第292話 暗がりロンド(後編)

 篝火に照らされる中を近衛兵たちは忙しなく動き回る。

 ある者は水の入った瓶を持ち、ある者は地面に散らかった瓦礫を片付け、またある者は何者かの亡骸をどこかへ運び去っていた。

 その様子を王宮のバルコニーより見下ろす人影が1つ。どこか苛立っているかのようにコツコツと靴を鳴らしていた。


「宰相殿、確認作業終わりました」


 ユライア王国において、宰相と呼ばれる存在は1人しかいない。仕立のよいローブを身に纏った癖毛の大貴族、メキドロ・ジェソップその人である。

 彼は報告に上がって来たであろう騎士に対し、視線を向けることもないまま靴の動きだけを止めると、渋い表情のまま小さくため息を吐いた。


「申せ」


「は、侵入者はクローゼ様より報告があった通り、ミクスチャと思われる異形が3体と人間が9人、全員の死亡を確認しました。対するこちらの被害は、大防壁の穴を守っていた衛兵10人が戦死しています」


「クローゼから隠密の数を聞かされた時点で、戦死者の数は大体想像がつく。だがまさか、我らの被害がそれだけとは言うまいな?」


 肩越しに聞こえてくる地の底から響くような凄みのきいた声に、騎士は滝のように冷や汗を垂らしながら背筋を伸ばす。

 伝令を任されている以上、たとえどんなに伝えにくい内容であろうと、彼に沈黙は許されない。ただ、お題目で緊張感が拭えるはずもなく、騎士の返事は完全に裏返っていた。


「は、はい。回廊の石柱で複数個所において崩落と亀裂が確認された他、王宮の床面や壁面も酷く損傷した箇所が複数。また、戦闘の中心となった北側庭園についてですが、消火には成功したものの敷地の半分以上が焼失していると――ヒィッ!?」


 焼失、という言葉を聞いた瞬間、騎士は細身の背中から発された圧に悲鳴を上げた。

 メキドロは武将ではない。しかし、国家内政を王家より任されるだけの実力を持った大貴族であり、その迫力はガーラット・チェサピークにも比肩する。

 そしてエルフィリナ女王に心酔する配下の1人でもあることから、彼女の住まう王宮のこととなれば、空間を歪めるが如き怒気を発するのも当然だった。


「……近衛隊に対し、全力で庭園の復旧に当たるよう伝えろ。今すぐだ」


「りょ、了解しましたぁッ!」


 まるで定規を当てているかのように背筋を伸ばした騎士は、短く胸に拳を当てて敬礼すると、驚くほどキビキビした動きで立ち去っていく。その背中からは、1秒でも早くこの場を離れたい、という意思がありありと滲んでいた。

 一方、メキドロは騎士の所作を一瞥すらしないまま、手摺に置いた拳を小さく震わせる。


「ミクスチャといいあの小娘といい、厄介な仕事ばかり増やしおって……此度の戦が終わったら覚えておれよぉ……!」


 ギシリと奥歯を鳴らして呟かれた呪詛。

 ただ、いかに宰相の立場とはいえ、メキドロ1人が唸ったところでどうこうできる相手ではなく、またその呪詛を壁際で聞いていた護衛たちに至っては、先の戦いに参加していたこともあって、そっと目を背けることしかできなかった。

 たとえ権力者であろうとも、現実は斯くもままならないものであり、この先メキドロは一層複雑化した復興作業によって、円形脱毛症に悩まされることになるのだが、それはまた別のお話。



 ■



 パキリ、と暖炉の中で薪が小さく爆ぜる。

 そのすぐ傍に置かれたロッキングチェアに腰を下ろし、長い白黒の足を組んだウィラミットは、物憂げな表情を浮かべながらふぅと小さく息を吐いた。


「――結局、あの子は泡に針を刺すようにあの化物を仕留めていった、というだけのことよ」


 彼女が億劫そうに語った内容は、短い戦闘の単純な結末でしかない。

 だが、夜鳴鳥亭の1階は何とも言えない沈黙に支配され、居並ぶ面々の表情は申し合わせたかの如く揃って引き攣っている。

 こと、ジークルーンは今回引き受けた自らの役目もあって、いつもよりなお困ったような笑顔を浮かべていた。


「え、えぇと、なんていうか、アマミさんたちが言われた通りの結果なんですよ? 私もそれを信じてたから、クローゼさんにお話を通したんだけど……あはは」


「将軍が色々と規格外の存在なのは今更の話ですが、それでもいざ人の身でミクスチャを貫いたと聞かされると、どうにも現実味がないものでして」


 彼女に同調して、生真面目なセクストンは頭が痛そうに眉間を揉む。

 決して真面目な2人の思考が特別固いというわけではなく、ウィラミットを含めて誰もが一度は考えたことである。ミクスチャはたった1匹で国を亡ぼす怪物、という常識は最初から誇張されていたのではないか、と。

 しかし実際のところ、真銀を用いた武器も、巨大なトレビュシェットによる投石も、アクア・アーデンによる火炎も、1撃をもってミクスチャを葬ることなど不可能であり、故に様々な国は総力を挙げて戦いを挑み、それでも敵わず滅ぼされていった歴史がある。

 ならば、常識から外れているのは何か。

 そんなもの1つしかないと、ヘンメは小さく肩を竦めて鼻で笑った。


「あいつが小娘の形した化物だってのは、今に始まったことじゃねえ。それが神代の技術で作られたとかいう、真銀が足元にも及ばねえとんでもない槍を振り回すんだ。戦場じゃあもう誰の手にも負えねえよ」


 それは天海恭一曰く、以前壊した槍の弁償とお詫び。

 初めてエリネラたちと対峙した際、武器を破壊することで戦意喪失を狙ったが、当時は真銀の価値を知らなかったのだと釈明しており、ヘンメもこの話を聞いた時は、セクストンほどとは言わずとも真面目な男なのだから、そう不思議な対応でもないだろうと思っていた。

 だが、それに続いて語られた槍の出自と性能は、弁償だのお詫びだのという言葉の範囲を大きく超えていた。

 古代技術を用いて作られ、ミクスチャの表皮を貫くことができるにもかかわらず、真銀より軽く丈夫であり、挙句アクアアーデンを噴射する機能を持ったエリネラ専用品。

 当然のことながら、エリネラはこのプレゼントを心の底から喜んで跳ね回っていたが、ヘンメからしてみれば、国宝級の遺物を振り回すやばい存在が生み出されたとしか思えず、それは昨夜現実の物となって現代の常識を打ち砕いたのである。


「当のエリさんは、帰ってこられるなりぱったりとお休みになられましたが……大丈夫なんでしょうか?」


「魔術を使い過ぎたんでしょう。庭園が真っ黒だったもの」


 ジークルーンの後ろで心配げな表情を浮かべるクリンに対し、ウィラミットはあれだけやれば当然と白黒の手を軽く振って見せる。

 その言葉から、興奮して暴れまわる彼女の様子が目に浮かんだらしく、昨夜は防壁の外で敵の協力者や別動隊が居ないかを警戒していたセクストンが、また額を抑えて天井を仰いだのに対し、カウンターの向こうからは穏やかな声が聞こえてきた。


「いやいや、ミクスチャを打ち倒されたのですから、お眠りになられるのも無理はないでしょう。お聞きしていた以上に物凄いお方ですな、レディ・ヘルファイア様は」


 ハイスラーは元気のいいエリネラのこと気に入っていたこともあり、まるで我が子のことであるかのように褒めながら、暖められた果実酒を配り歩く。

 その様子にはヘンメも、彼女に対する毒を吐く気が失せたらしく、義手で不器用に後ろ頭を掻いた。


「悪ぃな旦那。宿を長々とアジト代わりにさせてもらっちまってよ。宮廷貴族共がケツの穴の小せえこと言わずに、俺たちを王宮に置いてくれりゃよかったんだが」


「庶民の身に貴族様方のお気持ちなどわかりませんが、私としましては皆様のお役に立てる機会を頂けて光栄ですよ。それに不謹慎だとは思うのですが、あの避難させていただいていた日々が娘にとってはとても楽しかったようで、こうして皆様が来てくださることを心待ちにしておりましたから」


「それはお互い様ですよ。うちの将軍もヤスミンさんと会えるのを、それはそれは楽しみにしておられたようなので」


「いやはや恐れ入ります」


 ハッハッハ、と2人の妻子持ち男が笑い合えば、周囲も釣られて笑みを零す。

 ただ、セクストンに関してはエリネラとの馴染みすぎた関係により、違和感が行方不明になっているだけであり、誰もそれを指摘しないことにヘンメは大きくため息をついた。


「お前はいつからあいつの養父になったんだよ。というか、それバラしたって知ったら、あのチビまたキーキーうるせえぞ?」


「何を言ってるんですか、将軍は将軍で子どもじゃありません。それに、私がどうしたところでうるさいのは変わらんでしょうに」


 達観ここに極まれり。立場を失った将軍と騎士補ではあろうとも、その関係は一切揺らぐことなく、だからこそエリネラへの対応はこれが完成形なのだとセクストンは胸を張る。

 その様子にヘンメは一瞬目を丸くしたが、呆れたような笑いと共に肩を竦めたきり何も言わなかった。何せ、セクストンという男は鋼のようなカタブツであり、気の利いた冗談など思いつくような頭を持っていないことは、ここまでの付き合いで嫌という程理解できていたのだから。

 無頼漢が触れなければ、それ以上突っ込める者など居るはずもない。おかげで話題は一旦途切れることとなったが、まるでその瞬間を狙ったかのように、建付けの悪い夜鳴鳥亭の入口が軋んだことで、全員の視線がそちらへ集中した。


「ただいま戻りましたぁ」


 透き通った様な声で頭を下げたのは、フサフサした尻尾と尖った耳を持ち、肩口で切られた美しい鈍色の髪のキメラリア。それも特徴的な黒く塗られた鼻先と、三筋のウォーペイントを頬に走らせる姿は、王国領で見間違えようはずもない。


「えっ、サフ君!? どうしてここに!?」


「おいおいおい、戻りましたぁ、じゃねえぞお前。何、ポロムルの警戒ほったらかして帰ってきてんだコラ」


「ホウヅクは来ていなかったはずだが、何か問題でも起こったのか?」


 どこか疲れた様子で頬を掻いて笑うサフェージュに対し、クリンは慌てて駆け寄ったものの、一方で仕事を任せていた男たちの反応は冷ややかなものである。

 だが、当の本人はそれを気にする様子もなく、また急を要する問題が起こって逃げ帰ってきたという風でもなく、ただ困り顔のままで歯切れの悪い言葉を口にした。


「問題って訳じゃないんですけど、その、ぼくにもなんだかよくわからなくて……けど説明しても信じてもらえなさそうって言いますかぁ……」


 その自信なさげな様子にオッサンたちが呆れ顔を浮かべるのは当然であろう。

 挙句、少年は何かを意識していたわけではなくとも、指をすり合わせながら首を傾げるという行為は、どこかあざとさを感じさせるものであり、ウィラミットは背中を何かが駆け抜けたような気がして頬を紅潮させていた。


「ほんと、いちいち可愛いボウヤ。けど、そんな報告しかできないんじゃぁ、おしおきしなきゃね。うふふふふ、楽しみ」


「サフ君、ハッキリ言って。今すぐ」


 何を妄想しているのか、自らの身体を抱きしめながら舌なめずりをする蜘蛛女に対し、クリンはピクリと身体を震わせると、軋むような動きで少年へ向き直る。

 そこにあったのは一切の輝きを失った瞳と仮面のような無表情。にもかかわらず、モブキャップの脇から飛び出た美しい飾り羽は大きく膨らんでおり、複雑な感情が渦巻いていることを示していた。


「ひっ、わ、わかってるよぉ!? そ、その信じてもらえないかもしれませんけど、ポロムルに鋼でできた見たこともないような船が、鳥みたいな勢いでいきなり乗り上げて来て、その中からキョウイチさんとシューニャさんの知り合いだっていう人が出てきたんですぅ!」


 何故、クリンが猛烈な圧力を発してくるのか。

 その理由についてサフェージュは理解が及んでいなかったが、少なくとも白刃のような視線を前に平然として居られるような度胸はなく、彼の喉からは自然と空気の抜けるような悲鳴と共に、半ばやけくそ気味な説明が飛び出してくる。

 だが、彼の理解が及んでいないことが原因か、それとも表現力不足が原因か。突然転がり出てきたあまりにも突拍子のない話に対し、今まで冷めた目でサフェージュを眺めていたオッサン2人は、ここへきて同情するように声を潜めた。


「……どうするんですかヘンメ殿。酷使しすぎてついにサフェージュが壊れましたよ」


「あぁ、俺も今反省してたところだ。その、なんだクリン、すまねえな」


「そこでどうして私に謝られるのか、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか……?」


 頭を下げるヘンメに対し、唐突に名指しされたクリンは湿り気を帯びた半眼を向けたものの、微かに膨らんだ頬には薄く赤みが差している。

 これがサフェージュに見えればよかったのかもしれないが、残念ながら謎の同情を向けられた少年にそんな余裕はなかった。


「ほらぁ! 絶対こんな反応されると思ったから言いにくかったのにぃ! もうやだこの人たちー!」


 年若いフーリーにとって、想像以上に刺激の多い毎日は決して悪い物ではなかったが、度を過ぎれば何事もストレスとなるものである。それも周りを囲む大人たちが、優秀ながら癖の強い人材ばかりなれば、ぼくだって頑張っているんだ、と叫びたくなるのもむべなるかな。

 ただ、オッサンたちが男なんてそんなものと苦笑していても、彼に救いの手を差し伸べる者が居ないわけではない。


「あ、あの、サフ君落ち着いて。私は信じるから、ね?」


「うぅ、ジークルーン様ぁ……」


 ジークルーンが優しく頭を撫でれば、サフェージュは少し落ち着いたのかひゅーんと鼻を鳴らして瞳を潤ませる。その光景を眺めていたクリンは、慈母の様に微笑む彼女に対して、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。


「続き、教えてくれる? その人はそれからどうしたの? まだポロムルに居る?」


「あ、はい……その人のことなんですけど、実は――」


 優しい彼女を前に、ようやく話を進められると少年がホッと息を吐いた瞬間だった。夜鳴鳥亭の扉がまたも狙っていたかのようなタイミングで、しかち今度はドカンと音を立てて勢いよく開かれたのは。


「えぇぇぇい! まどろっこしい、まどろっこしすぎるわよぅサフくぅん! まぁ可愛いから許してあげるけども! お姉ちゃんだって言えば伝わるでしょうに、さっさとシューニャちゃん出しなさぁい!」


 キィンと響く声と、ユライア王国領では文化的に珍しい煽情的なその恰好の女性に、嗚呼と耳を塞いでサフェージュが項垂れたのを除き、誰もがポカンと口を開けたのは言うまでもない。何なら、道行く人から近所の住民までもが、何事かと目を丸くして夜鳴鳥亭を覗き込んでいる。

 しかし、その女性は奇異な視線を一身に浴びていることを気にした様子もなく、スタイルのいい身体を揺らしながら堂々と店内へ踏み入ってきたため、流石にセクストンは慌てて腰の剣に手を当てて椅子を蹴った。


「な、何奴ッ!?」


「はぁ? アンタ耳に石でも詰まってるのぉ? ま、耳が遠いお年頃かも知れないしもう1回言ってあげるわ、よぉく聞きなさい」


 この瞬間、生真面目な騎士補の脳裏には、さっさと叩き切ってしまった方が面倒がなくていいのでは、という言葉がよぎったのは言うまでもない。

 しかし、僅かに目の前で大の男が武器に手をかけようとも、その女性は怯るどころかむしろ堂々と、豊満な胸を張ってどうだと言わんばかりの宣言を口にした。


「何を隠そうこの私、サンスカーラ・フォン・ロールはシューニャちゃんのお姉ちゃん! 動けない始祖様に代わって導師様を手助けするために、海の向こうから一昼夜でここまで出向いてあげたのよぅ!!」


 踊り子らしくポーズまでビシリと完璧に決めて、どうだと鼻を鳴らすサンスカーラ。場所が場所なら拍手が起こったかも知れない所作であろう。

 ただ、そんな彼女に対して、呆然とした沈黙の先でようやく投げかけられたのは、


「……まぁたヤバそうなのが増えたぞオイ。アマミの周りはこんなのばっかりか」


 という、身も蓋もない無頼漢の言葉だった。

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