第258話 薄闇の向こうに
音を立てて崩れる家屋。
最早大通りの周囲にあった景観は見る影もなく、一面に広がるのは瓦礫の山ばかり。
だが、それは私がその突進を躱した結果である。
「ほらほらどうしたの!! 足が速い割に不器用ね!」
そしてまたのっそりと向きを変えて、巨木のような足で地面を引っ掻くのだ。
――突進は凄まじい威力ね。けど、それだけなのよ。
軍獣の手綱を引きつつ、私は不敵な笑みを零した。
確かに巨体を用いた体当たりは、分厚い防壁を容易く破壊し、密集陣形を組む軍隊をあっという間に壊滅させられるだろう。
しかし、ちょこまかと逃げ回る1人2人を狙って戦うとなれば話は別だ。一度走り出してしまうと、敵の動きに合わせて進路は変えることは難しいらしく、立ち止まって旋回する動きも遅い。しかも突進を始める前には一旦息を整えるような間があり、必ず2回地面を引っ掻く癖まで持っている。
想像ではあるが、胴体の下にぶら下げていた小型の異形は、この弱点を補うための存在だったのだろう。だが、それもクラッカァたちの犠牲によってミクスチャを援護することは全くできていない。
おかげで私は、本来決して敵うはずのない化物を、半ば一方的に翻弄することができていた。
「ねぇマオリーネ、まだぁ!?」
「もう少し――よっ!」
倒壊した建物の壁を大きく跳び越え、瓦礫の地面に着地すると同時に素早く左へ向きを変える。
するとミクスチャは想像通り、瓦礫を吹き飛ばすばかりで自分たちを追い続けることができず、地面を抉りながら速度を殺した。
そこが私の張った簡単な罠の前とも知らずに。
「5番機、近接戦闘! 目標敵の脚、今ッ!」
カソウクウカンで教えられたとおり、思いつく限りの簡潔な指示を耳に引っ掛けた小さな道具に向かって叫ぶ。
その瞬間、クラッカァは私の指示に対し愚直に従い、一切躊躇うこともなく化物に向かって跳躍する。
強固な外殻にはキカンジュウもジドウテキダンジュウも効かない。だが、攻撃に伴って外殻から露出する足ならば、どうだろう。
そしてキョウイチが、ハァモニックブレェド、と呼ぶ古代の刃なら、あるいは。
「――お願い」
これでも駄目なら、対抗手段はほとんどないと言っていい。いくら動きが単純だとはいえ、軍獣が息を切らして足をもつれさせれば、あっという間に2人そろって地面の染みにされてしまうだろう。
刹那、祈るように手綱を握っていた私の耳に届いたのは、パァンという金属が弾ける音だった。
「マオリーネ、カニさんが……っ!」
ポラリスの絶望的な声に、歯を食いしばりながら後ろを覗き見る。
そこにあったのは地面に散らばっていく5番機の残骸であり、細腕のつけ根から折れ飛んだ古代の剣であり、僅かに揺れながらゆっくりこちらへと向き直る一切変わらぬミクスチャの姿。
私はその様子にフッと笑みを零した。
「残念だけど、賭けは私の勝ちよ――ポラリス!」
「……うん」
小さく聞こえた深く息を吸う音。
突然襲い掛かってくる急激な冷え込みに、私はブルリと身体を震わせた。
「こんこんゆきに、きらきらこおり。ゆっくりゆっくり、とまっていくの。きれいなきれいなまっしろせかい――」
今まで以上に空色の瞳を強く輝かせる彼女は、周囲の空気まで冷やしているのだろう。真銀の鎧がゆっくりと曇っていく。
だが、それでもポラリスの傍に居る私や軍獣はマシであり、彼女が直接力を向けているであろうミクスチャの周りは瓦礫も含めて白く色づき、いくつもの氷柱がパキパキと音を立てて成長していく。
それは化物にとっても驚愕の出来事だったのだろう。危険を察して冷たい世界から脱しようと大きく藻掻いた。藻掻いてしまった。
小さく膝に刻まれた切り傷。巨体を誇るミクスチャにとって、それは無視できる程度のものだったに違いない。
だが、小さく体液が噴き出した途端、ポラリスは恐ろしく冷たい笑顔を浮かべていた。
「――つかまえた、よ」
彼女が呟くや否や、魔術によって作られた氷は体液を伝い、5番機のつけた小さな傷口まで一気に這い上がって止まる。
それから間もなく、化物は藻掻き苦しむように大きく全身をうねらせはじめ、やがて
――想像以上、と言ったところかしら。
ミクスチャは謎に包まれた生物である。だが、傷口から体液が流れ出る以上、それは人や獣と同じく、全身にくまなく巡っていることだろう。
これが私の考えた作戦だった。
たとえ甲殻が岩山のように固くとも、たとえ外皮が古代の刃に打ち勝つほどに強靭でも、内側から全身を凍らせられればどうか。
医学的な知識などほとんどもっていなくとも、血が回らなくなれば生きてはいられないことは、騎士として戦ってきた経験の上にも明らかである。そしてこのミクスチャは、そんな枠から外れるほど狂った存在ではなかったらしい。
「ふわふわまっしろおふとんのうえ、しずかにしずかに――おやすみなさぁい」
ポラリスはまるで詩を奏でるように、胸の前で大きく手を広げて、ほふぅと深く息を吐く。
それが終わりの合図だったのだろう。瓦礫の上でもがき続けていた巨体は、細かい痙攣をおこした後、巨木のような足先から白く染まってゆき、やがて全身を薄い氷に覆われて言葉の通りに沈黙させられた。
「おしまい――っととと?」
「あ、っぶない!」
軍獣の上でぐらりと傾いたポラリスを、私は慌ててつかまえる。
その細く小さな体は、思った以上に冷たくなっていた。
「ちょっとやりすぎたかも……ぐるぐるしはじめたぁ」
そう言って彼女は弱弱しい笑みを浮かべると、再び私の胸に緩くもたれかかってくる。
あれほどの巨体をも打ち倒す力とは、いったいどれほどの負担をこの幼い身体に強いるのか。
特別な力など何も持たない自分には、ポラリスの苦痛を想像するなどできはしない。それも即興で思いついた作戦で無茶をさせたのだから、こんなに酷い姉の存在はないだろう。
だからせめてと、私は浅く息をする彼女を抱きしめ、甘い香りのする髪を優しく撫でつけた。
「無理をさせてごめんなさい、よく頑張ってくれたわね」
「わたし、がんばった」
「ありがとう、貴女のおかげであのデカブツを倒すことができたし、これなら流石の帝国軍も――」
漏れかかった安堵の息は、ヒュッと音を立てて喉の奥へ逆流する。
白む夜空に落ち込んだ複数の影。
それらは4枚の細い翼を緩く羽ばたかせながら、無数の孔があいた丸い双頭を傾げ、一列に並んでこちらを見下ろしていた。
■
ギィギィと市中に響き渡る謎の声と、そこかしこから聞こえてくる戦いの喧騒。
世界を包む闇がまだまだ深い未明頃、それは暗い海の底から、突然ボクたちに襲い掛かった。
「こん――のぉッ!」
力任せに振り抜いた戦槌の一撃に、異形は勢いよく宙を舞い、近くの建物に突っ込んでいく。
にもかかわらず、そいつが平気そうな様子で再び飛び出してくるのだから、鬱陶しいことこの上ない。
「むー……ロガージョくらいの大きさなのに、どんな体してるんですかこいつ」
『ミクスチャの構造はほとんど謎。とにかく今は、敵の動きを止めることに集中して』
「……はぁい」
シューニャの指示に返事はしたものの、さてさてどうしたらいいのかボクにはサッパリわからない。
夜明けが近づく中、海の底から姿を現した数匹の異形。
それは今までに見たどのミクスチャよりも小さく、その上とてもすばしっこい。
2匹目まではユードーダンを使って倒すことができた。しかし、それを最後に撃ち尽くしてしまったらしく、他の飛び道具では狙いを定められないと犬が言うものだから、仕方なくボクが足止めしてみることにはなったのだ。
しかし、その結果は今見た通りである。
――そもそも、コイツの足ってどこにあるんですか。
上半身は果物の房みたいに集まった球体でできていて、そこから細長い槍に見える6本の腕が生えている。一方の下半身ははらわたを束ねて筒にしたような見た目であり、先端に丸く開いた口がある以外、なにも生えていないのだ。
一応それを伸ばしたり縮めたりすることで、素早く飛び跳ねているらしいことは分かったのだが、何せ相手はミクスチャである。適当な剣ではかすり傷すらつけられず、ならばと昼間に敵の死体から貰った戦槌で殴りつけてみたのだが、結果は見ての通りだった。
『うまいこと瓦礫の下敷きとかにできないッスか!?』
「そんな器用なこと、狙ってできるわけないでしょ――っとぉ!?」
とんでもなく素早い刺突を、横向きに転がって躱す。
ツンツン頭の槍よりもなお素早く、下手に受け止めようとすれば武器や防具ごとムールゥの串焼きみたいにされてしまいかねないし、6本も腕があるからほとんど隙らしい隙もない。
ジワリと左腕に伝わる濡れた感覚。見れば薄くパイロットスゥツが切り裂かれており、そこから赤い血がゆっくりと流れ出ていた。
「……やってくれますね、ホント」
戦いの最中だからか痛みは感じず、代わりに冷たく燃える怒りが込み上げてくる。
犬は怪我をしても、おにーさんから貰った力でミクスチャを倒して見せた。なのにどうして自分にはできないのか。
「シャァァァァッ!!」
片手に戦槌、片手にロングソードを握って突進する。
キカンジュウの射撃がミクスチャの身体で弾ければ、小柄が故に軽い異形はその衝撃で僅かに怯み、ボクはその小さな隙へ再び戦槌を叩き込む。
相変わらず好きになれない鈍い手応えの後、力と衝撃に負けて柄に亀裂が走った。
鈍器が壊れるほどの全力を叩きつけられたミクスチャは、勢いよく宙を舞い、やがて石畳に叩きつけながら転がった。
『アポロニア!』
『ええい、これでも食らえッス!』
素早く飛び跳ねてさえいなければ、まだ当てられると踏んだのだろう。シューニャの掛け声に応じて、タマクシゲの上から赤い尾を引いてタイセンシャロケットが飛んでいく。
だが、ミクスチャはすぐに6本の腕を地面に突き立てて勢いを殺すと、機敏な動きで跳びあがって犬の攻撃を躱す。おかげで貴重な古代の飛び道具は、背後にあった建物を瓦礫へと変えただけだった。
そんな光景に、シラアイの中から続いてきたモヤモヤが一気に大きくなる。
シューニャはタマクシゲを操れるし、犬は強力な飛び道具の使い方を覚えた。マオリィネは鉄蟹を従えられるようになったし、ポーちゃんは元々強い魔術の力を持っている。
なのに、ボクにはなにもない。
おにーさんは優しいから、武器を壊したこともいいって言ってくれたし、新しい剣も作ってくれている。
けれど、もしあの時、ボクが斧剣を壊してしまわなければ、あるいは、皆のように何かをおにーさんから習っていれば。
再びこちらへ飛び掛かってくるミクスチャに、ロングソードを握る手がギッと音を立てる。
「ボク達の――ボク達の邪魔をするなぁぁぁぁっ!!」
『いけない、戻って!』
『ちょ、コラ、アホ猫ぉ!』
ムセンキから聞こえてくる2人の声を無視し、壊れた戦槌を投げ捨てたボクは、剣を両手に握って躍りかかった。
帝国軍の雑兵か騎士か分からない奴が持っていた鋼のロングソードも、キメラリアが握るにしては相当高価な品だろう。けれど、ミクスチャの硬い表皮にぶつければ、刃は瞬く間にボロボロと零れていき、敵の素早い刺突はボクの身体に薄い傷を増やしていく。
――ボクは何がしたいんだろう。
過熱した頭ではよくわからない。
ただ、ミクスチャに傷を負わせることはおろか、満足に足止めすることもできない自分が悔しくて、それなのにおにーさんが大切にしているものを守りたいと思う気持ちばかりが溢れてきて、心の中がぐちゃぐちゃになっていく。
『ファティ、横っ!』
「にゃ――ふぎっ!?」
何度も何度も聞いた、剣の砕ける透き通った音。
それと同時にボクは地面へと叩きつけられていた。
「けほっ、けほっ……気持ち悪いのが、増えました、か」
咄嗟に剣の腹で受け流せたのはシューニャが叫んでくれたおかげであり、むせかえりながらも身体を起こせたのは、パイロットスゥツが守ってくれたからだろう。
フーフーと肩で息をしながら睨みつければ、同じミクスチャがもう1匹路地から顔を出していた。
否、それだけではない。港を守っていた部隊が全滅したのか、あるいはタマクシゲが危険だと判断したからか、見回してみればあちこちから異形が覗いている。
『じょ、冗談きついッスよ……1匹潰すのも大変なのに、どんだけ居るんスか』
『これは、あまりにも……』
2人がムセンキの奥で息を呑んだのが分かる。
残された武器で戦える数ではないし、道の入り組んだ市街地では、タマクシゲで逃げ切ることも難しいだろう。
不幸中の幸いと言えば、さっきの一撃を受けてもなお、自分の身体が問題なく動かせたくらいだろうか。
「ボクが、囮になりますよ」
『な、なぁにを血迷った事言ってるッスか!?』
『皆の命が最優先だと、キョウイチから言われている! ファティを囮になんてできない!』
「フツーに逃げられる状態じゃありません。それに、ボクのお仕事はシューニャの護衛ですから」
燃え上がろうとする血に、自然と口角が吊り上がる。
状況はこれ以上ないくらいに悪い。しかし、シューニャとアポロニアの2人が生き延びれば、考えられる中での最悪だけは回避できる。
未練がないとは言わない。もっとおにーさんとぬくぬくしていたかったし、恋人という奴にもなってみたかった。
けど、今日までの間にも一生分を超えるくらいの我儘は言ってきたことだし、ボクだって少しくらい恩返しはしたいのだ。
たとえ武器の一振りすらなくとも、たとえ牙が
石畳の上で足を鳴らし、ボクは拳を握りこむ。
「上等ですよバイピラーモドキ……10匹でも100匹でも、まとめてボッコボコにしてあげます!」
ここから先は誰も通してやらぬ、とありったけの力を込めて腹の底から声を出す。
ムセンキがガリと音を立てたのはその時だった。
『――頼もしいな、ファティ』
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