第139話 混ざらない赤と青
誰が呼んだか、少女のあだ名は
成程確かに見た目は赤熱した鉄の如く。身分を隠すための外套姿でさえ、その活発さは一切遮られることを知らず、自信満々腰に手を当てた姿は
彼女が提示した選択肢は従属か敵対か、普通に聞けば何をふざけたことを鼻で笑える話である。
しかし、相手が絶対的な強者、あるいは国家権力であるならば冗談では済まされない。
マオリィネは額に一筋の汗を流し、アポロニアはヒクと表情を引き攣らせる。現代の大衆がこの小さな少女へ向ける恐怖反応としては、それでもかなり小さい方ではないだろうか。
ただ、それを自分に求められても困る。
「じゃあ敵対で」
口から転がり出た言葉に、威風堂々たる少女に盛大なヒビが走ったように見えた。
「……へ?」
「だから、敵対で」
何が起きたのかわからない、と15度首を傾けるエリネラを前に、僕は誤解の無いようしっかり念を押す。
全員の視線がこちらに集中し、そのまま二言がないとわかるや、それはエリネラへと向き直る。だからか、儚くも彼女の将軍らしい外面は音を立てて崩壊していった。
「そ、即答ぉ!? いやいやいや、よく考えなってば!? 君が敵対するって言ってるのは帝国っていうでっかい国そのものだよ!? あたしだって居るんだよ!?」
「そう言われてもなぁ……そもそも僕らが王国へ移動してきた理由の1つは、帝国軍から攻撃されたことだし」
ブンブンと腕を振り回す彼女に、僕には後ろ頭を掻くことしかできない。
望んだ訳ではないにせよ、今の自分にはコレクタリーダーという社会的地位がある。しかし、ロックピラーを彷徨っていた頃はただの放浪者に過ぎず、聞き及んだカサドール帝国の法律の中で、社会的地位を持たない人間が平穏に生きるのは難しい。
それに輪をかけて、何もしていないうちから襲撃されたのだから、逃げるなという方が無理な話だろう。その自己防衛が理由で、後に逆襲を仕掛けられたのだから、今更そんな帝国に従う気など起きるはずもなかった。
ただ、自分たちの境遇を知らないエリネラにとって、これは予想外の反応だったらしい。しばらく脱力したような姿勢を取った後、からくり人形のような動きで、アポロニアの元上司へと顔を向けた。
「……ねぇセクストン。どうしたらいいと思う?」
「命令書には、恭順しないなら殺せ、と書かれておりましたが」
分を弁えたと言うべきか、厄介事を必死で躱そうとしていると見るべきか、どちらにせよあくまで事務的な対応のセクストンに対し、エリネラは真面目に悩んでいることをアピールしてか、腕を組んで渋面を作る。
「だってテイマーだよ? それも群体ミクスチャを潰しちゃうくらい強力なリビングメイル連れてるなんて、本物の天才じゃんか? しかもこっちはスヴェンソンのお爺が討ち死にして戦力がた落ちなんだし、絶対勿体ないって」
「そう仰られても勅命ですので、自分は命令に従う以外にないと思いますよ」
「あーあ……やーっぱりセクストンは石頭だなぁ」
「なんとでも言って下さい」
納得のいかないエリネラに対しても、セクストンは涼しい表情のままで、命令書通りにという姿勢を崩さない。副官や秘書であるなら、僭越ながら、などと言って自らの意見を述べるくらいするべきだろうに、よほど面倒くさいと見える。
将軍は石頭騎士補が判断の役に立たないと切り捨てたらしく、1人で考えを巡らせる。ただ、その会話の内容はこちらに聞かれるべきではなかったと言わざるを得ない。
何せ、こちら側で彼女を恐れない者は自分だけではないのだ。挙句そいつが基本的に口さがないタイプであったことから、うんうん言うばかりの微妙な空気を塗り替えるには十分だった。
「おいコラクソガキ、いきなり勝てる気で話し進めてんじゃねぇよ」
髑髏である以上、口の中に肉などあるはずもない。だから、言葉を押しとどめたり、表現に品性を上乗せすることができないのかもしれないなどと、僕は本気で考え目を覆った。
そんなこちらの気持ちなど気にもせず、ダマルはスプリントアーマーを五月蠅く揺らしながら、ガントレット越しに人差し指を立てると、しっかりエリネラ目掛けて突き付ける。
やれるもんならやってみろ。銀色に輝くガントレットの動きがそう言っていたことは、今までの話の流れを聞いていれば、誰にでも理解できただろう。
あまりに安っぽい挑発なのは間違いない。だが、相手がこの子ども将軍であったため、僕とセクストンは揃って天を仰ぐこととなった。
「な、なにおぅッ!? こちとら神国の精鋭を血の海に沈めた大将軍様だぞ! あたしがそこらのコレクタ程度に負けるわけないだろがー!」
顔まで真っ赤に染め、長いツインテールを揺らめかせて絶叫するエリネラ。
その見事な大噴火には、煽った側であるはずのダマルも呆れかえったようで、兜をぐるりとマオリィネの方に向けると、冷静を通り越して平坦な声を発した。
「……なぁ、御貴族さんよ。このガキ、本当に世界に名だたる将軍なんだよな?」
「レディ・ヘルファイアの武勇は本物よ。カサドール帝国軍がオン・ダ・ノーラ神国に対して前線を押し広げられたのは、彼女の存在が理由とまで言われてるわ。私も見るのは初めてだけれどね」
人違いじゃないのかと問いかける骸骨に対し、マオリィネは力なく首を横に振って見せる。その表情に差した影から察するに、世間的なイメージとは大きくかけ離れているようだが。
「まぁその、自分でも知ってたくらい帝国軍内では有名な英雄ッスよ。赤い旋風、業火の少女。神国相手に大暴れして、ただの騎士から将軍職まで駆け上がった天才……まぁ一口に言えば化物ッスね」
天上の存在だとアポロニアは肩を竦めつつ、分厚い耳をぺったりと寝かせる。
彼女の言葉から、大出世であることは間違いないのだろうが、僕には騎士だのなんだのと言われてもイマイチ理解が及ばない。
おかげで僕は、それらの説明をシューニャにお願いしようかと思ったのだが、残念ながらマオリィネが疑問を口にする方が早かった。それも心底訝し気な表情で。
「ちょっと待ってアポロニア。帝国軍の話をなんで貴女が知ってるの?」
「あっ……あー、えーと……言ってなかったッス、かね? 自分、元々帝国軍の脱走兵で、あっちのセクストンさんが元々上官だったんスよ」
しまった、と言葉を多少濁しても後の祭りだ。これはダマルの話が露見した時点で、それ以上に重要な秘密はない、などとと思い込んでしまった自分が悪い。
現代における敵国脱走兵の扱いは、戦争当事国間でどうなっているかは知らない。ただマオリィネは、貴女ねぇ、と青筋を立てながら呟いた声を、反対側から上がった声がかき消した。
「そうだ! 将軍の戯言で危うく忘れかかっていたが、こんの裏切り者め! この場で私自ら処断してくれるわ!」
憤怒の形相を作るセクストンは、帝国軍の代表的装備であるグラディウスを引き抜くと、切っ先をアポロニアに向けて咆える。
別にアポロニアは捕虜として降伏しただけで、戦闘中に帝国軍を裏切ったわけではない。ただ、彼女を残して騎兵隊が壊滅していることを思えば、堅物騎士補がアポロニアの利敵行為を疑って怒り狂うのも不思議ではなかった。
とはいえ、当のアポロニアはセクストンに対し、げんなりした表情を向けるだけで一切取りあおうとはしなかったが。
「そのまま記憶の彼方に忘れ去って欲しいッス」
「……頭痛くなってきたわ。後で説明してよね」
その反応がマオリィネに冷静さを取り戻させたのか、彼女は額を押さえつつ、ゆっくりとセクストンの前に踏み出すと、1つ深呼吸をしてから素早くサーベルを抜き放った。
「下がりなさい侵略者。ここは王国の地、貴方が敵国の軍人である以上、無事に帰れると思わないことね!」
「脱走兵を匿うか王国人。しかし、この立場にあって首級を挙げられるとは僥倖よ! 諸共、剣の錆にしてくれる!」
互いに刃を向け合い気炎を吐く。
剣技に優れるマオリィネが負けるとは思えないが、問題は背後に控える赤い方だ。
「やったれセクストン騎士補! そしてアマミ! 仲良くできないなら殺すしかないけどいいのかー!?」
見た目に対し、言うことがいちいち物騒な子ども将軍様にため息をつく。
そもそも、今の自分達には帝国と刃を交える理由がないのだ。おかげで僕としてはさっさとお帰り頂きたい一心だったのだが、プライド重視の騎士たちは一騎打ちに気勢を上げ、それを観戦するように現代人たちは距離をとって見守るばかり。
「勝手にヒートアップしてるなぁ……僕としては帝国と距離を置きたいだけだから、放っておいてくれないかい」
「――とか言ってるけどどうしよ?」
「ぐ……ち、力が抜けるんで自分に聞かんでください! 将軍の裁量でしょうに」
決定力に欠ける将軍様の一言に、セクストンがつんのめる。
せっかくあれほどの啖呵を切った上で、どちらが先に飛び出すかという読み合いの最中にこの質問なのだから、本人たちは堪らなかっただろう。膨らんだ気迫は急激に萎み、対するマオリィネも何だか居心地が悪そうにくるくると髪の毛を弄んだ。
しかし、空気をぶち壊したことを何とも思っていない様子のエリネラも、セクストンから、アンタが決めるんでしょうが、と言われたからか、仕方なく腕を組んで悩み始める。
それも10秒と持たなかったが。
「うーん……難しい、わからん!! とりあえず言うこと聞かないなら、1回叩いてわかってもらおう! ヘンメー、アタシの槍を出してー」
僕はその決定にがっくりと肩を落とす。何が分からずとも、彼女の頭が緩いことだけはハッキリしてしまったのだから。
それも遠巻きから傍観を決め込んでいたヘンメが、どこに隠し持っていたのかと聞きたくなる大型の槍を彼女に手渡すものだから、いよいよ戦闘は避けられないものとなっていく。
エリネラはそれはそれは堂々と、柄から前後に三角錐が生えたようなヘンテコな形をした槍を構えて不敵に笑う。ファティマの斧剣でさえ最初は実戦向きでないと思ったのに、くすんだ真鍮色に赤色の装飾という派手な見た目と、穂先に近い位置に小さな穴が3つ穿たれた意匠からは、最早完全に装飾品の類にしか見えない。
また、外套を脱ぎ捨てた彼女は、手足を大きく露出した深紅のバトルドレスに金色の胸甲を纏うという、槍に負けないド派手な恰好である。
何のコスプレ大会だろうか、と思ってしまう恰好で駆け戻ってくる小さな彼女の姿に、僕の戦意は極限まで減退してしまっていた。最初からこれが狙いで芝居を打っていたのだとすれば、本物の策士だったのだろうが。
「……なぁ、本当にアレが英雄的将軍なんだよなァ?」
「知識に間違いはないはず。けれど、大衆に知られる情報と実際の人物が乖離することは少なくない。これはちょっと極端な例だと思うけれど」
額を押さえるダマルの呟きにシューニャが応対するが、基本的にはハッキリと物を言う彼女も、この格好を見て流石に自信を失ったようで、少し声を曇らせる。
「そっちのちっこいの! 話が難しい! もうちょっとわかりやすく話せ!」
「……私より小さい癖に」
挙句それが聞こえたらしい元凶が、キィキィと高い声で鳴けば、鉄仮面無表情の中から明らかな不快感が吹き上がった。
少なくともシューニャは玉匣における、常識的なストッパーである。しかし、どうにも最近は発育の悪さを気にしているらしく、そんな彼女に対して何とは言わずとも、ちっこいのは間違いなく禁句だろう。
おかげで骸骨はとばっちりを避けるためか、僅かに距離を取りながら、全てを諦めたように両手を後ろ頭に組んだ。
「駄目だこりゃ。もう絶対止められねぇわ」
「……向こうがやる気満々じゃ、どうしようもないだろう」
「ちゃんと加減してやれよ。ガキが死ぬところなんざ敵でも見たくねぇからな」
ガントレットをプラプラ振りつつ、ダマルは深く深くため息をつく。
一方、戦意が極限まで低下していた僕は、寒い日にコタツから抜け出すような気持ちで踵を返して首を回す。
「善処しよう」
やる気の出ない中で言えるのは、そんな一言だけだった。
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