第46話 英雄誕生

 朝陽が差し込む天幕。老婆は注ぐ陽光を浴びながら、食後の茶の香りを楽しんでいた。

 雨の少ないロックピラーではいつものことで、周囲には埃を抑えるために水を撒く音が聞こえているのみ。コレクタに対する受付は既に始まっているだろうが、支配人たるグランマの仕事開始はそれらがひと段落ついてからであった。

 重役出勤にふさわしいだけの権力や財、更には武力を持っている彼女にとっては、咎める者はもちろん、この時間をしようという者は誰も居ない。

 グランマの周囲はエプロンドレス姿の清楚なメイドが囲んでおり、彼女らも物音一つ立てようとはしなかった。少なくとも、この場に立っていられるのはメイドとしても優秀であることの証左と言えよう。

 だが、今日という日に限っては、そのモーニングティータイムに邪魔が入った。


「ぐ、グランマ! グランマ!」


 わざわざ埃を防ぐために水を撒いていても、人間が激しく走れば舞い上がる。そんなことはお構いなしに、犬毛を揺らしながらキメラリアの男は天幕の入口を跳ね上げた。

 服を着た大型犬。キメラリア・カラと呼ばれる種族である。

 彼らは立場の違いに従順で、特に一度目上だと判断した者には従順で裏切らないと言われている。

 この男もその御多分に漏れず、優秀でありながら裏切らない兵力としてグランマがリベレイタだったのだが。


「控えなさい犬。太母様の御前ですよ」


 入り口前に控えたメイドの1人が厳しい視線を向ける。

 頭が高いとでも言いだしそうな勢いだったが、リベレイタはメイドに視線を向けることなく、焦った様子のままでグランマに軽く頭を下げた。

 何もなくグランマのモーニングティータイムを邪魔したとなればその罪は重く、バックサイドサークルを追放されても文句は言えない。

 それを分かった上で報告に来たリベレイタに、グランマは片手を挙げて先を促した。


「アマミが、戻りました」


 ピクリと白い眉が揺れる。


「何ぃ? 随分早いじゃないか、逃げ帰ってきたか」


「それが、ミクスチャの亡骸を持ってきて――」


 そこから大型犬がなんと続けようとしたのかはわからない。言葉が終わる前にグランマは椅子を蹴って立ち上がっていた。

 あり得ないと否定の言葉がグランマの脳内を飛び回る。しかしそれもリベレイタの様子と、自らが行かせた男の底知れない部分が真実だと言い張って邪魔をした。


「案内しな! 行け!」


「こちらです!」


 しわがれた老婆とは思えない健脚で駆けだすグランマ。あまりの変貌ぶりに周囲の優秀なメイドたちさえざわめいた。彼女たちには、アマミという男がグランマを走らせるほどの人物だということしか理解できなかったに違いない。


――まさか、まさか、まさか!


 前を走るキメラリア・カラの速度に追いすがり、コレクタユニオンの演習場に入った時、老婆は息を呑んだ。

 赤黒い肉塊と共に立つ黒い人間の姿は、衝撃を持って迎えられたと言っていいだろう。



 ■



 流石に参った。

 玉匣をバックサイドサークルに入れるわけにもいかず、前回とは別の洞を見つけて隠してきたはいいが、ミクスチャをここまで引き摺って歩くのはあまりにも過激なリハビリであろう。

 せめてダマルが手伝ってくれればよかったのだが、あの骨は以前買い付けた兜を被っていながら玉匣に残ると言い張ったため、結局僕とファティマという組み合わせが出来上がったわけだ。


「大丈夫?」


「あ、あぁ……でも無理が過ぎるのはよくないね」


 無理矢理笑顔を作ってはみたものの、シューニャにため息をつかれてしまった。


「犬に牽かせればよかったのでは?」


 そんな辛辣な言葉を投げるのは、飄々としたファティマだ。

 非力な彼女にはこれまた酷な話である。だが、病み上がり3日目の自分よりはマシだった気がして、情けないにも程があるとため息をついた。


「帝国軍の恰好をしたアポロを連れてくるのは無謀だ。顔も割れてるし」


「それもそーですね」


 ただでさえ帝国軍に目をつけられている以上、この場所からも素早くトンズラしたいのだ。わざわざ災厄の種を追加で撒き散らす必要はないだろう。

 それを理由に、早朝から真っ赤っかで気味の悪い肉塊を引き摺って、炎天下の荒野を行軍演習させられたわけだ。

 無論、バックサイドサークルに着くや否や、爽やかな朝の雰囲気は見事にぶち壊された。

 人出が少なかった事が救いだろうが、それでもコレクタユニオンの職員や衛兵たちは大混乱。とにかくこの演習場へと引き出され、グランマを呼んでくるから待っていろと、大型犬のようなキメラリアが伝令に走っていった。

 しかしいざ置いて行かれると、僕らは屍の横に立ち尽くすしかない。

 それも残された野次馬とコレクタユニオンの職員たちが遠巻きに見守ってくるものだから、気分は動物園の珍獣そのものである。


「誰も彼も、死体相手に物好きだなぁ。まるで客寄せパンダじゃないか」


「ぱんだ?」


「白黒の動物だよ。今は居るか知らないけど」


 不可思議な名前だとシューニャが首を傾げたが、その詳しい説明を求められそうになったところで噂の人物が犬に先導されて現れた。

 老婆だというのに凄まじい健脚で、犬のキメラリアに劣らず走ってきていることと、息切れ一つしないその体力には度肝を抜かれたが、もしかすると見た目通りの年齢ではないのかもしれない。


「ただいま戻りました」


「よく戻ったな……だが、こりゃ一体なんだい。説明しな」


 グランマは驚愕を隠そうともしない。この老婆が額に汗することなど、なかなか見られるものではないだろう。

 対して無表情の鉄仮面を貼り付けたシューニャが1歩前に出ると、緊張した様子もなく遺骸の詳細を語りはじめた。そんな彼女に周囲の野次馬たちは一斉に視線を集中する。


「私たちが発見したのは群体ミクスチャ。これはそのコマンダーと思われる変異個体のもの」


 周囲にざわめきが広がった。グランマだけがシューニャを見据えたままだったが、怯むことなく堂々シューニャは言葉を続けていく。


「フラットアンドアーチで、およそ数十体規模の群体ミクスチャと遭遇した。私たちはそれらの殲滅に成功し、依頼は達成したと考えている。この死体を証拠として提出したい」


「マルコ、この死体を斬りつけな」


「ハッ!」


 マルコと呼ばれて前に出たのはあの犬のキメラリアだった。

 どうやらグランマ直属の護衛リベレイタらしく、腰に差していたカトラスを抜き放つと鋭い剣筋を走らせる。

 前に居るのがただの人間ならば、鎧を着ていたとしても戦闘不能に持ち込めそうに思えるほど素早い太刀筋であろう。ファティマのように力を武器に戦っているわけではなく、どうやらきちんと剣術を学んでいるらしいことが見て取れる。

 だというのに、カトラスはミクスチャの表皮に僅かな窪みを残して弾かれた。散った火花と共に刃がこぼれ、マルコが黒く丸い目を大きく見開いた。


「――す、すみませんグランマ、武器を」


「構わないよ。マルコの剣でもこうなっちまうんじゃ、ただの人が普通の武器を振るったんじゃ傷もつけられないさ」


 特別製だったのか、刀身を眺めて悔しそうに唸るマルコ。

 それと対照的に、グランマは大きく大きくため息をつきながらも、その瞳にはどこか喜悦のような光が宿っていた。


「やぁれやれ。あんたは本気で底が知れない男だ。マッファイをぶつけたときは自分の目に狂いはないと思ってたんだけどねぇ、可哀そうなことをしたもんさ」


「自分への評価は元々倒せる前提ではなかったと、そういうことですか?」


「あぁそうだとも、情報だけ掴んで逃げ帰ってくると思ってたさ。あたしゃこれでも現実主義者でね。それにたかが放浪者と死に損ないのコレクタやらリベレイタの烏合の衆が、あの化物を本気で狩れるなんて、どこの誰が信じられる?」


 悔し気に老婆はフンと鼻を鳴らす。

 その様だけ見ていれば、妖怪に一泡吹かせてやったと僅かにバッジについての溜飲も下がった。 


「だがアマミ、お前はどんな手品を使ったんだ? 真銀製の刃が通らない相手にどうやって、こんなに綺麗な断面をこさえた?」


 グランマが見据えていたのは元々4本の腕が生えていた場所だ。レーザー光によって溶断されたその場所は、なるほど見ようによれば刃を真っ直ぐ通した痕に見えなくもない。

 真銀というものがどんな素材かはわからないが、マルコが振った剣がそうなのだろう。周囲の野次馬が刃毀れしたそれを、遠巻きながら羨まし気に眺めているところを見れば、余程価値のある金属であることは疑いようもない。

 その剣を振るった本人は、敢えて引き合いに出されたことがショックだったのか、シュンと尾を垂らしていたが。


「攻撃手段等は黙秘させていただきたい。自分はミクスチャの撃破という依頼を達成した、その事実だけ受け入れてもらえれば結構です」


「食えない男だ。人間種の英雄なら剣を掲げるくらいするものだろう?」


「自分のような平民にある望みは、金銭苦に煩わされない平穏な暮らし程度です。身の丈に合わない英雄なんていう称号を欲してはいませんので」


 僕はありのままを語ったつもりだったが、この言葉にグランマは呵々大笑した。いつの間にか幾重にも周囲に輪を築いた野次馬の人垣にもどよめきが広がっていく。マルコも犬の口を大きく開いて間抜け面を晒していた。


「そうだろうと予想はしていた」


「おにーさんらしいですね」


 シューニャは小さく肩を竦め、ファティマはクスクスと笑う。正直、僕としてはこれで十分なのだ。

 だが、そんな願いはグランマにとって関係ないらしい。ひとしきり笑ったかと思えば、小さな体に似合わぬ声を張り上げた。


「聞いたか諸君! この男は単身ミクスチャを倒すと言う勇者、否! 救世主でありながら、平穏な暮らしのみを望むと言う! なんたる清い無欲さ! あたしゃこんな男は見たことがない! まるで神話から飛び出してきたようなこの男を、真なる英雄と認めよう! ペテンだと思う者あらば、今すぐアマミに斬りかかればよい! どうだ!?」


 声の残響が消えてしばらく、周囲は声を失っていた。呼吸すら忘れたかのように静寂が辺りを包んでいる。

 それも、誰かが咽を鳴らしたことをきっかけにさざ波のように声が広がり始める。


「すげぇ……本当にすげぇよ!」


「ミクスチャを倒しちまうなんて人間種の救世主だ!」


「アマミ様ぁ!」


 権力者の放つ妄言程恐ろしいものはない。それも真実の裏打ちになる物が目の前に転がされている中で、焚きつけるようなことを言われれば民衆とは扇動されてしまうものだ。

 挙句真銀とやらの剣が欠けたことさえパフォーマンスとなって、周囲には僕の名前を叫ぶ声が溢れかえった。

 困惑でおろおろする僕の手首をグランマが握り、この男がそうだと言わんばかりに振り上げて見せる。同時に歓声は更に大きく喝采として降り注いだ。中には黄色い声すら混ざっている。


「ここにボルドゥ・グランマ・リロイストンの名において、英雄アマミの誕生を宣言する! 家族に、友に、隣人に伝えよ! 人間種がミクスチャに怯える時代は間もなく終わると! この場に立ち会えた幸運を眼に焼き付け、コレクタユニオンの名と共に偉業を称えるのだ!」


 まさに熱狂だった。グランマがこの手の演説に慣れていることも相まって、人々はあっという間にその波に飲み込まれていく。

 これを止める手段など僕にあるわけもない。呆然と立ち尽くす凡夫の姿を、人々は英雄と呼んで賞賛するのだ。

 最高潮に達した大衆のテンションを、ハッハッハァと笑って煽り立てるグランマに、僕は助けを求めてシューニャへ苦笑を投げた。


「これは――どうしたらいいかな?」


「受け入れるしかない」


 彼女は小さく首を振る。むしろ予想できていたとでも言いたげな視線に、僕は全てを諦めるという選択肢しか残っていないことを悟らされた。

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