリナの報告通り、全ての門が開け放たれた上で帝国旗が下ろされ、兵士の姿はどこにも見当たらない。

 だからこそ、先にエデュアルトが言った通り、この要塞自体が大掛かりな罠ではないか、とも考えた。

 しかし、翡翠のシステムも使って内側を調査したところ、罠となりそうな危険物や生体反応はどこにも見つからず、それどころか倉庫からは食料や武具の大半が、応接室などからは調度品の類などが持ち去られている始末。

 それはまるで夜逃げのような有様であり、安全が確認されれば、むしろ使えそうな物資を探し出して集める必要に迫られた。

 今もファティマとマオリィネが物資の捜索、シューニャがその選別を行っており、ポラリスも手伝うと言って彼女らについて行っている。

 一方、要塞内部の安全確認を終えた、自分を含む居残り組3人は、車両や武器の点検を実施していた。


「罠を張るでもなく、焦土作戦でもねぇんだとすりゃ、兵士が逃げ出しちまったって考えるのが妥当かもな」


「ただでさえ、ここ守ってた第三軍団の連中は、ご主人の強さを知ってるッスからね。ロンゲン軍団長もゲーブル副長も居ない時に、ミクスチャ殺しの英雄が攻めてくる、なーんて言われたら、誰でも逃げ出して当然ッス」


「……妙に納得できるんだが、その原因は君たちだろうに」


 小休止だと言って煙草を吹かす骸骨と、自動小銃を磨く犬娘の言葉は論理的であり、兵士が離散したというのも頷ける。

 とはいえ、過去に帝国兵を蹴散らしたのは自分ではなく、機関拳銃片手に救援へ駆け付けてくれたアポロニアと、調子に乗って焼夷榴弾を密集陣形に叩き込んだダマルなのだ。戦果の誤認はよろしくない。

 しかし、第三軍団の連中はそう思ってるッスよ、なんて言われてしまえば反論する余地もなく、カッカッカという骸骨の笑い声を聞きながら、僕は項垂れるしかなかった。

 ただ、状況が信じられない人も居たりする。


「まさか本当に、本当にこの要塞がただの抜け殻だというのか……?」


 急報と意気込んでバックサイドサークルへ駆けた伝令、ペンドリナにとって、この事実はあまりにも衝撃的だったのだろう。

 ただ、目の前の状況に嘘をつくわけにもいかず、アポロニアは苦笑しながら現実を彼女の前に突き付けた。


「自分たちの調査が間違ってなければ、そういうことになるッスね」


「……ここは、要塞を無傷で手に入れられたことを喜ぶべきなのだろうが――まさか罠の1つすらない場所を、夜通し見張り続けていたとは……ふ、ふふ」


 精鋭たるヴィンディケイタとしてのプライドが故か。ペンドリナは額を抑えながらよろめいて大柄な兜狼ヘルフへもたれかかると、俯いたまま自嘲的で不気味な笑い声を漏らし始める。

 ただでさえ、戦局を左右する重要な場面と考え、昼夜を問わず走り続けた彼女にとって、もぬけの殻という結果は肩透かしどころではなかったに違いない。

 その余りに痛ましい姿に、僕は銀の毛に覆われた肩へポンと小さく手を置いた。


「そんなに落ち込まないでください。むしろ、前哨基地を確保できたのですから、大事なのはこれからですよ。周辺警戒を一層厳重に、どうぞよろしくお願い致します」


 自分でも薄っぺらいと感じられるような励ましの言葉。

 それでも彼女の目を見ながら、肩に置いた手に少し力を込めたことが功を奏したのだろう。伏せられていた獣耳をゆっくり立ち上がりながら、ペンドリナは、そうか、そうだな、と数回繰り返してから、拳を握って立ち上がってくれた。


「すまないアマミ殿。此度の汚名、しっかり返上させていただく。タルゴ!」


 大人の女性として、どことなくクールでストイックな印象を受ける彼女ではあるが、意外と感情のアップダウンが激しい一面もあるらしい。

 先ほどまでの雰囲気が嘘だったかのように表情を引き締め直し、深く一礼したかと思えば、ちょうど通りかかった極彩色の鳥男の下へと駆けていく。

 その背中はやる気に満ちており、ヴィンディケイタとしての誇りを取り戻したいという思いがひしひしと伝わってきた。


 ――空回りしなければいいんだがなぁ。


 思い出される土嚢製造現場の惨状に、もしかして余計なことを言ったか、と後ろ頭を掻いたが時すでに遅し。後は隊長として手綱を握るタルゴの手腕と、ペンドリナの自制心に任せるしかなく、僕は一切の思考を無責任に投げ捨てることにした。

 ただ、小さく手を振って見送る自分の様子から、ダマルとアポロニアは何かを感じ取ったらしく、背中に盛大なため息をぶつけられてしまったが


「はーぁ……安全装置だけぶっ壊してから他所に丸投げたぁ、大した野郎だぜ――そんで、俺たちの方はどうすんだ? 本隊が到着する瞬間まで、走り回らされるヴィンディケイタ横目に警戒待機か?」


「ヤバそうならタルゴさんには後で謝っておくよ。とりあえずこっちの面々に関しては、あまり玉匣を離れないようにしつつ戦闘準備、って感じでいいだろう」


「要するに、今までと一緒ってことッスね」


 自分の口にした内容全ては、小さな欠伸を零すアポロニアによって、たった一言に圧縮されてしまう。しかも、内容に一切の齟齬がないため、僕は頷きながら視線を逸らすことくらいしかできなかった。



 ■



「どうだい?」


「お前の予想通り、重榴弾砲の調整不良っぽいな。そりゃ誘導砲弾使って航空観測射撃しても盛大にズレるわけだぜ。これだからオートメックに任せるのは嫌なんだ」


 携帯端末に表示される情報を眺め、骸骨は大袈裟に肩を竦める。

 いくら甲鉄が無人動作であり、ダマルが砲兵としての訓練を受けていないとはいえ、ドローンによるレーザー照準と誘導砲弾を用いてなお、あまりにも大きくズレる弾着地点が、僕は不思議でならなかった。

 そのため、これは機体側に問題があるのではないか、と考えて調査してみれば、案の定である。


「時間の余裕もなかったから仕方ないか。昔の砲戦ならともかく、現代なら動いて撃てるだけでも戦力にはなるし」


「ったく、砲戦用マキナが聞いて呆れるぜ。あー、面倒くせぇ」


「手伝おうか?」


「大した作業じゃねぇよ……面倒なだけでな」


 ガックリと項垂れていた骸骨は、こちらの申し出を断ってから、何かを諦めたようにため息を残して立ち上がり、整備キットを荷物室から引っ張り出して玉匣から出ていく。

 ダマルを見送った自分は、さて何をしようかと腕を組んだ。

 要塞の調理場を借りに行ったアポロニアの様子を見に行くか、シューニャたちと合流するか、翡翠や玉匣を磨いておくか。

 そんなことを考え始めた矢先、再び後部ハッチが開かれる。


「おにーさぁん、戻りました」


「うん? あぁ、お疲れ様ファティ。要塞の中で使えそうな物は見つかった――おや?」


 玉匣へ戻ってきたファティマへ状況報告を求めながら視線を流せば、何やら胸に青銀の毛玉を抱えている。

 それはくぅくぅ、と小さな寝息を立てていた。


「電池切れ、ってとこかな」


 座席から立ち上がって覗き込んでみれば、ポラリスが腕の中で気持ちよさそうに丸くなっている。

 まだ子どもである彼女にとって、何日も玉匣に揺られ続けた上、バックサイドサークルやらロックピラーやらという不慣れな場所で過ごすことは、相応に体力を消耗していたはず。疲れが出て眠ってしまっても、なんら不思議ではない。

 しかし、ポラリスを寝台下段へ寝かせたファティマは立ち上がりながら、そうじゃない、と首を横に振った。


「というより、退屈だったんだと思います。シューニャとマオリィネが読み物を始めちゃったので」


「読み物?」


「はい。食べ物とか武器とかはほとんど見つからなかったんですけど、本とか書類とかはなんでか沢山出てきたんですよ。それを、何か情報が見つかるかも知れないから全部確認する、ってシューニャが」


 実に彼女らしい判断であり、騎士であり知識層でもある貴族のマオリィネが引っ張り込まれたのも頷ける。

 ただ、退屈のあまりポラリスが眠ってしまってもなお、それをファティマに任せて作業を続けている、という部分に対し、僕はまさかと表情を引き攣らせた。


「あー……沢山と言ったが、具体的にはどれくらいだろう? 何日かで読みきれそうな量だったかい?」


「ボクが見つけた分だけでも、机が紙の塔で一杯になってました。でも、シューニャなら全部読み切っちゃうんじゃないですか? ボクは読み物って苦手なんで、絶対無理ですけど」


 軽く血の気が引いた。

 決して活字を読むことが苦手という訳ではないにせよ、所詮自分は人並み程度。積み上がる書類に目を通すことなど、ただの苦行に他ならない。

 この時点で僕は、静かに見守るという完全なる逃げを選択した。


「は、ははは、……そういうことなら、任せておいた方が良さそうだ。昔の書類ならともかく、現代文字で書かれた文書が相手では、僕なんて足手まといにしかならないだろうし」


 これには付き合いの長いファティマも同意だったらしく、ポラリスを降ろしつつ、シューニャですからね、と一言で纏めて困ったように笑う。

 ただ彼女は、ふと何かを思い出したらしい。ポンと手を打った。


「あっでも、ボクも地図を眺めてて1つ思いついたことがあるんですよ」


「と、いうと?」


「少しだけ要塞の周りを見て回りませんか? ほら、同盟軍が合流してくるまでに、帝国軍が攻めてくるかもしれませんし、地形とかを確認しておいた方がいいと思うんです。地図だけじゃわかんないことも一杯ありますから」


 彼女が、どうでしょう、と言いたげに首を傾ければ、大きな耳がゆらりと揺れる。

 対する僕は少々意外な提案だと思う一方、地形の詳細情報は事前に得ておいた方がいいのは間違いない。


「ふむ……確かに、地形図の精度を考えれば、自分たちの目で直接確認しておくに越したことはない、かな」


「へぇ? お前がそんなこと言い出すってのは意外だな」


 何か忘れ物でもしたのだろう。いつの間にか、後部ハッチの向こうから骸骨がこちらを覗きこんで、カタカタと顎を鳴らしていた。

 それにファティマはムッと眉を寄せると、肩越しに振り返って暗い眼孔を睨みつける。


「どういう意味ですかそれ。ボクだって色々考えてるんですからね」


 大体すぐ飽きちゃいますけど、と小さな呟きが聞こえたのは気のせいだと思っておこう。

 とはいえ、如何に彼女の提案が珍しかろうが、骸骨がそれをやかましく笑おうが、必要な作業であることに違いはない。


「ダマル、悪いが暫く玉匣を任せてもいいかい?」


「おう、翡翠を汚さねぇならな」


「善処しよう。それじゃファティ、少し散歩するとしようか」


 ダマルから同意と了承が得られたことを確認し、僕はポンと彼女の肩を叩いてからメンテナンスステーションへ向かって歩いていく。

 たったそれだけのことだったが、ファティマは背中越しでもわかるくらい、ハッキリと不機嫌さを霧散させ、はぁい、と明るい返事をくれた。

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