第54話 美女と爺の一騎打ち

 街道を前後に長く伸びる大部隊が進んでいく。

 脇に赤い帝国旗を棚引かせ、隊列中央には獣に牽引されるカタパルトまで見える。


「マオリィネ隊長ぉ……これは」


「連中も本気ということよね」


 崖の上から見渡す限りの敵兵に私の身体は僅かに震え、茶髪のジークルーンは隣で顔を青ざめさせる。

 自分に課せられた任務は帝国が築いた橋梁の確保、あるいはその破壊。物量に劣る王国軍が野戦兵器まで備えた大軍相手に戦う方法は補給線を断つ他に無い。

 小部隊を用いた奇襲作戦で敵の橋頭堡を奪い取れというのが、合理的で確実な命令なのは理解しているが、その重責を考えるたびに私の胃は痛んだ。

 敵の駐屯兵力はどれくらいか、奪い取れたとしてそれを奪回してくる敵を迎撃する戦力は残るのか、破壊するにしても堅牢な橋梁はどうすれば壊せるのか、そもそも奇襲で本当に勝てるのか。

 最早何度目かわからなくなった自問をため息でかき消して、必死で表情を引き締め目じりを釣り上げる。


「全軍に伝達! 今晩実行するわよ!」


「う、うえぇ? 本当にやるんですかぁ?」


「敵が出撃した以上、こちらの本体とぶつかるまで時間がないの、わかるでしょ。行くわよ」


 膝下まで伸びる黒い髪を翻して私は一角羚羊フウライに跨る。白銀のラメラーアーマーが太陽に輝いたが、帝国兵が気づいた様子はなかった。

 厳しい言葉を投げかけられたジークルーンはうぅと目に涙を浮かべていたが、実際泣きたいのは私の方だ。誰が好き好んで戦場になど立つものか。

 貴族の家に生まれたことを不幸と言うのは贅沢だろうか。剣の才に恵まれたことを疎むのは祖先を愚弄する行為だろうか。常々私は考えた。

 お金に苦労したことがないというのは幸福なのだろう。しかし家柄などに束縛されないコレクタなどという集団を見ていれば、自分が本当にしたかったことは何なのかと考えてしまい、また私は首を横に振る。

 守るべきは国と民だ。貴族の義務を果たすために以外、すべきことなどない。

 隣で弱気な副官が居ると言うのに自分までが弱気になっては士気に関わると、私は自らを律しながら、部隊が隠れている洞の前で剣を掲げて声を響かせた。


「皆、いよいよ決戦の日が来た! 敵主力は我々の存在に気付かないまま橋頭堡を発った! 今宵、闇に紛れて敵を討つ! 各々全力を投じられるよう備えておきなさい!」


 おおっと兵たちが沸き立つ。

 幸運にも戦を待ちわびたような兵たちの士気は高い。若年者たちは盛んな血気に目をギラギラと光らせ、ベテランは武勲今こそと息を吐く。

 私はそんな戦意旺盛な隊員たちの前で余裕の笑みを演じる一方、内心でやだやだ帰りたいと叫ぶ声を抑えこむのに必死だったが。


 ――何度も戦闘は経験したけど、戦争はいつまでも好きになれない、か。


 だが私の覚悟が決まろうが決まるまいが、ジークルーンが泣こうが泣くまいが時間は過ぎていく。

 武器を手入れし食事と休息をとれば、あっという間に宵闇が迫ってきた。

 薄い闇の中、私は全部隊を率いて出発する。

 私は漆黒のバトルドレスの上にラメラーアーマーを纏い、騎兵槍を手にサーベルは腰に携えて先頭を行く。

 重装兵に周囲を守らせながらゆっくりと進めば、あっという間に敵前哨基地まで辿り着いた。

 灯りを持たなかったこちらに、敵が気付いた気配はない。

 篝火に浮き上がる門を弓兵の射程に捉え、私は騎兵槍を小さく振った。それを見たジークルーンが、後ろへ向かって準備指示を出す。


「ゆ、弓隊、攻撃用意!」


 伝令が走り、最後列の弓隊が左右へ展開する。暗幕で隠されたランプを火種に、油紙を引火させて火矢が準備され、各々の弓がそれぞれ天を指向して引き絞られた。

 こちらの炎が見えたのだろう物見櫓では鐘が打ち鳴らされ、立ち番の兵士たちがわたわたと走り回る姿も見える。

 奇襲の成功は確実なものとなったのだ。

 

「放てぇ!」


 号令一声、数多の火矢が宙に弧を描く。

 雨霰と降り注ぐそれは前哨基地の木壁に突き刺さり、あるいは運の悪い敵兵の身体を貫いて火をつける。


「続けて撃て! 歩兵突撃用意、ウォークライだ!」


 両軍の矢が飛び交う空に兵たちの叫びが木霊する。地響きにも似た低い音声が轟き、私は大きく騎兵槍を振り上げた。


「歩兵、突撃!」


 声に応じて歩兵隊が飛び出していく。最前線は重装歩兵が固めて降り注ぐ矢玉を防ぎつつ、それを追い抜く形で軽装兵たちがジャベリンを防壁上で矢を射かける敵へ投げつける。

 閉じられた門に攻城槌を叩きつけ、防壁にはいくつも梯子をかけられた。

 梯子を駆けあがる兵士が熱湯を降りかけられて転がり落ちて死に、その亡骸を踏み越えて別の兵が釜を操る敵を斬りつける。

 敵は奇襲を想定していなかったのか、反撃が思いのほか貧弱だった。あっという間に門が開かれ、待機している騎兵隊が歓声を上げる。


「門が開いた! 全軍突貫!」


「か、かかれーッ!」


 叫ぶや否や私も騎兵槍を腰だめに構えて突進する。

 開かれた門から騎兵が突入すれば敵は壊乱するのは間違いない。

 だというのに、私の中には微かな不安が渦巻いていた。


 ――反撃が弱すぎる。本当にこれが帝国軍の防御なの?


 そんな思考で一瞬手綱を緩めたことが、まさか命を救うとは思わなかった。

 先行していた騎兵が吹き飛ばされたのはその直後である。何かに驚いて首を上げた軍獣からまた何人かの兵が振り落とされた。

 その隙間から見えたのは、火のついた布をなびかせながら転がってくる樽の山。


「火樽ですって!?」


「な、なんで帝国軍が……はっ、か、回避を!」


 ジークルーンが慌てて指示を出すも、転がってきた火樽に巻き込まれる形で騎兵隊が混乱する。運よく私と彼女はそこから離れられたが、わざと緩められた金具が外れて樽が崩れると、燃える布に引火して、瞬く間に一帯が炎に包まれた。

 火樽はその名の通り燃える液体アクア・アーデンを樽に詰め込んだものである。

 オン・ダ・ノーラ神国で兵器として開発されたが、高価な上に流通量が少ないため滅多にお目にかかることはない。

 加えて神国と断交状態の帝国が保有しているなど、誰が思いつくものか。

 しかし、現実は大きく異なる。騎兵部隊の半分近くが炎に巻かれて戦闘不能にされ、誘い込まれたであろう友軍部隊は明らかに塀の向こうで釘付けにされていた。


「見くびっていたわ……内部の状況はどうなって――」


「伝令! 東方から敵増援! このままでは包囲されます!」


「なんですって!? 敵本体から分離したとでも言うの?」


 あまりの驚愕に、私はあり得ないと繰り返す。

 敵主力以外で東へ向かった部隊は居らず、戻ってきたとすれば主戦力から分離された部隊と考えるのが妥当だ。わざわざ会戦を前にして戦力を割くことなど常軌を逸している。

 しかし周囲に広がる動揺を見て、ふと冷静になった私は気づいた。部隊が1つしか動いていないならば、考えられる手など限られているのだ。


「――ここの駐屯兵が少なかったのは、敵主力と纏めて出発させていたからね。完全にしてやられたわ」


「ど、どうするんですかぁ?」


 逃げるか、抗うか。策では既に負けている。物量も相手が上と考えるべきだ。

 だが、自分たちが橋を押さえられなければ、敵の増援や補給を断って大部隊を壊滅させるという作戦はかなわない。それは王国軍が会戦で圧倒的不利を背負うことに他ならなかった。

 ない物ねだりだが、私の頭は去年の戦いより物言わぬテイムドメイルに苦情を吐く。ああ我らがオブシディアン・ナイト、何故今目覚めないのかと。

 戦場で死にたいと思ったことなど一度もないし、武勲が命に勝るなんてバカバカしい。

 けれど、私の口から素直にそれを吐き出すわけにはいかなかった。


「全軍で再度砦へ突入する! 敵増援が到着する前に内部兵を撃滅し、敵の砦に立てこもるわよ!」


「えぇっ!? そんなことでき――」


「やるのよ! 私たちには王国の未来がかかってるんだから!」


 最早完全に涙声のジークルーンを置いて、私は護衛の重装歩兵と共に門の内部へと突入した。


「えぇいやぁああああ!!!」


 気迫を込めた騎兵槍の突撃でグラディウスを構えた帝国兵を串刺しにし、横薙ぎに振り払って近場の数人を叩きつける。

 しかしその敵兵が骸を晒したその後ろ。防壁の内側の状況に苦い物が口にこみ上げた。

 天幕の中には連弩が隠され、細道の途中には落とし穴が掘られている。王国軍が間抜け面で攻撃を仕掛けてくることを前提とした誘い込み罠の数々は、去来する悔しさを掻き立てるのに十分だった。


「やって……くれたわね!」


 冷静さのメッキが剥がれ落ちる。

 それは大いなる矛盾だった。戦争に行きたくないと叫ぶ心を押さえ込んで戦っているのに、いざ味方がこうして殲滅されていくのを見れば、敵将だけは絶対に殺してやろうと心に暗い炎が宿ってくるのだから。


「ホッホッホ、随分思った通りに動く毛糸獣ムールゥの群れだと思えば……小娘が将とはなぁ? 納得、実に納得であるわ!」


 突如奥から聞こえた声に、私は奥歯をギリリと鳴らす。

 敵兵がサッと道を開けた先、軍獣に跨った老爺はいつの間にかこちらを見下ろして笑っていた。

 歴戦を思わせる筋骨隆々な姿にラブリュスと上半身を隠せるくらいの盾を携え、鎧はほとんど身に纏っていない。あまりに特徴的な姿は、敵兵とはいえよく知られた人物だ。


「猛将スヴェンソン……神国とやりあうのは飽きたのかしら?」


「ホッ、ワシを知っておるか! 若いのに感心じゃのぉ」


 よいよい、とまるで久しく出会った祖父のように、人懐こい笑みを浮かべてその武将は何度も頷く。

 しかしその細められた目は、獲物を見つめる肉食獣のようだった。


「下るというなら小娘に手を出すつもりはないが――まぁそのつもりもなさそうじゃしな、敵将である以上その首をもらい受けねばならん。この爺を恨んでくれて構わんよ」


 鐙を蹴って地に降り立ち、こちらへ近づいてくるスヴェンソンは、まるで巨木が歩いているかのような力強さだ。既に老齢に至って長いと聞くが、衰えなど欠片も感じられない。

 この自然な動作だけで手に取るように分かった。私は知略でも武勇でも敵わない、と。

 それでも逃げ出すことが許されない以上、私は同じように軍獣から降りて老爺と向き合った。

 結局これに勝たねば挟撃の末に味方は壊滅し、私もジークルーンも虜囚となるか討ち死にかしか選べない。


「ふふ……そろそろお迎えが来てもいいころじゃないかしら?」


「うむ、うむ、そうでなくてはワシも困るんじゃが、さてお主の細腕でこの爺を逝かせられるかの?」


 不敵に笑って見せた私に、スヴェンソンはやはり好々爺のような笑みを崩さない。

 そして一騎打ちがはじまるとあって、周囲で争っていた敵味方は一度手を止めて見物にやってくる。それが戦場の掟であり、将による決闘は兵士たちにとっても不可侵かつ絶対的な勝敗の場だった。

 騎兵槍をジークルーンに預け最も得意とするサーベルを引き抜けば、相対する老爺は斧で地面を抉って見せる。

 老爺は僅かに表情を引き締め、体中から殺気を迸らせる。武人としての格など持ち合わせない私は踏ん張るだけで精一杯の圧力だった。


 ――ほんと、化物ね。


 しかし負けぬと、私は細剣を正面に真っ直ぐ突き付け、一瞬の後に駆けだした。

 袈裟切りに振り抜いたサーベルは、1歩たりとも動かなかったスヴェンソンの盾に阻まれて火花を散らす。まるで岩に対して切りつけたかのように手が痺れた。

 その一撃に老爺は口の端を歪める。


「剣を振る速度、狙いの鋭さ、その才は年齢を思えば光るものがある」


 まるで師のような口調と裏腹に、スヴェンソンは重厚なラブリュスを軽々と片手で振ってくる。躱した一撃は地面に突き刺さってヒビを作った。

 飛びのいて距離をとればスヴェンソンは追ってこず、ゆっくりとそのラブリュスを引き抜いて肩に担いで見せた。


「とんでもない膂力ね……本当に人かしら?」


「おうおう、人だとも。キメラリアのような下等な連中と比べるでないわ」


 頭の中で火花が散ったように思う。

 何が下等だ。難癖をつけて他国を攻める戦争屋国家風情が、どの口で誰かを見下せるというのか。

 怒りに任せて再び盾にサーベルを振り下ろす。

 しかし盾に触れるギリギリで滑らせるように刀身を横へずらし、盾の縁を目指して刃を下ろせば、老爺は僅かに目を見開いて、しかしそれだけだった。


「ほれぃ!」


「が……ッ!? ゴホッ!?」


 腹部に走った凄まじい衝撃に吹き飛ばされ、転がった地面の上で派手にせき込む。口の中で血の味が広がったことで、何かしらの打撃が直撃したことを悟った。

 意識が飛ばなかったのはほぼ奇跡だろう。それともスヴェンソンはこちらが倒れないギリギリを見切れるほどの達人なのか。

 僅かに頭を上げてみれば、老爺は盾を前に突き出した状態で固まっていた。


 ―――あんな威力のシールドバッシュなんて反則でしょう!?


「悪くない、悪くないのぉ。ワシが相手でなければの話だが」


「うる……っさいわね。どれだけ自分を買いかぶれば気が済むのかしら?」


「うむ、気骨もよし。じゃが、そろそろ決着と行こうかの? そうせんと増援が間に合ってしまう」


 まったく質の悪い爺だと血の混ざった唾を吐き捨てる。

 増援で退路を断った状態で私だけ倒せば、兵全てを降伏できると睨んでいるのだ。大体自分が地を舐めたことで、兵たちの士気も大きく下がっている。

 ここまで敵の筋書き通りに物事が進められているだけで、これ以上ないくらいにイライラしてくるのに、結局抗える力もなく、しかも作戦は失敗となれば立ち直れる自信がない。

 剣だけは誰にも負けないと思って来たことが、それに拍車をかけていた。


「では、防いで見せよ。さもなくば身体が泣き別れるぞ」


「上ッ等よ……!」


 今まで動かなかった老爺が飛んでくる。盾を前にラブリュスを後ろに構えて。

 走る速度まで人間離れしていることを思えば、キメラリアだって真っ青ではないか。

 右から振り抜かれる一撃がスローに見える。サーベルの刃で受けることはできるが、そうしたところで剣ごと断ち切られるだろう。

 一瞬の判断で地面を蹴って後ろへ飛び、自分の正面でサーベルが砕け散るのが見えた。


「ほぉ、勘もいいか。誇れよ小娘、ワシの一撃を躱したことをあの世でな」


 老爺は次はないと暗に言ってくる。

 実際に武器も壊され、人間の輪の中にとらわれた私は最早逃げようもない。次の1撃はどうあっても外さないだろう。

 万策尽きたとはこのことだ。だというのに両手を挙げられない貴族という枷が、私は驚くほど悔しかった。


 ―――父様、母様、ごめんなさい。


 再び飛んでくる老爺を前にして、私の脳裏には親不孝な娘から両親への謝罪が浮かんでいた。

 しかしまさか、この間に割って入ってくる者が居ようなど、思いもよらなかったのだが。

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