第200話 時間は有限

 玉匣が我が家に戻り、荷物の積載を終えたのは夕方だった。

 曰くダマルはテクニカへ行き、自分で考え出した薪ストーブの設計図を研究者たちに渡してきたのだという。それがきちんとできあがるかは不明だが、それを見たナイジェル・バイヤーズ博士が狂ったように周囲へ呼びかけていたというのだから、試作1号機はさほど時間もかからない内に形になるような気がする。

 煙草を1本吸い終えたダマルは、再び運転席へ滑り込んでやれやれと息をついた。


「まさかそんなことになってるたぁ思わなかったぜ……悪ぃことしちまったな」


「別にダマルの責任じゃないさ」


「全員乗ったッスよー」


 アポロニアの声を合図に玉匣はやや勇み足に我が家を出発する。

 救助目標であるヘンメ達が実際に証拠を抱えているとすれば、帝国側はなんとしてもそれの奪還と目撃者の抹殺を目指してくるはずであり、国境を越えたとしても安心はできない。そしてエリネラが負傷している状況では、彼らに戦う力はほとんどないと言っていいだろう。おかげでダマルは強くアクセルを踏み込んでいたに違いない。

 だがそれは街道へ出ようとしたところで急停止を余儀なくされた。


「わぁっ!?」


「うおっ!? お、おいコラ! 危ねぇだろうがサフェージュ!」


 深い雪のせいか普段より遅れて現れたサフェージュは、飛び出してきた玉匣に驚いてアンヴの鞍から転げ落ち、そのまま街路脇の深い雪に埋もれて見えなくなる。

 しかしそれも束の間。狐の少年は勢いよく立ち上がって雪を振り払うと、慌てた様子で鞄を振りながらこちらへ駆け寄ってきた。


「キョウイチさーん! ダマルさーん! 大事な、大事なお手紙ですー!」


 普段のダマルなら家に入れとけ、とでも言ったのだろうが、どうにも切迫したような様子を訝しむと、兜だけを被って運転席上のハッチから頭を覗かせた。


「大事ってのはなんだよ。こっちはそれどころじゃねぇんだぞ」


「ジークルーン様からなんですよぉ! あの人、今戦場に出てて――」


「はぁっ!? おま、お前今なんつった!?」


 サフェージュの声にダマルは大きく身体を乗り出すと、彼の差し出した手紙を素早くひったくって中身に目を走らせる。やがてそれは骸骨に震えを起こさせ、怒りと呆れが混在したような叫びを装甲へぶつけた。


「ばっかやろうが……! なんであの花愛でてるような奴がわざわざ国境防衛なんかに!」


「あの、クリンからはオブシディアンナイトも同伴してるから、きっと大丈夫だって――」


「そりゃ相手がいつも通りならの話だ! くそ……こりゃ不味いぞ」


 ダマルは痰を吐くように言い放つと、腕を組んで悩み始める。

 攻撃準備に入っている帝国軍がただの人間なら、完璧に修理された黒鋼相手に敵うものではない。それも防衛戦となれば敵が罠を仕掛けるのも難しいため、マキナの存在はかなり心強いものであろう。

 だがもしも、帝国がミクスチャをこちらにぶつけてくるなら話は別であり、自動制御の黒鋼では厳しい相手となることが予想される。挙句マオリィネが苦々しげにつぶやいた言葉が一層絶望を加速させた。


「オブシディアンナイトと騎士団が同時に出撃しているなら、騎士団の役割はテイムドメイルとテイマーの護衛よ……いくらジークが警戒隊だって言ってもね」


「ふざけんなよコラ! 敵が来ねぇことを祈るしかねぇってのか!?」


 メカニックグローブで覆われた骨の手が、再び玉匣の装甲を強く打った。普段なら車両も道具も丁寧に扱うダマルには、あり得ないと言っていい行動である。

 一刻も早く自分たちが向かう以外、彼女の身の安寧はあり得ない。だが玉匣にはグラスヒルでヘンメ達を回収、保護するという任務もある以上、国境線への応援には時間を要する可能性が非常に高かった。

 しかし、僕にはダマルの気持ちが痛いほどよくわかる。何せ自分にはできなかったことであり、だからこそ、悲恋となるやもしれぬ運命を見た目に背負った相棒に、そんな思いはしてほしくない。そう思うと僕は自然に後部ハッチから外へ出て、サフェージュに状況の詳細を問うていた。


「サフ君、ジークルーンさんの所属する部隊が出撃したのはいつかわかるかい?」


「えっ? えーと……3日前のお昼頃だと思いますが」


「……あの日早朝に見かけた身軽そうな騎獣兵は先発部隊か」


 盲点だったと反省する。

 元々ジークルーンは騎士である以上、いつでも戦争には参じる可能性があって然るべきである。だというのに、王国軍の動きをきな臭いと感じながら、彼女が出撃するなど微塵も思っていなかった。

 続いて出てきたマオリィネは難しい顔をしながら、しかし冷静に状況を推測する。


「軽騎兵隊を増援にとして先行させたのね。ということは後発の主力も随分急かしているはずよ」


「国境線までどれくらいかかる?」


「ずっと街道を進軍して嵐の影響をうけなかったとすれば、急いで6日といったところかしらね」


 雪の影響で玉匣の足は否応なく遅くなる。それも森を通過する以外に道もない以上、前回の倍以上の時間がかかることを想定しなければならない。

 グラスヒルに到着するまで3日か4日。そこからヘンメ達と合流、保護するまでにどれほどの時間を要するかは想定も難しい問題になる。

 だが何もかもが絶対に不可能というわけでもなく、僕は開いた運転席ハッチに向かって声をかけた。


「ダマル、バイクを積み込もう」


「あ、いきなり何言って――?」


「玉匣で雪が無くなるところまで行って、そこから単身で前線に向かうんだ。最悪僕らが合流するより先にミクスチャが攻めてきた時は、ジークルーンさんだけでも救助して退避すればいい」


 せめて傍にさえ居られれば、何かができるかもしれない。僕はその可能性を信じたかった。

 積雪や凍結がない場所ならば、バイクの足は玉匣より断然速く身軽であり、ジークルーンを抱えて逃げ出せられれば軍獣程度に遅れは取らないだろう。

 それを聞いたダマルはハッチから顔を覗かせたままで硬直し、暫くすると力が抜けたように運転席へと座り込んでしまう。


「僕の相棒は優秀だ。女性1人くらい、余裕だろう?」


「……言ってくれやがるぜ。だが、お前の博打に乗ってやらぁ!」


 歯を見せて笑った僕は、後部ハッチから玉匣の中へ素早く転がり込むと、ダマルは勢いよくガレージの前まで玉匣を後退させる。乗り遅れたマオリィネと唖然としたままのサフェージュは取り残され、あたふたしながら轍の上を駆けてきた。


「ちょ、ちょっと! いきなり動かないでよ!」


「ちんたらしてるお前が悪ぃんだよ! おらファティマ、バイクを車体上に引っ張り上げんの手伝え!」


 骸骨は久しぶりに軍装の上から兜だけ被ったというちぐはぐな恰好で、勢いよく後部ハッチから飛び出すとガレージの中からバイクを押し出してくる。その間に僕は翡翠を着装して準備を整えていた。


「あの、これをどーしたらいいんですか?」


「僕が下から押すから、ファティは車体の上から引っぱり上げてくれ。あとはロープだが……あぁウィラミットから貰ったアラネア糸で固定させてもらおう」


「はぁい」


 ファティマは指示通りに素早く車体上に飛び乗ると、僕が抱え上げた150キロは在ろうかという偵察用バイクを全力で引き上げ、砲塔の後ろにある平らな部分に寝かせる。

 それをダマルがアラネア糸のロープを括りつければ、バイクは少しも動かない状態で固定された。


「これでひっくり返るこたぁねぇだろ。相棒、ぶっ壊れるから砲塔を回すなよ?」


「信用ないなぁ、わかってるさ」


「話は走りながらするべき。時間は有限」


 早く乗れとシューニャに急かされて、僕らはまたわたわたと玉匣に戻っていく。唯一事態が呑み込めていないサフェージュだけが、外でポカンとしたまま取り残されてしまう。

 そこで僕ははたと思い出して、彼に一声かけておいた。


「この時間だと帰れないだろうから、家で一晩過ごしていくといい。リビングに寝具はあるし、食料品はコンロの周りを探せばちょっとしたものはあるから、好きに食べてくれ」


「えっ、あの、キョウイチさん! キョウイチさんにも手紙――キョウイチさぁぁん!?」


 今から王都に戻れば閉門に間に合わないどころか夜中になってしまう。せっかく重要な情報を滑り込みで持ってきてくれたのだから、それくらいのサービスはしなければ罰が当たる。

 とはいえシューニャの言う通り時間は有限であるため、僕は彼の声に耳を貸すこともなく飛び乗ってハッチを閉めると、玉匣は弾かれたように雪を舞いあげながら街道へ飛び出した。

 その際サフェージュが乗ってきたアンヴが雪煙を被ってしまい、不機嫌な金切り声を上げていたように思うが、エーテル機関の音にかき消されて僕の耳には届かない。


「彼には賞与をあげたほうがいいかもね」


「カカカッ、そりゃちげぇねぇな。全員が無事に帰れりゃ、銀貨でもなんでもくれてやらぁ!」


 骸骨がパァンとクラクションを響かせれば、前を歩いていた一団が驚いて転げまわる。相変わらず申し訳ないとは思うものの、残念ながら今は街道から避けてやろうなどという優しさを回す余裕はない。

 しかし勢いを増して走る玉匣は駆動音を喧しく響かせているというのに、キメラリアの耳と言うのは音を聞き分ける能力にも優れているのか、アポロニアは突如僕の腰辺りから頭を覗かせた。


「おっ、またご褒美の話ッスか? 今度は何がいいッスかねぇごっしゅじーん?」


「犬ズルいですよ! おにーさん、ボクも、ボクも欲しいです!」


 そして犬が聞こえれば猫にも聞こえる。ファティマは僕の首に絡みつくようにして、いいでしょー? と甘えた声を出す。

 そんな日に日に激しくなるスキンシップに僕は苦笑しつつ、2人の頭に手を置いて車両の後ろへ押し戻した。


「わかったわかった。ちゃんと仕事して、生きて帰ればパーティでもしようか」


「お前も甘ぇよなぁ。虫歯になっちまいそうだぜ。カーッカッカッカ!」


「虫歯……」


 うるさく笑うダマルの声に、何故かシューニャが頬を押さえて暗い顔をした気がする。彼女には何か虫歯に苦い思い出でもあるのかもしれない。

 いや、虫歯にいい思い出がある人など居るのかはわからないが。



 ■



 石造りの要塞はいつにも増して騒がしい。

 帝都から回された増援部隊によって補強された第三軍団はフォート・サザーランドに集結し、先の会戦による大被害で再編成中の第二軍団に代わって、急ぎ戦闘準備を進めている。

 第三軍団に属する将兵たちの士気は高い。何せこれまではロックピラー各地に駐屯しつつ、反乱分子を鎮圧するという武功を競えないような配置だったのだ。そんな中突如下された攻撃部隊への配置換えは、彼らにとって栄転と思えたに違いない。

 だというのに、軍団長のロンゲンは苦々しげな表情を浮かべて、執務机に置かれた命令書を睨みつけた。


「これは……どういうことです」


「書面の通りだよ軍団長。ハレディ将軍はどうにもお体の具合が優れないようでね、私が代わりに指揮を執ることになったのだ」


 ロンゲンはちらりと目の前に立っている男へ視線を流す。

 それは何とも冴えない中年だった。体躯も大きくなく、さりとて小さくもなく、太っても痩せても居ないという、全てを平均したような平凡な男。

 ウェッブ・ジョイ序列第五位将軍。普段には情勢の安定した北方を鎮守する、言わば帝国において最も影の薄い将軍である。

 彼は顎に生えた短い髭を撫でながら眠そうな細い目をして、大事にならねば良いが、などと心にもなさそうなことを口走った。


「ハレディ閣下の御容態はそれほど悪いのですか……? 私にはどうにも、信じられませんが」


「その気持ちはよーくわかるとも。私とてあのお元気な将軍がだね、床に伏せられるなど想像もつかぬ。だが――これは勅命なのだ」


 わかってくれ、と言わんばかりに中年男はロンゲンの肩を叩く。

 相手はこんな見た目でも帝国を支える将軍であり、それから労うような言葉を貰っては大男が何か言えるはずもない。ただ、了解しました、と告げて胸に手を当てる以外には。


「うむうむ。慣れぬ上司で大変だとは思うが、百人力の働きを期待するよ」


 平坦な口調でそれだけ言うと、ウェッブはゆるゆると執務室から出て行く。去り際にちらと脇に控えるゲーブルへ視線を向けたようにも見えたが、その目には何の感情も籠っていなかった。

 遠ざかる足音に、ロンゲンは力なく椅子へ腰を落とす。


「……あの男、信用できると思うか」


「やりにくくなりそうですな。見たところ、あれは野心の塊でございますし」


 まるで何も考えていないようにさえ見える、あまりにも平坦すぎるウェッブの姿に対し、中年小男は鋭い視線を向けていた。

 エリネラには野心らしい野心など存在しなかったものの、自らを将軍だと誇っていた以上、簡単に将軍職を譲り渡すとも考えにくい。それでもなおウェッブが出てきたということは、彼女の身に何か起こった可能性が非常に高いとゲーブルは踏んだ。

 しかしそれ以上は何もできないと、彼は緩く首を振る。


「残念ながら、我々の力では閣下の現状を知ることは難しいでしょう」


「歯がゆい話だ……せめて、今どうして居られるのかだけでもわかればな……」


「知ったところで、何もできませんがなぁ」


 巨漢であるロンゲンは、ようやく治癒したはずの身体が疼くのを感じて小さく唸る。

 軍団長は決して権限の低い役職ではない。だからと言って絶対者でもない。

 だからこそ彼は悔しさを噛み締めはすれど、あのウェッブという冴えない将軍に着き従わねばならないことを痛感し、命令書をぐしゃりと握りしめた。


「――致し方あるまい。奇襲部隊の準備はどうなっている?」


「明朝には出発できるかと。ただ例の将に関しては素性が分かりませんが」


「ゲーブルでもわからぬのでは、そのまま行かせるしかないか」


「無口ですし、何を考えてるのかもよくわかりませんからなァ。それが皇帝紋章付きで勅命と言われますと、私程度にどうこうできるものでもありません」


 肩を竦めるゲーブルにロンゲンはそれもそうかと思いなおし、背もたれを軋ませる。

 ただどうにも彼には、その無口な将という奴から武威を感じられなかったのだ。それでいて妙な恐怖心を覚えもする。

 結局自分にも触れることのできない存在であるため活躍を期待するほかないが、ロンゲンはどうにも奇怪なことばかり起こると大きなため息をついた。

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