第116話 道すがらコミュニケーション

 アポロニアに小さな手紙を託し、また何処かでまみえようぞ、と言い残した大柄なヴィンディケイタは、街道を東に向かい立ち去った。

 それをほくほく顔で見送った彼女に対し、言いたいことは多々あるが、ガラクタの散らばる草原で問答をする気にはならないため、僕は玉匣に戻りながら、小言を呟いていた。


「お金が大事なのはわかるが、こう、もう少し遠慮したほうがよかったんじゃないか? こっちは困ってないんだから」


「何言ってんスか。ちゃんと仕事したら、その分のお給料もらうのは当然ッス。そんな温い考えだと、いつかお金に苦労するッスよ」


「金銭苦はそこそこ早いうちに経験してるんだけどね……」


 まだそれほど時間が経ったわけでもないのに、干し肉や固いパンを買うだけの金もなかったことは、随分懐かしく感じられる。ただ、アポロニアが捕虜として捕まった時には、グランマから受け取った前金で食生活が改善していたこともあり、彼女は意外そうな顔を隠そうともしない。

 一方、戦利品であるクラッカーの脚を弄んでいたファティマは、大きな耳を後ろに倒して不思議そうな顔をする。


「でも、お金は沢山あった方が困らないんじゃないんですか?」


「身の丈に合わないお金はトラブルのタネにもなるが――まぁいいや。もう済んだことだし」


 今更ゴチャゴチャ言ったところで手紙は受け取ってしまったわけで、そもそも彼女らに自分の感覚を押し付けるべきではないと思いなおす。キャラバンもうまく逃げおおせただろうし、ヘルムホルツも無傷のまま救えており、作戦結果としては上々なのだから。

 話題を断ち切って少し歩けば、間もなく草陰に隠れた玉匣が見えてくる。

 そこでは2つの人影が蠢いていた。


「両腕をまっすぐ前に、ゲキテツを下ろして、引き金に指をかけ、ショウセイで狙いをつける……こう?」


「銃構えたまま振り返んなって! 銃口が俺に向くだろうが!」


「あ、ごめん」


「ったく、危なっかしいったらありゃしねぇ。撃鉄戻しとけよツルペタ――ハッ!?」


 どうやらシューニャは、しっかり回転式拳銃オートリボルバーに関する基礎訓練を受けていたらしい。

 ただ、隣で指導していた骸骨から不穏な言葉が聞こえて間もなく、彼女の周囲から急激に温度が失われた。


「つる、ぺた……? ふふ、ふふふふ、随分、変わった言葉……」


「しまっ! つい本音が――ほ、褒め言葉、誉め言葉なんですッ!」


 翠玉の瞳は驚くほどにくすみ、シューニャは不気味な笑い声を無表情のままで響かせる。そこから迸る殺意にダマルは慌てて言葉を訂正したが、一撃で冷静さを吹き飛ばしてしまったらしい。

 僕はシューニャの腕が持ち上がりそうになったのを、咄嗟に彼女を後ろからホールドしつつ、右手に握られた自動拳銃の撃鉄を押さえなければならなかった。


「そ、そこまでそこまで! シューニャ、落ち着いて!」


「ひゃっ――!?」


 怒りのあまり、彼女は自分が近づいてきていることにも気づいていなかったのだろう。突然背後から抱きすくめられ、ビクンと大きく身体を揺らした。

 とはいえ、そんなことを気にしていられる状況でもない。いくら首を落とされて平気な骸骨とはいえ、至近距離から銃弾を食らった場合、無事でいられるとは思えないのだから。

 だが、危機的状況だったはずのダマルは何故か呆然として、直後にカタカタと小さく笑った。


「カカッ! 慌てすぎだぜ相棒? そいつに弾は入ってねぇよ」


「えっ? あ、ホントだ」


 白く小さな手に握られる回転式拳銃に視線を向ければ、見事にシリンダーはレンコンのように空洞があるばかり。どうやら暴発を防ぐ安全策として、骸骨は事前に弾を抜いて構造と操作方法の説明だけを行っていたらしい。


「きょ、キョウイチ……その、ちょっと苦し、い」


「ッ! すまない! 咄嗟のこととはいえ、不快だったろうに」


 腕の中でシューニャがもぞもぞと動いたことで、僕は慌てて身体を離した。

 彼女が家族で居ることを許容してくれたとはいえ、普通に考えれば袖にされた相手に密着されて気分がいいはずもない。

 だが、反射的に頭を下げた自分に対し、シューニャは何かもごもごと小さく呟いた。


「ふ、不快とかは別に、思っていない、けど……」


「カーッカッカッカ! どーの口が言ってんだよ!? むしろ幸運じゃねぇか、相手からハ――ぐえっ!?」


 ゴキンという妙な音に顔を上げてみれば、いつの間にかダマルと呼べたはずの甲冑はその場に崩れており、兜をファティマが小脇に抱えている。その隣でシューニャがフンスと息を吐いているので、どうやら彼女の指示による行動らしい。


「アポロニアは散らばってるのを集めて、ファティは兜をタマクシゲの中に」


「あー……了解、了解ッス」


「はぁい。これでお仕事2つ終わりましたね」


 アポロニアは面倒くさそうにため息をつきながら、鎧と骨が積み上がった物を回収し、ファティマは上機嫌に鼻歌を口ずさみつつ、後部ハッチよりダマルの頭蓋骨入りらしき兜を車内へ軽く投げ込む。

 それらは中々に凄惨な光景のような気もしたが、ダマルの解体に関しては自分が指示していたことを思い出し、慣れとは恐ろしいものだと苦笑していた。



 ■



 陽が落ちる直前、玉匣はようやくエーテル機関を停止する。

 いくら玉匣が人目に触れる機会が増えたとはいえ、往来の多い都市の傍にポンと放置すれば混乱は必至であり、今までのような洞穴や遺跡を探す必要があったのだ。

 だが、町の傍はなだらかな地形である上に遺跡の類もなく、ようやく見つけられたのは背の高い倉庫のような廃屋だった。それでも玉匣が入ろうとすれば、門を削ってしまう程度の幅しかなく、半ば無理矢理な状況である。


「ボッロボロだけど、これ崩れて来ねぇだろうな?」


 運転のために組み直されたダマルは、ハッチから身を乗り出すと、懐中電灯で周囲を照らして不安そうな声を漏らす。

 というのも、屋根も壁もあちこちが穴だらけであり、周囲に雑草が生い茂っていなければ中まで丸見えであろう状態なのだ。不安になるなという方が無理であろう。

 ただ、先に建物を偵察と車両誘導を行った僕からすれば、倒壊の危険は薄いように思えた。


「柱はしっかりしてるし、ぶつけなきゃ大丈夫だと思うよ」


「ったく、冷や汗もんの車庫入れだぜ。この風通しがいい隠れ家じゃ、流石に車両放置はできねぇわけだが、留守番はどうすんだ?」


「悪いんだが、ダマルとアポロで頼む。町を知ってるのはシューニャだけだし、いざとなったら動かせるようにダマルは外せない。それに、最悪アポロなら射撃もできるだろう」


「まぁ、それが防衛策含めて妥当か」


「うぇぇ、自分は留守番ッスかぁ? せっかくの港町だし、いいお酒が飲めそうなのに」


 運転席上から身を乗り出したダマルとの会話が聞こえていたのだろう。後部ハッチから出てきたアポロニアは、少々不服気な声を出す。

 とはいえ、ファティマでは銃火器が扱えないという都合上、玉匣を退避させながらの戦闘は難しく、シューニャを置いてキメラリア2人を連れて行った場合、何か現代常識に絡むトラブルが起きた際、自分だけでの対処が難しい。

 特に未知のコレクタユニオン支部へ報告のために立ち寄らねばならない以上、シューニャ無しというのは何としても避けたかった。これが甘えであることは否定できないが。


「ここの防衛はアポロにしか頼めないんだ。お酒ならお土産に買ってくるから、お願いできないだろうか」


 これこの通りと拝み手で頭を下げれば、アポロニアは僅かにたじろぎ、ポリポリと頬を掻いた。


「むむ……そ、そこまで言われちゃうと、仕方ないッスね。自分も大人ッスから、任されたッス」


 どことなくつっけんどんな言い方ではあったものの、チラと視線を向けてみれば、太い尻尾がブンブンと振られており、頼られているというのは満更でもないのだろう。

 アステリオンは犬と言われるが、なんとなくその片鱗が見えたような気がしないでもない。ぐしゃぐしゃと彼女の頭を撫でてやれば、無理矢理にツンとしていたらしい表情も崩れ、へらりと嬉しそうな笑みが浮かんだ。


「ありがとう、助かるよ。玉匣とダマルを頼む」


「おにーさーん? そろそろいきますよ」


 ファティマに呼ばれ、僕はシューニャと共に後腐れなく玉匣を離れた。

 周囲は宵闇に暗く沈んでおり、王都であれば既に市門が閉じられて市街地へは入れない頃合いである。ただ、シューニャが言うにはポロムルではルールが異なるらしい。


「ポロムルは港町で交易の要衝だから、一定の身分証を持っていれば深夜にでも入ることができる。組織コレクタのバッジがもつ社会的な信用は大きい」


「なるほど、経済的な理由かぁ」


 グランマがと言った理由は、この社会的信用なのだろう。

 とはいえ、クローゼが居るユライアシティ支部ならばともかく、できるかぎり頼りたくない組織であることに代わりはないため、自分の心境は複雑である。

 それでも実際に門の守衛にバッジを見せれば、特に追及もなくファティマに鑑札かんさつがつけられることさえないまま通れてしまったため、バッジの威力を前に悩むことが馬鹿馬鹿しくも思えたが。


「ここがポロムル、か」


 背後に小高い丘陵が伸びており、それに沿う形で急斜面に建物が立ち並ぶ港湾都市。王都より低い石造りの市門には、日暮れを過ぎても商人然とした連中が短い列を作っている。

 市街地にも王都のような整然さはどこにもなく、まるで祭りのような熱気に包まれた空間が広がっていた。夜市とでも表現するのがいいだろうか。

 立ち並ぶ露天とその奥で客を待つ大店が入り混じり、特に目抜き通りともなればあちこちから酒場の呼び込みも聞こえてくる。今まではあまり感じなかった香辛料や香草系の匂いが露店から立ち上がり、売られている食品それぞれが驚くほど美味そうに見えた。

 しかも交易の拠点として発達しているからか、行き交う者たちにはキメラリアも多く、食堂や酒場などの飲食店でさえ彼らを拒むような雰囲気が薄い。そのため、ファティマは肉や魚の香りを前に、キラキラと目を輝かせた。


「おにーさん、おにーさん、赤魚の香草焼きですって! おぉ、あっちはムールゥ肉のコゾ包み焼って書いてありますよ!」


「む、ムールゥって食えるのか……」


 彼女が指さした屋台の文字を追いかければ、どうにも間違いではないらしい。毛が体積のほとんどを占める豆腐に足が生えたような珍生物が、まさか食肉利用されているとは、なんとも衝撃的な話である。

 ただ、個人的には赤魚の方が気になった。海が近いのだから、ここまで食べてこなかった海鮮を口にするのもありだろう。そう思えば一気に自分の腹から盛大な音が鳴り、それにファティマは嬉しそうに振り返った。


「アハッ! ね、ご飯にしましょーよ?」


「あぁ、そうしようか」


「宿を見つけてから、と言いたいけど……気持ちはわかる」


 これだけいい匂いが各所から立ち上っていれば、流石のシューニャも抵抗するのは難しかったらしい。彼女からの許可が出たとあって、ファティマはヒマワリのような笑顔を浮かべながら僕の手を引いた。


「あそこのお店が良さそうです!」


「走らんでも食事は逃げないだろうに」


 言ったところでテンションの高い彼女が聞くはずもない。ファティマは嬉しそうに僕を引き摺りながら、店へと突入したのだった。

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